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袈裟丸山ハイキング
服部 寛之

山行日 2003年11月2日
メンバー (L)服部、紺野、西尾、川崎、(田中)

 もう何年も前のルームでこの山の山行報告を聞いてから寝釈迦像なるものを見てみたいとずっと思っていたが、やっと行く気になったので例会に組んだ。手を挙げたメンバーは西尾さん、紺野さん、最近入会した川崎さんとお試し参加の田中さんの4人。大久保氏も行くと言ってきたが、残念ながら仕事がらみの用件が入ってキャンセルとなった。
 袈裟丸山は皇海山から南に延びる尾根上に並ぶ一群の峰々の総称だ。北から順に奥袈裟丸山(1957.9m)、中袈裟丸山、後(あと)袈裟丸山(1908m)、前袈裟丸山(1878.2m)と並んでおり、最高峰は奥袈裟丸山だが、実はその北側に1961mの最高点がある。現在ハイキングの対象として登られているのは南側の2つのピークで、一般にはこの二峰を以って袈裟丸山としているようだ。登山の対象としておもしろそうなのは後袈裟丸山から北側の縦走だが、これは踏跡が不明瞭で根性を入れて取り組む必要がある。できるものならいつか行ってみたいルートだ。ハイキングコースは南東側から塔の沢コースと弓の手コース、南西側から郡界尾根を行くコースの3つが開かれており、クルマで入るなら郡界尾根コースが最も短時間で登れる。今回は寝釈迦像を見たいので塔の沢コースを前夜発日帰りで往復する計画を立てた。

11月1日(土)曇り
 みんな仕事が休みだというので、正午にJR八王子駅に集合し、行き掛けに登山口の手前、草木湖畔にある富弘美術館に寄ってゆくことにする。近年関越道の高崎から北関東自動車道が伊勢崎まで延びて、足尾方面へのアクセスが便利になった。星野富弘さんの画文はキリスト教界では早くから知られていたが、そのうち村営の個人美術館が建てられたと聞いて驚いた記憶がある。現在では人気の高い美術館であるそうだが、この日もかなりの入館者で賑わっていた。彼の作品は画文の美しさもあるが、透明な眼差しで己をみつめた言葉には万人の魂を打つ真実と強さと温かみがあり、人気の高さも頷ける。
 塔の沢の登山口(840m位)には清潔なトイレとその脇にクルマ数台分の駐車スペース、さらにそのすぐ手前にも大きな駐車スペースが設けられていた。そこまではずっと舗装路で快適だ。日没間際に到着したが誰も居らず、すぐに仮眠用のテントを張った。

11月2日(日)晴れ
 朝起きるといつの間に来たのかクルマが一台停まっている。間もなくもう一台やってきて、テントを撤収し支度していると、さらにタクシーで数名のパーティーが乗りつけてきた。結構人気の山らしい。
 05:55出発。200mほど林道をのぼるとすぐ登山道に入る。道は沢沿いに上ってゆく歩きやすい道だ。やがて急坂を登ると寝釈迦像に到着。寝釈迦は道の脇にゴロンと寝ているのかと思っていたら、意外にも小高い岩峰のてっぺんにあって驚く。誰が彫ったにせよ結構かかったのではないかと思わせる。手元のガイドブックには「長さ約4メートル、幅約1.8メートルと大きなもので・・・その製作者は不明であるが、弘法大師説、勝道上人説もあるが、いちばん確かなのは江戸期、足尾銅山で死亡した人夫たちの冥福を祈るためのものではないかとの説が有力である」とある。ふ~ん。寝釈迦の前はテーブルとベンチがしつらえられた広場になっており、そばには工事現場にあるような簡易トイレも設けられていた。紅葉・黄葉は寝釈迦付近までは残っていたが、その上では殆んど葉が落ちていた。散り積もった枯葉をかぶって道は判然としないが、森の中は見通しがきくので、所々に積み重ねられた石が目印となって導いてくれる。やがて避難小屋がでてきたが、新しい小屋が古い小屋のそばに建てられていた。それぞれ10名前後といった大きさである。トイレも離れて設けられていて、結構快適に泊れそうだ。コースはそこからわずかで尾根に出るが、出たところが賽の河原(1555m)である。ここは開けた尾根上の広場で、例のごとく大きな石積みが幾つもあり、夜来たらちょっと気味が悪そう。説明板によると、子供の新仏を出した親がここで石を積むと子供に会えるそうな。積まれた石々を見ていると、子供を亡くしてここに来て石を積んだあまたの親たちの子を思う切々とした心情が偲ばれてくる。

