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帝釈山脈縦走(引馬峠~台倉高山~田代山)
峯川 正行

山行日 2009年5月2日~5日
メンバー (L)鈴木(章)、峯川、成田

 苔むした匂いのするザックと中身の荷物がまだ散らかったままであるが、Webにおいてある場所を調べている。それは引馬峠であり、故人である越前屋さんが最後まで執念を燃やした場所である。山行が終わった後にもう一度調べることは初めてであるかもしれない。それは、また来訪することを意味するのであるが・・・。
 引馬峠・・・。この地名が目に入ってきたのは栃木を拠点にする方のサイトだったかもしれない。その中の記録の中に越前屋さんの名前も出てきて、かなりの人が取りつかれている場所なのだなあと思ったのが最初の感想。そして、かつての交易路の中心的な場所であることがわかり、私自身もそのような古道、峠道に心が惹かれるタイプであり、私も引馬峠にいつの間にか取りつかれていたのかもしれない。
 3月にアッコさんにルームで今年のGWの予定を軽く聞いてみると、引馬峠から台倉高山を歩いてみるとのこと。これは行くしかなく、ここを逃したらなかなか行けることはないはずである。メンバーはN田さんを含め3名と相成り、毎年GW恒例のメンバーである。

【5月2日 晴れ】
 朝から快晴であり、5時30分には浅草の狭いホームに立ち、6時20分発の快速電車を待つのであるが、こうでもしないと、会津鉄道の猫駅長の影響か、車中はとても混雑し北千住からでは座れないのである。3時間の長旅なので流石に往きは座りたい。春日部でアッコさんとN田さんが乗車し、9時前にうら寂しい川治湯元駅に降り立ち、タクシー(11,240円)で女夫渕温泉に向かう。鬼怒川温泉から日光市営バス(1500円)でもいいのだが、到着が12時前となり1時間でも早く到着すべく時間を買うことに。これも後で家に帰ってからわかったのだが、この女夫渕温泉へのバス路線も2社での価格競争があり、この値段まで下がり、結局日光市が民間会社に委託することとなり終息したようである。
 駐車場の脇で共同装備の振り分けをしていると、登山の注意喚起をしている消防団の方が来てあるやりとりとなる。
消防団「頂上は残雪が多いから気をつけてください」
峯川「やったー!アッコさん~尾根上は雪があるみたいだよ!助かったね~」
消防団「林道で落石の可能性がありますから迂回してください」
アッコさん「大丈夫だよ~。迂回しないで行ってみよう」
消防団「・・・それでは自己責任でお願いいたします。お気をつけて」
ということで消防団の方の注意喚起は結局私たちにとっては火に油を注ぐ感じで、最後は諦めてしまったようである。
 いよいよここからは我々3名のみの世界。日射しが強い中、林道をひたすら進むが、奥に行けば行くほど林道の崩壊は激しく、これはやはりこの地域の地質の問題なのかもしれない。二段堰堤を過ぎてS字カーブを過ぎると林道終点らしき場所となるが、この先にあるらしい黒沢第四号橋の先の尾根に取りつく予定なので藪がかかったその先を歩くが、崩壊状態がかなり酷く、一歩一歩慎重に抜けてみたが、その先も全く同じ状況。アッコさんの判断で引き返すことにするが、先ほどの危険エリアを戻るのもまた神経を使う。
林道崩壊が激しい引き返し危険地点  当初の予定のルートと異なるので修正ルートを検討した結果、少し戻ったヘアピン部分の尾根から取り付くこととし、また幸運なことにその場所では水が湧き出ており、今日の幕営地点では雪があるか心配なので各自水を確保することに。時刻は12時前である。登路とする尾根は1725m点と1724m点の真ん中のピークから西側に伸びる尾根で高低差は約300m。藪はササとシャクナゲが7:3という感じだが、行く手を阻むほどではなく前進することには事欠かない。獣道らしきものもあるが人が何度も通ったような尾根ではないことは確認できる。登り始めて2時間で、1724m点と1725m点の真ん中のピークにたどり着く。そこはやせ尾根で少し藪がうるさいが少々休憩をする。尾根はこんな状態なので、幕営場所を探すことにするが、アッコさんが先に行っていい場所を発見。景色もよく、ちょうど雪があり、水も確保可能。先日個人装備で購入したエスパース2~3人テントを早々に設営して雪を溶かして水を作り、17時過ぎにはアッコさん持参のレトルトのさんまの蒲焼きを食すが、非常に美味しかった!歓談もそこそこに19時には就寝。
