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入水鍾乳洞+鬼ヶ城山+日隠山
服部 寛之

山行日 2004年3月6日~7日
メンバー (L)服部、越前屋、橋岡、柴田

6日(土) 雨/雪のち快晴
 早朝東京駅に集合して服部のクルマで出発する。天気予報は雨のち晴れなので、廻る順番を逆にして入水鍾乳洞から行くことにする。鍾乳洞なら雨は関係ない。

入水鍾乳洞(いりみずしょうにゅうどう)
 常磐道を北上し、いわきJCTから磐越道に入る。いわき市の辺りから小雨は雪に変わり、景色は徐々に白さを増してくる。小野ICで下り、鍾乳洞に向かう。入水鍾乳洞は有名なあぶくま洞の北隣にある小規模な鍾乳洞で、ウェブサイトを見ると一般コースの奥を案内人付きで探検できるとあり、面白そうなので今回コースに加えたのだ。
 鍾乳洞入口のゲート前に駐車し、2~3センチ積もった真っさらな雪の坂道を鍾乳洞へと上がる。カッパ、ヘッデン、ゴムゾーリの装備が季節はずれな感じがしないでもないが、まあいいのだ。鍾乳洞入口の前に料金所があり、お姐さんに聞くと探検コースは案内人が付いて1グループ定員5名までで料金は¥4,600。今日は案内人が居らず4名でも料金はまからないがいいか?と言う。料金にはガイド料が含まれているだろうにその分まからないというのは釈然としないが、お姐さんの決然たる態度に押され、そ、そうですか、マ、イイか・・・(-_-;)。案内には探検コースは案内人なしでは入洞できないとあるが、お姐さんがうちらだけで行ってもいいよと言ったのは、同行の約2名の風体を見て「フツウじゃない」と判断されたためだと思う。
電気を消すと真っ暗  めでたく入洞を許可され、説明を受けたのちロッカー室で支度し、ヘッデン+カッパ+ゴムゾーリといういでたちで入洞する(蝋燭、合羽、ゴムゾーリはなければ借りられる)。洞内は手前150mが一般観光客向けのAゾーンで照明はバッチリ、きちんと整備されハイヒールでも見学できるようになっている。つづく450mがBゾーンで、整備具合は簡略化されているものの、まだ幼稚園児でも入って行かれる。その奥300mがCゾーンで、照明はなく、ますます狭まってくる地下水流の中をジャブジャブ上流に向かって進んでゆくようになっている。Bゾーンの終点からヘッデンを点け水流の中に踏み出すと、痛いくらいに冷たい。水温10℃とのことだが、もっと冷たく感じるのは、毎秒1mくらいある流速の所為かも。お姐さんの説明では、この水温に耐えられるかどうか最初の数分間が勝負だ!とのことだったが、大枚を払っているのでひたすら耐える。沢の支度を持ってくれば良かったと思ってももう遅い。最初のうちはわずかでも水流に足を入れずにすむところがあればそういうところを拾いながら進んで行ったが、じきに冷たさを感じなくなった。おもしろい鍾乳石の造形を見ながら進むうちに次第に天井が低くなり、しばらく屈みながら進んだり、中には水面と天井との間が30センチほどしかなく四つんばいで通り抜ける箇所があったり、はたまた狭い石筍の間を攀じ登って通過するようなところもあった。水深は平均10センチ前後、いちばん深くても膝ぐらいだ。やがてCコース終点の表示がでてきて、その先はもう人は入って行かれなくなっていた。終点の看板を持って交代で証拠写真を撮り、引き返す。
 外に出ると、雪はすっかり止んで、明るい陽射しに辺り一面まぶしく輝いていた。案内通り、きっちり1時間半かかっていた。あ~、面白かった! 因みに、お客はうちらだけだった。

鬼ヶ城山(おにがじょうやま)
 つづいて鬼ヶ城山の南麓にある『いわきの里鬼ヶ城』という野外複合施設に向かう。今日はそこで泊りの予定。途中『?リカちゃんキャッスル』という案内看板を見るが、同行の約2名にアブナイものを感じパス。同行の約2名がリーダーにあぶないものを感じたかどうかは敢えて聞かぬが華。
 昼過ぎいわきの里鬼ヶ城に到着。ここは普通のキャンプ場のほか、オートキャンプ場、野球グラウンド、テニスコート、フィールドアスレチック、山里生活体験館、体験農園に、ホテル風な宿泊・研修センター、お風呂まで備わった立派な施設だが、なぜかお客はうちらだけ。すいているのは嬉しいが、これだけの施設にうちらだけというのはすごくもったいない気がする。幕営するつもりだったが、オフシーズンは定員4名のバンガローが一泊税込み¥3,000とのことなのでバンガローを借りることにした。バンガローは各戸駐車場付きで、鍵を開けると8畳ほどの畳敷きにベランダもある立派な小屋だった。
ここに昔鬼が座ったのだ! まだ日が高いので、腹ごしらえしたあと鬼ヶ城山へ登る。バンガローの前の道を上ってゆくとすぐ登山道があった。道は尾根を直上しており、一段と急傾斜の部分をあえぎ登ると稜線で、さらに少し行くと間もなく892mの頂上だった。バンガローのある辺りが標高640mぐらいなのでわけない。展望はばつぐんで、すぐ西側には矢大臣山(965m)が聳え、その北側には阿武隈山地が広がっていた。東を向けば海が見えた。山頂には大きな岩があり、昔この辺りに鬼が棲んでいたらしい。実は、ここは以前登った鬼太郎山の近くであり、鬼の気配が濃厚な地域なのだ。むむむ・・・。下りはそのまま引き返すのも能が無いので、稜線をしばらく西へたどり途中から南側の林道に下りていわきの里に戻った。その夜は当然のことながら畳の部屋で鍋をつつきながらの宴会となり、快適な一夜を過ごしたことは言うまでもない。