思わず唸る小丸山からの展望:[左から]前袈裟、後袈裟、中袈裟、奥袈裟、六林班峠、鋸山[手前]&皇海山[後]、日光白根[奥景]、庚申山、大平山[中景平坦]、男体山[奥景]

 コースはここから次のポイントの小丸山まで90度北へと向きを変える。賽の河原の少し先で左側に赤城山が見えた。見慣れぬ角度からの山容に一瞬どこの山かと思ったが、アンテナが立つ地蔵岳の丸いピークでそれと分かった。こちらから見ると黒檜山~駒ヶ岳が結構でかい。
 小丸山(1676m)のピークに立つと、おおっ!というかんじで庚申山、鋸山、そして皇海山が北側に姿を見せる。向こうからこちらへと続いている袈裟丸山の峰々も指呼の間に望め、コーフンメーターの針がビビビンと大きく振れる。
 小丸山で再び90度方向を転じ西へと進む。その先にも小規模な賽の河原のような石積みの場所があった。
 そこから一旦下りきると開けた平坦地に小さな避難小屋とトイレがあった。避難小屋は数名規模。空のテントが1張張りっぱなしになっていたが、周囲は10張程度は優に張れる広さがある。水場も近く、なかなか良いキャンプサイトだ。
 その先から笹の中の道となり、やがて急傾斜を登ると前袈裟丸山(1878.2m)に到着となった。3-4パーティーが思い思いに休んでおり、うちらも木陰に入って大休止とする。山頂の標識は前述したような理由で「袈裟丸山」となっていて、「前袈裟丸山」はカッコ付きで書き添えられていたように思う。稜線上の道はここから90度北へ方向を変えて後袈裟丸山へとつづいているが、実は途中に崩壊が進んだ箇所があるので登山口には前袈裟丸山~後袈裟丸山間を通行禁止とする札がでていた。服部は崩壊箇所がどんな具合なのかわからないのと自分の足の故障があるのでリーダーとしてはここで引き返すつもりでいた。15分ほどして体が冷えてきたので「では引き返しますか」と立ち上がると、皆「えっ??」という顔をする。リーダー以外は全員後袈裟丸山まで行くつもりでいたのである。
後袈裟丸山まで登り一応の満足を得たヒトビト  「じゃ、リーダーはここで待っててよ。うちらで行ってくるからさ」と紺野さんが言うや、皆からも断固とした圧力光線がどどどどっと照射されてくる。しょうがないので、服部は途中で登れなくなればそこで待つことにしてすごすご後を追った。崩壊現場は幅1メートル×長さ数メートルの砂岩のコルで、管理する自治体としては通行禁止にしたくなる程度には崩壊が進んでいるが、幸いなことにまだ通れないほどではなかった。一応ステンレスの鎖が張ってあるが支柱はぐらぐらだ。その先は胸突き八丁の急斜面で、あえぎ登ると頭の上に後袈裟丸山の標識が立っていた(1908m)。山頂には郡界尾根を登ってきたらしい数名がいた。標識の前で登頂写真を撮り、皆一応の満足を得たようなので、さっそく下山にかかる。
 下山は比較的早かった。足が満遍なく動くみんなの後を服部が追いながら、休憩地点で追いついては少し休んで腰を上げるという繰り返しで順調に下った。寝釈迦付近には何組ものハイカーがたむろしていたが、仏像見物だけの人も多いのかも知れない。下りついた駐車場はすぐ下の広いスペースも含めクルマで埋まっていた。往復で8時間は結構歩きでがあった。帰りがけに、富弘美術館の湖の対岸にある「国民宿舎サンレイク草木」で風呂を浴びたが、ここも結構混んでいた。おまけに大間々町までの122号線も蜿蜒渋滞しており、お陰で運転手の身でも沿道の景色をつぶさに眺められ良かった。誰も取らないのか、柿の木がそこら中でたくさん実をつけたままになっていたが、柿の実はもいでやらないとタンタンコロリンもしくはタンコロリンに化ける。危ないことである。幸いタンタンコロリンに襲われることもなく、無事八王子に戻って解散した。お疲れさんでした。

〈コースタイム〉
塔の沢登山口(5:55) → 寝釈迦(6:43~55) → 賽の河原(7:50~8:00) → 小丸山(8:55~9:05)→ 前袈裟丸山(10:05~20) → 後袈裟丸山(10:50~55) → 前袈裟丸山(11:23~30) → 避難小屋(12:00~10) → 賽の河原(12:45~55) → 寝釈迦(13:30~35) → 塔の沢登山口(14:05)


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