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創立70周年記念事業
服部 寛之

 平成15年度(2003.4~2004.3)の創立70周年の記念に何をするかについては、服部が委員長を務めた平成13年度中から委員会で話し合われ準備が進められてきた。企画の内容は以下の通りだが、14年度末までに記念品については製作を終え、記念山行と記念誌については大枠を準備した。そして15年度からは小堀新委員長のもとにそれぞれ引き継がれた。本来ならば本稿は現委員長によって記されるべきだろうが、上のような事情から服部の方が経緯をよく承知しているので、服部が筆をとらせてもらうことになった。
 記念事業として企画・実行されたのは次の3つである。
1. 記念山行
 (1)北海道・知床 知床岳 03.4.25~5.5
  (L)野口(芳)、小堀、鈴木(章)、飯塚、高木(敦)
  [山行報告: 岩つばめNo.312]
 (2)北海道・大雪山 クワウンナイ川~トムラウシ岳~旭岳 03.8.11~19
  (L)飯塚、鈴木(章)、土肥
  [山行報告: 岩つばめNo.313]
2. 記念号の発行
 本誌
3. 記念品
 オリジナルバンダナの製作
 [巻頭写真参照]
 以下に各事業企画の経緯を述べる。

1. 記念山行
 委員会で記念山行の案件が最初に話し合われたのは、2001年10月24日の平成13年度第4回委員会であった。特定の山を登るのか、55山行(55周年)、65山行(65周年)のように年間を通したものを企画するかの議論から始め、次第に話を煮詰めて行った。出た案としては、キナバル、台湾玉山、ニュージーランドの沢、屋久島での集中、北海道登山ツアー、中国四川省辺りのトレッキング、韓国済州島漢拏(ハルラ)山などがあった。結局、記念山行については平成13年度中計5回委員会で議論を重ね、2002年2月27日の第8回委員会で、(1)北海道・お盆以外の時期、(2)北海道・お盆時期、(3)屋久島・お盆以外の時期、(4)屋久島・お盆の時期、の2地域4時期に分けて募集することを決め、本案を平成14年度大集会で提案することにした。
 2002年4月7日の大集会での承認後、同年5月15日の平成14年度第1回委員会で以下のように企画を進めることを決め、募集を開始した。
(1) 第一次募集:まず次の中から参加したい地域と時期を8月末〆切で募集。
 イ)北海道Aプラン=お盆以外の時期
 ロ)北海道Bプラン=お盆山行
 ハ)屋久島Aプラン=お盆以外の時期
 二)屋久島Bプラン=お盆山行
(2) イ~ニの応募者の中から有志を募り各々9月末をメドに計画を立案してもらう。
(3) 第二次募集: 10月の頭に各計画を発表し10月の2回目のルーム〆切で参加者を募集する。
(4) 結果をみて必要ならスケジュールを再調整し、お盆時期のグループについては直ちに旅行代理店に切符の手配を依頼する。
(5) お盆以外の時期の山行については、2003年4月の大集会以後最終的に調整する。
 第二次募集の〆切を急いだのは飛行機での移動を前提にしていたため、特に2003年のお盆に動くためには遅くとも2002年11月中には座席を確保しなければ計画を実行できなくなる恐れがあったためである。
 第一次募集を開始したものの、応募状況は芳しくなかった。ホームページに専用の募集窓口を設けたりもしたが、結局8月末までに応募してきたのはイ=5名、ロ=4名、ハ=1名、ニ=1名でしかなかった。それでも8月28日の第3回委員会でイ=2名、ロ~ニ各1名の立案者を指定し、それぞれ希望する山行を立案してもらうことになった。
 予定では9月末までに案が出揃い10月の頭から第二次募集を始めるはずであったが、立案作業の遅れから第二次募集が11月1日~20日にずれ込んでしまった。結局提示された山行計画は次の5件で、ロは案が出ず、取り止めとなった。
 イ-1)03年5月連休山スキー (L)佐藤(明)
 イ-2)03年4月末~5月連休 知床山スキー
   (L)野口(芳)
 イ-3)03年7月第2ないし3週 表大雪・十勝縦走 (L)服部
 ハ) 03年6月~9月の間1週間 宮之浦川本
   流沢登り (L)小堀
 ニ) 03年8月12日~17日 縦走 (L)小山
 このように第二次募集を開始したものの、応募は前回に輪をかけて芳しくなかった。各山行のプロモーションはそれぞれのリーダーに任されたが、ホームページ掲載の登録窓口への書き込みはニに1件あったのみであった。ホームページにアクセスできる会員が全体の半数強に限られるにしても、この数字は委員会を落胆させるものだった。
 結局、上の5件中実行されたのは、リーダーが熱心に動いたイ-2のみであった。
 イ-1は最終的に1~2名しか応募がなく、取り止めとなった。
 イ-3はリーダーが仕事上の都合から休暇を確保できず、プロモーションできぬまま取り止めになった。
 ニも前述のように人数が集まらず、キャンセルとなった。
 ハは、これも仕事上の都合から予定していた期間にリーダーが休暇を確保できず、別のリーダーが11月に予定を変更して例会に組んだが、やはり人数が集まらず、中止となった。
 もうひとつ、記念山行として実施されたクワウンナイ川遡行は、実は野口芳裕氏が例会に組んだ山行であったが、あまりにも低調な応募状況に2004年6月11日の平成15年度第1回委員会で苦肉の策として急遽記念山行に指定したものであった。
 このように70周年記念山行は2件実施され、4件が実施されずに終った。実現できなかった理由は複合的なものであったろうが、計画から実施まで出口の見えない長い不況のトンネルの中で行なわれたため、リーダーらを含む会員の多くが長期的な計画をたて難い状況にあった、平たく言うなら仕事と生活に追われゆっくり遊べるような時間的精神的ゆとりがなかったことが、背後で大きく尾を引いていたように思われる。

