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槍平集中追悼山行
その1 奥丸山
三澤 邦夫

山行日 2008年7月20日~21日
メンバー (L)竹内、天内、三澤、金指(朋代さん) 別働隊:田原、藤井

 早朝の新穂高温泉バス停で金指朋代さんの到着を待つ。神妙に挨拶せねばと最初の言葉を色々考えたが、朋代さんの明るい笑顔に緊張がほぐれる。朋代さんは金ちゃんと一緒に山を歩いていたので、普通の山仲間としてご一緒させて貰うことにする。槍平までの道中は金ちゃんの話題が中心になるので、金ちゃんと面識のない天内さんには先行して貰うことにした。
 穂高平小屋の近くで「もーとー」のコール。前日に小屋に泊まった田原・藤井の両氏が朝食中。「金ちゃんが居た三峰はまともな会なんですよ~」と朋代さんに時間をかけて説明するつもりが、ヘンなおじさん2人の登場で三峰の普段着姿を見られてしまった感じだ。
 朋代さんにはおじさん達の刺激が強いので、静寂を取り戻すべく竹内組は先行出発する。私達が知らない金ちゃんの素顔を朋代さんはいろいろと話してくれた。私達も三峰の金ちゃんのことを話した。たまたま今日は金ちゃんが参加していないだけだと錯覚するような不思議な時間が流れて行く。白出沢を渡る所で林道は終わり、普通の山道に変わる。ガラ場歩きでケガをしないよう竹内さんが後ろの朋代さんを気遣いつつ先導する。
 小雨の山道を普通のペースで進む。先ほどのおじさん2人が夏休みの子供のような服装で私達を追い抜いて行く。暫く行くと道端にザックがひとつ置いてある。その先で田原さんが元気な声で「もーとー」と私達を呼ぶ。暫し一緒に休憩する。下から藤井さんが「キジ撃ってたら掴んだ枝が折れて落ちたよ」と楽しそうに話しながら登って来る。いつもと変わらぬ脱力感いっぱいの雰囲気を朋代さんが受け入れるか心配したが杞憂だった。私も「よそいき」の顔をやめることにしよう。
 時間や順番は定かではないが、道中聞いた金ちゃんの人柄を偲ばせる話を紹介しておく。
 金ちゃんは家族でよく山に行ったそうで、三峰で得た経験を家族に伝えていたとのこと。室内壁でザックを背負い家族で岩登りの練習をした話を聞いても目に浮かぶ姿は滑稽なものではなく、金ちゃんの生真面目さが伝わる。立山縦走で娘さんに心配をかけながら朋代さんと歩き通したこと、自分が無線機を買う時にもう1台同じものを買って朋代さんにプレゼントしたこと、等々のお話を聞いていると金ちゃんは「金ちゃんファミリー探検隊」の隊長になりたくて修行の場として三峰山岳会を選んだのかもしれない。
 谷あいの山道も藤木久三のレリーフあたりまで来るとだいぶ北アらしくなる。周囲には高山植物の花がチラホラ咲いている。事前に「高山植物を覚えたい」との朋代さんの希望を伝え聞いていたが、私はなかなか花の名前が覚えられない。赤い花ならミヤマチューリップのレベルなので花の名前を尋ねられたらどうしよう・・とビクビクだった。知らない花が出てきても気づかず通り過ぎることを祈った。飛騨沢カールのモレーンを乗越すと槍平の一角に出る。シラビソの林を進み目的地の槍平小屋に到着。テント場に荷物を下ろして事故があった場所を見に行く。
 竹内さんと朋代さんが槍平小屋の人とお話をしている間に私は雪崩の爪あとを探してみた。
 事故当時テントのあった場所は蒲田川対岸の奥丸山東面の谷筋と正対しているが、そこはシラビソで囲まれ雪崩が襲うようには思えない。蒲田川沿いのシラビソが何本か倒れている。倒木なのに新芽が出る状態なので、まだ倒れてから1年は過ぎていない筈だ。倒れずに残る周囲の木が同じ方向に傾いており、奥丸山側からの雪崩は爆風を伴う「ホウ」によるとの確信が強まった(これは三澤個人の私見です)。
 雪崩のあった沢筋を追うとガレで埋め尽くされた広い谷が見える。ガレは奥丸山の崩壊した岩礫が堆積したもので一様な斜度のスロープを形成している。しかし斜面はスキーに快適そうな感じで、蒲田川を越えるような大雪崩を想像できない。
雪崩が発生した斜面 photo-by金指朋代  現実に事故は起きた。「斜面があり雪があればどこでも雪崩の危険はある」と評論家的に理屈を説きながら、私だけは大丈夫と勝手に思い込んでいた自分自身を恥じる。この言葉の重さは現実に雪崩に遭遇した人達が語って初めて伝わるものだと思う。
 天候が回復する兆しが見えたので、予定どおり奥丸山まで行くことにする。ゆるキャラおじさん2人もペットボトルの入ったスーパー袋を腰に下げただけで飄々と急斜面を登って行く。
 残念ながら槍ケ岳は霧の中だが、登るにつれて穂高や双六の峰々が次第に全貌を見せてくれる。

奥丸山山頂にて photo by金指朋代何か似合わない風景 photo-by金指朋代

 登山道の両脇は花が咲き乱れている。幸いにも私でも知った花が多いので、朋代さんに花の名前を聞かれてもタカネ○○やミヤマ△△になどといい加減な名前を創作せずに済んだ。ニッコウキスゲの咲き乱れる尾根を越えると奥丸山の山頂だ。北アの一角とは言え地味な山頂だが、いろいろな想いが交錯して妙に「成し遂げ感」がつのる。「パパ、ここまで来たよぉ」朋代さんが金ちゃんに語りかけた。
 テント場に戻ると各パーティが続々と集まって来た。60歳を越えるおじさんも居ればヨチヨチ歩きの赤ちゃんもいる。一見バラバラで実はバラバラな三峰会員ではあるが、追悼の気持ちを込めて集まった総勢26名が槍平の木陰で静かに2人の冥福を祈る。
 下山日は天気も良く穂高方面はすっかり見えているものの槍ヶ岳は見えない。事故のあった場所で合掌して下山を開始。帰りは高橋ファミリーと一緒だ。寒いのにナナちゃんのご機嫌も良く、さすが山屋の子だと簡単に納得してしまう。
高橋ナナコでしゅ Photo by金指朋代  1泊2日の山行なのに朋代さんもすっかり馴染んで疲れた様子もなさそうだ。楽しくお喋りしながら辿る下山路は短く感じる。駐車場に着く頃にはゆるキャラおじさん達が追いついて「もーとー」のラストコール。お疲れさまでした。
 朋代さんとおじさん達はバスで帰るとのことで、バスターミナルのある平湯温泉に寄ることにした。田原さんご推薦の「ひらゆの森」という温泉施設には朋代さんもパパと来たことがあるそうで、図らずも良いエンディングになったと思う。ヘンなおじさん達と一緒にバスを待つ朋代さんに若干の心配をしながら私達は一路東京へと向かう。
 追悼山行は悲しみを再現するものではなく、故人と関わった人それぞれの良い思い出を鮮明にさせてくれるものだと思う。そう気づいたのは原稿を書いている今だった。来年もまた槍平に行って思い出をリフレッシュしてみよう。(三澤 記)

〈コースタイム〉
7月20日 新穂高(05:30) → 白出沢(07:30) → 滝谷(09:15) → 槍平(10:45~12:20) → 奥丸山(13:40) → 槍平(15:10)
7月21日 槍平(07:00) → 白出沢(09:30) → 新穂高(11:15)

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