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アイランドピーク
高橋 俊介

山行日 2009年3月8日~28日
メンバー (L)高橋(俊)、他1名

 訳あって約1ヶ月の休暇ができてしまった。まだ1歳の乳飲み子も抱える父親の身としては家族旅行でもするかな~と思っていたが、友人のT君より「こんなときじゃないと海外遠征はもう一生行けないよ」という魅惑的な発言を聞いてしまったら、そりゃそうだよね~と思わずにはいられなくなってしまった。T君は自営業で比較的融通は利くのでスケジュールは小生に合わせてくれるとのこと。度重なる家族への説得の末、カミサンもこの機会を逃すと一生行けないと思ってくれたらしく、なんとか了解を得ることができた。心より感謝!
 やはり6,000m級には登りたいと思い、行き先をアイランドピーク(6,160m)に決定。海外遠征は準備が大半を占めるのだが、家族への説得、帰国後のスケジューリングなどでT君に最終的な参加表明をしたのが2月初旬であった。ここからのスタートで現地のエージェント選び、食料計画、装備、保険、チケットの手配など駆け足で決めていった。現地の代理店は数社から見積もりを取り、費用・レスポンスの良さから「Ghale Trekking Tours」に決めた。ガイドは英語のみであったが事務方は日本語可なのでメールでのやり取りは非常に簡単であった。以下日程ごとの記録である。

3/8
 いよいよ、この日が来てしまった。参加表明した時点で出発まで1ヶ月を切っていたので大したトレーニングも高度順応もなく淡々と準備をこなしていくだけで出発日を迎えることとなった。成田12:00のフライトであったが、新潟からの移動だと朝一番の新幹線に乗る必要がある。興奮しているせいか、あまりよく眠れぬまま4時半に目が覚める。窓の外は小雪。普通だとタクシーで駅まで行くのだが、今更だがトレも兼ねて1時間雪の中駅まで歩く。一応飛行機の重量制限も加味して20キロまでザックの重さを削ってきたが、ひさびさの重さになんだかいよいよ行くんだなぁ~という実感が沸いて来た。
 新幹線・スカイライナーと乗り継いで成田到着。空港でT君と落ち合い、出発前にとT君の奥さん含め3人で寿司を食べる。今回バンコク経由でカトマンズ入りしようとチケットを探してみたがタイ航空のPEXしかなく 万もするのでデリー経由のエアインディアにした。こちらだと週4日も飛んでいるし、乗り継ぎも比較的よい。寿司を食べていると場内アナウンスでエアインディアのことが流れ始めたのでどうせまた遅れるんだろうと思っていたら、なんと、出発時間が早まったとのこと。急いで食事を済ませ、あれよあれよという間に出発。
 デリーに定刻どおり18:00到着。珍しい・・・。僕はインドに来るのは3回目。去年の8月に仕事でも来ている。カトマンズへは翌日の15:30のフライトのため、適当に宿探しをすることとしプリペイドタクシーで安宿街のインドラチョークへ向かう。何件か当たってスターパラダイスというゲストハウスに泊まる。一泊250Rsと少々高めだったが、疲れていたし、一泊だけなので良しとした。食事に行こうと思っていたが疲れ+排気ガスにやられ頭痛がしたのでそのまま就寝。

