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春山合宿 剱岳北方稜線縦走
金子 隆雄

山行日 2006年4月29日~5月6日
メンバー (CL)金子、(SL)高橋(俊)、小幡、高木、橋岡、山崎

 やっちゃいましたよ剱岳北方稜線全山縦走。北方稜線数々あれど剱の北方稜線は別格だろう。この北方稜線には過去に二度、1992年と1993年に挑んだことがある。季節は今回と同じGWだ。一度目は深いラッセルと藪に阻まれて毛勝山まで5日もかかってしまい、剱までの縦走は断念してブナグラ乗越から馬場島へ下山した。翌年は前半を省略して毛勝谷から直接毛勝山へ上がり剱まで縦走し黒四ダムへ下山した。2回合わせれば一応全ルート走破したことにはなるが今一つ満足感が得られないままだった。
 今年は雪が多く藪も埋まっているだろうし、長い休みも取れるので絶好のチャンスとばかりにまたしても全山縦走を企てたのである。早い段階で計画をたてていたのでメンバーの確定や準備はスムーズに進んだように思う。
 28日の急行能登で上野駅を出発。混んでいるだろうと思い、早めに行って並んだが私の前に並んでいるのは一人だけ、全員余裕で座っていくことができた。

4月29日 快晴
 魚津で乗り換えて宇奈月温泉で下車。宇奈月温泉で下車した登山者は我々だけだった。駅前の小さな広場で荷物を広げて共同装備の振り分け、パッキングのやり直しをして準備を整え7:35長い縦走へと出発する。雪の消えたスキー場を直登し展望台へ向う。展望台の直前から雪が出てくる。展望台には平和の像という巨大な観音像が建っている。この先林道は雪に埋まっているので山道を行く。途中藪を掻き分け再び林道に合流すると僧ヶ岳第一登山道入口の道標があり、ここより宇奈月尾根へ取り付く。10分程で今度は僧ヶ岳第二登山道入口の道標が現われる。
 眼下に青々とした黒部川のダム湖を見下ろしながら快晴の空の下快適な登高を続ける。気温が高い割には雪は程よく締まっていて潜ることもなく快適だ。
宇奈月尾根を登る  しかし、いつものことではあるが元気がいいのは午前中だけで午後になるとペースが落ちてくる。夜行で来た初日はどうしても寝不足などで調子がでないのは仕方ないことだ。バテバテになる者、足がつってしまう者などもでてきたので予定していた僧ヶ岳までは半分程しか来ていないが早めに行動を終えることにする。1431mピークを過ぎた辺りに幕営する。
 テント設営後に荷物を整理していて重大なことを思い出してしまった。今日は出番がなかったのですっかり忘れてしまっていたのだが、アイゼンを靴に合わせていなかったのだ。普段使っていた靴が富士山の雪訓時にとうとう壊れてしまって今回は違う靴を履いてきていたのだ。家を出る前に合わせなくちゃと思いながらも忘れてしまっていた。調整するには工具が必要なのだが持ってきていない、もしかしたらそのまま合うかも知れないと合わせてみるがやはりダメ。ここで敗退かあ、メンバーにはなかなか言い出せない。しかし、幸いなことに使える工具を持っていたメンバーがいたので調整することができて最初の難関は乗り越えることができた。

