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同角(どうがく)沢
宮坂 和秀

 同角沢へは何回も入った。雨山峠を越えると雨山沢が玄倉川支流へ出合うが、その支流、トンネルを一つくゞった先で滝が一つ見えているのが同角沢である。最近では途中に堰堤が出来たり、鉄製の梯子がかけられたり、捲き道が出来たりしてずっと楽になっている。
 例によって長久君と只二人、この時は隣りモチコシ沢を遡った帰りだったか、はっきりした記憶がないが、とに角、同角沢を下ったものである。
 東沢乗越から一、二分下ると同角沢で、遺言棚の上である。この滝は四段に分れていて合計で約八十米はあるだろう。水量は少なく、石英閃緑岩の風化の激しい滝で、遺言でもしなければ、とても登れたものではないといわれていた。
 私達は左岸の小さなザレを高く登り、滝を登り、滝を捲いて下った。水量が豊富だったら、実に美事な滝に違いない。左から大ケヤキ沢が入り、やがて無名の滝(約二十米)、これはザイルを使って何とか下った。
 途中に「行水(ぎょうずい)滝」と称する滝がある。二、三米の小さな滝だが、沢巾がせまくなり、水流が三十糎程になって落下している。中程に踏台ぐらいの石があり、それに打当ってはね返っている変った滝だ。 二人共、すっ裸になり、着たものはザックに収納し、から身で長久君が先に下った。まず、落口の水流に身を入れ、その三十糎水溝の両側に手を入れて索ると、どうやらホールドが見つかる。両側に突張りながら中段の石台の上に立てば、後は楽に下れる。だが、胸から下はどうしても濡れなければならない。 ザイルを投げて彼にその一端を持って貰らい、ザックをそれに通してケーブル式におろし、次にザイルも全部彼に渡して、私が下る間に捲いて貰らうことにした。
 次に私の下る番だ。戦後間もなくのことだから、サルマタなどは使用していない。現今いうところの「クラシック・パンツ」(越中ふんどし)である。濡らすと替えがないから、それも取りはずし、勿体なくも我が頭にそれで向う鉢巻をし、下降に取りかゝった。
 水溝に手を入れたが、意外に水流が強い。手をすくわれそうになりながら、必死になってホールドを索した。どうやら足をおろす段取りになったが、身体が小さい悲しさで、中段の石台まで足が届かない。せっかく、濡らすまいと鉢巻をしたふんどしまで、頭もろ共水を浴びてしまった。下からの長久君のアドバイスで手を離し、中段に立つことができた。
 下の滝壷へ下ってから、どうせ濡れついでだと、滝壷に入りこみ、鉢巻をした例の「紐つき手拭」でからだを洗った。一寸した同角鉱泉気取りで「いゝ湯だナ」はいゝが、夏とはいえ、やはり沢の水は冷たく、男性のシンボルが非常に恐縮していたことだけは事実である。
 それから不動の滝までの間は上半身だけ衣類をつけ「紐つき手拭」は源氏の白旗よろしく、ザックにさげて乾かしながら下ったが、やはり大切な所がぶらぶらするのは甚だ具合が悪いようだ。
 不動の滝は左岸を高捲きをして下ろうと思ったが、どうにもうまい所がない。やっと立木を利用してザイルで懸垂下降した。(今では鉄梯子がある)
 玄倉川本流へ出て、今では対岸に自動車道路があるが、当時はなかったので雨山沢の出合まで川原を歩く。乾いた例のものは取付けたが、相変わらず下半身は裸のまゝで。外に登山者もいないから平気だ。
 雨山峠越えをして渋沢駅まで忙がねばならないが、疲れた身には忙いでも足は早くならない。宇津茂へ出て、中山峠への登りにかゝったが、もうへとへと。峠(今ではゴルフコースになっている)手前の水場で、夜の八時頃になってしまった。水をがぶがぶ飲んで路傍の杉丸太の上に寝ながら、キラキラと輝やく星空を仰いだ。しかし、渋沢の駅まではまだ一時間半程もかゝるだろうと思うと、重い腰を上げない訳にはいかなかった。

同角沢を下って(宮坂氏は向かって右側)

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