7日(日) 晴れ
日隠山(ひがくれやま)
 6時半頃キャンプ場を出発して坂下ダム湖畔の日隠山登山口に向かう。1時間ちょいで到着したように思う。登山口の駐車場には先着車が1台。中年の夫婦連れが支度をしていた。うちらも支度をして登り始める。道はゆるい勾配ですこしずつ高度を上げるので息も切れず、暑くもなく寒くもない穏やかで快適なハイキングとなった。日隠山と言えど青空の下では陽が射すことを発見。当たり前といえば当たりまえだのクラッカーだが・・・(古過ぎか?)。ただし、視界はほとんど開けない。道はよく整備されており、指導標も頻繁だ。馬鹿話をしながらてれてれ行くと、1時間半ほどで参詣清水という二俣の水場に着いて少々休憩する。ここから右手の尾根道を上がってゆくと、山頂を経由して左手の捲き道からここへ戻ってくる寸法だ。
 右手の尾根道を登ってゆくと、ほどなく望洋台と呼ばれる展望地にでた。その名の通り、彼方に青い水平線が茫洋と横たわるとりとめのない景色が広がっていた。先ほど休んでいるときにうちらを追い越して行った単独行のおっさんも足を止めて熱心に眺めていたが、プロの展望評論家の間ではこういう景色が高く評価されることはないであろう。
 そこからしばらく稜線上の林間をアップダウンを繰り返しながら行くと、やがて日隠山の標識が道脇に立っていて、山頂に着いたと解かる。林の中で展望はなし。当然のことながらそこから道は下りとなり、一気に高度を下げるとほとんど水平の捲き道となった。そのまま進めば先ほどの参詣清水だが、途中右手に折れた小さな支尾根上に東屋が見えたので、そこで大休止にする。東屋の東側にはベンチとテーブルがあって、海がよく見えた。先ほどの望洋台よりこちらの景色の方が展望評論家には受けが良いだろう。海の手前には原発が小さく見えている。日本中がミレニアムで騒がしかった1999年12月、この少し南の東海村の原発をゴジラが襲ったことは、いまだ記憶に新しい(ゴジラ2000ミレニアム)。この襲撃はその少し前に起こったJCOの臨界事故が呼び寄せたとのもっぱらのウワサであり(ホントかオイ!)、ゴジラを引き寄せないためにも原子力事故は決して起こしてはならぬと、きりりと空を見据えつつ固く胸に誓う我ら一同であった。
 馬鹿話が尽きぬままクルマに戻り、その勢いで玉の湯温泉に行く。「上の元湯」の「玉の湯旅館」の湯に入ったが(¥400)、開湯以来400年というここは近年はアトピー性皮膚炎に高い効果があるそうで、完治した幼児の湯治記録の写真が親の感謝の手紙とともに廊下に貼ってあった。建物も女将さんも肩肘の張らない庶民的なかんじの旅館で好感を持った。アトピーでお悩みの方には近いし良いかも知れない。
 風呂が終われば何か喰うということになるが、ここは橋岡氏のリクエストで小名浜港までドライブということになった。行ってみると、数年前に来たときの雑然とした活気ある魚市場の風景は消えていて、観光客相手の魚市場とレストラン街とおみやげ屋が合体した大駐車場完備の施設(いわき市観光物産センターというらしい)に変わっていてがっかり。クルマでしょっちゅう魚を買いに来る向きには好都合かも知れぬが、小名浜独特の魚市場の雰囲気を楽しみに来た観光客には、このようなどこにでもあるような施設では面白くもなんともない。仕方なく、どこにでもあるような回転寿司屋に座り、有数な水揚量を誇る漁港の風景を窓越しに眺めながら、どこに特徴があるのかよく解からない寿司を食べて帰った。都会人の脱個性化は解かるが、地方からも個性が失われてゆくのを見るのは悲しい。


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