3/9
 15:00のフライトなので、デリーの町をぶらつく。さすがにインドは3回目なのでとくに欲しいものやこれといって行きたい場所もなくダラダラ過ごす。デリーの町は相変わらずボッタクリや麻薬の売人が多くチョークを歩いているとすぐに声をかけられ、どうにも好きになれない。チャイを飲み、コンノートプレイスのみ観光し空港に向かった。いよいよ午後にはカトマンズ入りだ。
 少し遅れたものの無事にカトマンズ到着。イミグレで入国カードを記入しているとネパールで日本語教師をしているという方から声をかけられた。アイランドピークに行くと話すと、この間カラパタールまで行ってきて、また、この夏にはチョーユーに行く予定とのこと。こちらに住んでいると気軽にヒマラヤに行けるみたいでちょっとビックリ。
 空港でGhaleのスタッフにピックアップしてもらう。空港を出た途端僕らの荷物めがけて30人くらいが群がってきて我先にと車に荷物を積み込もうとする。積み終わった後で、
「Hey、ミスター、10ドル」といつものパターンだ。ネパールもかれこれ3回目なので、このスタイルも分かっていたので一切無視しGhaleのドライバーに、「さぁ、出発出発!」と車を発進させる。今日の予定は、これから事務所に行きガイドの紹介、装備・食料等事前打ち合わせをするとのこと。
 タメルにあるGhaleの事務所でメールの相手であったMr.Ram Ghaleから歓迎を受ける。奥さんが日本人で日本語は堪能。また、ガイドであるジェッタさんと挨拶を交わす。経験豊富なガイドで聞くところダウラギリ、アマダブラム等の登頂経験者でありアイランドピークはもう何度も登っているとのこと。食料・装備チェックを行った後、ホテルマナスルにチェックインする。連日の移動なので、明日は休養日とし明後日出発とした。明日は生鮮食品や小物の買出しをしようと思っていたが、なんと明日はホーリーで商店は皆閉めてしまうとのこと。まぁ、これもある意味ラッキーとしよう。
 モチベーションが一気に高まってきた。カトマンズ入りを祝してホテル近くのネパール料理屋でネパーリーウイスキーで乾杯!なぜかお互いの恋愛話で盛り上がる。

3/10
 今日はホーリー。外出しないほうが良いと言われたが、天気も良いしホテルにいてもしょうがないのでタメルに行ってみる。ましてカトマンズでは計画停電を実施しており、一日16時間は停電している。つまり一日のうち8時間しか電気が来ないのである。なおさらホテルにいてもしょうがない。
 やはり店は軒並みシャッターを下ろしている。タメル地区に入った途端色粉を溶いた水風船をあっちこっちから投げられまっかっかにされてしまった。
 夜、T君がおなかの調子が良くないというので日本料理屋に行く。ちょっと心配。

3/11
 今日はいよいよ出発日。5:30にホテルに迎えに行くからと言われていたが、予想通り(?)6:00に迎えに来る。迎えにはサブガイドのケービーさんも来ていて挨拶を交わす。6:45のルクラへのフライトを取っていると言っていたが間に合う訳もなく、9:00のフライトになってしまった。どうやらガイドが寝坊したらしい。ルクラへのフライトが核心と一部で聞いていたが、特に揺れるわけでもなく無事にルクラ到着。ルクラでポーター2名を雇う。どうやらジェッタさんの親戚らしい。年を聞くと2人共、16歳とのこと。ルクラでFIXロープやら調理用具やら必要装備を揃え、ようやく準備が整ったころには12:00を過ぎてしまっていた。まあ、今日はパクディンまでの予定なのでのんびり出発。前回はアンナプルナに行ったがクンブはやはり山が近い。6,000m級の山がごろごろしている。天気も良いし非常に気持ちがいい。3時間ほど歩いてパクディンに到着。
・ルクラ(12:50)~パクディン(15:30)

3/12
 今日はシェルパの町ナムチェまで。何度かドードゥコシにかかるつり橋を渡りながらトレッキングする。モンジョにて昼食、以前アンナプルナをトレッキングした際、途中のバッティで食べたふかしイモの味が忘れられずここでもフライドポテトをオーダー。やはりネパールのイモは小粒ながら味が濃く本当においしい。ジョルサレにてチェックポストがあり、ここからナムチェまで600mほどの急登になる。この登りで高度障害になる人もいるらしい。一応、ペースを抑え気味にしてビスターリビスターリで登っていく。途中のレストポイントで初めてエベレストが顔を出した。
ナムチェ  ナムチェに着くとすぐにチェックイン、Hotel Tibetに宿泊。ここはタムセルク、クシュムカングル、コンデなど6,000m級の山々に囲まれており素晴らしい展望を部屋から見ることができ、最高の気分だ。また、このホテルはオープンしてから7ヶ月しか経っておらず宿泊客もウチらのパーティーのみ。シャワーも水洗トイレもあり日本の山小屋よりもはるかに良い設備である。
 しばしの休憩後、ここでもチェックポストに行きゴミのデポジットとしてRs350を支払う。今回はパッケージにしているので支払いはすべてガイドがやってくれた。街中をブラブラしポストカードと地図を購入。明日もここナムチェに滞在し高度順応日としているので適当に切り上げホテルに戻った。
 夜、薪ストーブ前でサブガイドのケービーと談笑、ケービーは30歳半ばで独身だが彼女アリ、ノキアのケータイでメールしているようだ。
・パクディン(7:40)~ナムチェ(14:20)

