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2005年の夏山縦走
別所 進三郎

山行日 2005年8月13日~19日
メンバー (L)別所

(1)五色ヶ原で、寝そべってペルセウス座からの流星群を見る、という不似合いな事と (2)北アルプスのまだ歩いてない縦走路区間を踏破する、(3)三俣山荘の人に挨拶に行く、等の希望があって、1993年の後立山~白馬北方稜線(爺ヶ岳~親不知)以来の単独縦走を計画した。

13日 夕方"上ノ廊下隊"の車に便乗させてもらい、水道橋から中央ハイウェイを行く。途中数ヶ所で花火大会が催されていた。(東京でも隅田川花火大会の日だった。)大町に入る前にも花火大会があり、大輪の花火の真下を通過するハプニングに遭遇した。扇沢で大テントを張り、夕餉をとりつつ、上ノ廊下隊の行動予定協議をおこなう。と言うのは白馬大雪渓で土石流が起ったほどの長雨が続き、黒部川も水面が高く、流量が多く、水圧が強い状態が予測され、明日からの天気予報を含めて検討した。結果、とりあえず明日は、予定どおりに、奥黒部ヒュッテまで行動することにし、別所とは携帯メールで互いに連絡し合うことにした。

14日 黒四ダム駅で"上ノ廊下隊"と別れ室堂発が8:43となった。浄土山への登りでは、岩と緑の這松の斜面に残雪もあって"北アに来た"と実感をした。富山大研究所のあるコルで大休止をとった後、五色ヶ原に向うが、霧で数十メートル先までの視界しかなく、興味のあった鬼岳、獅子岳の形状がどうなっているのか分からずに通り過ぎた。ザラ峠を過ぎる頃には雨がばらついて来て、景色は足元の、イワツメクサやハクサンフウロ、タテヤマリンドウなどを観ながらの尾根歩きとなった。
雲の中の縦走初日  五色ヶ原山荘でビールを買い込み、10分位下ってキャンプサイトに14:20に着く。早い到着からか、広いテント場には3張のみで、我が1人用テントを腰掛けベンチ前に設置する。雨が上がれば満天の星と流星をこのベンチに寝転んで見られると思いテントに入る。しかし雨は止みそうになく強くなるばかりで、テント内の底部に水が溜まりだし、エアーマットやシュラフに水が浸透してきた。
 夜、強雨がテントを叩き、強風でテントが傾く度に眠りから覚め、又寝入る、をくり返した。

15日 朝、キャンプ場を流れる沢は増水して激しく水が流れているが、水場口からは水が流出していなかった。幸いに、昨夕汲んだ水が十分残っていたので今日の行動に差障りないだろう。雨の中撤収し出発したときは、十数張あったテントの最後であった。
 今日は、鳶山~越中沢岳~スゴ峠~スゴ乗越キャンプ場のコースである。途中、抜き、抜かれつつした石川県からの単独行の青年に携帯電話カメラを渡して、シャッターを押してもらったり、ガイド付き登山者群とすれ違ったり、雷鳥を見たりしたが風雨と霧の稜線道の登り下りに終始した。14:30にテント場に着く。ラーメンの夕食後、雨が上がることを思い願いながら寝袋に入った。

16日 昨夜見た星空に、今日の晴れを確信しての出発である。間山で霧が晴れてアルプスの絶景を垣間見た。北薬師岳では陽射しを浴び、テントを干し広げたい気になる。そこから薬師をバックにと携帯電話カメラを出したところ、画面の中が水滴で曇っていた。先月丹波川本流で携帯を水没させ、新替えしたばかりなので"軽くヤバイ"事になったと悩むが、電脳関係は手の出しようがないと腹をくくる。
 11:06、薬師岳登頂を果たす。早速"上ノ廊下隊"に連絡を取ろうと携帯を開けるが"圏外"が出てきてメールも打てない。残念!FOMAは通じず?明日三俣山荘で会えるかも知れないと考え連絡をあきらめる。
 山頂では山岳同定をし、大パノラマを楽しみ、1時間以上の昼食休みをとる。もし間山から薬師の稜線で風雨にあったら、逃げようがなく相当のエネルギーを奪われ、困難な状況になると思うと、今日の天気に感謝である。
 薬師からの下り、東南稜の分岐で岩に挟まった靴を捻って外そうとしたら、靴底が剥がれてしまった。愛用のザンバラン靴がバランバランになったら大変と薬師岳山荘に駆け込み、修理の可能性を尋ねたところ、若い人が釘と針金で器用に修復してくれた。
修繕され三日間耐えた山靴  あと三日ある縦走を断念しなくて良さそうである。帯包(おびかね)さんありがとう。山荘でビールと絵葉書を買って薬師峠に下った。キャンプ場整備中の薬師峠に14:09着。近くに幕場がないので今日はここまでとし、黒部五郎を仰ぎ見られる方向にテントを張った。

