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栃川・曲り沢
越前屋 晃一

山行日 2006年9月2日~5日
メンバー 越前屋(単独)

 今年06年梅雨の7月末に提起した例会山行の時は、この冬の豪雪といつまでも明けない長い梅雨の影響だったのだろうか、増水で下流部の栃川の遡行もかなわず、平太郎尾根を登り4合目から藪を漕いで平太郎ゾネノ沢と白岩沢の出合・二俣に下降した。5人のメンバーでの入山だったが、20m2段柱状節理の滝の高捲きにてこずった挙句、雨にたたられ無念の撤退となり、いかんともしがたい消化不良感を残したままになった。
 冒頭に一言ふれておきたいのだが、ことさらに私は「リベンジ」という言葉を使うことを避けてきた。登山で使われている「リベンジ」とは「雪辱」という意味あいなのだろうが、もうひとつの「復讐」という意味に何故かひっかかる違和感を覚えていた。これはあくまでも個人的な感覚なのだろうが、自然にはいつも謙虚に対峙していたい、そんな願いからである。
 再戦にとって時期的なタイミングはちょうど良かった。夏の暑い日ざしもそろそろやわらぎ、雪や雨の影響はもうなくなっているだろう。まだまだ、日も長く行動時間にも余裕があるはずだ。この時期をはずす手はなかった。

