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白馬岳~清水岳~祖母谷
アルプス別所

山行日 2006年10月7日~9日
メンバー (L)別所、西尾

 久しぶりの夜行電車でのアプローチである。泡盛とつまみに生ラッキョを持ち込んで、皆で飲みながら、話しながら、車上の人となった。同行の西尾さんと車中で乗り合わせた栂海新道行きの道祖土さんには台風一過の秋晴れになるからと話をした。しかし私の身びいき天気予報は、強い低気圧の停滞に打ち砕かれたのである。
 想いは、清水平あたりにツエルト(フライを自分で改造したもの)を張り、中秋の名月に照らされた剱・立山連峰、頚城山塊から上がる日の出、照らし出される紅葉の山肌を稜線上で味わうことであった。

 10月7日 7時前に猿倉を出発する。雨ではあるが、明るくなってくる様子であった。事実、途中で薄日が差す"狐の嫁入り"状態にもなった。しかし大雪渓を登り終え、大岩の下で休息した時は止みそうもなく、本降りになった。
7日 白馬尻からの大雪渓  そこからしばらく登って、避難小屋に入ろうとしたら、中から大人数のパーティーが出てきて、"降りる"と言って下っていった。そのパーティーは5名ずつぐらいに分かれて、ガイドらしき人に引率され、我々とは前後して白馬尻から登ってきた人達であった。"此処まで登って来て、降りるのはもったいない、頂上小屋の方が近いのに"と小屋で休憩している人たちと話したりした。彼らはツアー登山で、ガイドの決断だと思った。←後のことを思うと正解だった。
 13時過ぎ、村営頂上宿舎の"テント泊受付"とある扉を開けて入り、ほっと一息ついた。外は、登り出しの白馬尻付近の見事な紅葉とうって変わって、烈風雪になっていた。受付のお兄さんから"テントは無理、風に飛ばされて張れませんよ、張れてもいずれ小屋に逃げ込むことになりますよ"と言われた。
 我々は下の避難小屋でツエルト泊は無理そうだから、小屋に入ろうかと話していたので、すんなり"泊ります"と返事した。事実、雨は霙そして吹雪へと変わった、この谷間の詰めのワンピッチはびっしょりの毛手袋の中で指を丸め凍傷を凌ぎ、吹雪に顔をそむけた。稜線に出たら、風に飛ばされ動けず熱を奪われ、ひとたまりも無い状況に追い込まれると思った。
 13時半、宿舎に避難し、乾燥室に濡れ物を持ち込んだ。びしょ濡れのものが全部乾くだろうというツエルト泊ではありえない幸せ感に、ビールを戴くという小屋泊まりのありがたさを味わい、居合わせた登山者とストーブ回りで雑談し、時を過ごし、早めの夕食とした。そして遭難事件が発生した。
 17時半、山頂直下の白馬山荘から一人の小屋番が連絡に来て、遭難者救助を宿舎側に要請した。宿舎側からすぐ2名、その後数名の捜索隊が出て行った。
 18時過ぎ、2名の遭難者が連れて来られ、低体温症の女性2人を乾燥室と談話室のストーブの前に寝かせ、我々と同じく足止めをされていたニュジーランド人女性と30代の女性が添い寝して介抱に当った。当初、宿舎内は慌ただしかったが、みんなが協力してことに当り、遭難者も落ち着いて来て、快方に向っている様子になり、一段落した。
 外のブリザードは止みそうも無く、明日の天気予報も低気圧が停滞するとの発表なので、数日の停滞を覚悟する。この遭難はニュースになると思われたので、会に携帯で中間報告をした。我々は部屋にもどり、何が起こったのか把握しようと話し合ったが、現場に居るのにもかかわらず、情報が断片的だったので、あまり整理できなかった。翌日のTVニュースで全容を知ることになった。

8日 夕食後の宿舎内  10月8日 昨夜は落ち着かなかったので寝られないかと思ったが、いつの間にか寝入っていた。目を覚ますと、ブリザードが宿舎を通り過ぎて行くときの悲鳴が耳に入る。天気は良くなっていなかった。持参の朝飯、行動食、晩飯を調理して食し、一日が終わった。晩には今日が小屋閉めなので、素泊まりの我々にもケーキが振舞われた。
 10月9日 夜中過ぎに無風になり、星が出た。朝、西尾さんに促され、カメラを持って稜線に出る。ドピーカン、日の出を拝し、劔から槍の景観を見に、丸山まで登る。そこには360°の大パノラマが広がっていた。それも初冠雪の景色である。
 毛勝三山が雪を抱き、遠く白山にも雪が付いていた。白馬山頂への斜面上から見える雪倉岳は雪がベッタリ、その向こうの朝日岳はまばらに雪が付いていた。しかし富山湾方面は靄って見えなかった。

宿舎の前から杓子岳丸山にて 毛勝三山をバックに

 朝日が旭岳に当たり始めた頃、救助ヘリコプターが上がって来た。それを追うように、NHKのヘリ、他のヘリが飛来し、全部で5機のヘリが頭上を旋回し、救助隊員を降ろしたり、遭難者を引き上げたりした。一機は宿舎のすぐ裏手に着地した。
 一時間以上経って宿舎に戻ると、投宿者全員そろっての下山が一時間早まって9時になったと言われ、食事とパッキングを早々に行い、4爪のアイゼン(宿舎で購入した)を付けた。

嵐の去った白馬山頂嵐が過ぎて雷鳥も出てきた

 9時過ぎ、宿舎のマスターに送られ、18名で列を成し下山を開始する。行きとは異なり、陽光を受け、途中で皆薄着になり、雪を踏んでの春山ハイキングになった。12時過ぎ、白馬尻に付いたところで18名は解散になり、西尾さんと私は無事スーパーあずさの人となった。


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