3/13
ナムチェを見下ろす  今日は高度順応日。とは言っても少しでも順応するためシャンボチェ経由でエベレストビューホテルまで行く。ここのホテルは日本人が経営しておりその名の通りここのテラスからエベレストを見ることができる。ホテルの高度は3,880mだが2人とも全く問題ない。僕は今までの経験上4,500mくらいまでは問題なく行けると思っている。今回行程に入れているチュクンリ5,500mがこなせればアイランドピークは行けると思う。もちろん体調もあるが、これも経験からしてトレッキング最中にベジタリアンになることで至極調子が良くなることを知っている。ダルバートとじゃがいもがあれば全く問題ない。
 道中、シェルパミュージアムに立ち寄る。日本の農村風景と非常によく似ており共感を覚える。
 ホテルに戻り洗濯、ダウンジャケットをレンタルする(Rs100/day)。夕方メールチェック。
・ナムチェ(8:00)~ナムチェ(12:00)

3/14
 朝、時間があったのでバザールを見学後に出発。シャンボチェの丘に向かうルートとの分岐でジャケットをT君がザックにしまっている間、道を空けるため20mくらい先で待っていたところT君が一向に来る気配がない。あれ?と思い皆で探しに行くが2時間探してみたが見当たらない。反対方向から日本人を見たかどうか?聞いてみても、皆口を揃えてみていないという。しょうがないので、サブガイドを残してタンボチェに向かう。道も良いし迷うようなところも皆無だと思うのだが・・・。
 結局、タンボチェ入り口のゲートに先に着いていた。通常はシャンボチェへの登り返しを避けるためトラバースルートを取るのだが、直登してしまったとのこと。とりあえずは一安心。
 明日から4,000mに入るが僕はすこぶる調子が良いがT君の体調が悪化し始めている。せきや鼻水、またそれを抑えようと薬を多用しているのを見ると心配になってきた。また、今日の行程ではぐれたことでペースを上げて悪化させたのかもしれない。しかも明日の出発時間を遅らせてほしいと言ってきた。予備日も設けているので明日の様子を見て停滞するかどうか決めたいと思う。
・ナムチェ(8:00)~タンボチェ(15:00)

3/15
 T君も回復の兆しを見せていたので予定通り出発。4,000mを越え、アマダブラムを見ながらドゥードコシ沿いに登って行く。とはいってもダラダラ道なので特に問題になるようなところはない。お昼前にはディンボチェに到着。午後時間があるのでディンボチェの裏山に登る。4,500mくらいだろうか。天気が下り坂なのでホテルに戻る。夕刻より降雪。ここでもまだまだメールやインターネット、バッテリーチャージができる。明日はチュクンに入る。いよいよベースキャンプ(BC)が近づいてきた。
・タンボチェ(8:30)~ディンボチェ(12:00)

3/16
 昨晩は降雪があったが幸い積もるような雪にはならず、トレッキングシューズでチュクンに向かう。ここもまだダラダラ登りを約2時間でチュクンに到着。到着してからT君より体調が良くないと言ってきた。僕はいわれてみれば頭が重いような・・・くらいで昼食も完食。14:00くらいから降雪。ガイド曰く、乾季で2日続けての雪は珍しいとのこと。高度順応のため4,900mまで登ってみるが問題なし。
 ホテルに戻ってから天気回復を祈って、てるてる坊主を作る。ボーイに奇妙な視線で見られているので、てるてる坊主の意味と作り方を教える。
・ディンボチェ(8:50)~チュクン(11:10)

