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思い出の山
宮坂 和秀

 思い出の山のリレー随筆の題をいたゞいたが、懐しい山、思い出の山は数多く記載に苦しむが、一番最初の山を書いてみたい。
 やはり初めて山を歩いた頃が私には印象に強く残っているようだ。初めて歩いた頃というと昭和七年、学校も卒業間近かの秋であった。英語の先生で中村謙さんが居られた。この先生は現在六〇才位にはなって居られようが、山小屋倶楽部に入っており、今でも元気で歩いているように伺っている。
 ところで他人の事ばかり云っていてはいけない。私の事に移ろう。その先生に教育されて(英語のことではない。山の事を)高尾山から小仏峠、影信山へ、そして浅川(今の高尾)へ。
 これに味をしめて、山というものはいゝものだ、という訳で、これが山を歩き始めたもとになった。北アルプスへ行こうという相談が五、六人の仲間から持ち上がり、上高地から焼岳を計画したが、親がどうしても許してくれない。(現在と状況が違うということを念頭に置いていたゞきたい)そこで相談し直した結果、落ちも落ちたり、小仏峠から影信山、陣馬山から尚先へということになった。
 夕刻高尾駅前で裸ローソクを買い、新聞紙にくるんで風よけとして登って行った。小仏峠につくと妙なおじさんが一人で焚火をしていた。聞くと甲府まで行くのだそうだ。我々はこゝで夜を明かすつもりだったが、彼と一緒ではどうにも気持が悪い。山嵩かも知れないし、夜中に殺されでもしたら、という気持が先に立つ。そこで影信山まで登ることにした。
 影信山の茶店(無人)に着いて寝ることにしたが、それでも尚心配でたまらず、四人の内一人を不寝番として警戒することにした。夜が明けて結局何事もなかったが、サイダーを二、三本失敬したので夜明けを待って早々に陣馬山へ向った。
 陣馬山の山頂にある陣張山荘では一人の老婆がいてマムシよけの呪文を何回も繰返して教えてくれた。
 まだら虫、まだら虫、わが行先をさまたぐと、山立姫に逢うて語ろう
 (まだら虫はマムシ、山立姫は猿のこと)
 そこで皆で盛んに、その呪文をとなえながら和田峠から生藤山へ向ったが、途中で山道の真中にマムシがいたので気味が悪くなり、道を求めて下山してしまった。呪文の利き目が無かったのだろうか。
 (次回は長久氏にお願いします)

昭和42年1月19日発行
岩つばめNo.195 掲載

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