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60周年記念号から続きの70周年号へ
別所 進三郎

 "山登りは幸福の一つのあらわれである。" 山に行けること、自然を堪能する悦び、そして仲間と悦びを分かち合う人生の醍醐味があるからです。
 さて、60周年号に"行ってみたい山"を表にして挙げた。その中で実現したのは、5月の白馬主稜、夏の小窓尾根、恋ノ岐の沢登り、冬の鳳凰三山家族冬期避難小屋泊まり山行、1月の阿弥陀南稜、2月の蛙ヶ丸~孤釣山単独行である。表には"実現したい山行"20ヶ所、"条件整えば山行"20ヶ所、そして"大願望"として10ヶ所の山行、沢行名を掲げた。結果として実現したのは、前記の6山行であるから2割5分の"山行率"である。
 一方この10年間にやった山行は約100行である。内、沖縄赴任中の4年間は他の楽しいスポーツに浸っていたので、九州の名山と定例の年末雪山山行等で、15座に登ったくらいである。
 行ってみたい山と実際に行けた山の乖離は、ひとえに自分の我儘と御都合主義によるものだ。企業では計画をきちっと実行することが求められるのだが、私の山行は目先のワクワク感と山友との乗りで行っちゃうのである。
 そして次の80周年へのことである。定年退職し、繋ぎ仕事中の今は何かと縛られ、ままならぬが、もう少しで"素晴らしい期"に突入する予定である。そんな期待のかかる時期にどこに行きたいかという楽しい話は後にして、この10年にどんな山行をしたか綴らせてもらいます。
【四つの剱岳山行】
1. 94年8月 小窓尾根
 急登で、踏跡の薄い尾根は樹木が張り出していて登りづらく、上天気で大汗、渇望山行となった。2日目は憧れていた"小窓のコル"でテントを張ることが出来、チンネや暮れゆく後立山を眺め至福の時を過ごした。その後は仙人池から剱を見上げ、下の廊下の十字峡を見下ろしたりして黒部ダムまで歩き、野田さんとの心に残る3泊4日の山行を終えた。
2. 95年5月 源次郎尾根
 松谷さん中村さんにニュージーランド人のリチャードと4名で臨んだ。リチャードとしては、京都の沢登り、冬の比良山系の武奈ヶ岳、一庫ダム湖畔懸垂下降訓練を経ての本番となった。アタックの日、剱沢テントの中の朝食はラーメン。リチャードは「アイムソーリー、アイキャンノット、イート」と言ってアルミ碗を銀マットに置いた。ルンゼから尾根への取付きに緊張を要したが、スノーリッヂは踏跡があり、ロープを出さなかった。30メートルの懸垂下降は40m×9mmのザイル2本で無事終え、急峻な雪壁を越して本峰頂上へダイレクトに登り終了。
3. 96年5月 八ッ峰上半
 3時23分テントサイト発。5・6コルに6時35分着。剱山頂着12時12分。夢の雪稜登攀をやれて感無量。松谷、中村両氏と握手。
4. 97年5月 奥大日岳
 次男と中村さんと娘さん、野田さんの5人で、雷鳥沢キャンプ場定着でのんびりしようとしたが、テントを張ったら、フライを忘れていた。奥大日岳に登り、翌日帰宅した。次の日、同じルートを登ったパーティーが雪崩に巻き込まれ遭難したとニュースがあった。
【大阪暮し山行】
 94年4月から97年6月まで茨木市の寮と淀屋橋の職場往復の単身勤務となった。山行範囲は如何せん仕方無く関西圏が中心になり、西日本への山にも薄く広がっていった。
1. 六甲の谷
 三ッ下谷、クレン谷、西山谷、ロックガーデン、有馬48滝、高天谷を単独で登った。沢は短く、難しい滝には明瞭な巻道があった。稜線に出ると道路が走っていて山行の終わりとなることが多かった。神戸の夕景や、有馬温泉入りを楽しんだ。六甲全山一日行に参加しようと考えていたが、阪神大震災後は足が遠退いてしまい、六甲に入っていない。
2. 日帰り又は一泊単独行
 大阪市内から阪急、近鉄、JRを利用しての山行である。竜王山、金糞峠、ポンポン山、愛岩山、西多紀連山、金剛山、百丈岩、堂満岳、稲村ヶ岳、荒島岳、琵琶湖南アルプス、霊仙岳、毘沙門谷、他。
3. 松谷さんとご家族と広谷さんと
