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八十里越
三澤 邦夫

山行日 2006年11月3日~4日
メンバー (L)三澤、鈴木(章)、小山、成田、田中(恵)

 例会山行計画では南ア仁田岳&聖岳縦走の予定だったが、私が風邪をひきハードな山は無理ということでアッコさんと相談して長年懸案の八十里越に計画を変更させて戴いた。地味な古道を辿る計画にも拘らずルームでは更に三人の参加申し出があり嬉しい限りだ。
 八十里越は越後と会津を結ぶ重要な街道として歴史にその名を残している。司馬遼太郎の小説「峠」の舞台となった所でもある。私が八十里越を知るきっかけは、15年前の守門で吉ヶ平山荘の主人から聞いたナメコの宝庫の話である。歩く時にナメコで足を滑らせるくらい群生するとのことだった。三峰で修行を積んで、瞳がキノコ形になりつつある私としては、ナメコを蹴散らして歩くという衝動を抑え難い。季節は日の短い晩秋で日帰りは無理。熊の勢力圏に一人でテント泊する度胸もないので、今回の計画変更は大願成就の好機となった次第である。
 11/2に駒込駅に全員集合。若干1名が何か勘違いをして小さいザックで登場。どうやら峠道のハイキング程度と思っていたらしい。八十里越も夏には1日で抜けることも可能なので勘違いするのも仕方がないか。恐縮する若干1名をチクチクと諭しながら一路只見へ向かう。八十里越は交通の便から考えて越後から入って会津に抜けるのが合理的である。翌朝一番の列車で越後に向かうべく田子倉駅の駅舎でSTBとする。
 11/3朝。田子倉駅から下山口の只見駅に車を回送して只見駅発小出行きの只見線に乗車。田子倉駅で他のメンバーと合流して新潟側へ移動。小出から長岡を経由して東三条駅には8時34分到着。東京から新幹線で来てもほぼ同じ時刻に燕三条まで来られるが、交通の便が悪いので下山後に後泊が必要となる。
 予約しておいたタクシーに乗り、越後側の玄関となる下田村の最奥まで入る。当初の予定では吉ヶ平まで入るつもりだったが、工事の関係で5km手前から車道を歩くことになった。八十里越は国道289号の開通とともに観光の対象となるのか、吉ヶ平周辺では開発工事が行われている。国道289号も2008年には開通するので、古道の雰囲気は味わえなくなると思われる。吉ヶ平山荘は古い分校を利用した山小屋だが今は廃屋に近い状態である。
吉ヶ平山荘  治水工事の騒音から逃げるようにして古道に踏み入る。広い落ち葉の道を行くと最初の道標石があり、馬場跡と文字が刻まれている。この先、要所要所には同じような道標石が登場する。なお、道標石の路程はKM表記なので昔からあったものではなさそうだ。
 道を外れて雨生池を見に行くと幽邃な空間が突然開ける。番屋山はいつか登ってみたいとアッコさんが言う。一同首肯。再び分岐点に戻り道幅の狭くなった山道を行く。ここから普通の山道を一登りして椿尾根という道標に会う。名前のとおり道の両側は椿林となっている。山腹のトラバース道は所々崩れており沢を渡る箇所では虎ロープが下がっている。前後して行動している女性2人組は難渋していた。チャチャッと進むアッコさんを先頭に我々が先行する形となった。煩わしい沢越えが何箇所も出てくるが、番屋乗越という峠に出て風景が変わる。ブナの紅葉が綺麗な所だ。
落葉サクサク  出発時の車道歩きで出発が遅れて14時を回っている。水場のあるテン場に日没前には着かねばならないので先を急ぐ。今日は空堀小屋跡の平地をテン場とする予定だが、15時30分頃で行動中止と決めた。落ち葉の絨毯を掻き分けて進むとブナ沢の渡渉点に出る。少し戻った所にテントが張れる平地があり、今日はここで行動を終える。既に周囲は暗く滑り込みセーフという感じだ。先刻追い抜いた女性2人組も我々のすぐ近くでテントを張り、焚き火をして盛り上がっている。周囲がカラカラに乾いた落ち葉なので我々は大人しく夜を過ごす。
