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アイランドピーク(イムジャツェ)
野口 芳裕

山行日 2003年3月13日~4月4日
メンバー 野口(芳)

 故あって長期休暇に突入したのでアイランドピークに登ってきた。アイランドピークは現地名をイムジャツェと言い、その名の通りクーンブのイムジャコーラの源頭の山で、ローツェシャール(8,383m)の南稜の末端にある小さな山である。
 本当は、2月に友人とパタゴニアかアコンカグアに行こうと思っていたのだが、スケジュールが合わなかったり野暮用があったりで、時期を逸してしまった。それでは、一人でのんびりとヒマラヤのトレッキングでもしようと、カトマンドゥに向かう。以下は、中年おじさんのなんともいい加減なトレッキング記録である。

3月13日(木)
 中東方面にきな臭い雰囲気が充満している中、だらだらとした生活に別れを告げ、一路バンコック経由でカトマンドゥに向かう。関空からカトマンドゥへの直行便だと1日でカトマンドゥへ入れるのだが、こいつは週1便しかなく今回のようにいつ帰ってくるかきちんと決まっていない場合は毎日あるバンコック経由が正解だ。ちなみに料金も安いし、タイ航空の方がロイヤルネパール航空より安心感があるのは私だけだろうか。ちなみに成田-カトマンドゥ間往復でC,000でした。

成田→バンコック(TG773 19:00 → 23:59)

3月14日(金)
 バンコック空港では、外に出ずに空港内で仮眠したりしてブラブラ時間を潰す。10時間待つのはさすがに長い。バンコックにもう少し早く着くフライトにして市内で1泊するスケジュールにすればよかったと少し悔やむ。まあ、大きな顔をしてお金を使う身分でもないから仕方がないか。
 バンコックからカトマンドゥへはひとっ飛びだ。カトマンドゥはこれで4回目だが、空港がきれいになっているのには驚いた。もう、ちゃんとした国際空港となっている。ちゃんとした通関もある。空港にてVISAの申請($30)した後、迎えに来てくれたスルジェとタメルに向かう。空港を出ると懐かしいカトマンドゥの騒然とした世界が広がっていた。スルジェはムクティナート出身の昔からの友達で、よく日本にも来ていて日本語OKなので心強い。スルジェの用意してくれたホテルはタメルホテルで、中級のホテルといったところ。経営者がスルジェの友達なので通常$30/泊(うそか本当か判らないけれど)を$10/泊の友達プライスにしてもらったとか。
 夕方、チャイニーズレストランでスルジェとハリー(スルジェが探してきたツアー会社の人)とガイドで夕食をしながらどこをトレッキングするか相談する。特に、どこに行くとは決めていなかったが、日数があるので過去2回行っているものの景色の良いクーンブがやっぱり良いかなと話す。色々話していい加減酔いが回ってきた頃、トレッキングだけだと面白くないのでクライミングはどうだという話になる。装備も何も無いしルートも良く判らないけど何とかなるべえと言うことでアイランドピーク(6,189m)に行くことにする。思わぬ展開にお土産のジョニ黒を空けベロンベロンになってしまった。

バンコック→カトマンドゥ(TG319 10:30 → 12:45)

3月15日(土)
 一日、ボーっと過ごす。

3月16日(日)
 朝、スルジェ、ハリーと昼食しながら詳細打ち合わせ。一昨日の夜は酔っ払っていたので、本気かどうか心配だったようだ。
 費用は、約2000ドル。これには、登山パーミッション料($350)、カトマンドゥからルクラまでの3人分の往復飛行機代($386)、ガイド料(サーダー、アシスタント、ポーター)、トレッキング中の宿泊費、食費等が全て込みで、アルコール代と登攀具のレンタルは別だとのこと。こんな大金持ってないので大半はカードで支払うことにし、必要な装備をチェックする。セーター、フリース、スパッツ、手袋、オーバー手袋等は安いのでカトマンドゥで買い、クランポン、ピッケル等は現地でレンタルすることにする。問題は靴だが、合うのがレンタルできそうも無いので持ってきた軽登山靴で良しとする。この靴で5月の小窓尾根を登っているので大丈夫だろう。
 問題はいつ出発できるかだ。直ぐにでも出たいのだが明日はオーリー(祭日)なのでパーミッションを取る事務所が開いていない為、18日パーミッション取得、19日出発になってしまう。

