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西丹沢・東丸・西丸
峯川 正行

山行日 2009年2月28日
メンバー (L)鈴木(章)、峯川、川崎、宮野、大南

 今シーズンの冬場はできるだけ西丹沢に足を延ばすことを決めていました。前回の椿丸の山行の際に、アッコさんが次は西丸東丸に行く!と言っていて、私も是非同行したいと思っていたのですが、当日は所要があり、参加は厳しいかと思ったのですが、うまく日程調整ができ、駆け込みで参加と相成りました。今回は入会されたばかりの大南さんにもお声をかけて藪山のデビューとなりました。
 その週はどうも菜種梅雨が早く来たかのようで晴れ間がなく、前日にも雪が降っているようでした。今年は雪が少なかったのでアッコさん共々、銀世界で歩かせてもらえると喜んで富士吉田駅に降り立つと、なんとまだ雪が降っていました。予報では土曜日はだんだんと回復してきて晴れ間も見えるとのこと。5人でタクシー(7300円)に乗り込み、山伏峠に向かうとさらにまだしつこく雪は降る状態でした。山伏峠の取り付きから尾根に乗ると、そこは一面銀世界でした。
山伏峠付近は一面銀世界  しばらく雪を見ていなかったのでなんとも気持ちがいいです。ここから甲相国境稜線まで歩き、大棚の頭の先の小ピークまで登ります。ベンチのある水ノ木分岐には西丸・東丸への小さな手作り指導標がありますが、昨年末の菰釣山の山行の時に確認はしておりました。ここで態勢を整えて西丸方面に進みます。西丸までは歩きやすい道なのかと思っていたのですが、思いのほか藪が濃かったです。降雪のおかげでスズタケが垂れてしまい、多少歩きづらかったです。
西丸までの雪かぶりの藪漕ぎ  その頃から雪もやみ、少し明るくなり山中湖が見え、天気が回復してきているようでした。西丸直下の鞍部には指導標があり、金山沢側の沖ビリ沢へのルートが伸びていましたが、立入禁止のテープが張られていました。このルートは水ノ木から伸びる林道につながる道で水ノ木を起点とした林業において重要なルートであったようです。藪が薄くなってきた頃にようやく西丸に到着です。時間は11時でした。感動するような山名板はなく、黄色テープと黄色の杭に「西の丸」と書かれていました。ちょいと寂しい感じでしょうか。
しばらくしたら消えてしまいそうな西丸  エアリアの空白地帯である西丸・東丸において、以前から「丸」が気になり、「丸」について調べていたのですが、「丸」は、山が丸いから丸という名前になったわけではなく、朝鮮語において「マル」は山を表すそうで、現在も屋根の棟をマルと発音するようです。当て字で「丸」になったと思われます。この西丹沢にも畦ヶ丸、檜洞丸など丸がつく山名はいくつかあります。大陸からの人々がこの地に先住していたのではと思いを馳せてしまいます。また、先端、上部ということでマルは高貴、高いという意味合いがあり、城においても「本丸」、また人名についても男性の美称として「牛若丸」という感じで丸をつけたようです。「丸」は非常に奥が深いなあと。
 西丸からは植林帯の方向に進み、しばらく藪が無かったのですが、数分でまた藪が出てきます。それでも下道がついていて歩きやすいのですが、一気に急降下する感じでスリップしないように気を遣いながら下ります。その頃から一面には雪もなくなり、藪にも雪は被っておらず非常に歩きやすかったです。あっという間に西丸と東丸の最低鞍部に到着です。西丸から30分で降りてきました。宮野さんがトップだったおかげで下降は非常に早いです。この最低鞍部はいかにも峠という「匂い」を感じました。いくつか西丹沢に峠を見てきましたが非常に似た匂いなのです。やはり帰宅後調べてみると、大棚沢側から金山第一歩道という名称でこの峠を乗越し、金山第二歩道で金山沢方面に降り、そこにはかつて丸高製板という製材所があったそうで、平野方面へこのルートで板を馬で運んでいたとのことです。そのため、このルートは馬が歩けるように水平路が多いようです。製材所跡付近には丸高製板を取り仕切っていた高橋文平翁の屋敷もあったようで遺構が少し残っているとのこと。この高橋文平は柳島出身の山師であり、大正期に世附の森林の払い下げを受けてこの付近に製材所を作り、手広くやっていたそうです。また探索の宿題ができました!
 さて、ここから東丸までまた登り返しですが、この界隈はやけに真新しい鹿の糞が多く、かなりの鹿が生息しているようです。それもそのはず、このエリアは鳥獣保護地区でハンターも入らないのです。鹿さんも看板がわかるのか安全地帯に避難している感じです。山名板は2枚ほどあり、展望はあまりない山頂で記念撮影をして水ノ木の山神神社目指して下降することに。
