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小無間山~大無間山
越前屋 晃一
道祖土 巌
竹内 豊

山行日 2006年11月3日~5日
メンバー (L)越前屋、道祖土、竹内

●第1日目
 深夜発の「ムーンライトながら」に乗り込み出発。最近は「夜行列車で山行に行く」なんてことは極まれなのでとても新鮮だ。
 接続の関係で到着予定時間より少し遅めのAM3:00静岡駅着。ステーションビバークする為に新静岡まで歩く。ほんの10分の距離だ。しばし(?)の歓談の後、就寝。翌朝8:15発の井川方面行きバスに乗り込む。目的地の田代までは3時間の道のりだ。
 今回の山旅の始まりはとてもゆっくり時が流れてゆく。小無間-大無間の例会計画を知った時、僕は内心、ほくそえんだ。なぜなら昭文社発行の塩見・赤石・聖岳のマップの裏側に記載されているのでずっと気になっていたコースだからだ。また、山岳会を探している時に、おもしろおかしく読んだ前回の服部氏主催例会報告も行動動機と言えるかもしれない。
 11:40、諏訪神社脇のおいしい水を各自3L程持ち、出発する。今回の例会にあたり隊長の越前屋氏より事前に綿密な計画表が届いていた。その冒頭にはいきなり「意気込み」という項目があって「ルートファインディングの基礎的技術の確認と習熟を目的として、参加者各自がトップを取る」なんてことが記されていた。初めのゆったりモードから一気に緊張する。この「メンバー」を連れてゆくという行為がとても大変なことだということが三峰に入会し、パーティー山行を経験するにしたがい理解してきたからだ。途中、隊長からルートファイディングに対するご指導を頂きながら急登なみちのりを快適に高度を上げてゆく。
 初日は入山時間が遅いので小無間小屋までなのだが、その高低差は約800mの登り。
 おまけにあまり展望のない樹林帯なのでついつい、自分の内に篭ってしまい、ハァハァモードのフィットネスとなってしまった。
 14:50、目的地の小無間小屋着く。
 するとびっくり。まぁ2パーティー位は入山しているだろうと思っていたが、その狭いスペースにはなんとテント村が出来ていた。
 そして興味本位に小屋を覗いてみると、床の上には足の踏み場もない位に寝袋が転がっているではないか! いやぁ。小無間-大無間山は人気コースなのですね(笑)。

(竹内記)