4月30日 曇り時々晴れ
 予定通り4時に起床したが、出発までに結構時間がかかり6時半過ぎに幕場を後にする。薄れた記憶では宇奈月尾根はダラダラとしたどうということもない所だったはずだが雪の多さのせいか結構な急雪壁が現われたりする。でもまあまだ標高も低く冷え込みもなかったので雪は適度な柔らかさで見た目ほどの困難さはない。
 僧ヶ岳が見えてくる広い雪原にでて振り返って見れば我々が辿った一筋のトレールが続いており最高に気分がいい瞬間だ。先へ進むと風の影響だろうかその一角だけ雪が消えた場所がある。前回来た時もここには雪がなく初日の幕場にした所だ。緩い雪尾根を登りつめればなだらかな僧ヶ岳山頂だ。ここまで思いの外時間がかかっている。
僧ヶ岳にて  僧ヶ岳からは次のピークの駒ヶ岳がよく見渡せるが細くクネクネと続く稜線は雪庇の張り出しが凄い。これが本当にゴールデンウィークの山なのか、今はまだ3月じゃないのかと錯覚しそうな雪の状態だ。この先は厳しくなるので気を引き締めて僧ヶ岳を後にする。
 とにかく雪庇にだけは細心の注意を払って登高して行く。雪面に大きく亀裂が入り迂回したり、急雪壁だったりで気の抜けない所が続く。僧ヶ岳から2時間半で駒ヶ岳に到着。
 さて今日はどこまで行けるか、出発時は無理と知りつつサンナビキ山近くまで行くぞと言ったが誰も行けるとは思っていない。1769mピークを越えたら幕場を探すということにして先へ進む。毛勝山が見えるようになってきているがまだまだ小さい。1769mピークを過ぎて1時間、稜線上であまり広くはないが整地すれば何とかなりそうな場所で行動を終える。午前中は時々晴れ間も覗く天気だったが今はもう霧雨が降るような天気に変ってきている。

5月1日 曇り後雨
 今日、明日と今山行前半の核心とも言えるルートへ突入する。行程は約半日遅れで進んでおり今日は平杭(へぐい)乗越までは進んでおきたいと昨日よりちょっとだけ早く出発する。
 昨日と変らない気の抜けないアップダウンを繰り返し急雪壁を登り切ると滝倉山に着く。毛勝山が眼前に大きく立ちふさがるようになってくる。ここより方角を変え急下降しコルに降り立つ。コルから登り始めた時私は先頭にいたのだが後から「金子さん、アイゼン片方どうしたの?」という声がかかる。え、何言ってんだあるに決まってるだろうと足元を見ると右足のアイゼンが無い・・・無い・・・。チタン製のアイゼンで付けている感覚がないほど軽いので外れたことに全く気付いていなかったのだ。またしてもアイゼントラブルか、ザックを置いて探しに戻ってみたが見つからなかった。かなり前に外れていたものと思われる。そのためにあまり時間を費やすわけにもいかないので諦めて先へ進むことにする。以後、私はトップを登ることができず最後尾をついて行くことにさせてもらう。
 ウドの頭手前で切れ落ちた所がありコルまで藪の中の懸垂下降となる。少し前からこのコルに人がいるのが認められたがどこから来たのか不思議だった。我々の前には誰もいないはずだし、こんな所を逆ルートで来ることもあまり考えられない。
藪の中の懸垂下降  コルに降り立つと先ほど見えた人は3人の男性パーティで日帰りの小さなザックとスノーシューそれにピッケルという軽装備だった。話を聞いてみるとサンナビキ山へ行く積りでウド谷を登って来たのだという。我々が懸垂で下っているのを見て無理と判断したらしくしばらくして登って来た谷をまた下って行った。地元の人達のようだが我々には考えられないようなことをするんだなと半ば呆れると共に感心もしてしまう。
 コルからはまた急雪壁を登ることになる。午前中なんとか持ち堪えた天気もウドノ頭に着く頃から崩れて雨となってきた。西谷ノ頭から下降しもうすぐ平杭乗越という所まで降りたが雨が本格的になり視界も利かなくなってきたので変な所へ降りてしまったらまずいと思い行動を終えることにした。なるべく平らな所を見つけて整地してテントを張る。小幡は雨にも拘わらず今日もトイレ作りに没頭している。

5月2日 雨
 昨日からの雨は今日も降り続いており、本日は停滞と決定。テントの中に水が溜まり、低い所に寝ていた小幡は浸水状態で朝を迎えたようだ。停滞もいい休養になるが雨のために外に出られずテントに閉じ篭もっているのはかなり辛い。俊介が停滞用にと持って来たトランプに興じる。
 今日の停滞で行程はまる2日遅れとなったが予報では明日から晴れる日が続くようなので問題ないだろう。

