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タンザニア・キリマンジャロ山
天城 敞彦

山行日 2008年8月13日~24日
メンバー (L)山崎、天城、(後藤)

はじめに
 山崎邦子さんからのお誘いで、8月13~24日に「キリマンジャロ登頂&サファリ」というツアーに参加した。最少催行6名ということだったが実際の参加者は山崎さん、杉並労山所属の後藤さんと私の3人で、不特定多数のツアー客というよりも3人パーティーの登山隊という感じだった。キリマンジャロ登山のルートは「マラング・ルート」という小屋泊まりで行く一番ポピュラーなルートではなく「マチャメ・ルート」というテント泊の6泊7日のルートだった。キリマンジャロ登山はガイドをつけることが義務づけられており、ポーター、コックもつくという。
 3人になったので、準備活動として一緒に富士山にでも行こうと思ったのだが都合がつかず、結局「もみぢ」で顔合わせをしたのと、3人で成田で黄熱病の予防注射を受けただけで出発した。

1.アプローチ
8月13日、14日

 関空発、ドバイ乗り継ぎでナイロビ(ケニア)へ。ナイロビでは今年の初めに選挙結果をめぐって民族がらみの暴動が発生したので、今はどうなっているのか、いささか気になっていたのだが、単に通過するだけの旅行者には平穏にしか見えなかった。中心部は緑も多くきれいな町だった。

8月15日
 陸路で国境を越えタンザニアのモシというキリマンジャロの登山基地に当たる町へ移動する。ナイロビの郊外を抜けると、今は乾期のためか枯れた低灌木や草の目立つ草原が広がる。これがサバンナというものなのだろうか。国境の手前からマサイ族が多く暮らす地域に入る。独特の服装をしているので直ぐそれと分かる。車の窓から露店で野菜などを売っているバザールの商品を写真に撮っていたら、いきなり見事なコントロールでトマトが飛んできた。「勝手に撮るな!」ということなのだろう。さすがに誇り高い民族だ。
 国境は簡単な手続きで通過。タンザニアに入ってからは心持ち緑も多くなり、トウモロコシなどの畑が目立つようになる。アリューシャで昼食後モシに向かう途中、突然、左側草原の奥にキリマンジャロが雄大な姿を現す。初めてのご対面である。キリマンジャロとはスワヒリ語で「輝ける山」を意味するという。山頂付近に雪を携え、まさに輝いていた。ちなみにキリマンジャロとは左右の「シラ」「マウェンシ」を含む山群の総称で「ウフルピーク」という5895m山頂をもつ中央の高く大きな山を「ギボ峰」というそうだ。われわれはそこをめざす。
 モシのホテルでチーフガイドのデウス氏、アシスタントガイドのグッドラッキー氏に会い明日からの予定等の打ち合わせをする。ホテルのベッドには懐かしの蚊帳が吊ってあった。

2.登山活動
8月16日

 車で登山口のマチャメ・ゲート(1800m)へ。ポーターたちは大きな荷を担いで先行する。われわれ3人はサブザック1つでもう1人のガイド、フレディ氏について貴重な?熱帯雨林の中をゆっくり登っていく。明らかに日本の山とは植生が違う。照葉樹林のようにも思える。アフリカの山に踏み入っている実感がする。徐々に周りの木も低くなってくると立派な小屋が建っている。これはマチャメ・キャンプ(約3000m)という今夜の泊まり場の管理小屋のようで、3ドルで缶ビールを売っていた。すでにポーターたちによって、隊員用に2張り、食堂兼ポーターたちの寝場所用に1張り、キッチン用に1張り、ガイド用に1張りの計5張りのテントが張られていた。(10:45発、15:30着)
 夕方ギボ峰が姿を現す。どうもこの山は昼間は雲をまとい、夕方から朝にかけて雲が取れるようだ。夕食は白身魚のフライという豪華なものだった。

8月17日
 今日はシエラケープ(約3700m)までののんびりした行程。8:30発。植生も変わってきてエバーラスティングデージーというドライフラワーのような白い花が珍しい。荒涼とした急登を行くとやがて平坦なところに行き着き西へ大きく方向を変えると今日の泊まり場へ着く(12:45)。シエラ・ケープという名のとおり、大きな岩小屋があった。昨日もそうだったが多くの仮設トイレの小屋が建てられていて環境保護には努めているようだ。たぶん20以上のパーティーが泊まるのだろう、ちょっとした国際キャンプである。ほぼ森林限界に達しているようで、砂礫と岩山が続いている。眼下には広大なタンザニアの草原があるはずだが、ここは雲の上のため残念ながら下界は見えない。これは登山中ずっとそうだった。まだ4000m以下なので少々ウイスキーを飲みながら今日も豪華な夕食。夜中に目が覚めたので表に出て星を見る。せっかく南半球に来たのだから南十字星を見ようと思ったのだが、あちらこちらに十字に見える星たちがあり、どれがそうだか分からない。