 大阪のベッドタウン伏見で、ハスキー犬と共に心静かに、ゆったりと子育てに専念していたのが松谷家である。元三峰の会員同志の夫婦には、頭脳もさることながら、身体能力の高い一男二女が居り、私の出現で、沢登りを始めると、その面白さをすぐ学び、ハーネスだ、ヘルメットだ、次は雪山装備だと山登り騒ぎに巻き込まれていったのである。
 松谷さん又は松谷家の人々と行った山行は、福井県若狭湾三方湖に注ぐ、小滝の連続する今古川、京都から鯖街道を北上して比良山系の懐を流れる奥の深谷、口の深谷、京都北山の由良川源流の七倉谷、ヤケ谷、西兵庫の倉谷、大台ケ原の東ノ川、滝壷に緋鯉の泳いでいた惣河谷支流、大峯山域の美渓岩屋谷(野田さんも)、新幹線から見える伊吹山(積雪期)等である。岐阜、福井県境の屏風山への中の水谷では、岩魚の骨酒が旨く、3人で三升の酒を空けた。特に由良川源流や中の水谷は松谷家の斜め前に住む広谷さんに導いてもらった山行である。広谷さんはヒマラヤの某山の初登攀をされた方で、最近では、「低山趣味」という山岳書を出された。関西登山界の知る人ぞ知る大御所である。
【西日本の名山訪問】
1. 伯耆大山
 頂上弥山、1711mよりのヤセ尾根は"縦走危険"と表示があったが、行くことにした。よく写真に出てくる北壁、南壁、東壁の稜線を進んだ。三鈷峰、宝珠山を経て大山スキー場に下った。
2. 四国赤石山系
 新居浜駅から東平(とうなる)と歩き、マイントピアに宿泊、宿で「赤石山系の自然」という本が購入出来、赤石山にいくことにした。(この本みたいな本を書けたらなぁと思っている) 西、東赤石山を踏破し五良津に下った。
3. 九州 九重山群
 炭酸水の湧き出る白水鉱泉から黒岳~大船山~法華温泉(泊) 稲星~久住山と歩き、牧ノ戸温泉口でバスに乗った。
4. 阿蘇山
 山道を外して勝手に歩き、活動中の火口を北側の壁上からのぞいた。草千里~烏帽子岳を往復した。
5. 祖母山
 奥岳川の上流ウルシワ谷を松谷さんと逆行し、エボシ谷出合で幕営し、次の日の午後人混みの山頂に立った。頂上より携帯で、家族と話した。
6. 霧島山
 霧島川左俣を沢登りし、国民宿舎えびの高原荘に宿泊。次の日、韓国岳~中岳~高千穂峯~霧島神社と歩く。小屋番の帰宅する日に当たり、高千穂峯山頂小屋で泊まれなかったのが心残りである。
7. 国東半島の雨子山
 97年11月に登った。
8. 開聞岳
 山斜面を廻り込みながら頂上を目指すと海が見え、絶景が展開していくのが見事であった。屋久島は見えず。
9. 沖縄本島最高峰与那覇岳
 山頂は樹木で囲まれ見通しがきかない。途中、自動車道をカメが歩いていたので、亜熱帯林に帰したが、調べたら天然記念物の「リュウキュウヤマガメ」だった。
10. 石垣島於茂登岳
 沖縄県最高峰に妻と長男と友人と登る。開長15cmの日本最大の「オオゴマダラ」が舞う山道を登り、526mの山頂に至った。
【恒例年末雪山山行】
 元三峰会員の桜井、中村両氏との3名がコアメンバーである。92年の年末に那須の三斗小屋へ雪の露天風呂に入りに行ったのが始まり。現役だった頃の山の話や、それぞれの家庭の事情を雪のシンシン降るテントの中で、酒で温みながら団欒するのが年末行事として続いている。
 93年。スキーリフトを使って八方尾根から唐松岳へ。元三峰の稲田さん持込みのシシャモを解凍し、焼魚の煙に咽びながら食べた。
 94年。私は12月の倶留尊山域の兜岳、鎧岳を越えて、名鉄名張駅へのバス停落合へのヤブ沢を下る途中滑落し、右踵を痛め、ギプスをハメていた。桜井、中村組は霞沢岳に行った。
 95年。蝶が岳。ラッセルに苦しみ、樹林帯で幕営となった。翌日目覚めた時は、日は高く昇っていた。強風の山頂から仰ぎ見た雪の槍、穂高は見事だった。
 96年。乗鞍岳。野田さんに参加してもらい、つぼ足でスキールートを登る。スキー屋に置いていかれ悔しい思いをしながら登行したが、テントを張れば我々の世界。話はとりとめもなく続く。翌日登頂を果たし、雪の斜面をアタック装備で気持ち良く幕場に戻った。