5月3日 快晴
 起きてから出発までに結構時間がかかるので今日から起床時間を早めて3時起床とした。予報通り今日は快晴で朝焼けに染まる毛勝山が見事だ。早起きの甲斐あって今日は6時前に出発することができた。
 平杭乗越は目と鼻の先だった。出発してわずかで平杭乗越に到着。ここから長い毛勝山への登りになる。地形図の2028m付近で一旦傾斜が緩くなるので長めの休憩をとる。この先、天国への坂道と呼ばれる標高差400m近くの急傾斜を一気に登らなければならないので行動食を食べキジをうち万全の態勢を整える。
天国への坂道を登り始める  天国への坂道は登るにつれ傾斜が強くなり、真っ直ぐ登れなくてジグザグに登らなければならない所は片足アイゼンの私には特に辛い。最後尾でステップがあるとは言えトラバースはかなり緊張する。登っても登っても終りがないような長い斜面を登り詰め、ようやく傾斜が緩んでくるがまだ山頂ではなく肩のような所に出て一息入れる。北西尾根上に毛勝山を目指して登っている人の姿が認められる。更に100m程登ると毛勝山南峰に到着。南峰には三角点があり壊れた山名板があった。
毛勝山南峰にて  毛勝山へ登ったことで全行程の約半分をこなしたことになり先の見通しがたってきて気分的に楽になってくる。ここからしばらくは難所もないので稜線漫歩を楽しめるだろう。緩い稜線で続く北峰を越え、だんだん大きくなってくる剱を正面に見ながら釜谷山、猫又山を越えてブナグラ乗越への下降に入る。猫又山からしばらくは尾根の形状を呈していないので適当に斜面を下降して行くとだんだんと尾根状になってくる。今年は前2回の時とまるっきり様子が違っていて別の場所に来たような気がしてしまう。普段は懸垂などしないような所でも懸垂しないと降りられないような所も出てくる。コルへ降りる所はいつものように懸垂での下降となる。
 ブナグラ乗越から少し上がった所を今日の幕場とする。天気が良く日が落ちるまでまだだいぶ時間があったので昨日、一昨日の雨で濡れた物を全部広げて乾かす。ブナグラ谷を見下ろせば谷は雲に埋まって幻想的な風景を作り出している。

春山気分満喫

5月4日 快晴
 今日の行程は長いので今日も3時起床。出発も昨日より10分早い。先ず目指すのは目の前にどーんと控えている赤谷山だ。赤谷山までの尾根は広く近そうに見えるがなかなか辿り着かない。2時間弱を費やし直下の急雪壁を登り切るとなだらかな山頂に到着する。ここまで登り一辺倒だったがこの先は何度もアップダウンを繰り返すことになる。次の白萩山までは高低差はそれ程ないので楽だ。白萩山は地形図には名前が載っていないが2269mピークのことだ。赤ハゲへは緩く下って登り返す。赤ハゲから先は尾根も細くなってくる。白ハゲからは大窓へ向け一気の下降となる。最後は傾斜が急で少し離れた灌木を支点に斜めの懸垂下降で大窓に降り立ち大休止とする。
 大窓は左の小黒部谷側に大きく雪庇が張り出している。小黒部谷を登ってくるスキーヤーも見える。池平山へ向けての登りはかなり急で正面の雪壁は大きな亀裂があって越えられそうにない。やや左寄りの露岩帯を登っている二人パーティがいるが嫌らしそうでかなり苦労している様子だ。我々はこの露岩帯を避けて更に左の急雪壁にルートを取ることにした。俊介君トップでザイルを使って登る。順番を待っている時、雪庇の崩壊があったが下にいたスキーヤーまでは届かず影響はなかったようだ。ザイルで1ピッチ、更にノーザールで少し急雪壁を登り右の藪に入ると下から夏道が続いていた。最初から右側の藪に入ればこの夏道を使えたようだった。これは私の判断ミスだったようだ。
 この先は更に急になり凍っている所もあり慎重に登る。こういう所は片足アイゼンでは辛い。登り着いたピークは池平山ではなく池平山はまだまだ先だった。あー溜息がでそう。
なかなか近づかない池平山  気持ちのいい雪稜を辿って2561mピークから下って池平山直下のルンゼに入る。急傾斜なためロープを使う。後続パーティはノーザイルで登ってきたが、最後尾の新人らしき人は怖い怖いを連発していた。大窓から4時間以上を要してようやく池平山へ辿り着いた。
 池平山から小窓へ向け緩く下って行き2505mピークから懸垂した所に平で広い場所があったので行動を終えることにした。あと少しなので小窓まで行きたかったが、皆疲れているしこの先には懸垂もあり、小窓に着く頃には暗くなっているかもしれないので止めておくことにした。今日はとても疲れた一日であった。