小無間小屋 満員すし詰め状態でした

●第2日目
 出発に先立ちリーダーから今回の山行の意気込みなるメールが計画書に添付されて送られてきました。テーマは、各自にルートファインディングを割り当てますとのこと、少々慌てて95年の服部さんパーティーの記録を読み返すことにしました。当時の粒ぞろいのメンバーが数箇所間違えてしまったようでしたが、もう10年以上も経過し今のエリアマップでは、実線と破線のルートになっているこのルート。少々のルートファインディングとあとは体力というのが出発前の個人的な思いでした。
 2日目の朝は、4:00に起床。周りのテントでは早くも食事をしている様子、この日の避難小屋内は、ツアー客と思われる団体で一杯、テン場もスペース一杯にテントが張られ200名山狙いの中高年登山客で賑わっていました。案の定、朝食を終え5:20に出発をしたものの団体様御一行の後ろをついて行くハメになってしまいました。ただ、避難小屋からピストンで身軽な御一行に、この日も2~3L程の水を歩荷して縦走をする我々は、残念ながら徐々に引き離されてしまいました。そのうえP1で暗かったせいもありましたが、私が踏跡を見失い道を間違えたせいで完全に引き離されてしまいました。中高年とはいえ、深南部に来る人は、それなりの体力はあるのだろうと言い訳を考え納得しようとしましたが、正直あまり気分はよくありませんでした。
 その後は、P2、P3とアップダウンを繰り返し、小無間への急登も快調なペースで登りきり7:30に到着。この日は、長い行程でもあり小休止ですぐに出発。ここからは高低差の少ない樹林の中を歩き続けるのみで期待していた紅葉は、遅れているのかぱっとせず、単調な山歩きが続きました。何とか光岳か聖岳ぐらい見えないものかとも思いましたが、少しガスもかかってしまい、なかなか見ることが出来ません。南アからは大抵どこからかは必ず富士山が見られると思い来年の年賀状の写真にと期待していたのですが、その機会もありませんでした。
 中無間は、枯れ木が散乱していてまったくピークの気配なく通過し、最後に少し上り返して大無間には9:40頃に到着しました。展望はなくテントが5~6張り程度のスペースがあります。すれ違った人が、焚き火の文句を言っていましたが、確かに昨晩この場所で焚き火をしていたようでした。ピークでは運のいいことに御一行が引き返した丁度あとでしたので、しばらくゆっくりすることが出来ました。
大無間山頂 眺望はありません  大無間から鞍部までは、様相が一変し布テープを目印にするも、しばらくすると見失い踏跡も枯れ葉の多さで分かりづらく、この山行のテーマであったルートファインディングをしながらの広い尾根の下りとなりました。
 それでも、2150mあたりから稜線に抜けるとようやく待望の聖岳から池口岳、そして深南部の山並みを見渡すことが出来ました。立ち止まってしばらく展望を楽しんだあと、少し先を急ぐことにしました。この日、この山域に入っているのは自分たちだけであろうと思っていたのですが、一息ついていると先の方から思わぬ中高年女性たちの楽しそうな会話が耳に入ってきました。この方々、この日は寸又林道を歩いてきて大無間山まで行くとのこと、ツアーでの参加のようでしたが、身軽な女性たちに比べリーダーと思われる男性2人は、GPS持参でやたらと大きなザックでした。他人事とはいえ、もう少し分担してあげてもいいのかなというのが率直な思いでした。
本日の締めは、焚き火で  笹の湿地帯の三方窪を通りトラバースの高低差の少ない登山道を足早に歩いたものの樺沢分岐までは、思った以上に長く感じました。それでも、このあたりから目にするようになった昔ながらのブリキ板の大井川鉄道の案内板に目を留めながらようやく15:20に分岐に到着。ここからは、エリアマップの実線に変わることから安心し今晩の焚き火を楽しみにして一気に下り切ろうとしたのですが、次の鞍部から樺沢登山口までの広い下りの尾根は、思いがけずルートファインディングを要することになってしまいました。ここが、本当に実線なのかと疑うほどでしたが、下りてみればルートに間違いはなかったと思われ、きっと今は、ショートカットの大樺沢登山口からのルートが、主ルートに変わってしまい、林道を1時間近く多く歩かなければならないこの樺沢登山口からのルートは、ほとんど利用されていないのだろうと思いました。時間も17:00前で少し薄暗くなり始めていたので、早速焚き火の準備をして、登りのルートとは一変した紅葉まっ盛りの中、男同士3人の宴会となりました。

(道祖土記)

●第3日目
 昨日もまた飲過ぎで後悔の念にさいなまれながら6:35出発。「最近、仕事が連日徹夜で知らない内にストレスが溜まっていたみたいだぁ」などとつらつら考えながら歩き出す。
 途中、大樽沢登山口など確認しながら8:20にヘリポート着。流石に展望台というだけあって黒法師岳などの南アルプス深南部が一望だ。おまけに紅葉が良い時期にあたったのか、山が燃えるような紅葉でちょうど見頃だ。ほとんどの人がピストンで引き返していったが、この景色を見るだけでも縦走して来たかいがあったと思った。展望台から登山道を降り、9:20千頭ダム到着。それからまた約2時間程、寸又川右岸林道を下り寸又峡温泉に12:30着。さすがにこの辺りまでくると年配の観光客が多くなり、バカでかいザックを背負っている自分達が異質に思える。
 途中、山岳図書館などというスペースがあり、そこで古い「山渓」などを立ち読みし、三峰の会員募集記事を見つけたりして、読みふけってしまった。現在主流のDTPフォントに比べると、活字印刷はなかなか趣きがあって、また誌面もその為か力強さが感じられた。
 その後、ひと風呂浴びて、さっぱりした所で生ビールで乾杯し、「バスの時間まで余裕だね。」なんて停留所で3人、缶ビールを飲みながら待っていたのだが、これが出発時刻間際になってもバスが現われない。これはどうもおかしいと停留所の看板を下げている売店のおばちゃんに聞いてみると、なんとバス発着場ははるか下のターミナルからだと言う。
 それからデカいザックを背負った男3人はダッシュでターミナルまで走ることとなってしまった。その姿はやはり異質なものと観光客には見えたのかもしれない。おばちゃん、時刻表は良いとしても、『バス停留所』の看板はお願いですから降ろしておいて下さい...。
 千頭から金谷までSL列車に乗る事にする。もう気分は「銀河鉄道」である。客車も当時の物なのでとても雰囲気バッチリで、途中、鉄道ファンの子供達がおもいおもいにカメラを構えて見送ってくれるのである。
 静岡まで普通で上り、そこでそれぞれの家の方面に乗り入れる接続が違うということでそこで解散と相成った。今回の山旅は「ルートファインディング」の練習ということで核心部ではない、1日目と3日目を担当させてもらったのもかかわらず、メンバーの皆さんには迷惑をかけてしまった。
 自分の中での思い込みや確認不足、メンバーへの依存心みたいなものが今回は反省されるべき点だと思い、とても勉強になった。
 隊長、道祖土さん、このような機会を与えて下さり、どうも有り難うございました!

