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七面山
成田 義正

山行日 2003年11月29日~30日
メンバー (L)鈴木(章)、越前屋、谷川、菅谷、成田

 天気予報は29、30日とも雨で、大分県では大雨が降った。雨雲の動きは遅く今夜から降る予報もまだ持ちこたえているがこの2日間はしっかり降るらしい。そのため今回は雨具を新調することにした。と言うのは今までの雨具はいつの間にか袖口が濡れてしまって山小屋のストーブでシャツを乾かす羽目になっていた。この時期凍えたら大変な事になり迷惑をかけることになってしまう。

 甲府駅に早朝集合し身延線一番電車に乗る。夜はまだ明けず乗客は我々5人だけ。
 身延駅は初めて下車したが町は随分と立派で白黒の土蔵造りが日蓮宗の町の雰囲気を出している。タクシーで七面山北参道登山口までは30分程度。到着と同時に雨が降り出す。

 登山口は森閑としている。「七面山」と額縁のかかる赤い鳥居は聖地への入り口といった感じがある。私などの単なる山歩きから見ればただの山に過ぎない七面山も、実際は法華経の聖地とされ多くの行者や参拝者が多い霊山である。山頂直下の敬慎院へは一年を通じて信者が絶えないらしい。七面山の東隣にある日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の奥に位置している事もあり、七面山敬慎院は久遠寺の奥社といった感じなのかもしれない。
 七面山・敬慎院までの標高差は1300mある。北参道は広くて落ち葉が厚く積る気持ちのよい路で紅葉はこの時期でもまだ続いている。今日は雨降りのため人影もなく静かだ。ただ、登山道わきには電柱があったりしてちょっと趣に欠ける面もあるが。道は見た目よりかなりの急勾配で15分も歩くと汗びっしょりになり堪らずTシャツに合羽を着る。5分間隔で一丁目毎に石の道標が立っていて奥の院まで四十丁、敬慎院まで五十丁の番号が刻まれているので行程が掴みやすい。所々、ちょっとしたベンチがあって屋根も掛っているので雨に打たれずに休める。安住坊には樹齢700年という栃の古木がある。太くていかにも古木の風格がある。ここから少し緩い勾配になるが再びきつい登りになる。しかしこれまでの一本調子の登りからすれば緩急があってかえって楽に感じる。
アメニモマケズ隊  暗い北向きの道を登りついたところに石垣が見えて奥の院着。奥の院の向かって右側には大きな岩が聳えており、太い注連縄がかけられている。この石は影響石と書き、「ようごうせき」と読むらしく、「えいきょうせき」ではないそうだ。ここの茶店は無人だがポットが置かれてサービスのお茶が飲める。雨に打たれた体に暖かいお茶は有難い。

 ここから敬慎院へは車も通るような道で雰囲気は三ツ峠の御巣鷹山から開運山に向かう道に似ている。幅広い平坦な道を敬慎院に向かう。敬慎院の建物は、大社造りに似た構造で大きく、広い境内には誰もおらずひっそりとしている。水を貰って、大木を輪切りにしたようなユニークな階段を登り山門前の展望台に出るが雨で何も見えない。晴れていれば富士山や毛無山が正面に見えるはずだ。熊笹の道に変わり少し登山道らしくなる。樹林帯の中を登ると七面山山頂に12:45着。計画ではもう少し足を伸ばして幕営する予定だが風も強く本降りの雨なので近くの風が避けられそうな所に張る。
 夜半足元が濡れてくる。最初は濡れた靴下がまだ乾かないと思っていたが次第に両足とも濡れてくる。狭いテントにザックも入っているから身動きも儘ならず足を立てたり足元のザックに載せたり避けてみるがどうしようもない。起きて始末したいが起床時間を過ぎても起きる気配が無いのでじっと我慢して皆が起きてくるのを待つ。見てみると水溜りが丁度足の窪みに出来てそこに足を置いたものだからシュラフはたっぷり水を含んで絞るくらいだ。シュラフカバーで防げると思っていたが安物だから致し方ないのか。1泊だから良かったものの連泊なら引き返さざるを得ないだろう。しかも運良く気温が高かったので寒くは無かったが低温であればどうなった事やら。そしてザックに触るとこれも水を含んでいて中の物が濡れている。結露のせいだろうが水対策の甘さを思い知らされた。

