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これって遭難?
太田 秀幸

 1999年三峰に入会以来、最初の一年を除き通い続けた山から足が遠のいた。それと時を同じくして大勢の人と会ったり交わる事が億劫になり、三峰のルームにも出席していない。そんな私だが会からはイヤミ一つ言われた事が無い。私にとっては大変居心地が良く、こういう形であっても会に籍があるというのは何物にも替え難い事だと思っている。あせらず現場復帰の日を目指そうというゆったりとした気持ちでいられる事が何より嬉しい。
 そんなこんなの私だが2002年12月28日夕方、仕事中の事故で左手首を開放骨折し入院とリハビリの日々が続き、2003年は一度も山に行かずに終わってしまった。山に行くようになってから初めての事だ。自分の意志通りに動かない体で退屈したのではと思う人がいるとは思うが、そんな事は全く無くリハビリは大変で辛いけれど、メチャクチャ面白い。人間の体が一度こわれて再生していく過程を体験出来た事は一生の宝かも知れないと思う。人生に無駄な事は一つも無いという良い例だ。勿論、骨折する前の機能に100%もどる訳では無いし、手首の曲がる角度や手首以外に出て来た障害は一生残るので、その意味での代償は大きかったと言える。でもこれから先、体はどんどん老いて行く訳だし不自由さの先取りと考える事も出来なくはない。
 体の方はそれで良しとしても問題なのは精神面。たかだか2m50cmからの落下。端くれとはいえ岩ヤの本能で、本来なら右を下に落ちる所を左を下に何とか着地しようとしての左手首骨折と左マブタ上を5針縫う怪我。正直あんなに簡単に骨が折れるとはおもわなかったし、その高さがショックとして残った。2m50cmの高さは沢や岩に限らず普通の山歩きだって当り前に出て来る。不注意、油断、理由は何であれ「その程度の高さからでも落ち方が悪ければ骨折するんだ」という、大袈裟に言えばトラウマが私には残った。私の場合、事故った場所が築地の東京卸売市場だったから良かったものの、これが沢だったらと考えると背筋が寒くなる。今後私が山に復帰したとしても、おそらく以前と同じ気持ちで岩や沢は出来ない。普通の縦走やハイキングでも同様だと思う。
 昔の友人から聞いた泊りの沢での友人本人の骨折による遭難と、在籍していた山岳会による救助の話が自身骨折する前と後では、まるで違った物として私に迫って来た。

 「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」
 この言葉の重みを三峰の仲間と共にかみしめたいと思います。

暗難路愚山人、こと 太田秀幸

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