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黒部川・上ノ廊下
小堀 憲夫

山行日 2007年8月12日~16日
メンバー (L)小堀、佐藤、小幡、橋岡、山崎

 3度目の正直で念願の黒部川・上ノ廊下を遡行してきた。今振り返れば懐かしい思い出だが、出発前は、その長い行程や幾つかの記録を読んだり、経験談を聞いたりして、結構肩に力が入っていた。思えば、2001年の夏、金子会長に、「小堀、泳ぎはお前に任せた!」と言われ、その気になっていたのだが、仕事で休みが取れずに急遽ドタキャン。我がビリーカンだけが参加したのだった。その後、明さん達と2005年に再チャレンジした時は、台風通過後の増水が引かず、奥黒部ヒュッテで敗退したのだった。そして2007年夏、メンバーと天候に恵まれ、ついに完登できたのだった。再び参加したビリーカンは、さらに火焼けして、持ち主と一緒に真っ黒になった。
 最初はメンバーと日程がなかなか決まらず、本人も直前の沢山行で右膝を壊し、実現が危ぶまれた。膝の故障の原因は、沢山行というより、体重増加とこの山行に備えたトレーニングのやりすぎなのだが、駅の階段の昇り降りにも苦労するほどだったので、一時は本当にダメかと諦めかけた。ギリギリまでハリだお灸だと色々なリハビリを試み、様子を見た上で、決行することにした。山行計画上の問題点は下山ルートだった。奥ノ廊下を岩苔乗越まで詰め上げ高瀬ダムまで延々と降るルートは、故障したその膝では持たないのは必至だった。そこで、薬師沢から太郎平小屋経由で折立に下りることにした。ついでに前から行きたかった赤木沢をおまけに付けた。そうなると交通手段はマイカーが無理になるので、急遽夜行バスで行くことにした。
 新宿駅西口都庁大型バス専用駐車場に22時集合。荷物を極量少なくして、沢靴もゴム底の水陸兼用靴にしたが、それでも結構重くなり、蒸し暑い夜だったこともあり、既に大量の汗をかいていた。他の登山客も大勢バスの発車を待っている。暑さと大きなガレージのようなスペースにこもった排気ガスで少し気持ちが悪くなる。皆も時間どおり集合。山崎さんは少し前まで近所のオフィスで仕事をしてその足で出てきたと、流石に旅なれた様子。小幡、橋岡両氏は一度荷物を置いて、寝酒のビールを買いに近所のコンビニまで仲良く出かけた。その間に山崎さんと皆の荷物をバスまで運んだ。橋岡氏のザックがやけに重い。相変わらず大量の食料が詰まっているのだろう。明さんは最後に登場。いつもの沢ウェアにハイキングかと思うほど小さなザックだ。ところが持ってみるとこれが意外に重かった。バスの予約が別だった明さんだけ別の車両になり、やがてバスは出発。いつものように乗り合いマイカーを自分で運転をしなくてよいので、ご機嫌でビールを飲み始めたが、冷房がよく効いていない上に席が狭いので、その後消灯になってからも、なかなか寝付けず、結局扇沢に着くまでよく眠れなかった。
 翌朝5:30ころ扇沢に到着。車外の空気は清々しく、思いっきり伸びをしたら、頭の直ぐ上を羽音を残してツバメがかすめ飛んでいった。見上げると青空をバックにした駅舎の軒下に沢山の巣ができていた。直ぐにトロリーバスの切符売り場に小堀が並び、後のメンバーは改札の順番待ち。暫くして売り場の窓が開き、切符を買い改札に上がると、既に大勢の登山客が並んでいた。幸い我がパーティーは前の方に並んでいた。皆と合流し荷物を預け、立ち食い蕎麦を食べてからトイレを済ませた。
快晴の黒部ダム  やがてゲートが開きトロリーに乗車。荷物は人間用の車両の後ろに続く貨物用の車両に積む。それにしても大勢の登山客だ。皆、夜行の疲れの下から後に続く山行への期待が顔を覗かせ、一種独特な表情になっている。いつもの黒部ダム工事のガイドアナウンスを聞きながらトンネルの内壁を見送っていると、黒部ダムに着いた。トンネルを他の登山客、観光客と一緒にダムの上に出た。久々の黒部ダムだ。快晴の空を見上げ、視線をかなたの剱岳に向ける。ダムの欄干から下を覗くと放水していた。