 11/4 今日も天気がよい。テントを撤収して水場の沢を渡ると、しばしルート不明瞭となるが、沢を渡って左手に進むと尾根を越して高清水の涸れ沢に出る。空堀小屋跡は暗く湿った感じで、テン場には相応しくない。道は所々広くなって街道らしくなるが、突然巻き道になる時もあり崩落によってルートが変化しているらしい。烏帽子山北面の屏風のような急斜面の下を巧みに縫って進み鞍掛峠に出るが、スズタケ斜面のトラバースは滑っていやらしい。鞍掛峠の近くでアッコさんがナメコを発見。注意して歩くと道の真ん中にころがる木にもポコポコと頭を出している。そんな楽しい発見が何回かあり、今回計画の目的がひとつクリアできた。
 景色も随分と変わり、守門岳や黒姫などが格好よく見える。正面の明るく開けた場所が田代平だ。ここまでは五味沢から車道があり、キノコ採りが入っている。田代平は沼が埋り、草原に近い状態だが雰囲気がよい。ここで暫らく大休止とする。沼の北側はブナの巨木の斜面で、いかにもキノコの宝庫という雰囲気である。車が入れる所でナメコを探すのは一苦労だと思うが、枯木の高い所にはムキタケらしきものが見える。三峰のキノコ名人なら大収穫は間違いないだろう。
湿原  田代平を過ぎると短い車道歩きがあり、注意しないと分岐を見落とす。木ノ根峠近くで只見側から来るグループと出会う。山全体の雰囲気もなんとなく只見チック。道は比較的良いがヤブッぽい所もある。ナメコはあまり見当たらない。展望に乏しい山腹の道は沢を通過する度に小さな登下降があって煩わしい。しばらく変化の少ない道を進むと急に開けて松ケ崎という場所に出る。只見側で展望の開ける場所はここぐらいかもしれない。
見返り松  河井継之助が瀕死の状態でここまで辿りつき「八十里腰抜け武士の越す峠」の句を詠んだ場所に似つかわしい風情がある。(実際は別の場所らしいが、雰囲気がピッタリする。)ここから道は高度を落としてジメジメした化物谷地を通る。足首までズボズボもぐる嫌な道である。たぶん夏はメジロアブの大群に襲撃されるだろう。正確な場所は記憶していないが、道端の倒木にナメコ発見。既に一度収穫された跡だが、幼いナメコが成長して我々を待っていてくれた。今晩のオカズ程度の量を頂戴して先に進むことにする。
 やや下ったところに名香沢という沢の源頭があり、滑床を渡って対岸に立つが、沢身を少し戻り気味に渡らないと踏跡を見失うので要注意。道はどんどん高度を下げて小屋がけに出会う。ゼンマイ小屋に使うのだろうか、吉ケ平を出てから最初の文化的施設だった。ここから先はバイクでも通れる林道のような道になり国道289号まで続く。蒲生岳に似た三角錐のピークが近づくと下の方に建設中の舗装道路が見える。ジグザク道を下りきるとそこは「八十里越入口」だった。
ナメコ  お疲れ様でした・・・の前に更に一仕事。只見駅にデポした車を回収しに行かねばならない。働き者のリーダーは一人只見に向かって進む。ゲートには小一時間で到着。浅草岳登山口のすぐ先だ。荷物を置き叶津集落まで更に20分ほど進む。携帯圏外なので蕎麦屋で電話を借りてTAXIを呼んだ。只見駅まではTAXIで¥1,200。10分くらいで着く。車を回収して浅草岳登山口で皆と再会。晩秋の山裾は薄暗くなっていた。夏なら1日で抜けることが可能な八十里越も随分と長い道のりだったように錯覚してしまう。
 用事のある成田氏と小山氏と会津田島で別れ我々は会津別宅のまるみ山荘に向かった。

〈コースタイム〉
11/3 田子倉発(6:02) → 東三条着(8:24) → taxi → 車両通行止めの5km手前(9:30) → 吉ヶ平山荘(10:40) → 雨生池往復(11:10) → 雨生池分岐(11:50) → 番屋乗越着(14:10) → ブナ沢のテン場(15:20)
11/4 出発(7:05) → 空堀跡(7:45) → 殿様清水(8:22) → 鞍掛峠着(9:00) → 木ノ根峠(10:55) → 八十里旧入口(13:40) → ゲート入口(14:40)

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