東丸にて記念撮影  今日の核心部の下降であり、本格的な読図が求められ、地形図を何度も広げないと山神神社に降り立つことはできないと認識しておりました。東丸から南側を少し下り、進路を東側に変えると一面にカヤトが広がっていました。なんとも郷愁を覚える光景で、どこかのサイトでみたこの光景が頭に焼きつき、東丸に行ってみたいと思ったのです。切通峠からもこのカヤトは見えたような気がします。
気持ちのいい東丸付近のカヤト原  雪が少し残ったカヤトの上を歩くと非常に滑りやすく、一回尻もちをついてしまいました。カヤトを過ぎて植林地帯に入ると、地形図確認ポイントです。標高は910mぐらいでしょうか。気にしないで歩くと大棚方向に伸びる南側の尾根に引き込まれそうです。そちらの尾根はカヤトが続き小ピークがあるのですが、今回はそちらに向かわないで、南東方向に延びる尾根となります。アッコさんは当初は大棚方面に降り立つ予定だったのですが、私がどうしても山神神社に降り立ちたい!と無理を言ってしまいました。以前、水ノ木の廃屋がある場所を偵察した際に、山神神社があり、尾根の末端であることも確認していたので、是非この場所に着地したいというこだわりがあったのです。どうしても行ってみたくなる南側の大棚方面にルートですが、宮野さんが偵察に行ってくれて、カヤトが先に広がっている事を確認していただき、こちらはダメと確証致しました。宮野さんにはいつも偵察して頂き頭が下がります。フットワークが軽いですね。また北側にも降りてしまいそうな感じの道筋でしたが、地形図とコンパスを何度も使って忠実に南東尾根に体を向けます。下降途中も歩く方向が南東かコンパスで確認しながらの下降です。人間は間違えるのは当然で、いかに間違えを早く見つけ修正するのが大事なのだとアッコさんにも教わりました。この先は小ピークにたどり着くたびに地形図を広げて進路を決めることを繰り返しました。だんだん高度を下げ、そのうちに沢音が聞こえるようになり、大棚沢と金山沢の沢音が左右から聞こえてきます。しかし沢床が見え始め、ありゃ!最後の締めで間違えたかなあと思っていたのですが、真下に大きな屋根が見え、右側に目をやると見覚えのある赤い屋根が見えます。赤い屋根こそ山神神社の屋根なのです!少し藪に覆われていたので知らないとそのまま下降してしまうかもしれません。
山神神社に無事着地成功  神社の前に向かい、山行の成功のお礼を致しました。自分が思い描いたルートで降り立つことが出来てなんとも嬉しい限りです。立派な神社で、下には大きな建物があるのですが、以前は本州製紙(王子製紙に合併統合)の山林宿舎であり、この神社はその本州製紙の山神様だったようです。現在は森林クラブという団体が管理していて、植林活動などを行っているようです。そして横にあった物置のような建物は最近撤去されたようです。1ヵ月前に偵察に来た際はあったのですが、なんとも複雑な気持です。
 林道に出てしばらく休憩後、せっかくなので大棚の滝を鑑賞することとしました。水ノ木橋(馬印)から切通峠方向に少し登ると滝を案内する看板がありました。実は滝より、滝のそばにある水力発電の遺構がみたかったのです。滝の上部より水をU字溝で引き、落差を利用してお椀のついた水車を利用して発電を行っていたようです。それほど朽ちていないので昭和40年くらいまで使っていのでしょうか。
 大棚の滝はなんとも豪快な滝でした。霧のような飛沫がかかりなんとも気持ちがよかったです。夏場はここで涼んでもいいですね!

水力発電の貴重な遺構豪快な大棚の滝

 ここから約1時間半の林道歩きですが、流石に疲れました。途中、山神峠へ向かう沢沿いの古道の取り付きを確認しましたが、かなり悪路のような風合いです。
 浅瀬ゲートにつくと湯山さんに挨拶をしようとしたのですがお風呂に入っているようでいませんでした。お店の前の回転式固定電話で中川ハイヤー(5700円)を呼んで山北のさくら湯で汗を流しました。2週間ぶりの再訪ですが、ここは静かでいいお風呂です。
 本日の西丸・東丸は単独ではルート判断や交通手段も含めてなかなか難しかったので皆さんと一緒に行けてよかったです。まだまだ西丹沢には線を引くべきルートが沢山あるので楽しみです。

〈コースタイム〉
富士吉田(08:33) → 【タクシー】 → 山伏峠(09:20) → 大棚の頭(09:55) → 水ノ木分岐(10:05) → 西丸(11:00~05) → 最低鞍部(11:35) → 東丸(11:50~12:15) → 山神神社(13:20) → 大棚の滝(13:50) → 浅瀬ゲート(15:20) → 【タクシー】 → 山北さくら湯(15:50)


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