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西丹沢 椿丸
峯川 正行

山行日 2009年2月15日
メンバー (L)峯川、成田、鈴木(章)、山口、前野、森田(温)、森田(純)、川崎

 西丹沢の世附界隈は浅瀬にゲートがあるために林道に車なども入らず、いまでも静かなエリアです。エアリアでも空白地帯であり、多くの魅惑のルートがたくさんあります。その中で一番異質な存在なのが、椿丸の西側に鎮座しております山神様です。幾つかあるWebの山行記録でこの祠を見るのですが、なぜこんな山奥にこんな立派な祠があるのか・・・。そして一番気になるのが菊の御紋章が彫られているのです。なんとも言えないバランスで乗っている石はとんでもないオーラを発しているのは…。と感じてしまいました。やはり、この目で見なくてはいけないと思ったのです。そして、色々と調べていると、この山神様は江戸後期にあった甲相国境稜線紛争において大変重要な意味合いを示していたようです。天保12年(1841年)に甲州平野村の勝之進が訴訟人となり、「国境押領出入」として、当時の中央政府(幕府)に告訴した事件です。そして、弘化4年(1847年)幕府の判決まで、約7年の歳月を経て終結した大裁判であったというだけでなく、現在の神奈川県・静岡県・山梨県の県境が初めて確定した歴史的な裁判でもありました。そんなきな臭いこの界隈が非常に気になってしまいました。ダニの活動が鈍いこの時期にいくしかないということで、この山神様と椿丸の周回コースを例会として出してみました。
 週末に向けて、天気予報を見ているとどうも山行予定日の14日の天気が芳しくありません。春一番で横殴りの雨の予報。できればハンターが入らない14日土曜日に決行したかったのですが、仕方なく日曜日に延期をすることに。直前に浅瀬ゲートの番人に電話をしてどの猟区に入っているかを問い合わせてみると、どうも登りルートのようで、これは現地でコース変更もあるかもしれないなあと。そして翌日土曜日はなんとも天気に裏切られて朝から天気は快晴。でも春一番なので季節違いのような感じの暖かさ。山行日変更で参加出来なかった天城さんには申し訳ないことをしてしまいました。一抹の不安を感じながら土曜日は早めに就寝することに致しました。
 日曜日はほどほどの気温で晴天であり、前日が初夏のような天気で松田も25度まで上がったそうで、そんな陽気では藪を歩きたくなかったです。本日はいつもの谷峨駅ではなく、山北駅でジャンボタクシーを手配して、浅瀬ゲートに向かいます(6530円)。昨日と今日はどうも東山北で百万遍念仏という行事があり、それで中川ハイヤーが終日貸し切りらしいのです。ダムの底に沈んだ世附で昔から行われていた行事で、天井の滑車からつるされた長さ約9メートルの大数珠を力いっぱいに引き寄せては、後ろに放り投げて回転させる「数珠廻し」という珍しい儀式は、約600年前の発祥とのこと。これから向かう世附ではこのような興味深い行事が昔から行われていたようです。
 9時前にゲートに到着し、番人の湯山さんにハンターが入っている場所を教えていただきましたが、やはり椿丸東側の猟区に入っているようなので、取付をひとまず三保山荘廃屋にして予定していたコースの逆から入ることとしました。ピストンにするか完全に逆ルートになるかは椿丸で考えることとしました。三保山荘廃屋まで快晴の中、林道をてくてくと40分ほど歩きます。途中、夕滝見物も致しました。吊橋を渡り三保山荘廃屋の奥が取付となります。途中まで悪沢取水口巡視路なので歩きやすい道となりますが、その道を見やり尾根沿いに進むと伐採がおこなわれた後か、道が煩雑となります。下降の際は少し気をつけたほうがいいかなあと。自然林が少し混じった頃に701m地点で一本とり、北側には椿丸がしっかりと見えました。少し登りをこなして、進路が北側になると一気に下降し、山神様がおられます山神峠に到着です。
なんとも絶妙なバランスの山神様  山神峠はまさしく峠という場所で、祠は思った以上に大きく、びっくりしました。直前の情報では、祠の屋根が昨年の荒天で吹っ飛んだということだったのですが、ここを管理されているどなたかが修繕されたようです。それでも、右側壁部分がつぶれているので痛々しいです。そして、山神様の台座部分には16弁の菊の御紋章がありました。そして側面には・・・奉行と彫られていて甲相国境紛争において大変大事な役割を果たしたのだなあと。
 それにしてもなんというバランスで積まれているのでしょうか。屋根が飛んでもこの上部の石は飛ばなかったのですから。手で山神様をさすってパワーを分けてもらいました。