 9/1 今夜は前回と同じ栃川温泉休憩所跡の廃屋の前に車を止めて仮眠をとる。前回は津南の町のはずれで夜間通行止めにあったが、今夜は警備員もいなく通行止めになっている405号線の最終地点のここまで入ってくることが出来た。夜間工事のない日はOKということなのだろう。
 9/2 5:40。朝の光を受けた鳥甲山を見ながら林道に入る。15分ほど平坦な林道を歩くと栃川に出合う。水量は確実に減っていた。渡りようによっては飛び石づたいに靴を濡らすことなく、対岸に行くことも可能なようにも思われた。しかし、林道の先に目をやると7月末にはなかった橋がかかっている。「上の原地区の工事用の仮橋だから自己責任で渡ってくれ」という趣旨の看板が立てられているが、もともと登山は自己責任だ。有難く使わせてもらうことにした。
 対岸に渡って、2つの堰堤を右に見て3つ目の堰堤の手前から沢の身支度を整えた。前回敗退したルートに単独で入るのだから緊張しないわけがない。8ミリ30mmロープ、レッグループ・ハーネス、アイスハンマーその他、基本的なものは全て持ったといって良い。
 3つ目の堰堤は左の石積みから越えた。降りたところに捲き道の降り口があったから、捜せばあるのかもしれないが、さっさと石積みから越えたほうが早いようだ。
 7:06。右岸から滝(8m)を落とす沢を見て、まもなく栃川の大滝が現れる。ここを20mほど戻ると左岸を高捲く踏み跡があった。この捲き道が終わるところに落ち口の辺りに降りるようにトラロープがある。つり人の用意したものに違いない。踏み跡もしっかりしているこの辺りまでかなり人が入っていると思っていいだろう。
 この先は3m~5mの滝が次々と顔を見せるが、どれもすんなりと越えることができる。光を受けて、沢は輝いている。このあたりは、栃川の真骨頂といったところだ。
 9:40。平太郎ゾネノ沢と白岩沢の二俣に。きれいに1:1に分かれているがここを右に行くと白岩沢だ。直ぐ入口に2mの小滝があるがここは釜が深く小さく右に捲くと真正面に10mの垂直の滝が落ちている。一瞬、こんなのは登れないヤバイと思ってしまうが白岩沢はそのまま左にカーブしている。次の3m滝も釜が深く右岸からあっさりと捲く。続くトイ状のナメ滝はこの沢の名前の由来ではないかと思われる白いスラブに溝を切った美しいところである。
 10:20。前回ここを越えたところで返された20m2段柱状節理の滝に到着。もちろん直登は無理なので右から捲くことになるが、これが意外に手強い。前に苦労している分、緊張感が・・・。幸いなことに泥壁が乾いていた。ここのために持ってきたアイスハンマーも有効だった。2段滝を一緒に捲いて沢床に降りたところが落ち口である。
 そのまま進んだところに、3mほどのいずれも深い釜をもったスラブ状の滝が待ち構えていた。3段なのか4段なのか下からも上からも確認が出来なかった。7月末の遡行の際はここから滝が吹き上げていた。その水量を見て帰る決断をしたことを思い出した。残念だがこのつるつるのスラブを登ることは到底不可能だった。戻ってこんどは左の潅木まじりの草付きを高捲く。ここでもアイスハンマーが活躍してくれたが、最後の下り2ピッチは掴む潅木がなくなり、懸垂下降になった。
 沢床に降りてチョックストーンの滝がしばらく続くとようやく曲り沢に出合う。13:50。15mの滝が真正面にある。ほぼ同じ位の落差の滝が連続していた。ここを右に曲るところが曲り沢なのだが、こちらもやはり15mの滝が・・・。しかし、この滝を単独で登るのは正直なところ無理がある。あるいはビレイヤーがいたとしても困難だったかもしれない。考えあぐねた末、すぐ下のルンゼから登ってみたがやはりだめだった。結局、ルンゼの左壁から岩峰に取り付きルンゼ側にかすかな可能性を見たが、ぎりぎりのところで先が見えなくなってしまった。ここでの冒険はあまりにもリスクが大きく、ここからの攻略は断念せざるをえなかった。時計は16:20を指していた。2時間半もの間、ここでもがいていたことになる。おそらくこれ以上あがいても今日中に新たな展開は期待できないだろう。
 ここまで上がってしまえば、余程のことでもないかぎり増水して危険な状態に堕ちることもないはずだ。なるべく高いところにテントを張って、今夜は明日の作戦を立てることにして、全ての行動を打ち切ることにした。簡単な食事をすましてから、地形図とにらめっこをして出した結論はこうだった。
 このまま、ここを突破する力は自分にはない。それでは撤退して白岩沢を下降するか。しかし、いまいちど、草付きのトラバースと下降も安全とは言いがたく、遡行時以上の困難が待ち構えている可能性の方が大きいのだ。
 結果的に出た結論はこうだ。少し下流に下りて高捲くことのできるポイントを探す。それが出来ない場合は最大限の安全策を取りながら撤退下降の道を選ぶ。
 地形図を検討するとルンゼをはさんで一本の尾根が走っていた。これに乗って適当なところでまた曲り沢に降りるという作戦でいくことにした。
 9/3 5:35 テントをたたみ昨日の岩峰をうらめしく見上げ、高捲きポイントを求めて動き始めた。やはり、捲くことの出来そうな場所があった。獣道かもしれないがかすかな踏み跡のような感じがしないでもない。昨日の岩峰の下にあった草付きを踏んで左右に行ったり来たりした跡からの推測だか、極最近、ここに誰かが来ていた可能性が全くないとは言い切れないのだ。
 傾斜は次第に強まってきた。潅木と木の根を捜しながらの登りになるが、ここでもアイスハンマーが威力を発揮してくれた。しかし、足下の土は部分的にだが岩に乗っているだけでズルズル滑るところもある。
 トラバースのチャンスを狙うのだが、どこも良い展開が考えられるところがない。追い上げられるように、登っていくと末端に岩を付けた尾根に乗った。
 大岩山から派生している尾根だ。とりあえず、この尾根を登っていくしかないのだ。今までの全身を使った体力まかせの這いずるような登りから解放された安堵感は束の間だった。
