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三つ峠屏風岩「岩登り講習会」における事故報告
講習会名: 岩登り講習会(三つ峠)(第3023回例会)
講習会日時: 2005年5月21日~22日
講習会メンバー: (リーダー)小幡、荻原、小堀、峯川、鳥之海、成田、三澤、石川、前野、深谷、土肥、坪松、川崎、箭内、福間、田中(恵)、紺野、平、内山、天城

〈事故発生時の概要〉
講習会本体とは別に、5月22日(日)の午前11時より三つ峠屏風岩直上カンテルート下部(1P目)をアブミ(縄梯子のようなもの)にて荻原、小幡で登攀開始。この時点で峯川とは合流出来ていなかったが、合流するまで前記ルートの下部を二人で登攀する予定であった。荻原リードで登り、標高差で約15~20メートル程上がったテラス(安定した場所)にてセルフビレー(自己確保)をとり、小幡にコールしたところ峯川と合流出来たとのことだったので、2本のロープのうち緑色を峯川、オレンジ色を小幡が結びセカンド峯川、サード小幡の順番で登らせる。二人に連結しているロープはジジ(実際にはピューというジジの変形版であるが、セカンド確保時の機能はジジと全く同じである為以下ジジと表記)という確保器にて確保していた。荻原の場所からは二人を目では確認出来ないが、ロープの状態から当初峯川もゆっくりだが着実に高度を稼いでおり、サードの小幡も併せて登ってきていることが把握出来た。しかし峯川に連結していた緑色のロープが約10メートル登ったところにある乗っ越し部分(岩壁の角度が90度以上から90度以下に変わる所)辺りから全く動かなくなった。アブミを掛けるボルトの場所がやや遠い為、アブミ登攀に不慣れな峯川は大分苦労しているようで、正確な計測はしていないが、感覚的には20~30分はそこにいたと思われる。アブミ登攀は不慣れだと腕力を必要以上に使ってしまう為このまま続けても登れないだろうと判断した荻原が、サードのベテランの小幡をセカンドにあげ、先にボルトへシュリンゲ(わっか型の細い紐)を掛けさせ、峯川が登りやすくするべく指示を出す。荻原は、小幡、峯川の位置を交代させる為に小幡にはその場でセルフビレー、峯川には数メートル降ろすため加重させる。ジジは加重がかかると安全のためロックがかかる仕組になっている。加重のかかったジジでロアーダウンする場合の通常の方法、つまり腰を落としてロック用のカラビナを少し浮かし、グリップビレーで徐々にザイルを送る方法で峯川を降ろすためにジジのロックを解除した。ところが全体重がかかっていた為通常の方法では制動が効かず、ロープが流れ出し12時10分頃滑落事故が発生。目撃者によると最初数メートルは多少制動が効いた状態で滑り、その後ほぼ制動が効いていない状態で途中バウンドはせず直接腰背部より墜落。滑落距離は約10メートル、着地地点は平らな土の上だったとのこと。