3月17日(月)
 今日はお祭り(オーリー)。
 外では1日中、皆で水や赤い粉を掛け合って遊んでいる。無邪気に飽きずに水を掛け合っている姿を見ていると微笑ましい。実に平和な民族だなと思う。
 今日は迂闊に外に出るとずぶ濡れの真っ赤っかになってしまうので殆どホテルで過ごす。

3月18日(火)
 買出しをしたり、銀行に行ったりして出発準備をする。

3月19日(水) 晴れ、夜一時雨
 いよいよ出発。空港に行く途中で、今回のガイドをピックアップする。ガイドはサーダーのビムとアシスタントのスダーンで、2人は兄弟だとのこと。ビムはアイランドピークには何度か行ったとのことだが、所謂クライミングガイドではなくトレッキングガイドに毛が生えた程度であろうか。スダーンはトレッキングに数回行っただけで修行中のようだ。
 ルクラに向かう機内は、ゴーキョに行くツアー客を初め日本人ばっかりで、外の景色に盛んに歓声を上げている。ツアー客には何故かヘルメット着用の親仁までいる始末でなんとも異様だ。ルクラ(2,830m)に着いて驚いた。なんと滑走路が舗装されているし、墜落機の残骸も無い。以前程恐怖を感ぜずに済むようになったが、何か物足りなさも感じる。ルクラでポーターを1人雇入れ出発、今日はパグディン(2,652m)迄の下り道なのでブラブラ歩く。青い空にコンデ(6,187m)とクウンビラ(5,761m)が美しい。
 パグディンではカラタパールロッジに泊る。アルコールは料金外だがチャンはアルコールではないということになった。

タメルホテル発(6:00) → カトマンドゥ空港発(7:20) → ルクラ(8:00~9:30) → チョブルン(10:30~10:45) → パグディン着(12:00)

3月20日(木) 晴れ
 7:00 起床。
 今日はナムテェ(3,440m)まで。懐かしい景色を眺めながらビスタリ、ビスタリでゆっくり歩く。歩いていて気が付いたのは、ロッジが皆きれいになり新しい建築中のロッジもいたる所にある事だ。人気のトレッキングルートなので仕方がないが昔の素朴な感じが段々無くなっていくのだろう。悲しい事だ。
 ナムチェの登りは体が慣れていないので少々きついし、軽い頭痛がする。ナムチェの入り口のロッジでチャンを飲みながらテレビでサッカーの国際試合を観戦する。ここで、イラク戦争が始まったことを知る。平和なネパール人は皆、アメリカ・ノー・グッドだ。
 ホテルは、コンデロッジに泊る。

バグディン発(8:00) → ジョサレ(11:30~12:45) → ナムチェ着(15:30)

3月21日(金) 晴れ
 朝起きると、すばらしい天気で部屋の真正面に見えるコンデに朝日が当たって美しい。
 過去2回はナムチェに1泊しただけで先を急いだが、今回は高所順応の為、もう一晩ナムチェに留まる事にする。
 午前中は順応にためシャンボツェの飛行場の少し上(3,850m)まで散歩に行く。少しふらつく。
 午後は、バザールを覗いたりして時間を潰し、クランポンをレンタルする。他の装備はチュクンで借りるつもりだが、チュクンはナムチェよりずっと小さな村なので靴に合うクランポンが見つからないとシャレにならないと思ったからだ。レンタル期間が長くなるが仕方が無い。なんとも厳つく重いクランポンの中からやっと合う物を見つける。1日100ルピーで1000ルピー払う。3000ルピーをデポジットしろと言ってきたので丁重に断る。

3月22日(土) 晴れ、夕方小雪
 5:30 起床。
 今日はクウンビラの麓のトラバース道をプンキテンガ(3,250m)までいったん降りてタンボチェ(3,867m)まで上り返す道だ。
 ナムチェからひと上りしてトラバース道にでるとタムセルク(6,608m)がドカンと現れ、ずっと真横に見ながら進む。前方にはお馴染みのエヴェレスト(8,850m)、ヌプツェ(7,879m)、ローツェ(8,516m)とアマダブラム(6,856m)も見える。エヴェレストは直ぐに雲に隠れてしまった。ガイドのビムは知り合いのロッジに着くと酒盛りが始まり休憩が長い。弟のスダーンは酒は飲まないが青春真っ盛りでシェルパニに興味津々で、これまた腰を上げない。まあ、ビスタリ、ビスタリなので気にしないことにしよう。
 タンボチェではタシップエルクロッジに泊る。