(竹内記)

●まとめ
 絶好の深南部日和だった。不思議なことだがこの季節になるとこの山域に来たくなってしまう。とりたててこれといった絶景にめぐまれているわけでもなく、かといって収穫物にめぐまれているわけでもないのだが、風に誘われてしまうといったことなのだろう。
 RFトレーニングのお題目をたてて2人の後ろをのこのこ付いて歩くぐうたらリーダーになってしまったが、後ろから見ていた分あらためて勉強になることが多かった。岡目八目とはよく言ったものだ。
 両君ともにすこしミスったことを気にしていたようだが、あの程度のことは誰にでも経験があることで、私など毎度おなじみのことなのだ。要は、すこしでも早く異変に気付き補正する能力が問われるということだろう。しかし、スタートの時と小ピークに立ったときは慎重にルートを確認することだけはやはり忘れてはならない。先入観は思わぬ深みを呼び込んでしまうことがある。自分がこの先入観にやられている常習犯だから偉そうなことは言えないが、これこそRFの肝なのだ。
 今回も後日、2万5千図を広げて思わぬことに気付いた。大無間からの下りのルートが三角点の裏に戻ったところからになっていたのである。我々はそのまま進んで広い尾根を鞍部に向かって巻き込むように降りた。どうりで難しかったわけだ。ある意味で、おかげでこの山行のテーマを活かすことが出来た。一番楽しいところだった。と言っては、開き直りになってしまうだろうか。
 もう一点、2日目、樺沢分岐点から樺沢登山口の下降路について。ここは昭文社『山と高原の地図』では実線が引かれているがすっかりわかりにくくなってしまっていた。踏み跡らしきものは途中で消えている。最後に樺沢沿いの道に乗ると自然研究路の樹木ガイドプレートが無造作につけられているが誰がこんなところまで来て散策するというのだろう。翌日、寸又川左岸林道を歩いて大樽沢登山口に着くと、『山と高原の地図』では壊れているはずの橋が補修されている。実線道が使われず破線道がメインルート化してしまっているということかもしれない。
 いずれにしても、いい山行だった。久しぶりの車を使わない山行だったが、帰路の大井川鉄道のSLはすっかり鉄道ファン気分を味わった。知らなかったが、鉄道マニアにも撮り鉄、集め鉄・・といろいろあるのだそうで、この日の我々は乗り鉄ということになった。
 なお、今山行を行うに当たって、1995年11月の服部氏の記録が参考になった。データとしての貴重な山行記録に謝々。

(越前屋記)
〈コースタイム〉
11/3 「ムーンライトながら」静岡着(3:00) → 新静岡駅ステーションビバーク → 静鉄バス畑薙ダム方面出発(8:00) → 田代(11:03) → 諏訪神社(11:40) → 小無間小屋・幕(14:50)
11/4 小無間避難小屋(5:20) → 小無間山(7:30) → 大無間山(9:40) → 樺沢分岐(15:20) → 樺沢登山口(16:55)
11/5 出発(6:35) → ヘリポート(8:20) → 千頭ダム(9:20) → 寸又峡温泉(12:30)

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