〈事故発生後の対応〉
個別メニューの訓練に移った小幡、荻原、峯川以外のメンバーは、三級の岩場で前日の基礎訓練の復習、アブミの練習などを終了し、片付けにかかっているところだった。たまたま事故現場近くにいた深谷が事故発生を知り、他のメンバーのもとに走りそれを知らせた。他のメンバーが現場に急行すると岩場の下に峯川が横たわり、クライマー達が集まっていた。傍らに積極的にケアを施している女性クライマーが付いていた。聞くとナースの資格を持つ人であることが分かった。既に他の山岳会のメンバーが四季楽園へタンカを取りに走ったとのことだった。峯川の顔色は悪く額に汗がにじみ苦痛の程が察しられた。ただ出血は無く、本人に状態を聞くと、意識がはっきりしており、首に異常は無く、吐き気もなく、ただ臍の下当たりに痛みがあり、また、右足が動かないとのことだった。腰を痛めた様子だったが、意識がはっきりしており、吐き気が無いことから脳にダメージがないことが窺われた。傍らのナースからは搬送に際しての注意点など的確な指示が出ていた。委員長の小堀は県警のヘリ出動を要請することを即断し、携帯電話で110番に事故発生の連絡と県警ヘリの出動を要請した。小幡、荻原には懸垂で下降し、救助隊に参加するよう小堀が指示を出した。タンカを待つ間、深谷が救助に協力している他パーティーの連絡先を確認した。間もなくタンカが届き、腰部に負荷をかけないよう怪我人を乗せた後、複数パーティーの合同で、途中数回交代しながらスムーズにヘリ到着予定地の四季楽園前幕場まで搬送した。県警に連絡をとると、既にヘリ出動準備が終わり間もなく到着することが分かった。簡単に事故状況、怪我人の様態について質問に答える形で報告すると、県警は小幡、荻原、ナースとも話したいとのこと。この時点で、小堀は四季楽園前幕場の電波の通りが良い地点で交信していたが、その間搬送合同チームは山荘管理者のアドバイスで前回の事故でヘリが着陸したという毛無山方面へ怪我人を搬送しつつあった。やがて伝令の連絡を受けナースが戻り、県警と携帯で話す。一方ヘリを待つ間、小堀は三峰のメンバーを集め、状況を一番良く把握している荻原と委員長の小堀がヘリと一緒に病院まで同乗することを伝え、後のメンバーは適宜帰京するよう指示した。携帯電話で搬送チームがどこで待機すれば良いか県警に再確認している内にヘリが到着し、ヘリは辺りを旋回し着陸地点を探した。ヘリが幕場に近づくと風で重いザックが吹き飛ばされた。やがて毛無山方面の登山道上空でヘリがホバリングし、救助隊員が降下してきた。彼らの指示に従うようにとの県警の指示で、結局毛無山頂上の笹原に着陸したヘリまで搬送する。怪我人をヘリのタンカに移し換えた後ヘリに乗せた。ヘリの付き添いは1名のみとのことであったので荻原が付き添うことにし、負傷した峯川と付き添いの荻原を乗せヘリは飛び立った。
ヘリが現場を離陸したのは、13:30頃で約10分間の飛行後、山梨中央病院近くの河原の広場に到着して救急車に乗り換え13:50頃病院への搬送を終えた。

〈事故者の怪我の状況について〉
脊椎の圧迫骨折で全治3ヶ月との診断であったが、現時点(2005年7月6日)で神経損傷等の後遺症は見られず、怪我人は東京の病院に転院した後退院し、通院治療中。

〈事故原因の検証〉
複数の要因が考えられるが、以下の2点が主な要因と考えられる。
1.ジジの操作
ジジはセカンドの加重がかかると安全性のためにロックがかかるが、その後ロックを解除しセカンドをロアーダウン(ロープにぶら下がったまま下降)させる際、通常ゆっくり体重を掛けジジにセットしたカラビナを浮かし、送り出すロープをグリップビレーすることでロープを出すスピードを制御するのだが、今回セカンドの全体重がかかっており、通常の方法では制動が困難であった。結果流れ出したロープをグリップビレーで止められず、再度ロックを掛けるべく体重を抜いたが間に合わなかった。また、今回操作していたロープは新しいもので滑りやすかったことも原因の1つかもしれない。
2.実力相応のルート選定
事故に合った峯川は、まだ岩登りの経験さらに人工登攀の経験も浅く、今回のルートは実力以上の選定となった。結果登れずに、通常人工ルートではやらない順番の入れ替えを強行せざるを得ない状況となった。

〈再発防止策〉
事故の最大の原因である「ロアーダウン時のジジの操作」については、2005年6月4日(土)、丹沢のモミソ沢懸垂岩にて検証を行った。結果、9ミリのシングルロープで、70kg程度の加重がかかりロックされた状態の場合、通常の方法とされるロックを慎重に解除しグリップビレーで制動をかける方法では不安定で、相当の集中力と非常に強いグリップ力が必要であることが確認された。さらに、安定的な制動を行うにあたっては、ロープをジジから更にボディカラビナ、ビレー点のカラビナの2箇所に通して折り返す(別添写真参照)ことで十分対応出切ることが確認できた。今後当会における「ジジによるロアーダウン時のスタンダード」として周知徹底を図りたい。
また、今後リーダーはメンバーの実力に合った適切なルート選択を旨とし、自身あるいはメンバーに強い希望がある場合でも、冷静な決断力を持ってこれに当ることとしたい。

文責: 小堀憲夫

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