ナムチェ発(7:30) → キャンズ(9:00~10:00) → プンキテンガ(11:00~12:20) → タンボチェ着(14:00)

3月23日(日) 薄曇り、午後3時頃から雪
 6:00 起床。
 朝から少し雲があるがディンボテェ(4,410m)を目指して出発する。タムセルクの横にカンテガ(6,779m)が見え始める。いよいよクーンブの内懐に入っていくのでアマダブラムが一層大きく見えてくる。デボチェを過ぎ橋を渡るまでは道が凍っていて歩きにくい。ポーターは荷が重いので大変そうだ。それにしてもこのポーターは強い。どれ位の重さか見ようとして彼の籠を彼らのスタイル(籠についた帯をおでこで背負う)で担ごうとしたらひっくり返って首を捻挫しそうになった。
 ディンボテェへの登りはきつかった。ピーク38ビューロッジに泊る。ホテルに着いた後、裏山を250m程登ったが時々頭痛がする。高度順応がいまいちのようなので、今後のスケジュールを変更し、当初考えていたアイランドピーク登頂後帰りにカラタパールまで遠足に行くのを断念し、アイランドピークに焦点を当てチュクンで2泊して順応に当てることにする。
 夕方、日本の学生らしいパーティーがホテルに到着。昨日アイランドピークを登ったとの事。

タンボチェ発(7:15) → パンボチ(8:50~9:30) → ショモア(10:00~11:20) → ディンボチェ着(13:15)

写真1 3月24日(月) 薄曇り、午後3時頃から雪
 今日はチュクン(4,743m)までなのでのんびり出発。
 チュクンではサンライズロッジに泊る。ロッジに着いた後チュクンリに向かうが寒く風が吹き雪も降り始めたので5,000m付近で引き返す。後からすごい勢いで上ってきた外人2人組も私が降り始めるとタイムオーバーだとか言いながら降りてしまった。  ロッジに戻り、ロープ100m、ユマール、ピッケル、ハーネスをレンタルする。全部で1日200ルピー。
 夜10cm位の積雪有り。

ディンボチェ発(8:00)-チュクン着(10:00)

3月25日(火) 曇り
 今日は私は休養日。他の3人はBC(5,050m)へ荷上げ。
 再びチュクンリへ向かうが、ずっと曇りで何も見えないので適当なところまでで止めてしまう。
 BCへ荷上げに行った3人の内スダーンだけ帰ってきた。ビムとポーターはBC泊。
 夜、息苦しくてよく眠れなかった。順応うまくいかず少し心配。

3月26日(水) 晴れ、10時頃から雲湧く
 久しぶりに朝からすばらしい天気となった。
 スダーンとイムジャ氷河、ローツェシャール氷河の縁のモレーンを進む。すばらしい景色だ。左手からヌプツェ、ローツェ、ピーク38(7,549m)、シャルテ(7,502m)、カンヤレムウ、アマダブラムとぐるりと取り囲まれ正に神々の棲む所だ。その中で正面に見えるアイランドピークはなんとも小さいなあ。
 BCは無人小屋で中にテントを2つ張り、贅沢に1つを私が占有する。
 今晩も良く寝られず、1.5時間おきにトイレに起きる。

チュクン発(8:00) → BC着(11:30)

3月27日(木) 晴れ、昼から雪(積雪2-3cm)
 今日はアタックキャンプ(5,530m)まで上がり、明早朝アタックしその日の内にBCまで戻ってくる予定。いよいよ大詰めだ。
 BCから少し行くと大きなキャンプがあった。BCは場所が幾つかあるようだ。そこを更に行き左手の尾根を廻りこんでジグザグのガレた斜面を急登する。途中先行したガイドがドドドッと落石を起こし肝を冷やす。落石を起こしても心配そうな顔をするだけで声を出さないのは困ったものだ。やがて斜面がゆるくなり正面のルンゼの基部の横の岩棚に着くが、ここがアタックキャンプだ。さすがに頭が痛く食欲も無いため夕食をパスしてシュラフに潜り込む。

