別所 進三郎
宮坂さんとは入会して2~5年目頃に幾度か山行を共にしました。
- 丹沢では、暑いとすぐ裸チョッキのいでたちになり得意でした。丹沢のガイドマップの調査執筆をされていて、丹沢に関する豊富な知識と経験に、尊敬の念を抱いていました。
- 那須の三斗小屋での朝起きの際のルーチンワーク?の騒がしさ(寝床の中での体操、クシャミ、あくび、ほえ声、含み咳き等)に呆れました。
- 南アルプス全山縦走の出だしの甲斐駒越えの際は、ヤゾーリーダーのもと、登り始めにショートカットを狙ったのが外れ、雨中の藪漕ぎを強いられ、五合目小屋に着いた頃にはヘトヘトになり、それからの全山縦走が思いやられましたが、後に、私の山登りにおいて"はじめ悪ければ後は良し"の法則が出来ました。
- 第一銀行女子職員のマチガ沢での落石による遭難事故に際し、同じ会社の人ということで、率先して対応に当った様子を見て、立派な人だと思いました。
- 山行以外にルームでは、若造のわれわれの質問に対し、気さくに答えてくれていたのが印象に残っています。
委員長、代表、会長等、長期に亘り三峰の役職を勤められました。加えて創立者であることでの苦労や悩み等悲喜交々あったと思います。それらの一つ一つが会の継続、発展に結びついていることと思います。宮坂さんの会に対する貢献、愛情、思い入れなどはとても推し量れるものではありませんが、三峰があったおかげで、バラエティに富んだ山行を成し続けられることができ、深く感謝するものです。
お聞き残したい事があります。もう手遅れですが、気さくに答えてくれそうな気がして。
- 会を創立し、共に山へ登ろうとした目的は何でしたか。
(1) 知識、技術を向上させ、より困難な山に挑みたかった。
(2) 山登りの楽しさを分かち合う人を増やしたかった。
(3) おもしろそうだったから・・・・
- 年を経た時、その目的に変更がありましたか。
- 登った中で、一番良かった山はどこですか、どんな状況でしたか。
- 元気で、大金を使って良いという状況だったら、どの山に登りますか。
三峰山岳会は100周年に向け、登高を開始しました。