3/17
 今日は朝から快晴、高度順応のためチュクンリを目指す。5,000mを越えたあたりから呼吸が苦しくなってきた。ビスターリビスターリで登って行く。マカルー、ローツェシャール北壁を見ながら本当に360度見渡す限りの山々の中高度を上げる。
チュクンリ(5.550m)から見るローツェ  チュクンピークとチュクンリのコルに上がると、プモリ、チョーユーまで見渡せる。コルから約1時間でチュクンリに登頂。ピークにはタルチョーがかかっていた。ここからの眺望はヌプツェ、ローツェの北壁が迫る。アイランドピークも雲一つなく見渡せる。単独の日本人トレッカー以外は他に登ってくるパーティーもなく大満足。ピークで写真を取り合ってから10:40くらいには下山開始。下山し始めるとすぐに雲がわき始めてきた。夕方より降雪。この数日ずっとこのパターンである。いよいよ明日BC入り。この天気パターンから、やはりハイキャンプ(HC)を設けて午前中のうちにサミットしたい。夜、ユマールをレンタルし、装備の最終チェックを行う。
・チュクン(7:15)~チュクンリ(10:20)~チュクン(11:50)

3/18
アマダブラムをバックに  いよいよBC入り。イムジャコーラ沿いに3時間ほど歩くとBCに到着。通常だと、キャンプから北稜に向かう途中で水を確保できるようだが今年は水がかれておりかつ雪も水を作れるほどない。そのため、この登山期間中ポーター達が毎日一時間ほど下ったイムジャコーラから水を担ぎ上げることになった。BCにはだれもいない。どうやらこの日程で入ったのはウチらのパーティーのみのようだ。ベースキャンプは約30張りほど設営が可能な広さである。
 BCへの途中、カナダ隊、日本隊とすれ違い情報交換をするとどちらのパーティーも6,000mまでであったとのこと。頂稜リッジ手前の雪壁に2mほどのクレバスが走っており、どうやっても越えられないと話していた。しかもそのクレバスにたどり着くまでにも1mほどのクレバスが数箇所走っておりザイルを引いてジャンプして越えたと興奮気味に話していた。どうやらルート状況は良くないようだ。カナダ隊のガイドも今シーズン中の登頂はまだいないと話していた。これも地球温暖化の影響なのだろうか。各隊のガイドもこれまで何度もアイランドピークには登っているがそんなクレバス見たことないと口々に話している。とにかく行けるところまで行ってみよう。夕方、BCより一段高い場所にヤクにて荷揚げしてきたパーティーあり。
・チュクン~BC

アイランドピーク・ベースキャンプまでベースキャンプ

3/19
ハイキャンプから見たアマダブラム  午前中、高度順応を兼ねてHCまで行ってみる。HCより一段上の5,600mまで行ってみるが、チュクンリに行ったときより格段に呼吸が楽になっている。食欲も旺盛、頭痛もまったくない。僕は絶好調なのだが、パートナーのT君は頭痛・せきがあり本調子とはいえないという。明日、HC設営し翌朝体調が悪ければアタックはやめておくとのこと。
 BCにて昼食後、BC裏山でロープワークの確認。他パーティーからの情報をもとに確保、ユマーリング、懸垂下降の確認をする。ここまで来たからにはやれるとことまでやってみたい。
・BC(9:00)~HC(10:20)~BC(12:00)

3/20
 HCを設営。朝アメリカ人の親子がBCよりアタックかけたが5,800mで断念したとのこと。また本日ドイツ人ガイドが単独でルート偵察行っている模様。少々頭が痛いような気もするがさほどでもない。T君の体調は相変わらずのようだ。体調からか登頂に対してかなり弱気になっているようだが、僕はまったく諦めていない。すれ違ったパーティーよりウチらのパーティーのほうが体力的にも技術的にも力量があると思っているからだ。ガイドのジェッタも飄々としている。なんとかルート工作したいと思う。きっと何かしらの突破口はあるはずだ。今日もやはり11:30くらいから雲が沸き始めた。午前中での登頂を見込み、明日2:00起床、3:00出発と打ち合わせ就寝。
・BC(9:20)~HC(10:50)