 このヤセ尾根から曲り沢に降りることはどう考えても無理なのだ。地形図には出てこない谷が間にあった。おまけに、沢に降りられることを前提に登ってきたのだから水は一滴も持っていない。こんなときに限って空はピーカンだ。
 13:50。尾根から湿原の台地が見えた。あそこを目指せばよいのだ。だが、谷には降りられないまま1800m付近まで高度を上げてしまった。大岩山をトラバースする格好でこのまま一気に天狗の庭の最上部に上がることも考えたが、何にしても水が一滴もないのはつらすぎた。水といえば笹の葉に乗った露をなめるようにすするだけだ。
 しかも、濃い潅木交じりのチシマザサの藪を漕いでいるから、いっこうに前には進まない。やむを得ず天狗の庭の基部、曲り沢の源頭を狙うことにした。
 そこまで行けば水が手に入る。そこでビバークをすることにしたのだが、予備日を取っていなかったことに気がついた。あわてて携帯電話をザックからひっぱりだして会に連絡をとってみた。まさかと思っていたが、電話が繋がったのである。あやうく、救助騒ぎになるところであった。山行届けを出すときにうっかりして予備日を申請しなかった。こうした事態は充分に予測ができたのだから失態であった。
 下降気味のトラバースではあったが、チシマザサの下降は滑るので気を使う。それでも高度を下げると下草の付いた樹林のようになって藪も薄くなっていた。
 そろそろ、という頃に水を飲みに降りている獣の跡の濃い道をみつけた。そのまま、高度を下げると、チョロチョロと水の音が、出来ることなら今日中に天狗の庭を越えて稜線に上がっておきたかったが、どう考えても無理な相談だった。まさにヘロヘロといっていい状態になっていた。15:30。
 現在地を確認すると、高度は1650mだった。朝、出てきたテント場が1550mだから「飲まず食わず」で、いや「飲まず飲まず」で一日にかせいだ高度がわずか100mということになる。まさに、トホホである。
 水を飲みに来た獣と鉢合わせをするのもいやだったので、獣道を少しはずした場所にテントを張って、お湯を沸かしてたっぷりと飲んだ。昨日は飲む気になれなかったアルコールを飲むとまだ日も暮れていなかったと思うが、すぐに眠くなってしまった。
 9/4 5:20。今日は水を汲んで出発。これで水を汲み忘れたなどということでもあったら、そいつはもう人間ではないだろう。濃い藪を漕ぐこと、およそ1時間、目の前に天狗の庭の湿原が忽然と現れた。これを見たくて登ってきたのだ。光り輝く湿原にはイワショウブが小さな花をつけて、しかし自信ありげに咲いていた。
天狗の庭  湿原に座り込み、報われるということはこういうことだと思った。もちろん、稜線から降りて来ても同じところに立つことはできる。この喜びを味わうことができるのは下からひたすら登って来た者のみに与えられた特権なのだ。
 湿原はまた藪の中に消えた。しかし、濃い藪をぬけるとまたその姿を見せる。幾度となく、その邂逅は繰り返されたが、その度に歓喜は変ることなく訪れた。
 すっかり浮かれてしまっていた。あとは稜線上の登山道に出て龍ノ峰から平太郎尾根を下るだけのはずだった。
 稜線に近くなったところで、また、池塘のあるおおきな湿原が現れた。なぜか「ここは龍ノ峰だ、そうなのに違いない」と思い込んでしまった。今考えてみると高度が1800mほどなのに龍ノ峰であろうはずがないのだ。とは言っても現実に間違いは起こった。完全な思い込みである。あと少し、もういちど藪を漕げば最短の位置にある登山道に飛び出したに違いない。
 一度狂った歯車は、そのまま回り続けることになった。かすかな獣道が「登山道といっても《山と高原の地図》には上級者コースと書いてある。だからこんなものなのだ」。トラバース気味に平太郎尾根を目指した。そして、トラバースにありがちなことだが少しずつ下りながら進んでしまっていた。
 気がつくと前の方には谷があり、平太郎尾根は谷の向こうにあった。さっきまで正面に見えていた苗場山ははるか東北東にある。
 現在地は1650mまで下っていた。この時点で12:03。この位置から登山道に突き上げるには高度差およそ200m。苗場山のゆるやかな山頂付近の登りは歩いても歩いても高度を上げてくれなかった。もちろん、藪はあいかわらずであった。ようやく登山道に飛び出したのは14:45。この時点での下山は微妙だった。この日のうちの下山もぎりぎり可能だったかもしれない。ただ、すでに1日下山が遅れているので会が動き出してしまう可能性が強かった。それだけは避けたかったが、携帯がどうにも繋がらない。
 この際、会に無事の連絡をとるもっとも確実な方法は山頂の営業小屋に行くことだった。小屋に行けば、衛星電話か何かで連絡をとることができるはずだ。重くなった身体にあと少しと言い聞かせて歩き、ようやく小屋が見えたときは正直なところホッとした気持でいっぱいだった。この状態は、ほぼ遭難、自力脱出と言って良かったからだ。15:50。
 携帯電話は山頂ヒュッテから1分のところにある「見晴台」で繋がった。ぎりぎりだった。やはり会は動き出そうとしていた。失態を詫びて、今夜は小屋に泊まる旨を伝え一段落である。計画段階での届けの提出の仕方があまりにも余裕がなさすぎた。反省しきりである。

 9/5 6:30。朝食を済ませて小屋を出発。出発時点ではガスがかかり視界はよくなかったが、幸い、まもなくすっきりと晴れてきた。ハリケーンが台風に変ったという台風12号の影響もないようだ。平太郎尾根は静かな良い登山道だった。山は、そろそろ秋化粧の準備だ。
 9:40。スタートの車止めに到着。実に、2泊の日程オーバーの山旅だったが、深く反省をしつつ充実した喜びを噛み締めてザックを置いた。

溯行図

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