BC発(8:30) → AC着(10:30)

3月28日(金) 晴れ、午後から雪
 昨晩は結局全く眠れず、起床予定の2:00になったところで本日のアタックは中止をし、食糧、燃料を考えると明日のラストチャンスにかける旨伝える。この数日殆ど寝ておらず、出発しても成功する確率は低いと思え決断した。2:30頃外人の3人パーティがアタックに向かうのが見えた。下のBCから直接アタックに向かったのだろう。明るくなってから1人だけフラフラになって降りてきた。順応が不十分だったみたいだ。BCからここまでは高度差で500m程だが、この差は実に大きい。
 8:00頃一旦高度を下げて体調を整えようとBCに向け降り始めるが、降りても頭痛止まず。通りかかったシェルパに話すと、肩と頭をマッサージしてくれた。これが実に気持ち良く頭痛も和らぐ。自分は余り肩の凝る人間ではないのだがこれも高度の影響かもしれない。或は頭痛は高度の影響ではなく肩こりから来たのか?
 BC付近で来るときに右手に見えていた丘(モレーン)に登る。この丘の氷河側の端はボロボロの断崖になっていて、端っこまで行くのはちょっと怖い。対岸の山はすぐ行けそうに思っていたがとんでもない話で、モレーンの先に氷河や湖が隠されていた。やはりヒマラヤはスケールがでかい。
 BC辺りでブラブラした後ACに戻る(13:30頃)。ACに着いたらまた頭痛が始まったので、スダーンとポーターにマッサージをしてもらう。

写真2 3月29日(土) 快晴、午後曇り
 2:00 起床。昨夜のマッサージのお陰か少し眠れた。頭痛もたいしたことが無い。
 今日がラストチャンスなので気合を入れて出発する。ACからルンゼを渡り右の急な岩稜をヘッドランプの灯りを頼りにひたすら登る。ガイドはヘッドランプも無く先行する。よくルートが判るものだ。というか、ヘッドランプを持っていないのかも知れない。ところどころいやらしい箇所があるが、問題なく進む。空が白み始めた頃、岩稜が終わりスノーリッジに出る。この先は岩は無く雪と氷の世界だ。ここで小憩しアンザイレンする。リッジの先で懸垂氷河の上に出る。
 雪の上にトレースが残っており迷うことも無く進む。セラック帯を左に回り込むとプラトーに出て目指すルートの全貌が見えてくる。ルートは、プラトーと左手の氷雪壁の境のクレバスの弱点を越え、氷雪壁を登ってピークに続く雪稜に到達するものだ。ゆっくりとプラトーを進みクレバスが狭まった所を越える。ちょっと緊張する所だ。クレバスを越えると急な氷雪壁登りとなるが、稜線から長いフィックスロープが垂れている。ここから、スタッカットで進むが、ガイドはフィックスロープにしがみ付いて腕力にものをきかせて登って行く。私は、ユマールを使って登り始めたがユマールのストッパーが磨耗していてツルツル滑って危険なので、途中からユマールは使わないことにする。ちゃんとチェックしておくべきだった。約ザイル2ピッチ(我々が使用したロープは嘘か本当か100mというとんでもなく長いものだった)の氷雪壁をゼイゼイ言いながら越え、頂稜にたどり着く。たどり着く直前、前方を見上げて驚いた。ガイドは、ビレーも取らずにヨイショヨイショと綱引きのようにザイルを引っ張っているではないか、ガガーン。聞いてみると、ザイル操作は殆ど知らずビレーの意味もアップザイレンも知らない。えらいやつをガイドにしてしまったと後悔しても始まらず、即席のロープワークを教えるものの言葉の問題でどこまで理解できたか非常に怪しい。やむを得ず、以降は私がガイドになり、立場が逆転する。なんで、こんなやつにガイド料を払わなきゃいけないんだ、チクショー。ずっと晴れていた天気も、我々が頂稜に着いた時にはいつしか既にガスが湧いており、ガスの中をピーク目指して雪稜を行く。途中2ピッチ程急なところをスタッカットで進み、昼前に平坦なピークに到着する。ピークはすっかりガスの中で視界はゼロ、何の感激も無かった。視界が良ければ、頭上遥か高くローツェが見え自己嫌悪に陥ったかも知れない。ある意味では、視界が無いほうが良かったのかもしれない。下りが心配なので、休憩もそこそこにして帰路に就く。とにかくアップザイレンも出来ない相棒を先に下らせるが、下に着いてもビレーを取らないので、身振り手振り大声で伝えるがなかなか理解しない。空気の薄いところで大声を出すのは結構疲れるのだ。えらく時間をかけながらやっとの思いで氷雪壁の基部に着きザイルを解いてほっとする。
 バテバテになってBCに辿り着いたが、本格的にバテていて食事は喉を通らず紅茶を飲んでも吐きそうだった。結局今日食べたのは、朝のネコマンマ少々と行動中のヌガー1本のみで実にタフな1日だった。

