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私の山行は?年
山沢 幸子

 70周年記念号に記事を書くにあたり、前の記念号を探しだしました。なんと40周年記念号・50周年記念号・60周年記念号と記事を載せてありました。自分でもちょっと感動です。自分史として70周年記念号にも載せていただきたく、この10年を書いてみました。
 60周年のときは、私は膝の故障から回復したばかりでした。「山はもう無理」といわれ、なかばあきらめていたものの根性で山歩きをはじめて、歩けた喜び! 真っ暗闇からの復活なので、もう有頂天になりました。膝の状態からみて、「山に行けるのも10年持てばいいかな!」と自分に言い聞かせ、山が逃げないようにしっかり掴み取ろうと、今から思えば無理に無理を重ねて山に行っていました。
 まず 沢に夢中!
 思い出に残っているのは、ヌク沢・赤木沢・恋ノ岐川・クワウンナイ川・ヌピナイ川・白神の沢・・・・
 花の山旅も7月恒例でした。
 早池峰山・栗駒・焼石・白山・岩手山・大雪山・鳥海山・白馬岳・赤石岳・・・お花畑がいまでも目に浮かびます。
 秋の紅葉に夢中になったのは栂海新道の紅葉を見てからでした。10月なのに雪消えの緑とすぐ側のチングルマの朱、そしてどこまでもうねうねと続く深紅の山並み、感動でした。
 それからの毎年、10月は「紅葉愛で月間」にしました。でもあれほどの紅葉に出会えたのはそう数多くありません。
 山に行く体力と持久力維持+ダイエットのために、おそるおそる始めたジョギングは秋から春までの私の運動でした。(これも筋力はついたものの腰痛を強める原因だったかな?)
 そして、春はなんといっても山スキーです。
 三峰の5月合宿で行った雪倉山スキーと立山山スキー合宿で夢中になり、それからだんだん山スキーにのめりこむようになりました。
 ある時は、火打山山スキーでヘールポップ彗星が尾を長く引いてみごとでした。
 山での出会いも忘れられません。
 北海道の友達との沢と山。栂海新道を造った小野健さん・ひまわりさん。そして八甲田スキーで出会った八戸山岳会の方々とはもう4年も鳥海山山スキーに同行させていただいています。
 沢も山スキーも一人ではいけません、ちょうどその頃、山に対し同じ方向を向いていた山仲間がいたからこそ夢中になれたのだと思います。
 はじめは、多分行けるだろう年数の短さから、妙にあせり、無理な身体づくりと無理な山行を重ねていました。膝の骨折が思わぬことに、膝の故障でなく、腰の故障として現れてしまいました。2~3年前からテント泊がつらくなり、テント縦走は腰の負担からできなくなりました。
 それでも山はやめられません。山中毒となってしまいました。それでは、と車でベースに行き、ピストン。または山小屋泊まりという方法ならまだ歩けました。
 それからは、春は山菜と山スキー・夏は山小屋泊まりでお花畑めぐり・秋は温泉と紅葉見物という三峰としては軟弱方面を受け持たせていただきました。
 ところがそれもそろそろ限界! あと10年の山人生をかけて腰の手術をすることに決めました。
 私の夢
 これからの10年間に行きたい山
 北海道・飯豊・朝日連峰・和賀山塊・白神・聖・光岳

すばらしかった山はまた行きたくなり、失敗した山はリベンジしたくなり、まだ登っていない山はもっと登りたい。
 こんなに貪欲だとは自分でも驚きです。
 腰の手術は、またこれからの山への挑戦です。

ギンリョウソウ

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