トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ316号目次

「君ネェー」が懐かしく思い出されます
野田 昇秀

 昭和37年のことです。三峰の事務所が杉並区下井草の宮坂さん宅にあり、私は隣駅の鷺宮に住んでおり、事務所が近い方が何かと便利と思い入会しました。初回の山行は三ツ峠で、2回目が宮坂さんが係の小金沢連嶺でした。当時から恰幅が良かったようで、汗をかきだすと上半身裸の上に背広のチョッキを直かに着ます。有名なハダカチョッキでした。「君ネェーこれが涼しいのだよ・・・」。「石丸はイシマルではないのだよ・・・」。「裂石クダケイシ」は疑問でしたが・・・技研部についておたずねしました。「君ネェー2尺4寸のキスリングに40kgだよ・・・」。暗にチビヤセの私に近付かないように話されていました。
 この山行が宮坂さんとの一番の思い出です。その後は三峰祭、スキー、集中登山等、大勢が参加する山行が多く、年齢が離れていること、私の気おくれする性格で、親しくお話し頂く機会は少なかったのですが、ある酒の席だったと思います。宮坂さんは丹沢の開拓者で、小田急の依頼でハイキングや沢登りのコースガイドを書かれていた他、ハイキングマップの監修を続けられており、「君ネェー三峰の人は丹沢へあまり行かないようで、他会の人に監修を譲ったよ・・・」と、少しさみしそうに話されていました。
 事務所が近いという理由で入会して40年以上がたちました。会の役務をせず長期間会員でいられるのは、宮坂さんの創立された会の居心地が良いのと、生涯登山という旗のおかげと思います。一生登るのだから会の応援が必要と勝手な理由付けで会員を続けられるのも、創立者の宮坂さんの賜物と感謝いたしております。有難うございました。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ316号目次