 97年。木曽御嶽山。沖縄から正月帰省した際に登った。桜井さんはイヤになって途中で登頂を断念。"登れなくなってくる"ことがいつか自分にも来るんだと実感した。
 98年。西穂高岳。ケーブルを使って楽に行くことを考えての山行。しかし西穂山荘前のテント場から100m登った所で悪天を見定め、退却。上高地に下りて酒盛りに耽った。
 99年、2000年01年は都合がつかず取り止め。
 02年。安達太良山に松谷ジュニアと共に4名で行く。くろがね小屋の50m前の雪を踏んでテントを張る。温泉付き小屋泊まりの誘惑を断ち切っての幕営である。牛の背の風は強くなく、楽に登頂し同じ道を戻った。乳首で先に立ったツアースキーグループとはほぼ同時刻にくろがね小屋に着いた。
 03年。景色が良くて、楽で、静かで、一年を締めるにふさわしい山を探している。
 後日談、剱と薬師岳を見渡せる鍬崎山にほぼ決定。もちろん狙いは、佐々成政の埋蔵金である。
【その他の山行】
1. 双六谷~九郎衛門谷~黒部五郎小屋~五郎沢~赤木沢~北ノ俣~打保。94年9月。赤木沢は日本の宝石である。味わえて良かった。有り難い。野田さんと。
2. 白馬~朝日岳~蓮華温泉~白馬大池~栂池。95年8月。朝日岳周辺の花を求めての山旅であった。妻と次男とその友人と。
3. 奥秩父ヌク沢~甲武信岳~鶏冠尾根。95年8月。3回目のヌク沢である。長男、次男とその友人と。
4. 蓼科山。99年12月。家族全員で。
5. 後立山南部 扇沢~赤沢岳~針ノ木岳~船窪小屋~烏帽子岳。02年8月。4つの山小屋泊まりだが船窪が一番良かった。縦走を共にした高級ワインを飲んだ後、顔に吐かれた。中村、桜井さんと。
6. 神岡~北ノ俣岳~黒部五郎~双六岳~新穂高温泉。03年5月。久しぶりの重荷の縦走でバテた。しかし入山日を除いて3日間晴天に恵まれ、北アの大パノラマを満喫した。中村さんと。
7. 大菩薩嶺 小室川谷。03年8月。大高巻の途中、野田さんと松谷さんの息子さんの間を母熊が走り下るというハプニングに遭遇した。
【80周年へ向けて山行計画】
 計画を立てたところで、場当たり的に行動する傾向なのであまり意味が無いのであるが、山に想いを馳せらすこと自体が楽しいことであるので、ここで法螺を吹かせてもらいます。
1. 北アルプス縦断の完了。あと烏帽子小屋~鷲羽岳と奥穂岳~西穂高~焼岳~中ノ湯温泉で、越後親不知まで繋がる。残雪期に静かに歩きたい。
2. 秋の高瀬ダム~唐沢岳~餓鬼岳~有明山。幕岩見物とブルーベリーが狙いの山行。
3. 仙丈岳。南ア全山縦走をした時(40年前の夏合宿)に抜けており、今日まで登っていない。冬の雪か、夏の沢ルートで登りたい。
4. そろそろ軸足を平塚市の自宅に置けそうなので会の山行計画に積極的に参加したい。しかし歩速が遅く、危険への反応が鈍くなってきているので、別ルートや易しい沢を選択させてもらう等の対応が許されれば「中高年あと追いルート踏破連」を誕生させ、未練のある山をタラタラ登りたい。
5. 東北と北海道の名山。車でせっせと巡り、山麓で里山の暮し、物産、温泉を味わい、人との交流も生まれればと欲張った思いでいる。
6. 米国アパラチアン山脈をバックパック。全長3500km、全トレイルは無理。気が済むまで行けたらと思う。図に乗れば、シエラネバダ山脈の340kmのジョン・ミュアートレイルに挑戦したい。
7. 裏山探索山行。里山にベースを置き、四季と数年間に渡り、沢、藪、支尾根を縦横無尽に歩き廻り、げっぷが出るくらい山暮らしをしてみたい。
8. 屋久島 宮之浦岳を中心に海上の山頂で楽園気分を味わえれば。
 山への想いを集中すると上記の様な案が出てきたのだが、果たして"山行率"はどのくらいになるのか?老人力も順調に付いて来ている私にとって、これからは人生の黄昏になるが"黄金の黄昏期"にすべく、諸事に取り組んでいきたいので、皆様よろしくお願いします。


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