【5月3日 晴れ】
 本日は 4時起床、5時45分出発。多少高曇りのような感じで暑さを感じず助かる。本日はまずは平五郎尾根に合流し、引馬峠を目指すことが第一目標。時間があれば台倉高山も越したい。引馬峠までは、コンパス地形図を多用するようなS字ルートであり絶対に間違え尾根に乗らないように気を付ける。頑張って平五郎尾根に登れば、いくつかアップダウンをこなしホーロク平に到着。会津の方言でホロクとは「迷う」を指すようで、確かに雪に下草が埋まってはいるが、周囲の景色が全く同じであり、コンパスがないと全く地形が読めない。
迷いそうなホーロク平  コンパスを片手に引馬山の裾を西側になぞるようにトラバースしながら登り、9時に念願の引馬峠に到着。自分の予想ではもっと狭く、暗いイメージだったのだが、ここもホーロク平のようにとても広く、景色が全く同じである。先日探索された水準点の山名板を何度もぐるぐる回って探したのだが見つからず。諦めてザックを下ろしている場所の立木に赤テープを巻き、そこに(仮)引馬峠と、アッコさんは赤布に「三峰山岳会」書くこととする。たぶん我々が設置したものはわかりやすい場所なので他の人もすぐに発見できるかと思う。
今後お世話になるであろう引馬峠にて  長い休憩でそろそろ腰を上げようかと思っていると、かすかに鈴の音がして、単独のおじさんが降りてくる!ひとまず声をかけ情報を交換する。これで田代までのトレースは大丈夫だなあと思いながら引馬山へ直登をすることに。藪が多く、雪もぐずぐずで踏み抜きを気にしながら慎重に登ると、岩稜部に開けた場所があり、そこが引馬山であり三角点もある。しばし素晴らしい景色を堪能し、台倉高山方面に進路を進めることに。
気持ちのいい尾根道の先には台倉高山  樹林帯から抜け出し、ここからはしばし快適な雪を追いながらの快適な稜線歩き。尾瀬側から常に風が吹いていたのか、雪庇は栃木側に張り出しているが、先週降雪がかなりあったようで、クラック箇所もなく藪を気にすることもなく快適に進むことができる。振り返れば、女峰山や日光白根山など日光連山達が微笑んでくれる。台倉高山という名前はよくしたもので、確かに台形のような形ですらっとしてなんとも凛々しい。ということは登りはかなり厳しいということなのだが、樹林帯の中、N田さんがトップでがしがし登っていく。それにしてもN田さんは元気だなあと。私なんぞ、N田さんについていくのがやっと・・・。頑張って台倉高山の山頂にでると、いかにも人工物の指導標が現れるが、数年前に馬坂峠から登山道が復刻されたようだ。6月以降になるとここにも多くのハイカーが訪れることになるであろう。
すっかり開発された台倉高山  素晴らしき景色を眺め、記念撮影をして、向かうべき次のピークをみると、こんなとこ登れるのか!という感じのピークが見え、そこがエアリアでは北峰と記載されていることがわかった。夏道はどうも東側をトラバースしているようで、私的には先ほどの単独の人の踏跡もあるので、トラバースもいいかと思ったが、N田さんが登ろう!とトップを行っていただいているので、意見を尊重して頑張ることに。取り付いてみると思いの外直登がそれほど厳しくなく、あっという間北峰のピークに到着。N田さんがピークから派生する長大なもう一つの尾根方向の樹林帯に行って探索していると、昔の山名板があったとのこと。行ってみるとこれはかなり古い明大ワンゲルのMプレートであり、後から書き加えた感じで台倉高山と記載してある。これはアッコさんと越前屋さんが「もうひとつの台倉高山」と記載した所以であったのである。そこから西側に延びる尾根も非常に興味をそそられた。
台倉高山北峰への急登をこなす  ここから一気に転げるように鞍部に降り立ち、この鞍部に幕営することは暗黙の了解であったかのようにザックをおろし、テントの設営に取りかかるのである。ここは先ほどから微笑んでいる女峰山などの連山がばっちり拝め、また鞍部ではあるがそれほど風もなく最高の幕営地点であった。今日の食当は私であり、レトルトの角煮で、おかず乏しくもう少し担ぎ上げてくればよかったと反省する。ここでも水を6リットルほど作る。MSRは快調に雪を溶かしてくれる。

