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白笹山-南月山(那須)
服部 寛之

山行日 2004年9月25日~26日
メンバー (L)服部、西尾、山沢

 土曜日の午後東京駅に集合し、2時頃クルマで出発する。週半ばまで天気予報は週末の好天を告げていたが、最新予報では下り坂。案の定、高速の途中で降り出す。
 東北道の那須ICで降り、山へ向かう。茶臼へ通じる道沿いは、しばらく来ないうちに、ちゃらちゃらした施設が増えた。森を拓いて居並ぶ、取ってつけたような横文字混じりの根無し施設。まるで茶の湯の茶碗の中に100円ケーキをぶち込んだよう。融け合わぬ景色に、クモッタもんだと那須の山。目を覆いたくなる気持ちはわかる。見ていると気分まで湿ってくる。給油所に寄ると、
「週末雨だと、来てくれるお客さんが気の毒で。どこにも行けないじゃないですか」
と、気の良さそうなあんちゃんが同情してくれた。
 沼原(ぬまっぱら)の登山口に行くと、50m×100m位のバカでかい駐車場があり、その端にクルマが3台所在無さげに停まっていた。駐車場の北東隅には立派な水洗トイレがある。駐車場の西側は貯水池(沼原池)を見晴らすピクニックエリアになっており、テーブルベンチやら東屋があった。これだけの施設があるということは、湿原の花の時期には結構な人出があるのだろう。
 うちらは駐車場の東側にある白笹山に面する小さなスペースで仮眠することにしたが、陽が落ちると黒い山裾の陰に街の灯が輝いてきれいだった。しかし、しばらくすると濃いガスが取り巻いてきて視界を閉ざし、やがて霧雨が舞いだした。シュラフに入る前に用足しに行くと、ガスの向うにトイレが「千と千尋」の世界よろしくボ~ッと明るく浮かび上がっていた。
 翌朝起きるとまだ小雨が降りつづいている。取り敢えず朝食を済ませて撤収し、クルマを駐車場へ移動させる。行くか行かないか、こういう時の判断は難しい。昨夜ここで仮眠したもう1台の単独行のあんちゃんは早々に帰って行った。オレもひとりだったら温泉巡りに予定変更するところだが、連れのいる例会となるとそうも行かない。山ヤのプライドらしきものが頭をもたげる。「せっかく来たのだから」「これっぽっちの雨で温泉に転じては山ヤの名がすたるってもんだろう」「雨の景色もまた美しいものだ」などと囁くのだ。連れは連れで、リーダーの逡巡を知ってか知らずか、手馴れた様子で出発準備をどんどん進めて行く。そうなるとこちらとしても準備の手を止めるわけにはゆかない。こうして気分とは裏腹に、出発の準備がととのい、揃って気の進まない足を山へ向けることになるのだ。今回も見事にこのパターンにハマった。おっめでとうございま~す。
 霧雨の中、白笹山へ向かう。しっかりした道が続いているが、所どころ胸まで伸びた笹が足元を隠している。笹が多いのは白笹山という所以か? カッパがぐっしょりという程の降りではないが、気分はいまいち浮かない。森は雨の情景が格別うつくしいといった雰囲気でもなく、周囲が開けた場所に差しかかっても真っ白で何も見えない。唯一、近くの枝にとまった四十雀の鳴き声に慰められるが、しかしそれとて「ヘンなのが来たぞ」との警戒の意であり、決して歓迎されている訳ではないのだ。そんなとき、山沢さんがいみじくもしみじみと言った。
「温泉にすれば良かったねぇ」
熱烈同感。なんでもっと早く言ってくれないの!と思ってもリーダーの口からはそうは言えない。それにもう稜線近くまで登ってきてしまっているので、いまさら引き返すのも悔しい。協議の結果、南月山まで行って牛ガ首を回って戻ることになった。大まかに言うと、沼原から東進して白笹山へ登り、次いで南月山-日の出平-牛ガ首と北上し、牛ガ首から西へ下って山裾を南へと巻いて沼原へ戻る周回コースである。そうと決まると気持は据わってしまって、幾分気分も乗ってきた。
 白笹山の頂上(1719m)は、密生した灌木の中を切り開いた登山道の一通過点といった感じで、ちょっと広くなった道脇に山頂の標識が立っていた。
 白笹山から南月山までの道も相変わらず伸びた笹が足元を隠しているが、晴れていれば展望がひろがって気分良さそうだ。視界をふさぐ白いガスが恨めしい。
 南月山(1775.8m)へは40分程で着いた。山頂の北側は木がなく荒涼としている。「みなみがっさん」と云う山名(古く月山と呼ばれた茶臼岳の南にあることから)と信仰との結びつきを暗示するかのように、その荒涼とした景色を背にお地蔵さんが一体ポツンと置かれていた。辺りを流れる霧に乗って念仏が聞こえてきそうだ。陰鬱な雰囲気の中、霊も写るかと懸念しながら登頂写真を撮って出発。