17日 6:12幕場をスタート、従業員がラジオ体操している太郎小屋で、主人五十嶋さんに、山靴を修理してもらったお礼と五色ヶ原山荘でビール代をボラれた報告をする。又奥黒部ヒュッテからの情報があるかを聞いたところ、14日に3組入ってきたが、一組だけ入り2組は帰ったとの情報を得る。
 もしかして連絡を取れるかもしれないという事で、今日は黒部五郎ルートを変更して、薬師沢経由で三俣山荘へ行くことにした。薬師沢小屋でメッセージを残し、雲ノ平への急登を喘ぎ、奥の日本庭園で休む。ワタスゲの群生があり、原生の原と穏やかな天気に心も和む。祖母岳(アルプス庭園)に寄って雲ノ平山荘に着いた時には13時になっていた。
アルプス庭園で感動した  視界はあるが雨がパラついてきたので先を急ぐが、黒部源流への下りと三俣への上りでバテル。雨の中三俣キャンプ場に着く、16時であった。今夜は予定通りに三俣山荘に入る。公衆電話で会と連絡を取ろうとしたが、通じなかった。小屋の人たちと話をし、伊藤新道が使える感触を得た(*)。そしてエビフライの夕食を戴いて、いびきに悩まされた一夜を過ごした。

18日 朝、シルエットの槍ヶ岳をバックに写真を撮ってもらい、山荘の主伊藤正一夫妻と話をし、5:50に出発した。
三俣山荘の主伊藤さんと  水晶小屋への途中、志水哲也ガイドと共に上ノ廊下を変更し、東沢谷を遡行してきた一人から、上ノ廊下は遡行できる状況ではなかったことを聞き、中止したであろう"上ノ廊下隊"に安心する。
 あこがれの水晶岳山頂に着くとガスに囲まれ視界が得られず、記念写真を撮って真砂岳に向かう。

 昨日までの疲労と昨夜の浅い眠りで、調子が出ない、裏銀座の歩かれている道も足が重く予定より1時間余計にかかって、竹村新道との分岐に着いた。今日は野口五郎のキャンプ場でゆっくりしようと決めて、湯俣下りを変更する。ところが野口五郎小屋に着いたら、キャンプ場は16年から廃止になったので素泊まり5,500円ですと言われた。ちょっとヤナ気がしたのと、天気も好くなってきたので烏帽子まで頑張ることにした。去年の5月に幕営した場所(三ツ岳を超えた高瀬ダム湖が眼下に見える)にテントを張って見たが、夏期はキャンプ指定地ではないという事が引っかかって、撤収し、烏帽子キャンプ場へ疲れた足を動かした。
 18:15烏帽子小屋着。小屋の衛星電話で"上ノ廊下隊"と自宅に連絡が取れ一段落する。ビールと水を仕入れてテントに入ったら、ジワーと心地好い感情が込み上げてきた。無意識に内側から出てきたモノだった。それは達成感、安堵感それとも疲労感?言葉で表わせない、甘い喜びであった。

疲れが溜まっていた日の山頂 19日 朝、ゆっくりした後、ブナ立尾根を2時間18分で下った。途中大汗をかいて登ってくる5人パーテーが大きなリュックを担いでいたので何泊分かきいたところ、2泊3日であった。私のリュックがテント縦走6泊分だと言ったら、その小ささに驚いた様子だった。彼らのリュックには酒がうんと入っているので重たいと言いながら、嬉しそうだった。山上の宴会のための登山も良いのではと思った。高瀬ダムに注ぐ濁沢に架かる吊り橋は流されていて、臨時の丸太橋が架かっていた。ダムからタクシーで大町に出て、小林と仁科の2軒のそば屋でもり蕎麦を3人前食べ14:04のあずさで帰京した。

*三俣山荘から尾根伝いに、展望台を経て赤沢まで下り、あとは湯俣川を20回ぐらい渡渉して湯俣温泉に行き着く。小屋の人たちは毎年の閉山後、伊藤新道を使って下るとの事。今後、志水哲也ガイドが、上ノ廊下遡行後、伊藤新道を使って下山する計画を立てるとの事。
登りも含め、沢に水量が少ない時の利用が好ましいと考える。


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