5月5日 快晴
 今日も快晴、順調に行けば今日は剱に立てる日だ。出発して間もなく懸垂となる。ハイマツを支点に40m降りたが下まで届かず途中から急斜面をクライムダウンする。丁度1時間で小窓に到着した。
 小窓からは一旦小窓尾根に上がらなければならないが、先行者のステップがあるとは言えかなり急で辛い。昨日までずっとトップで頑張ってきたサブリーダーの俊介君が今日は体調が悪く遅れがちになる。
 小窓尾根上をアップダウンを繰り返し小窓ノ王の下からは懸垂となる。2ピッチの懸垂で降りたが2ピッチ目でザイルが回収不能になり登り返すことになる。せっかくなので三ノ窓へ立ち寄ってみる。チンネにはほとんど雪が付いていなくて登攀中の人が見える。久しぶりに来たが何も変っていない、変らないのが山の良さなのかな。
 三ノ窓からトラバースして池ノ谷ガリーへと入る。下部はステップもしっかりしていて登り易いが、登るにつれ傾斜も増し雪も硬くて何度も蹴り込まないと安定しないので脹脛が悲鳴をあげる。長い池ノ谷ガリーを登り切り傾斜が緩むと池ノ谷乗越だ。長次郎ノコルまでは八ツ峰を見下ろしながらの稜線歩きとなる。雷鳥が出迎えてくれる。
お出迎えご苦労  長次郎ノコルからは急雪壁となり雪の付き方によってはザイルが必要になる場合もあるが今回は必要なかった。急雪壁を登りきってわずかで待望の剱岳山頂だ。今年は雪が多く祠も雪ノ下だ。山頂を示すのは間に合わせの一本の杭だけだ。いやーー長かった、7日目にしての山頂だ。剱には何度も足を運んでいるが山頂に立ったのは数えるほどしかない。居合わせたスキーヤーにカメラのシャッターを押してもらう。そのスキーヤーは山頂から池ノ谷へと滑り込みあっという間に見えなくなってしまった。今年は雪が多いのでスキーには絶好のコンデションなのだろう。
剱岳山頂にて  下山は黒四ダムへ降りる計画だったが俊介君の体調が回復しないので早月尾根から馬場島へ降りることにした。早月尾根は正月に一度登下降したことがあるだけだが問題はないだろう。途中一回懸垂したが後は特に問題となるような所はない。遠くに早月小屋が見えてくると頭の中は一気に下山モードになってくる。早月小屋はまだ半分雪に埋まったままだったが営業していた。連休も終りに近いためかテントの数は少ない。
 俊介君と高木さんは小屋へ泊ると言うので今日は一張りだけテントを設営する。今日はキジ場作りができないため小幡は暇をもてあましブロック積みを始めた。そんなの必要ないっていうのに。もう予備日に入っているので食糧も乾物くらいしか残っていないが山崎さんが色々工夫して作ってくれたので満足のいく食事ができた。小屋で酒も買えるのでこの夜は大いに盛り上がり寝たのは23時過ぎだった。