 朝食はパンと具沢山のコンソメスープ煮。菅谷さんのザックから続々と食材が出てくるが鍋に入りきれないのでトマトは分け合って食べる。道理で昨日登っている間、時々ふらついていたが余程重かったのだろう。自分1人の時は朝食も行動食なので、こんな豪華なのは初めてだ。ご馳走様でした。ご苦労様でした。
 テントを撤収する頃になると雨も上がり風も弱くなりようやく行動しやすい状況になる。直ぐ先の七面山山頂から北西に僅か開いた隙間から北岳、間ノ岳が望めた。山頂を後にして湿地の跡とも思われる窪地の横を辿って急登すると喜望峰と呼ばれる1980mピークである。コース中もっとも素晴らしい展望が得られるとのガイド通りだ。雨で諦めていたのに眺望が得られるとは幸運である。南アルプス全山が眼前に聳えている。正面の笊ヶ岳はまだ未踏なので、何時か縦走してみたいと思っている山だ。その奥の池口、大無間といった深南部の雄も未だ遠い峰であり憧憬の山々である。

 ここから先も深い針葉樹林は続き、苔むした倒木と原生林が続く。ここまで徹底して誰にも会わない。あくまでも静かで、実に素晴らしい。これが安倍奥の山相なのか、良いところに連れてきて貰えたものだ。第2三角点と呼ばれる1964mピークに登りつく。丁度七面山と八紘嶺の間の中間地点だ。ここから先は植生がやや変わり、笹に覆われた明るい林が主体となってくる。10:25インクライン跡。広い平坦地で幕営できるが水場はない。傍らには「南妙法蓮華経」と書かれた赤い幟が立つ真新しい祠がある。昔ここに切り出した木材を運搬する施設があった跡だろうか。今は樹林に囲まれて偲ぶべくも無い。

 いよいよ八紘嶺への120mの登りを残すのみとなる。なだらかな尾根を歩き11:20八紘嶺1918mのピークに出た。高度を下げたせいかガスって視界が利かない。晴れていれば好展望らしいが、ずっと趣のあった縦走路を歩けたのだから充分満足である。ここからは道幅も広くなり一般コースとなる。梅ガ島温泉まで標高差1100mある。最初はなかなか高度は下がらないが一度ピークを越えてから一気に下る。次第にメンバーの間隔が空き出し、菅谷さんが足を引きずっている。昨日の重い荷が響いているのかもしれない。騙し騙し下るしか無い。林道上部に出る。ここまで車で上がれるので車道にがっかりするがまだ500m以上標高差を下りなくてはいけない。桧の植林帯に入ってからは再びぐんぐんと下がり始める。ゆっくりしたペースだがそれでも間隔があく。
 沢音が大きくなり木々の中から温泉街が見え隠れしてくる。ようやく車道に出る。
 右へ10分ほどで梅ヶ島温泉バス停に着く。あとは温泉だ。温泉街は閑散としていて「梅薫楼」と言う名のホテルに向かうが受付には誰も居らず、大声を出していたら出てきて入浴料だけで1部屋貸切にして貰える。源泉の大きな湯船と小さな洞窟風呂に浸かる。下山してすぐに山の汗を流せるとはなんと素晴らしいことか。TVではイラクで大使館員2名が襲撃され死亡した事件を伝えていた。私達が浮き世離れの楽園に浸っている間にも別なところでは不幸が起きていることに唖然とする。
 静岡駅まで2時間以上のバスの旅は山奥から次第に町に移り変る景色であった。気づいたら夕闇にすっかり包まれた静岡の町。駅近くのバス停で下車し雑踏の駅前で解散した。

〈コースタイム〉
【2003年11月29日】
裏参道登山口(7:30) → 安住坊(9:05~9:10) → 奥の院(11:00~11:20) → 敬慎院(11:35~11:50) → 七面山(12:45) → 幕場(13:00)
【2003年11月30日】
幕場(8:05) → 七面山(8:10~8:20) → 希望峰(8:40~8:55) → 第2三角点(9:35~9:50) → インクライン跡(10:25~10:35) → 八紘嶺(11:35~11:55) → 安倍峠分岐(12:40) → 林道(12:45) → 梅ヶ島温泉(13:25) バス(15:28) → 静岡(17:20)


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