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藪・藪・藪
宮坂 和秀

 かつて丹沢の未開拓の地域はヤブとガレとで構築された王城(シャトー)であった。滝を乗り越えて谷を進み、次に待ち構えたそのヤブとガレを征服でき得ない者には王者の資格を得ることは出来なかった。
 元来、私は山を征服するという言葉を好きではないが、この場合山そのものではなく、ヤブとガレの事であるから敢えて使用させていたゞく。
 今でこそ塔の岳から日高を越えて龍が馬場附近の尾根は傘をさしてでも歩ける路であるが、昔は背丈以上に生茂ったすず竹の群生地帯であった。五、六米先を歩く同行者の姿が見えない程で、雨でも降ろうものなら、頭からぐしょぬれになってしまう。それでもこの辺りは主脈縦走として歩かれていたので、まだよい方だった。
 臼が岳から檜洞丸への縦走路は大変であったが、郡境或いは県境であったため、一応の切あてはあったので、どうやら通ることが出来た。ブナの原生林に被われ、トリカブトやヤブレカラカサ、トウギボウシの下草の茂った檜洞の丸だけは、その藪から解放された静寂の境地だったが、再び西へ向って熊笹の峰から大コーゲ、小コーゲを経て犬越路(いぬこえじ)までの尾根筋は全く目も当てられぬ密藪地帯で、首に手拭いを巻きつけ、頭を極めて地面に近づけ(立っては歩けぬからだ)突進せねばならなかった。
 時折りは立上がって腰を伸ばし、木に登っては方角や進路を見定めたものである。今でこそ三十分で歩ける所を、その当時で約四時間を要した経験がある。
 何も丹沢に限ったことではないが、或る山頂を目指そうとするときは、勢い沢を遡る方が楽だというよりは快適なのである。然し、選んだ沢も奥へ深く潜入するに従って、幾たびも、右せんか左せんかの分岐に立たされる。沢は尾根とは違って「木に登って」などゝいう芸当は出来ないので、即決で判断せねばならない所がつらい所だ。
 その結果、目的と違った所へ出る事があり、後は聞くも涙の物語で、はるか向うの尾根を歩いている登山者の姿を認めたり、声を聞いたりするが、こちらはヤッサモッサの藪こぎを続けるのである。
 初期のキウハ沢に入ったときもそうである。誤って大ガランの沢を登りつめ、天王寺尾根に立ってしまい、丹沢三峰山稜に出るまで悪戦苦闘の連続だったし、又檜洞沢から檜洞の丸に向った時も経角沢に入ったまでは良かったが、中の沢乗越を左に見ながら、徹底的につめたため、すず竹の密藪に入りこみ、石棚山稜と平行して藪こぎを続けてしまった。全く馬鹿な話で早く見切りをつけて左へそれれば石棚山稜に出られて楽になったものをと残念だったが、それでも経角沢を完全遡行として判断に誤りがなかったことを、せめてもの慰めとしている。
 この密藪の中で馬鹿な私が、馬鹿な先行者があったことを発見した。それは、水を満タンにした水筒を拾ったことである。恐らく肩からさげていたものであろうが、それを落としてもわからない位その人も気の毒に悪戦苦闘したのであろう。


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