【5月4日 曇り時々晴れ】
 翌日も昨日と同じ起床、出発。天気も昨日と同じ様子。しばらくアップダウンをして2033m点の広い台地上を目指すが、トップで私が歩いていると、多少方向がずれてしまい尾根から外れ気味になり高度を下げてしまう。アッコさん、N田さんもおかしいと思い始め、N田さんはできるだけ高度を下げないように歩き、お互い平行に歩くことに。私が少し登り返して成田さんと合流すると、そこにはまたもや立派な指導標があり、「山頂まで40分/駐車場まで1時間」と書いてあるが、夏道では本当にここから台倉高山まで40分でいくのだろうか。些か疑問を感じてしまった。鞍部から少し登っていくと広い平原が広がる2033m点に到着。雪に覆われているが多分ここは湿原なのであろう。先に見えるこんもりしたピークはエアリアなどでみると巻いて行く感じで馬坂峠に進むようである。実際に進んで見ると木に赤ペンキが塗られ、トラバースして下っている。これで馬坂峠は余裕で到着!と浮かれていたのだが、やはりこの時期のトラバースルートというものは困ったもので、まさしく踏み抜き大会となってしまった。無積期なら下道もついていて何ら問題ないかと思うのだが、なかなかルートを探すのが大変で、最終的には馬坂峠には予想以上の巻道で行くこととなり、この時期はやはり尾根を歩けばよかったと反省する。
 ようやく街のような馬坂峠に到着であり、これほど手が入っているとは思ってもいなかった。シーズン時期にはトイレも設置され、帝釈山、台倉高山への基地として格好の場所なのである。檜枝岐村も最近は歌舞伎で人気になり、この林道を整備する予算もおりたのだろう。
駐車場完備の立派な馬坂峠  腹ごしらえをして、帝釈山に向かうがこちらも下道は雪に埋もれ、踏み抜きに気をつけながら樹林帯を直登して1時間ほど登りようやく山頂に到着。ここからの景色も最高であり、平な田代山もすぐ目の前であり、遠くにはとがった台倉高山が見える。また山頂北西方面への尾根は非常に興味をそそられ、白身山を通り最終的には檜枝岐と木賊との間の小峠付近に降り立つことも可能であり、残雪期にいつか歩いてみたいものである。
帝釈山より田代山を望む  山頂からしばらく気を遣うようなナイフリッジを歩き、途中から西側を巻くようなトラバース道となる。これが非常に難儀したトラバース道であり、赤ペンキなどの印が途中でぱったりと消えてしまい、田代山からのピストン組のトレースはまた登り返しているので、それを追うがどう見ても無理して歩いたような斜度を登りかえることになり非常に大変であった。尾根に出ることができたが、どうも登山道はもっと下の鞍部に出るはずである。その鞍部に行ってみると状況がよくわかった。田代山から帝釈山へ向かう時のトラバース道への入り口に倒木が被さってしまい、封鎖状態なのである。このためにピストン組も迂回してトラバース道に取りついたのである。檜枝岐村もシーズン前にこの倒木を処理しないと一般登山者は歩くのに難儀することであろう。田代山へも樹林帯を登るが、斜度が緩くなってくると先頭のN田さんから小屋が見えると声があがる。これが弘法大師様が祀られている珍しい避難小屋である。扉を開けて拝んできたが、ここでシュラフで寝るのはどうも落ち着かないなあと。でも緊急時はそんなことを言っている場合ではなく弘法大師様が神様に見えてしまうであろう。
 湿原でゆっくりしようということで、雪解けしている木道を歩くがまだ、花などもなく寂しい風情である。それでも、湿原の先に真っ白な平ヶ岳が見えて素晴らしい光景であった。猿倉登山口の分岐でアイゼンをはずして、あとは一般ルートで木賊に下山だという感じで少し緊張がゆるんでしまった感じであった。猿倉側からはトレースも付いており、林道はある程度除雪がすすんでいるのかもしれない。

弘法大師様がいらっしゃる田代山避難小屋静粛な田代湿原

 田代山の山名板で記念撮影をして、木賊方面に進むが、予想したとおりに踏み跡はなく、積雪が結構あり、ロボット雨量計がある小屋が見えると、その先の尾根が見えたのだが、尾根の雪を見てアイゼンを再装着することに。まだ雪庇が出ているので気持ちを引き締めて下山しないといけない。先ほど休憩している時はもしかしたら林道に下りて幕営できるかもと思っていたのだが、この光景で今日の夜はまだ山で過ごせることを確信したのである。
 藪も多少出ているが、思いのほか雪を追えてペースがあがる。昔の看板であるが木賊温泉と書かれたものがあり、かつては結構こちらも人が入ったのである。「木賊」と書かれた指導標がある1790mピークに到着し、あまり気にすることもなくその方向に進むがその先にはやけに新しい「田代山」と書かれた看板があり、なんとも不可思議。コンパスを当ててもどうも方向がずれているので、現在位置を確認するとやはり北東側の伯母ノ岐沢方面への尾根に入り込んでいたのである。エアリアにも伯母ノ岐沢方面へ迷い込まないようにと書かれているのだが、まんまと入り込んでしまったのである。それにしてもあの「田代山」と書かれた看板が気になる。この看板のせいで、N田さんも登り返しながら、「やっぱりこのルートでいいんじゃないの?」。そして登り返しているN田さんから「登山道があった!」という声が上がる。ピークの分岐からの木賊への登山道は雪に埋もれ分かりづらくなっていたのである。気持ちの緩み、疲れが出たのか最後に失敗である。それでも早めにルートミスがわかって助かった。あの看板をいつまでも見ていたらそのまま進むところであった。しかし、あの看板の意味する事は明日判明したのである。ルートミス分の登り返しもあり、時間は15時前となり今日はそろそろ幕営だね!ということになり、雪が貴重になる高度なので、早めに決断をして狭い場所であったが幕営地を決定。今日の夕食はN田さん定番の酢豚であるが、野菜盛りだくさんであり一緒に山に行くたびに美味しくなっているような気がする。