3/21
 2:00起床、3:00出発。シュラフから這い出てみると満点の星空である。他パーティーからの情報もいろいろ聞いているがとにかく行ける所まで行ってみることにする。T君もここまできたからには行けるところまで行くとのこと。ガチャ類はポーターが5,800mの氷河末端まで荷揚げしてくれるとのことなので遠慮なくお願いする。4人で出発し登っているとBCから3人パーティーのヘッドランプが見える。この3人パーティーがぐんぐん高度を上げて追いつかれてしまった。スイス人2名とガイド1名のパーティーでBCからアタックかけるという。先に行ってもらいウチらはビスターリビスターリで登っていく。5,800mのマニ岩まで来ると明るくなり始め、また、氷河の末端がそこまで見えてきた。ここでガチャ類を身に付ける。ポーター達にお礼をいいガイドとアンザイレンする。氷河に乗り上げですぐにうわさのクレバスが出てきた。幅1~1.5m、深さ30mほどが連続で2箇所走っている。周りもかなり崩壊してしまっている。しょうがないのでここで空荷でロープを付け一気にジャンプする。それほどの距離はないし確保があるとはいえ緊張する。全員無事にクレバスを越えるとスノープラトーが広がりそのプラトーの先に頂稜リッジへ続く雪壁が見えてきた。ところがこの雪壁が崩壊+溶解と氷化を繰り返すうちに逆ツララ状、要するに針山化しており歩きにくいことこの上ない。また、雪壁取り付きから12mほどで大規模なベルクシュルンドが走っており、どうやらこれを越えられるかどうかが核心のようだ。
頂稜リッジへ向かう  ガイドもこんなシュルンドは初めて見るという。スイス人パーティーも同様に立ち往生しておりお互いに協力してルート工作することとした。スイス人パーティーのガイドとウチらのガイドでルート工作開始。スイス人パーティーのガイドがトップでルートを切り開いていく。核心のシュルンドも苦労しながらもアイススクリューを要所々々に効かせ微妙なバランスで突破した。リッジまで約200mほどFIXロープを設置。残りのメンバーもこのFIXを使いユマールで登るが足元が針山化しているのでこれでもバランスを保つのが難しい。このシュルンドでどのパーティーも敗退したようだ。リッジ上に上がるとピークへ導くようにここもFIXが張ってある。ここは非常に急峻なリッジなので足元には注意が必要。リッジを慎重に詰めていくと、タルチョーが見えてきた。11:00アイランドピーク登頂。無風快晴、感激のあまり男泣きをしてしまった。

リッジからピークへピークにて

 写真を取り合ったりで約20分ほど滞在、下山する。この下山も針山の上での懸垂下降なので非常に悪い。氷河末端までくるとヘロヘロ状態であった。氷河末端まで、また、ポーターが迎えに来てくれており喜びを分かちあって下山。当初、BCまで下山しようとしていたがヘロヘロだったのでHCにそのままステイした。
 今回、情報交換したアメリカ、アイスランド、ドイツ、カナダ、日本の各隊から皆敗退したとの話しか聞いていなかったので、やれるだけやろうと心に決めていた。ただし、内心、絶対に行けるとも思っていた。ガイドも飄々としていたし、ウチらのパーティーの力量も把握していたので天候さえ持ってくれれば登頂できる自信に揺らぎはなかった。同行してくれたT君、ガイド、ポーター、また遠征を許してくれた家族に心からありがとうと言いたい。
・BC(3:00)~サミット(11:00)~HC(15:00)

3/22
 昨夜は疲れていたのでスープのみ飲んですぐに寝てしまった。夜19:00くらいから降雪。この雪は結構降り続き朝起きてみると3cmくらい積もっていた。朝食後、のんびりと撤収準備をしているとチュクンで一緒だったドイツ人ガイドがソロで登ってくる。天候が安定しないため、デポしたガチャを回収しに向かうとのこと。どうやら彼らはアタックを諦めたようだ。途中ディンボチェで休憩しているとアイランドピークにこれから向かうという欧米人と情報交換する。やはりクレバスのことは知っていたようだが登頂したとの話は初めて聞いたようでびっくりしていた。
 パンボチェにてステイ。他パーティーは誰もおらず快適、バフモモを注文し約2週間ぶりに肉を食べる。食後、外に出てみるとあのスイス人パーティーのガイドと偶然出会う。改めてルート工作のお礼を言うと、明日からまたアイランドピークに行くとのこと。
・HC(9:00)~パンボチェ(16:00)