2. 記念号の発行
 今から20年前の昭和58年(1983年)、会では創立50周年を記念して年報を発行した。10年後の平成5年度には、その後の10年間の歩みをまとめるとともに60年の歳月を振り返る記念号を発行した。これは、その年度の最後に出す岩つばめ(第284号)に特別編集した部分をプラスして記念号としたものであった。
 70周年もそれに類したものを記念誌として作ったらよいのではないか。このような発想が平成14年当時委員長だった服部にあり、2002年8月28日の平成14年度第3回委員会から記念誌についての検討を始めた。そして翌月9月11日の第4回委員会で、60周年記念号と同じような編集方針で小堀編集長のもと専任の編集班を設けて作業を進めることを決め、スタッフの募集を開始した。記念号は通常の岩つばめの倍以上のボリュームになることが予想され、編集委員だけで企画・編集作業をこなすには相当無理がかかることが予想されたので、有志の力を借りたいと期待したわけである。そして年が明けた2003年1月29日の第7回委員会で記念号の内容を詰め、予算についても今期比8万円の増額を決めた。専任スタッフの募集は、インターネットや郵便を使って会員全員に呼びかけたものの、予想通り??誰からの申し出もないまま14年度は過ぎ去り、2003年4月から記念号プロジェクトは新任の土肥編集長のもとに持ち越された。
 小堀新委員長のもと改組された新委員会の平成15年度第1回目の会合が6月11日に開かれたが、記念号については討議されなかった。そして専任スタッフが決まらないまま月日は過ぎ去り、編集委員会のメンバーだけで記念号の編集を進めて行かざるを得なくなり、8月10日、第1回目の記念号編集会議が土肥編集長によって招集された。その席で記念号の内容とそれぞれの担当を決め、プロジェクトをスタートさせることとなった。それでもやはり4名だけでは手が回らないので、金子会長に掛け合って記念号のプロジェクトに手を貸してもらうこととなった。そして記年号編集会議で決めた内容は、8月27日の第2回委員会で承認された。その後、8月31日に会員会友に向け記念号への寄稿依頼が出され、10月2日には「私の好きな山」のアンケートが、10月19日には「山ヤの母ちゃんアンケート」が発送された次第である。

3. 記念品
 記念山行の計画が早くから進められていたのに比べ、記念品の計画は着手が遅かった。というのは、当初記念事業の主体は記念山行と記念誌の発行に置かれ、記念品については委員会内での方針がなかなか決まらずにいたためである。
 委員会で記念品について最初に検討したのは2002年9月11日(平成14年度第4回委員会)で、このときはTシャツ製作の案が出た。だがその後製作費が予想以上にかさむことが判ったため11月13日の第5回委員会で代わってバンダナ案が浮上し、東京救急協会が出している応急処置イラストのバンダナを検討することになった。しかしながらこれは実用的ではあるもののデザインの点で多くの委員に歓迎されず12月11日の第6回委員会で却下、代わって市販のバンダナに「三峰山岳会 70周年」と刺繍してもらう案が出た。だがこれもオリジナリティに欠けるとの理由で2003年2月12日の第8回委員会で却下され、その席で急遽「安田章氏にデザインを依頼し3月中に製作4月の大集会で販売開始」の方針が決まった(製作は仕事の関係で委員の紺野康則氏が担当)。
 急な依頼にもかかわらず快く応じてくれた安田氏の協力を得て3月5日の第10回委員会で安田氏提出の5種のモチーフデザイン案の中からひとつを選定、同時に色見本の中から色を選び、2種類各200枚計400枚の製作を決定した。全体的なデザインは大要だけ決めて細部は染めの職人さんに任せることにした。全体的なデザインは紺野康則氏の案、配色は藤本伸子さんの案であった。その後試作品が出来上がった段階でデザインの一部修正や寸法の最終決定、材料の布地の長さによる製作枚数の変更(各170枚ずつ)を行ない、4月6日の大集会に間に合うよう製作してもらった。
 一方、頒価に関しては2月19日の第9回委員会で製作費を頒価には反映させないことを決定していた。頒価をいくらにするかについては3月5日の委員会では討議する時間がなく、その後eメールによるネット委員会で1枚¥250に決定した。総製作費約¥158,000を製作枚数で割った1枚当りの原価は約¥465で、完売した場合の赤字分約¥73,000は70周年記念事業費から落とすことになっている。
 販売は予定通り03年4月6日の大集会から開始し、その後ルーム(小堀委員長が担当)と通販(担当総務服部: ホームページに通販コーナーを開設、ならびに郵送で案内)で引きつづき取り扱うことになった。


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