台座中央に謎多き菊の御紋章が!飛ばされた屋根は修復されていました

 今後、山神峠には何度か訪れることになるかと思います。今後とも宜しくお願いいたします。沢沿いの林道に降りる道はかなり崩壊していましたが、かつては、沢沿いの峠越えのルートは戦国時代の闇ルートとして使われていたという説もあるようです。しばし休憩し、椿丸に向かいます。ここから登り返しますが、このエリアにはミツマタがかなり群生していてびっくりでした。かわいい蕾がたくさんあり、4月にはこの辺は黄色い絨毯を広げたようになるかと思います。ぜいぜい言いながら椿丸からの西側にのびる主尾根に乗るとアンテナがありました。多分、かつての水ノ木集落のアンテナだったのではと思います。黒いアンテナ線は水ノ木方面に伸びていました。ここからは椿丸までは緩い登りですが、ヤブが酷いという事前情報があり、ダニ対策を強化したのですが、どうもスズタケは枯れてしまったようでとても歩きやすく、せっかくのダニ対策も無駄となってしまいましたが、おかげで眺望はよく、北側の織戸峠に向かう織戸林道をしっかりと確認もできました。あっという間に織戸峠、大栂への分岐ポイントの(仮称)大五郎丸に到着です。
カヤト広がる椿丸から大栂方面を望む  かつて誰かが大五郎を木の間に挟んだようです。「昔の友は今の友~俺とお前と!大五郎~」というフレーズが頭を過ります。あとは大学の合宿の際にこの大五郎のコールで撃沈された思い出が・・・。そんなことを思い返しながらカヤトが広がる素敵な場所で、この先には今後行くべき場所である織戸峠や大栂などもあります。次回は、泊まりで菰釣山を目指したいものです。大五郎丸からちょいと先が椿丸です。
 山頂には浅瀬方面からいらした先客のご夫婦がいましたので、ハンター情報を聞いてみました。やはり、広範囲に猟をしているとのことでした。ピストンで引き返すのも時間が12時半で中途半端。エスケープとして椿丸から東側に少し降りるとある法行林道に逃げ込む案も浮かびましたが、やはり浅瀬へ向かうこととしました。もちろん、鈴などを装備して我々の存在を知らせながら歩くことになります。しばし、山頂でのんびりして13時過ぎに出発です。

味のある椿丸山名板眺望のよい椿丸で恒例の記念撮影

 時間を遅めにすれば猟も終わるのではと思っていましたが、歩き出す前にパーンというライフル銃の音がしました。なんとまだ猟をしているようです。椿丸から南東方向に伸びる浅瀬への下降ルートは思いのほか地図読みが必要な尾根であり結構面白いのです。踏み跡はありますが、いくつも小ピークがあり、その都度皆さんに地形図を出していただき、あっちだこっちだと議論をしていただくことに。下りは登りより間違えやすいので、小ピークでは必ず地形図を出す習慣をつけるべきであると思います。地図読みは現場での練習に限ります。
皆さん地形図と睨めっこ!  ハンター対策の為の鈴の装着の外に、私はラジオをつけ、ホイッスルを鳴らしながらそそくさと降りて行きました。この尾根のポイントは838m台地から南側に進む部分、795m台地、780m台地でのZ型のルート部分であるかと思います。道筋はきれいで非常に歩きやすいです。浅瀬の集落が望める780mで最後の一本をとり、浅瀬に向けて南東に走る尾根を一気におります。途中、「おーい」という声がかすかに聞こえました。他の方も聞いたようで、しばらく進むと案の定オレンジ色の服を着たハンターが尾根で監視していました。簡単に挨拶をして猟の状況を聞きましたが、600m付近の尾根の北側で猟をしているらしく、下部からも声が聞こえてきました。出来るだけ北側の谷に体を寄せないようにしてそそくさと下りますが、常緑樹が多いなあと思ったころ、アッコさんが椿を発見してくれました。藪椿でしょうか?椿丸に登ったあとに椿に出会えてなんともうれしい限りです。そして予定より早く、林道に降り立つことができました。林道歩きもなく、すぐに浅瀬ゲートに到着です。タクシーを湯山さんの懐かしの手回し固定電話で呼んで、山北駅のさくら湯(2時間400円)に初めて寄りました。こじんまりしていい感じのお風呂でした。湯船で一日を振り返ってみると今日は逆ルートの方が逆に面白かったなあと。猟のおかげでやむを得ずルートを変えたのですが、なんとも「人間万事塞翁が馬」的な山行だったなあと。とにかく、会ってみたかった山神様にも会え、とても素敵な椿丸のルートも歩け、どんどん西丹沢に嵌ってしまいそうな感じです。皆さんも是非、魅惑の西丹沢へどうぞ!

〈コースタイム〉
山北駅(08:26) → 浅瀬ゲート(08:50) → 三保山荘廃屋(09:44) → 山神峠(11:05~15) → 大五郎丸(12:22) → 椿丸(12:25~13:05) → 838m台地(13:40) → 795m台地(14:10) → 780m(14:20) → 林道(15:03) → 浅瀬ゲート(15:15)


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