5月6日 晴れ
馬場島にて  小屋へ泊った二人と7時に待ち合せ下山開始。ただひたすら下るだけだが標高が低くなると雪が腐って歩きづらい。約2時間半で馬場島に到着。馬場島も雪だらけだ。派出所に立ち寄って下山の報告をしてから客待ちしていたタクシーで上市へ向う。とりあえず風呂だということでアルプスの湯へ直行。
 上市から魚津へ出て締めくくりに何か旨いものでも喰おうと緑の窓口で情報を仕入れて向うが遠いこと遠いこと。遂に海へ出てしまった。海岸をプラブーツで歩いているなんて何て不釣合いな光景なんだ。辿り着いた所は観光客でごったがえすところで、おまけにこれは外せないなというメニューは売り切れでがっかり。しかたないので先ずは生ビールで乾杯、適当なものを食べて帰る。
 締めくくりは何だかなぁという感じではあったが充実した1週間であった。

〈コースタイム〉
29日 宇奈月温泉発(7:35) → スキー場展望台(8:40) → 幕場(1450m)(14:15)
30日 幕場発(6:45) → 僧ヶ岳(10:10) → 駒ヶ岳(12:40) → 1769P(13:40) → 幕場(14:40)
1日 幕場発(6:20) → 滝倉山(10:15) → ウドノ頭(14:05) → 幕場(平杭乗越)(14:40)
2日 停滞
3日 幕場発(5:50) → 毛勝山(10:00) → 釜谷山(11:20) → 猫又山(12:30) → 幕場(ブナグラ乗越)(14:50)
4日 幕場発(5:40) → 赤谷山(7:30) → 白萩山(8:00) → 赤ハゲ(8:50) → 大窓(10:55) → 池平山(15:50) → 幕場(小窓の手前)(16:30)
5日 幕場発(6:15) → 小窓(7:15) → 三ノ窓(10:55) → 剱岳(13:15) → 幕場(早月小屋)(15:40)
6日 幕場発(7:10) →馬場島(9:30)

――― メンバーからの一言 ―――
小幡信義

 宇奈月温泉から剱岳まで、途中停滞日を1日入れ7泊の長い長い縦走でした。早くから金子さんが北方稜線のリーダーを名乗り、この山に対する意気込みを感じました。合宿の楽しみ、北方稜線に行けるんだと言う喜びで待ち遠しい日々でした。
 6名全員無事に完登出来た事は大変素晴らしいことだと感謝しております。
 私なりに感じましたが完登出来た要素は、
(1) 綿密なる登山計画
(2) 女性2名による食料計画(1週間分の食料、かなりの重量になるのでは、又メニューも何を持っていけば良いのか迷ってしまうのではと、私なりに心配しておりましたが、毎日が楽しみの夕飯が喰えありがとうございました)
(3) 行動中、常に先頭に立ち5人を引っ張ってくれたサブリーダー俊介君
(4) メンバー全員がそれぞれの役割を持ち剱岳まで何とか行きたいという強い意志があったのでは...。
 以上、私なりに思ったことを書きましたが、これからも山に対しチャレンジの気持ちを忘れず、メンバーは仲良く、楽しむ山行をしたいと考えます。
 リーダー本当に御疲れ様でした。

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山崎邦子

 剱岳北方稜線縦走は、あらゆる意味で私の山行履歴の中で過去最大のイベントでした。6泊以上のテント縦走は四季を通じて初、しかも登攀要素のある雪山バリエーション・・・。一般ルートの雪山縦走しか経験はなかったのでエントリーするのにも躊躇しましたが、高木あっちゃんの「邦ちゃんが参加するなら心強い」との一言に背中押されて(多分、食当としてでしょうネ)、"ダメ"出しされるのを覚悟でリーダーに申し込み。これが酔っ払っているスキを狙ったのが良かったのか、難なくOK。行く前から予想はしていたものの、行ってみたらやっぱりハードでした。毎日何かしら核心部があり、いろんなことが初体験で(ヤブの懸垂下降、足がつかない空中懸垂、急斜面の背面下りも怖かった!)、どちらかというと体力面より精神的疲労が大でした。
 そんな私が無事完全縦走できたのも、ひとえに強力なメンバー面々の助けがあったからです。リーダー金子さんと小幡さんは見事な食べっぷり&飲みっぷりで、日が経つにつれてどんどん元気になっていくのには驚きました・・・。いろんな箇所でフォローして頂きありがとうございました。サブの俊ちゃんは難所のトップ&リードをバンバンやってくれてお疲れ様でした。橋岡さんも登りガンガンで頼もしい限り。あっちゃんの食糧計画はバッチリで皆のパワーの源になりました。叱咤激励もありがとう。とにかく、みんなが単なる酔っ払いではなく「やる時はヤルんだ!」と改めて見直しました。みんな凄いよ、カッコ良かった!
 自分的にはアイゼンやマットなど道具類の不備があり、これが雪山バリエーションでは大きなリスクとなりパーティに迷惑をかけることになると勉強になりました。道具は大切ですね。今後に生かしたいと思います。今度は秋、紅葉の美しい時季に、長次郎谷か源次郎尾根を登って剱岳から北方稜線をたどり、池ノ平から仙人池方面に抜けるルートに行ってみたいと思っています。GWに歩いた三ノ窓~池ノ平山を無雪期にルートを再確認しながら歩いてみたいのです。ただ、やっぱり単独やリーダーでは行けないなぁ・・・どなたか興味のある方がいたら、ぜひご一緒に!