南月山にて 標識の上の手は山沢さんのです・・・、念のため  道は荒涼地の中を横切ってゆくが、不思議なことに、乾燥しているはずの岩屑の地面の所どころに苔が島状に育っている。荒涼地は200m~300mで終わり、這松の平坦な道となった。ここからは道はずっと良くなり、きちんと刈払いされ道幅も幾分広くなっている。間もなく日の出平に到着。看板によると、この辺りはミネザクラの名所だそうで、背の低い桜の木がたくさん並んでいる。花期の美事な様を想像する。
 その先で不思議なパーティーと行き逢った。五、六十代の男女数人のグループで、脇にどいて道を譲ってくれたのだが、今しがた入山してきたかのように服も靴もまったく濡れておらず汚れてもいない。こちらはぐっしょり濡れたカッパ姿だというのに! ロープウェイで茶臼に上ってきたとしても、ここまで来るには優に30分はかかる。霧雨は殆ど上がったとはいえ、霧に閉ざされた吹きさらしの稜線を来るのに、まったく濡れもせず靴も汚れないというのは信じ難い話だ。何も言葉を交わさず通り過ぎたが、その直後、皆で顔を見合わせ、いったい今の人達は何なんだ?という議論になった。検討の結果、この世の人達ではないのではないか、ということになった。南月山方面へ向かったというのも議論の方向と符号する気がする。彼らと行き逢って間もなく牛ガ首に着いたが、そこで休憩していた大勢の人達(殆どが中高年のハイカーで、ロープウェイで上がってきたと思われる)の誰もが風に流れる霧の中でカッパに身を包んでいた事実も、行き逢ったパーティーの異様さを裏書きしていた。うひょ~。
 牛ガ首は茶臼岳西面の肩にあるガレ地の十字路である。近くでガスが噴出する音がして、硫黄臭い。ここを西へ下る。ガレ斜面の下の方は階段の工事中であった。斜面を下り切るとすぐ森の中に入り、数パーティーとすれ違う。外人(白人)もいた。皆三斗小屋から来たようだ。しばらく行くと姥ヶ平の標識があり、木道が灌木の藪の中へ延びている。3~4分歩いた木道の終点には、垂れこめたガスの下に小さな池が黒い水面を見せて静まりかえっていた。池の向こうのどこかで盛んにガスが噴出するような大きな音がしていて沈鬱な景色。
 その先で、これまで小康状態を保っていた雨がとうとう粒になって落ちてきた。三斗小屋への道を分ける辺りでは本降りとなってしまった。昔、大久保氏らとよく三斗小屋に通っていた頃、途中で沼原への分岐を通るたびにそのうち沼原へ行ってみようと思っていた記憶がよみがえる。その分岐の先の景色の中に今自分がこうして居ることが何か不思議な感じがするが、実は今回こちらに来たのはその頃の思いが動機なのです。三斗小屋への分岐から道は南へと向きを変え高度を下げて行く。驚いたことに、沼原に下りるまでの間に、そぼ降る雨の中、2つの大パーティーと行き逢った。どちらも30名は優に超える中高年中心のパーティーで、どうやら百名山登山のツアーらしい。沼原から登って、回送したバスが待つ茶臼の表側にでも下りるのだろうか。最後尾のビニール合羽のおとうさんたちは狸腹抱えてふうふう言っている。ツアーだと金を取った手前多少の雨でも決行してしまうのだろうか。ご苦労なこってす。
 駐車場へ戻る前に、沼原湿原に寄り道して行くことにする。(湿原は駐車場の西側に見下ろす沼原池の北側に広がっていて、駐車場からは数十メートル低い位置にある。)湿原には立派な木道が敷かれていて周遊できるようになっていたが、生憎ガスで視界が殆どない。花が終わっているのはわかっていたが、景色も見えないとなると湿原もへったくれもない。ただ木道を見て歩くだけだ。駐車場へ戻る途中、湿原へと下りて行く観光客とすれ違う。クルマに戻ると丁度昼で、駐車場には先ほどのパーティーのものらしき2台のバスと、乗用車が20台ほど停まっていた。この天気にも拘らず・・・。世の中、物好きは多い。
 帰りは、板室温泉の「板室健康の湯グリーングリーン」なる公営施設(¥500)に寄ったが、ぬるくていまいちだった。しかし、黒磯の道の駅の斜向かいにある蕎麦屋はなかなか旨かった。こう書くと、かなりの蕎麦通みたいに聞こえるかも知れないが、ぜ~んぜん。

〈コースタイム〉
沼原駐車場(06:15) → 白笹山(07:45~52) → 南月山(08:30~55) → 姥ヶ平(09:55~10:00) → 沼原駐車場(11:50)


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