 ダムを渡り終え、黒部湖沿いの山道に入る。あれだけ大勢いた客もこちらの道に入る客は他にはいなかった。かんぱ谷橋前で使用前の元気な写真を1枚パチリ。そこから暑い暑い道をテクテク4時間ほどで平ノ小屋に到着した。出船を待つ間、船着場に荷物を置き、小屋でビールを飲みながらブラブラする。眠くなりかけたころ乗船時間になり、船着場に降りる。昨年よりも大分岸が低くなっている。
使用前の元気なメンバー  『今年は水が少ない。案外簡単に遡行できるかもしれないぞ!』
 などと淡い期待を抱く。
 船に乗ると乗船記録を書くように言われたのでノートを開くと、数日前の欄に、黒部の別ルート組の別所さんの名前があった。
 しかし、平和なのはここまでだった。対岸に渡ってから奥黒部ヒュッテまでの梯子の登り降りの3時間は前夜眠れず炎天下の中を既に4時間歩いてきた身には、正直きつかった。やっとの思いでへとへとになって奥黒部ヒュッテに到着した。
この後に地獄の梯子道が・・・  幕場にテントを降ろし、元気な山崎さんに小屋にビールを買いに行ってもらった。ビールを飲みながら作戦会議のつもりだった。ところが帰ってきた彼女が言うには、今ここに救助ヘリが降りるから端に除けるように、上ノ廊下に入るなら必ず計画書を出すように言われたとのこと。どうやら水量が多くて遭難者が出たらしい。
 「何だってぇ!遭難!!」
 皆の顔に明らかに緊張が走った。やがてヘリの音が聞こえ始め、無線機を持ったヒュッテの親父さんが幕場に現れ、上空のヘリとなにやら交信している。正直この時はまいった。さあ、これからだという時の遭難騒ぎだ。まして今年は水量も少なく、案外簡単かもしれないと期待していただけに、リーダーのみならずメンバーにもかなりなプレッシャーだったろう。とりあえず計画書を出して親父さんに話を聞いてくることにした。以下親父さんの話。
「今年は4~5月の雪で水量が多い。数日前には熊ノ沢までも行けなかった。事故が起こったのは口元ノタルで渡渉中に流されたらしい。計画書にある2日目の幕場は、金作谷出合まで行けないだろう」
『ムムムッ・・・』
 熊ノ沢出合が予定の幕場だったが、疲れたので今日はここまでとし、一先ず河原に降りて幕を張ることにした。砂地の快適な幕場だ。薪を集めて大きな焚き火を起こした。3人竿を出したがだれにもかからなかった。後から川を遡行してきた2人組も近くに幕を張った。明さんと一緒に情報交換に行く。
 「この下流で1人が流されかけた。流れは速いが、明日はとりあえず行けるところまで行ってみる」とのこと。しばらくすると上流から遭難者が出たと思われる男性の3人組パーティーが疲れ果てた様子で降りてきた。
 「遭難者はヘリで運ばれ命は助かった。口元ノタルの核心部を抜けた後、気がついたら一番後ろの仲間が流されていた。大分長い間流されて岸に着いたらしく、もう遡行できる状況ではなかった。1人元気な女性がヒュッテに降り救助を呼んだ。明日デポしてある荷物を取りに行く予定だ」
 とのことだった。無事でよかった。でも、そのリアルな話に、はたして自分らはそこを通過できるのか気が重くなってきた。
 ともかく今日はゆっくり寝て明日に備えることにしようと、軽く飲んで寝た。
ともかく焚き火と酒 でも、なんとなく意気が上がらない様子  翌朝、出発の準備をしていると昨日の2人組が少し早めに出かけた。我々も沢支度をして少し緊張の出発。オーダーはきっちり守ること、自分には無理だと思ったらすぐ助けを要求すること、笛を出しておいて何かあったら直ぐに吹くことなどを言い交わして出発。オーダーは、小堀、佐藤、橋岡、山崎、小幡とした。小堀はリード、明さんはルートアドバイス、体力のある橋岡、小幡の両氏には山崎さんをサポートしてもらうことを念頭に置いてのオーダーだ。
メンバー緊張の面持ちの出発  入渓して直ぐに最初の渡渉になった。ザイルを着け、万が一流された場合に無理に引っ張らずに岸に上げることを優先してくれるよう頼み流れに入った。確かに水量が多く流されそうだった。けれども、この最初の渡渉を無事こなした後は、何とかなりそうだと自信みたいなものが出てきた。ストックが有効なことも分かった。後のメンバーもお互い助け合いスクラム渡渉など使いながら上手く渡った。そうこうして何回かの渡渉を繰り返す内に、自然にチームワームみたいなものが出来上がっていった。やがて下ノ黒ビンガに到着して一休み。
