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酒談義
宮坂 和秀

 昔から「英雄は色を好み、豪傑は酒を飲む」といわれているが、私は"英雄"に近い方かも知れないが、酒の方は豪傑ではない。然し、無類の酒好きであることに間違いはない。たゞ、好きなだけに自分の適量を過ごしてしまうと、よくダウンする。
 山から帰って来て、まず風呂に入る。それからビールを一本飲む。一本では足りないので、甚だ経済観念の発達した私はそれにウイスキーを混合して飲むのである。山での疲労は大して感じたことはないが、程よい疲れというのだろうか、頭から足の先迄、ジーンとして来るあの酔いの感覚が心よいのである。これが長い間の習慣となってしまっている。或る意味では帰ってから飲むビールのために山へ出掛けるのかも知れない。
 若い頃、そう、それは戦前であったろう。山北駅の近くに高松山(八〇一米)という山がある。その時は誰と一緒であったかは忘れたが、私の他に二人の同行者がいた。三人で山北駅をおり、尺里(ひさり)橋から左へ折れて尺里部落から登りにかゝる。この辺りは蜜柑畑が多く、一時間程も登るとビリ堂につく。二、三基の馬頭観音が祀られてある所だ。
 こゝから茅の茂るジグザグ径を登って三十分足らずで高松山の頂上である。この山頂は殆ど樹木がなく茅だけの山だから、隣りの大野山と共に西丹沢の展望台として知られている。
 肉を煮て、昼食ということになった。誰かゞ持参したウイスキーにありついた訳だが、それがいけなかった。根が好きな口だから、若さにまかせて、したゝか飲ったらしい。空き腹にアルコール。得意の丹沢の展望について、あれが何山、あれが何の頭などゝ講釈を並べているうちはまだよかったが、そのうちロレツが廻らなくなり、意識もうろうとして昏倒してしまった。
 私の仲間達は、何時間待っていても私が起き上らないので、しびれを切らしたらしい。頭が重くて立てないから、もう少し待ってくれと哀願する私をむりやり歩かせようとした。腰がぬけたようにすぐへたり込んで歩かないので、私のザックを取り上げると、両足を持って引きずり始めた。シャツの背中は泥にまみれ、傷だらけになって相当悲鳴をあげたらしいのだが、彼らも酔っているので、容赦はして呉れなかった。
 ビリ堂からはとっぷりと日の暮れた山径を友の肩にすがって、よろめき乍ら山北駅へと下った。相当に時間がかゝったらしく、山北から国府津へ出、東海道線に乗換える。途中で気持ちが悪くなり、一度下車、次の汽車(それが終列車)に乗って家に帰った。
 山での飲酒はできるだけつゝしむ様にしているが、根が好きな道とてつい手が出て、失敗をやらかすことが多い。特に前夜の山小屋で飲むときが心を許し易すく、翌日の行動に大いに支障を来たすことがあるので、一人で歩く時には余程の軽い山行でない限りは自分では酒類を持参しないことにしている。


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