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菅平の小林館便り
原口 藤雄

 凍てつく様な星空の下、峠に降り立って歩き出す。雪におおわれた黒斑から浅間山へ登った30数年前の事が思い出される。若い時には雪山を好んで登った記憶がある。
 10月の中旬、東京駅を10時過ぎの新幹線で佐久平には12時チョット過ぎに到着する。タクシーで落葉松の黄葉に染まった曲がりくねった道路を右に左に進み、峠の高原ホテルの前に到着。迎えの予約を4時半にしてもらい歩き出す。眺めの良い広い尾根は心地よいものだ。黒斑の頂上には地震観測用のビデオカメラやサイレン塔が立っていた。しばし頂上よりの浅間を眺めながら休憩。岐路は峠に4時半に到着する。タクシーは早めに待ってくれていた。
 北斜面の紅葉は素晴らしいの一言につきる。落葉が道路一面をおおっている。今日のテント場は吾妻高原ホテル前とするが、タクシーは鳥居峠の先から右に入る所を通り過ぎてしまい菅平入口まで来てしまった。しようがないので小林館に泊めてもらうしかない。だが場所が分からない。6時過ぎだというのに店はみんな閉まっている。須坂に曲がるところにやっと酒屋を見つけ、声を掛け、解かる人を呼んでもらったが、かつての駐車場はないとの事。小林館の先がバスの終点、駐車場になっていた。
 3年前に、かつての牛小屋の所に民宿を新築。以前のスキー合宿は牛小屋の中にテントを張って(勿論無料)泊まったものであった。宿泊は冬季だけで、その他は保健所の許可が下りないのだが、快く泊めさせてもらった。
 30数年の積もる話は尽きないが、昔世話になったお爺様は15年前に亡くなった様でした。オバアチャンは少し耳が遠いが元気そのもので、我々のことも記憶に有りました。妹さんも嫁ぎ先で50歳過ぎで亡くなったとの事です。昭一さんはスキー選手の強化委員長として夏は涸沢や立山に、冬は北海道や長野のスキー場で選手と共に頑張ったとの事でした。最後は長野の冬季オリンピックの大会委員長を最後に退官したとの事でした。それから真田町に帰り農業委員会委員長に推され真田町の為に尽力され、それも辞して今は農業に家族と共に苦楽を共にしておられます。
 翌朝、雲一つとして無い。紅葉と新雪が少しある程度だった。牧場で200円の入場料を払った。頂上は人、人だった。百名山ツアー客が四阿屋山から縦走してきた様だった。頂上の眺めは素晴らしいもので、白馬から穂高迄の白く輝く稜線、中央アルプス、八ヶ岳、浅間や360度の展望を楽しむ事が出来た。


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