8月18日
ヤシにも見えるセネシコ・キリマンジャリ  今日は一旦4500mくらいまで登り、そこからバランコ・キャンプ(3950m)という渓谷沿いのキャンプサイトまでの6時間の行程。朝チーフガイドのデウスが歯が痛いので下る、チーフガイドはフレディに代わるという。もしかするとデウスには歯痛の予兆があり、そのために昨日急遽 フレディというベテラン・ガイドを同行させたのかもしれない。
 8:35発。緩傾斜の道を北東方向に登っていく。4000mを超えるとやはり息苦しい。口をすぼめて強く息を吐き出す。こうすると必然的に多くの空気を取り込むことができる。ラバハットという岩峰の脇が最高点で、あとは東方へ緩やかに下る。下っていくとセネシコ・キリマンジャリというサボテンの種類の木が目につき始める。これが一見ヤシのようにも見え南の海岸にでもいるような錯覚を誘う。この日のテントサイトは谷間の水が豊富なところだった。(8:35発、14:45着)

8月19日
頭に荷物を乗せて運ぶポーター  ギボ峰が手の届きそうな距離に輝いて見える。最短距離を行けば2日もあれば十分往復できそうだが、ルートは今日も東側へ山腹を大きく巻いていく。今日は行程が短いので9:00出発。いきなり標高差200mくらいの急坂を上る。ここのポーターたちは荷物を担ぐのではなく頭の上に乗せて歩く。急傾斜のところでは手を添えたりもするが、殆どは、ただ乗せるだけで軽快に歩く。この運び方は日常的な習慣なのだろうが、バランスの良さと身体能力の高さには驚かされた。
ガランガ・キャンプから見るキボ峰  急登が終わると緩やかなアップ・ダウンがつづく荒涼としたところを行く。ところどころ例のサボテンがあり今度は西部劇の舞台のようだった。100mほど大きく下ると沢が流れていて、ほぼ同じ高さを登り返すとガランガ・キャンプという3900mほどの高台に着く。ポーターたちは沢から水を運び上げる。まだ12時過ぎ。次のキャンプ地まで行くパーティーもいるが、われわれはここでのんびりと泊まる。2日目のシエラ・ケープから2日間ほぼ4000m前後の中腹を西から東に移動してきたことになる。おかげで4000mの高度には完全に順化できた。ここまで3人とも体調は問題ないようだ。

8月20日
 9:00出発。今日の行程も短いが600m高度を上げる。霧が立ちこめるなか、北東方向に緩やかに登っていく。高度が上がるにつれ山崎さんがやや苦しそう。尾根に出るとそこがバラフ・キャンプ(4600m)だった。霧が濃くて上部は見えない。小休止の後順化をかねて少し登ったが何も見えないのですぐに引き返す。夜中の12時出発するので夕食を早めにし、11時まで仮眠し、簡単な夜食を食べて頂上アタックとなる。実際には殆ど眠れなかった。

3.登頂・下山
8月21日

 ヘッドランプを点け、ガイド2人とチーフポーターの6人で12時に出発。ほかのパーティーも一斉にスタートしている。ガイドのフレディに導かれて歩き始める。山崎さんは苦しそう。ふだんは体力のある人なのだけれどこの高さに高度順化が追いつかなかったのだろうか。ややあってフレディはパーティーを2つに分けるという。後藤さんと私はフレディにつき、山崎さんはアシスタントガイドのグッドラッキーと後から登ることになった。フレディはやたらと速い。しかも休まない。3時間くらいぶっとおしで登り次々とほかのパーティーを追い抜いていく。寒いし眠いが黙々とフレディの後を歩く。厚手のオーバー手袋をもってきてよかった。どこを登っているのかはまったく分からない。先の方にヘッドランプがひとかたまり見えるということはわれわれが2番目を歩いているのだろう。メインコースのマラング・ルートも見えてきたが人影は見あたらない。ようやく空も白んできた5時過ぎに、ステラポイントという外輪山の一角に到着した。
 キリマンジャロ(ギボ峰)は富士山と同じように火口を持ち、その周りを外輪山が囲んでいる。ステラポイントは富士山で言えば吉田口から登った場合の神社のあるところに当たり、一番高いウフルピークが測候所のある3776mの剣が峰に当たると考えるとわかりやすい。
 火口は真っ白く雪に覆われまさに朝日に染められピンク色に輝いている。ウフルピークに向かうと、左には大きな雪渓があり、氷塔の間を行くようになる。やがてピークを示す標識が現れる。突然後藤さんが声をあげて私とフレディを追い抜いて走り出し、山頂の標識に抱きつく。涙を浮かべている。ステラポイントについてから涙が止まらなかったという。海外初登山、初めての山頂でよほど感激しているのだろう。そういえばさっきから何となく言動が普通ではなかった。
感動のキボ峰登頂!  記念写真を撮り下山にかかる。あとで思うにもう少しゆっくりしていればよかったのだが、なぜか気が急いていた。ステラポイントを過ぎガレた斜面をしばらく下るとグッドラッキーの後から山崎さんが登ってきた。「何度やめようかと思ったが、グッドラッキーから励まされてここまで来た」と言う。かなり苦しそうだった。ここまで来たのだから頑張ってほしい。
 さっき通った道だが、その時は真っ暗で何も見えず、今ようやくコースの全容が分かった。尾根のやや東側にルートが付いていた。9時過ぎキャンプ着。出発予定は昼過ぎだというのでしばしテントに横たわって体を休める。やがて山崎さんが帰ってきた。ステラポイントまで登ってきたという(外輪山の一角まで登れば「登頂」という扱いになり証明書が出る)。順化し切れていない身体でよく頑張ったと思う。せっかく3人でここまで来たのに1人だけ登頂できなかったら後味の悪いものになってしまっただろう。よかった。だいぶん疲れているようで、昼食はいらないなどと彼女らしからぬことを言う。
 昼過ぎにキャンプを後にして、3時間かけて3100mのムウェカ・キャンプまで下る。緑と水が多い立派なキャンプ地だった。