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橋岡崇史

 今回の山行、三峰の山行としては前回から1年2ヶ月ぶりである。なんと長い空白が空いてしまったのだろう。でも久しぶりに出席した大集会で、思いがけず多くの方が私が来たことを歓迎してくれたのだった。そして、連休に剱岳北方稜線に行くという話がトントン拍子に進み、私の調子よさも手伝って、めでたく参加できることになった。最後にやってきて、おいしいところをさらってゆくね、と言われたけれども、ハイエナかトンビのように見えたのだろうか?でも確かにそうかも知れない。三ノ窓?の下降にはロープ使います。と書いてあったので、ロープを使うのは1箇所だけで技術的には楽なのだろうと勝手に思いこんでいたのだが、甘かった。
 初日早速足がつってしまった。先が思いやられたが、幸い足をつったのはこの日だけで済んだ。それからも毎日朝出発するときは、今日はきっと楽だろうと予想して歩き始めるのだが、「楽だった~!!(は~とマーク)」というような日はなかった。
 停滞日前日の雷雨の夜には、来たことを後悔した。雷に打たれてこのまま死んでしまいたくない~という歌がでたような、でてないような。無事に生きて帰らなくては、と悲壮な決意を持って酒を飲んだが、歌い始めると忘れてしまえるのはやっぱりいつものことです。
 一番印象的な瞬間は、停滞日の夕方、ガスが晴れて毛勝がその姿を現した時だった。今まで全く見えなかった景色の中にこんなに素晴らしい山が隠れていたとは!
 一番思い出に残っているのは、翌日の毛勝の登りだった。通称「天国への階段」と呼ばれているそうであるが、階段はなかった。 自分たちで階段を作らなくてはならないのだった。きつい登り、レッド・ツェッペリンの曲も聞こえてこなかった。でもトップの小幡さんが7~10回くらい蹴りこみ、足を置きやすいように大きな足場を作ってくれたおかげで、安心して登ることができた。それは涙がでるほど嬉しいプレゼントだったのだ。
 金子さんはアイゼンの片方を無くしても、余裕の登りだった。
 シュンスケ氏はトップをガンガンしてくれた。
 山崎さんと高木さんはすご~いたくさんの種類の食糧を持ってきてくれた。
 私はあまり何もしなかった。でもハイエナはそんなことを気にしないだろうから、まあいいか。次はハイエナではなくイリオモテヤマネコくらいには(希少性で勝負?)なりたいものだが。(でも実はハイエナってかわいい動物ですよ)
 最終日、早月小屋から尻セード(穴が所々あいていて実は結構危ない)しながら、改めてこの長い距離を歩き通したのだなあという満足感がフツフツと湧いてきた。タクシーに乗ってぐんぐん新緑の中を下ると、雪にしがみついていた時間も遠い思い出になっていった。
 北方稜線に行けて本当にヨカッタです。金子リーダーをはじめ、メンバーの皆様ありがとうございました。


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