AC発(3:00) → ピーク着(11:20) → AC着(15:30) → BC着(17:00)

3月30日(日) 快晴、午後からあられ
 今日も、快晴。
 後は、ルクラ目指して帰るだけだ。アイランドピーク方面をふり返りつつ後ろ髪を引かれる思いで、神々の棲む所を後にする。次は、いつ来られるのだろうか?
今日は、何パーティもBCに入って行く。ちょっとしたラッシュだ。皆、ちゃんとした登攀具を持っておりちょっとした遠征隊のようで、我々とはえらい違いだ。
 チュクンで、レンタルの清算を済ませた後ディンボチェまで下る。
今日は、昨日の疲れが取れておらず体調がいまいち(下痢気味)で少しの登りでもつらかった。往きと同じピーク38ビューロッジに投宿する。

BC発(8:00) → チュクン(10:30~12:30) → ディンボチェ着(13:30)

3月31日(月) 晴れ
 5:00 起床。昨夜、高山病で少し危険な状態だったアメリカの女性は何とか大丈夫のようだ。
 ポーターは今日の工程は長いからと5:30に出発して行った。なかなかいい男だ。
 今日も天気は絶好で、体調も回復している。高度を下げるのは何と楽なことかと思う。写真を撮りながら気ままに下る。途中、自転車を担いだ兄ちゃんと会う。エヴェレストBCまで行くとのこと。ガンバレと声をかけてやる。
 体調も良くなったのでバンバン下る。余り調子に乗りすぎてプンキテンガへの下りで蹴躓いて大転倒、道から飛び出てもんどりうって転がってしまい、偶然触った木立を?みかろうじて止まる。一瞬だがヒマラヤの青い空を見てしまった。やはり、若い頃と比べて何ミリか足裏の距離感覚が違っているのだろうか?あーあ、年は取りたくないなあ。
 キャンズマからナムチェは長かった、いやと言うほどカーブを回り込む。下山して長い林道(それもやや登り)を歩く時の疲れ、皆さん分かりますよね?
 ナムチェではソナロッジに泊まる。

ディンボチェ発(7:15) → タンボツェ(11:20~12:20) → ナムチェ着(15:45)

4月1日(日) 曇り、夕方から雨
 トレッキング最終日。一昨日から最終宿泊地を決めた後は各自気ままに行動しているのでルクラにはかなり早く着いた。今日は、泊まるホテルを聞いていなかったので、ガイドが待てど暮らせど到着しないので少しあせる。3時間程待つと、酒臭いガイドが到着した。

ナムチェ発(7:30) → チュモア(9:45) → パグディン(11:15~40) → ルクラ着(13:35)

4月2日(月) 晴れ
 6:00 起床。
 心配していた飛行機の欠航も無く、カトマンドゥに戻る。午前中はホテルで風呂と洗濯に精を出し、ハリーと昼食をして帰国のフライトの変更を頼む。ガイドに対するクレームはきっちりしておいた。

ナムチェ発(7:30) → チュモア(9:45) → パグディン(11:15~40) → ルクラ着(13:35)

4月3日(火) 晴れ
 明日の帰国のフライトが取れたので、タメルでショッピングに精を出す。しかし、怪しげな物ばかりで欲しい物はないのだ。スルジェとハリーと最後の夕食、ジンをしこたま飲む。

4月4日(水)
 いよいよ、ネパールともお別れ。
 今回も楽しませていただきました。

カトマンドゥ → バンコック(TG320 13:40 → 18:10)バンコック→成田(TG642 23:40 → 07:30)

写真3

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