下ノ黒ビンガ 何とか行けそうな感じがつかめて、元気になっちゃいました  再び出発して、しばらく河原歩きと渡渉を繰り返して行くと、いよいよ問題の口元ノタル沢に到着した。大分先を遡行していた2人組が少し先の廊下を高巻こうと苦労しているところに追いついた。その廊下、流れはいっそう強く、カーブして右岸の壁にぶち当たり白い泡を立てて唸っている。我々は右岸にいて、高巻かない場合はその白い泡のカーブ外側を流れに逆らってへつらなくてはならない。いつもなら尻込みするのだが、なぜかトライしてみる気になった。頭で考えて成功すると算段したのではなく、身体ができると感じた、そんな感じだった。流石に最初の一歩が出るのに時間がかかったが、後ろには信頼できる仲間が確保していてくれる。思い切って踏み出した。すごい水圧だ。足がブルブル流れに蹴上げられそうになる。身体の向きを傾げて壁に押し付けられるようにして少しずつ壁のホールドを拾いながら進んだ。頭の中が真っ白になり、全身がそのへつりに集中していた。そして強い流れからフッと解放され、核心部を脱出したことが分かった。アドレナリン全開だ。ザイルを着けているとはいえ、残りのメンバーも全員緊張したへつりとなった。もう1つ最初ほどではないへつりがあって口元ノタル沢の核心部は終わった。後から考えればここが最大の核心部だったかもしれない。少し先の渡渉は昨日人が流された箇所だ。慎重にスクラムを組んで渡った。明さんと小堀、山崎さんを間に橋岡氏と小幡氏のスクラム。しばらく河原を歩いてから振り返ると、何パーティーか、先ほどの核心部で渋滞していた。
 『オレ達、やるじゃん!』
 そう、感じたのは小堀だけではないはずだ。
 この核心部の通過は確かに我がパーティーの大きな自信になった。やがて現れた、だだっ広い広河原を延々と歩き、中ノタル沢、スゴ沢を過ぎ、いよいよ上ノ黒ビンガに入っていった。その圧倒される美しさに皆暫し我を忘れ呆然と立ち尽くした。と、突如その静寂をやぶる叫び声、
 「ビンガビンガ~、ビンガビンガ~♪」
 橋岡氏とのお約束。上ノ黒ビンガに着いたら歌おうねと誓った、リンダリンダの節の上ノ黒ビンガ版だ。最初は広河原まででよいと思っていたので、ここまでくれば今日は上等だと、幕場を探しながら進むと、上ノ黒ビンガのど真ん中の左岸に丁度良い幕場があった。軽量化のために毎日ほとんど同じメニューの海草サラダとジフィーズとマーボー春雨の食事を終え、宴会タイムに入ると橋岡氏がおもむろに歌集を取り出した。表紙を見るとカシュウナッツ山盛りの写真と一文字「夏」とある。
 「あんっ、これひょっ、ひょっとして歌集-夏-のギャグ!?」
 その親父ギャグは大いに受け皆大爆笑。その夜は先の見通しがたった安心感からか、大自然の景観を独占している喜びからか、皆多いに燃やして大いに飲んで大いに歌った。
オレたちゃ、山賊ウホホッのホイ!  翌朝、幕場を出発して直ぐにすだれ状の滝がいくつも現れその度に立ち止まりその美しさに見とれてしまう。金作谷出合で日向ぼっこをしながら昼のそうめんを食べていると、上流からライフジャケットを着けた一団が下ってきた。我々より年配の男性と女性が10名ほど、寒い寒いと震えながらもこちらの様子には無頓着に、
「写真撮ってくれる~」
などと無邪気に賑やかだ。まるで観光地のオバタリアン集団。どうやらガイドの黒部川下りツアーらしい。なるほどライフジャケットを着けての下りなら危険もなく楽だろう。
 少し白けて、そそくさと金作谷出合を出発し、集団が現れた暗いゴルジュに入って行った。一度押し流され、体勢を整え今度は左岸をへつれるところまで進み、右岸に流されるようにして泳いで渡った。この時、今回のために用意したフローティングロープが役立った。普通のザイルのように水流で引っ張られることが少なく泳ぎ易い。それでも雪渓解けの水に全身浸かって泳ぐと、岸に上がっても日陰なので震えが止まらない。がたがた震えながら後続を確保した。その先の廊下の泳ぎは明さんと山崎さんが交代でリードしてくれた。
冷てぇ~!  最後の難関、赤牛沢出合の手前の瀞を突破し、今日は立石奇岩までは行こうと河原歩きと比較的簡単になった渡渉を続ける。もうそろそろ立石奇岩が見えてもよいころなのになぁ、と先を伺うが一向に見えてこない。おかしいなと地図を見ていると、小幡氏が、