3/23
 久々に爆睡した。今日も下りなのでのんびりと出発。だらだらと高度を下げていく。サナサで昼食。ここの主人が今日の宿泊先であるHotel Tibetと同じ経営者とのことで家の中でポテトを食べながら2時間近くも過ごしてしまった。ナムチェに着いてからチェックポストに行きデポジット350ドルを返却してもらう。その後、ダウンジャケット返却。ナムチェでソフトシェルジャケットを買おうか迷ったが、サイズがいまいちなのでカトマンズで買うことにする。夜、みんなで登頂祝いをする。アイランドピークの状態の悪さは皆知っているようで登頂してきたと話すと、祝福の声がかかる。明日、パクディンの予定をルクラに変更。明日でトレッキングも最終日。
・パンボチェ(9:00)~ナムチェ(15:00)

3/24
 とうとう今日が最終日。もともとパクディンで1泊する予定だったが、一日で行ける距離であることと天候が不安定であるためルクラまで一気に下山することにした。やはり下山なのでタムセルク等が見えても山が遠く感じられあまり感動がない。8時間ほどかかってルクラに到着。下山祝いでアイリッシュパブに行くが寒くてしょうがないのでビールとポテチを買ってホテルに戻る。ホテルでサブガイドのKBと飲んだ後、ガイドの妹さんが経営しているというレストランでモモとビールを注文。結構、酔いが回ってしまいホテルに着くとあっさりと寝てしまう。
・ナムチェ(8:00)~ルクラ(16:00)

3/25
 ポーターとはここでお別れ。改めて御礼とお心遣いを渡す。ポーター達からも白い布を首に掛けられオンマニペメフムを唱えてもらった。10:00過ぎのフライトでカトマンズに向けて出発。久々に大都会に戻ってきたという感じである。Ghaleの事務所に行き、ラムさんに登頂結果を報告。ラムさんもびっくりしていた。ネパール登山協会に行って登頂証明書を発行してくれるとのこと。
 ホテルに戻り約3週間ぶりに風呂に入る。洗っても洗っても泥水が出てくるような気がするのは気のせいだろうか。
 風呂に入り終えると、いよいよ本格的に登頂祝いをしようじゃないか!との話になり、念願のエベレストステーキハウスに向かう。ここは欧米風のステーキが格安の値段で食べられることで有名なステーキハウスだ。ちなみに牛肉はどこかから輸入してくるらしい。トレッキング中はベジタリアンに心がけていたので肉の塊を食べるのは久しぶりだ。

3/26
 今回のチケットは45日OPENなので帰国をいつにしようかとの話をしてきた。カトマンズは適当に観光し、インドにまた再上陸してもよかったが、やはり疲れていたのでそのまま日本に帰ることにした。旅行会社経由でチケット変更をお願いしたがそのチケットは変更できないとか言われたようだ。めんどくさいので直接エアインディアのオフィスに行くことにした。エアインディアのオフィスではまったく問題なく変更してもらえ、3/28のフライトを予約した。そのため3/28までの間、カトマンズ周辺を観光することにする。
 今日もステーキハウスに行ってしまう。体がたんぱく質を欲しているのだろうか?

3/27
 古都であるバクタプルに行ってみる。町並みをぶらぶらすると曼荼羅を炉辺で書いており、買おうかどうしようか迷ったが、もって帰ると家族から大反対されそうなのでやめた。
 夕方、タメルのトレッキング屋をのぞく。一着購入して帰ろうと決めていたので、パタゴニアのフリースジャケットを購入。

3/28
 Ghaleのラムさんと一緒に昼食をとる。今日が最終日ということもあり、ダルバールを注文。このダルバートはおかずが8種類ほどもあり、うまかった。再会を約束し、空港まで送ってもらう。またデリー経由で帰国。

今回も遊ばさせてもらいました。

総括


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