【5月5日 曇り】
 最終日の朝もやはり昨日までと同じような天気。夜には天気が崩れるというのでいそいそと下山。高度を下げるにつれて春を感じるような登山道となり、ショウジョウバカマを見つけて写真を撮ったりする。沢音が聞こえるようになると、フキノトウなどの山の恵みに出会うことになる。林道に下り立ち、木賊温泉への2時間の林道歩きで今回の山行の余韻でも浸ろうかと思っていると、軽トラックが横に停まり、おじさんが「どこにいってきた?」というので、「引馬峠からです」というと驚いて「木賊までは遠いから乗っていくか?」というので喜んで乗車するが、私にとって、山の下山の際の林道で荷台に乗車するのが初めてなので感激である。遊園地のアトラクションとは比較にならないほど楽しかった。荷台から見える原風景がとても気持ちがよかった。アッコさんは荷台乗車は常連なので慣れたもの。木賊温泉にあっという間に到着して、おじさんにお礼を言って広瀬の湯に行ってみると、まだ時間が早いので開いていない!それもそのはず8時過ぎではあいているはずものない。アッコさんが機転をきかせて民宿に声をかけてきてくれて、お願いをしてお風呂に入らせていただくことに。しゃくなげ荘の離れの温泉小屋であるが、久々の湯はとても気持ちがいいものである。少しは体が締まったかと思ったが、むしろ登りはじめより太っている感がして、年をとったものだなあとつくづく感じてしまった。ここからはタクシーを呼んで会津高原尾瀬口駅に向かい、アッコさんが以前行って美味しかったという駅前の食事処で山行の成功をみんなでお祝いをして、ほろ酔い気分で帰京となる。
 今回の引馬峠を中心とした山行は天候、雪のコンディションにも恵まれて無事終了することができた。今回の山行は越前屋さんが最後まで執念を燃やした引馬峠にどうしても行きたかった。それは越前屋さんに対する思いが強かったからかもしれない。私は越前屋さんと山行を共にしたことがほぼなく、自分の考えでは私は越前屋さんには認められていなかったと今でも思っている。今回の山行でほんの少しは越前屋さんに認めていただけだろうか?天国から越前屋さんは「まだまだだな~。引馬峠には何度もいかなくては駄目だ!」と言っているかもしれない。今後も引馬峠は何度も訪れることになりそうで、今年の秋のGWにでも平五郎尾根から行ってみたいものである。

〈コースタイム〉
【5月2日】 浅草駅(6:20) → 川治湯元駅(8:59~9:05) → 【タクシー(11,240円)】 → 女夫渕温泉(10:10~25) → 黒沢林道終点先崩壊地点(11:55~12:10) → 【引き返す】 → 尾根取付点【水場】(12:15~35) → 1,724m点南方ピーク(14:51~15:00) → 1,724m点南方鞍部【幕営地点C1】(15:05)
【5月3日】 1,724m点南方鞍部【幕営地点C1】(5:45) → 1829m点(6:30~40) → 1896m点【平五郎尾根合流】(7:30~7:35) → ホーロク平(8:35) → 引馬峠(9:10~10:00) → 引馬山(10:25) → 1895m点先鞍部(12:05~12:25) → 台倉高山南峰(13:10~13:40) → 台倉高山北峰(14:00~10) → 北峰先鞍部【幕営地点C2】(14:15)
【5月4日】 北峰先鞍部【幕営地点C2】(5:45) → 2028m点(6:00) → 2033m点(6:43~7:05) → 馬坂峠(8:20~50) → 帝釈山(10:05~35) → 田代山避難小屋(12:10~20) → 田代山(13:05) → 【木賊温泉ルート】 → ロボット雨量計(13:18) → 1888m点(13:35) → 1790m点(14:00) → 【伯母ノ岐沢ルートへ道迷い】 → 1790m点(14:40) → 1720m付近【幕営地点C3】(15:10)
【5月5日】 1720m付近【幕営地点C3】(5:45) → ほどくど橋(7:13) → 軽トラック乗車(8:05) → 木賊温泉(8:20) → しゃくなげ荘にて温泉(8:50~9:40) → 木賊温泉(10:00) → 【会津高原タクシー10,400円】 → 会津高原尾瀬口(10:30) → お食事(10:40~11:10) → 快速浅草行乗車(11:47) → 北千住(15:30)

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