「あれ、あれじゃないの?」
と左岸の瓦礫を指して言う。
「えっ、何が?」
と一同。しばらく瓦礫の壁を見上げた後、
「あれっ? ひょっとしてこれがあれ?」
と一同。なんと立岩奇岩のまん前に居たのだった。予想していたよりもはるかに大きくて、それとは気がつかなかったのだ。立石奇岩のまん前をその日の幕場とした。崩れてきたら一巻の終わり。その夜は明さんが持ってきてくれたハンバーグ。マーボー春雨以外のものを食べられ、感激のディナーだった。
これが立石奇岩ですか  翌朝は、行程が長目なので、少し早めに出発した。単調な河原歩きが続き、B沢辺りから登山道も現れ、10時ころ薬師沢小屋に到着した。当然のように皆ビールで乾杯。ついでに今宵の酒も買い入れた。大休憩の後、赤木沢目指して遡行を続けた。
一先ずバンザーイ!  ところで、今回、まったく予想に反したのは魚影が殆ど見られなかったことだ。金作谷出合で会った一団の他にもカヌーの一団やら、2人で沢下りを楽しんでいる沢屋など、大勢川下りの人に会った。聞くと、皆、薬師沢小屋から入渓したと言う。この人の多さに岩魚が皆上流に逃げたのだろう。
 『ということは、薬師沢小屋から上は魚が期待できるかも!?』
 やはり居ました。赤木沢に向かう途中、何回か魚影を見かけるようになった。
 『今宵は骨酒が飲めるかも!?』
 期待に胸は膨らむのだった。小屋から1時間半ほどで赤木沢出合に到着。皆、我先に竿を出した。ところが一向に当たりが無いのだ。どうなっているのだろう? 訳が分からない。釣れないものは仕方がないと釣りは諦め、今までの渓相とはまったく違う、明るく開放的な赤木沢の沢登りを楽しむことに気分を変えた。ウマ沢出合を超え、休憩していると、いくら待っても一番後ろに居た小幡氏がやってこない。様子を見に行こうかと腰を上げかけたところに、やっと下流に姿が見えた。何と、粘りに粘って人が歩いた後の淵から岩魚を2匹吊り上げてきたのだった。その粘りに脱帽。予定では太郎兵衛平まだ行くつもりだったが、だいぶ疲れが溜まってきていたので、大滝の少し手前の適当な河原に幕を張った。
 翌朝、すっきり目覚め、出発。さあ、今日でこの沢旅も最後だと、名残惜しみながら幕場を後にした。出発して直ぐに大滝が現れるが、簡単に登れる。その後も困難な箇所も藪こぎも無く、赤木平に飛び出た。実に気持ちの良い眺めだった。皆沢装備を解き、しばしの日向ぼっこを楽しんだ。
セクハラ!? そんなの関係ネエ!  稜線に出てから太郎平小屋まで炎天下を歩きビールで昼メシ。小堀は膝が流石に痛み出し、大分遅れたが、またまた炎天下を折立までどうにか降り、温泉で汗を流した後、電車を乗り継ぎ富山へ出た。明さんは先に帰ったが、残りのメンバーは山崎さんのお勧めの居酒屋で盛大に打ち上げ、駅前ホテルでまた打ち上げ、翌朝新幹線で帰京した。

〈コースタイム〉
8/12 黒部ダム発(07:00) → 平ノ渡着(11:30) → 渡船(12:00) → 奥黒部ヒュッテ着(14:40) → 黒部川幕営地(15:00)
8/13 幕営地発(06:45) → 熊ノ沢(07:10) → 下ノ黒ビンガ下(08:50) → 口元ノタル沢(10:00) → 廊下沢(12:30) → 旧黒五跡(12:45) → スゴ沢(13:30) → 上ノ黒ビンガ幕営地(14:05)
8/14 幕営地発(06:30) → 金作谷(08:10~30) → ゴルジュ出口(10:15~40) → 1692m点(11:30~12:10) → 赤牛沢(13:35~50) → 立岩奇岩幕営地(15:10)
8/15 幕営地発(06:05) → 大淵(07:00) → E沢(07:35) → A沢先台地(09:00~15) → 薬師沢小屋(10:10~30) → 赤木沢出合(12:05~35) → ウマ沢(13:00) → 2150m幕営地(14:15)
8/16 幕営地発(06:15) → 大滝上(06:40) → 赤木岳稜線(08:30) → 太郎平小屋(10:30~11:15) → 折立(13:35)

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