8月22日
 ガイドの都合か、あわただしく朝食をとり、7時に出発。濃い緑の樹林帯の中をどんどん高度を下げる。今日も重い荷物を頭に乗せてポーターたちは軽快に追い抜いていく。やがて林道になり1500mのムウェカ・ゲートに到着。ここで登頂証明書にチーフガイドが署名して手渡してくれる。なんと38537番とある。多いときには2つのルート合わせて1日に200人くらい登頂するという。ポーターたちがお別れにきれいな声で「キリマンジャロの歌」を歌ってくれた。別れを惜しんで車でモシへ。こうして無事に6泊7日の登山活動を終えた。
 この後ケニアに戻り、キリマンジャロの北の麓に位置するアンボセリ国立公園に2泊してサファリなどを楽しんだが、ここでは割愛する。

おわりに
 6000m近い山に短期間で登るためには高度順化が大変重要な課題になる。総じて今回私はきわめてうまく順化できたようだ。
 出発直前の8月7、8日に富士山に行き山頂の小屋で酒を飲んで1泊してきた。そのため1泊目の3000m、2泊目3800mはまったく問題がなかった。3日目に4500mまで登ったときは息苦しかったが、3泊目も4泊目もキャンプ地は4000m弱だったので、高度障害は感じなかった。キリマンジャロの中腹を西から東へ大きく巻いていく今回のルートは、4000m台の順化にはきわめて有効だったのであろう。この間に赤血球の量は確実に増えていったはずである。一度4500mを越えていたので4600mの最終キャンプ地へも楽にはいることができた。
 4600mからの1400mのアタックはさすがにきついものがあり、スピードは落ちていたと思うが、立ち止まることもなく歩き通すことができた。
 最終キャンプを早朝に出て、登頂後にもう1泊するというのが通常かと思うが、夜中に登って、登頂後に一気に3100mまで下るというタクティスは、高度障害の症状が出る前に登って素早く降ろすという考え方(経験則?)かもしれない。眠っていると酸素吸収量が減るので高度障害を起こすこともあるからである。
 麓から見るキリマンジャロは堂々としており、息をのむほど美しかった。登山中も、角度を変えつつ、優雅な姿をたびたび見せてくれた。植物も日本では見たこともない珍しいものも多かった。登ってみて、多少オーバーユース気味かもしれと感じることもあったが、トイレも含めてきれいに管理されていた。
 ガイド付きの登山は初めての経験で、違和感があったのだが、そうでなければキリマンジャロには登れない。キリマンジャロはタンザニアにとって一大観光資源なのだろう。自分たちで計画を練り、ルートを選択し、登山を作っていくという楽しみはなくなるものの、ポーター、コックつきなので、自分たちが持つ荷物はほとんどなく(雨具、行動食、水くらい)テントも張ってもらい、食事も作ってくれる。ただガイドの後をついて行くだけというまさに大名旅行、贅沢な山旅だった。後藤さんは、高校の数学の先生でまじめな人。普段からハードな山登りをしているのであろう、初めての高所登山にもかかわらず大変強かった。私と共通の知り合いがいることが分かり、話も弾んだ。山崎さんはさすがに海外慣れしていて英語もなかなかのもの、交渉なども難なくこなしていた。最小催行人数6人のところが3人になっても催行にこぎつけるという「腕力」もある。そもそも山崎さんに誘ってもらわなかったらキリマンジャロに登ることはおろか、一生アフリカの地に足を踏み入れることもなかったかも知れない。
 ケニア、タンザニアはアフリカの中でも治安が安定している地域だというし、標高も今回の旅で一番低いモシでも1000m近かったため凌ぎやすかったが、こうした短い旅でアフリカの風土や人々の暮らし、ましてメディアを通して伝えられるアフリカが抱える困難など分かりようがない。ただ男性も女性も美しいなと思い見ていた。
 原油価格の高騰などもあり、結構費用はかかったが、よい山旅をさせていただいた。ありがとうございました。


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