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南アルプス鋸岳
安田 章

山行日 2009年 8月29日~30日
メンバー (L)佐藤、(SL)斎藤(吉)、小幡、川崎、成田、星野、山崎、安田

 金曜日の夜、佐藤さんと斎藤さんの2台の車に分乗し、中央高速に乗った。伊那インターで降り、戸台口に夜半1時過ぎに到着した。駐車場に停めた車の傍らに天幕を張った。佐藤さん持参の卓袱台を持ち込んで小さな宴。本当なら一晩中飲み明かしたい気分であったが、そうもいかない。1時間ほどで切り上げて各々寝袋に収まった。寝る前にきじをうちに天幕を出た。ほっとため息ひとつ。頭の上には天の川が横たわっていた。
 翌朝6時前、南アルプス林道を行く伊那市営バスに乗り北沢峠へと向かった。バスは満員でザックは膝上に抱えたままだ。少し緊張しているのか、2、3時間ほどしか寝ていないにもかかわらずあまり眠くは感じなかった。
 道々バスの運転手が観光ガイドよろしくこの辺りの山について説明してくれた。とてもしゃべり慣れた様子で、それはそれで楽しく聴いたのだが、林道は山の中腹を縫うようにして走るけっして広くない道。もう少し運転に集中してほしいものと思わなくもなかった。
 そういえば彼は甲斐駒ヶ岳のことを東駒ヶ岳と呼んでいた。確かに信州からみれば東にあるおらが山だ。甲斐の名を冠して呼びたくない気持ちも理解できる。これからは、信州へ行ったら東駒ヶ岳と呼ぼう。バスの窓から見える鋸岳の稜線や東駒ヶ岳の山頂は雲に隠れて見えなかったが、所々青空も望めてまずまずの天気であった。
 1時間ほどで北沢峠に着き、身支度をして樹林帯の中の道を登り始めた。他にも甲斐駒ヶ岳を目指す多くの登山者があった。汗を拭いつつまだ山に慣れぬ体を動かす。たよりなげな足を前へ前へと繰り出す。所々で茸が顔を覗かせていた。成田さんや斎藤さんが今晩の汁の材料にと思ってか、摘まみ上げた茸について山崎さんにお伺いをたてていた。食べられそうにない茸であると、即「それはダメ」の返答。OKサインが出ると手に提げたビニール袋に収めていく。まだ8月とはいえ2000mを越える山の上、季節は秋なんだなあと実感した。
 樹林帯を抜けて周囲が這松に変わるころに双児山山頂に出た。そこは展望がよく、早川尾根越しに鳳凰三山、北岳、そして北沢峠の向こうには仙丈岳がその大きな山裾を気持ちよさそうに広げていた。ここまでの登りでだいぶ息が上がってしまった。少々眩暈がした。大丈夫かいなと心許ない足取りで先を行く。
双児山から甲斐駒ヶ岳  一旦下ってから登り返し、1時間くらいで駒津峰に着いた。ここも眺望がすばらしくて、深い森に覆われた緑の山々がとてもきれいだ。時折吹く風も乾いていて気持ちよく、日差しは強いけれど、季節は秋なんだなあと、またまた実感した次第。
 甲斐駒ヶ岳の山頂がいよいよ間近に迫ってくる。白い岩だらけの山肌がまぶしい。大小の岩が積み重なる岩稜を直登していく。一歩一歩高みへと向かっていることを感じながらも時々立ち止まり、景色を楽しむ振りをして一息入れる。一息を繰り返していたら頂上に出た。2965m。わたくしにとって3度目の甲斐駒ヶ岳になる。広々として気分のいい山頂だ。周囲に雲があっても頭の上はぽっかりと青空が見えていたりして、いかにも高い山にいるという感じがする。大勢の登山者で賑わっていて、皆一様に笑顔を浮かべ、楽しげな、そして満足した表情を見せている。我々も各自、腹拵え、水分補給、記念撮影などをしつつ30分くらいのんびりした。
 携帯電話で「たった今、甲斐駒ヶ岳の山頂に着いたよ」と写真を自宅に送ってみた。「よかったね」とすぐに返事が届いた。山登りを始めた頃には想像もできなかったことだ。できてしまえば何と言うこともない。
 山頂に名残を惜しみながら鋸岳へ向かう道を下って行った。こちらもごつごつとした岩が多くてたいへん歩きずらい。足の置場の都合が悪い。都合が悪いうえにぐらぐらする。そして何よりも相手が硬い。久々の山のせいもあってか膝よりも足の裏なんぞが痛んで閉口した。
 六合目石室は大きな岩が堆積した中に埋もれるように建っていて、屋根だけが最初に目に入ってくる。前に立って石室を眺めた。建物の壁はその名の示すごとく石積みで、その上の木組みにトタン板の屋根が乗っかっている。最近改修されたみたいでだいぶきれいになっていた。
 内部は床板を張った部分と土間が半々くらいである。以前には床板はなかったように思う。我々の後から3人組のパーティーが加わったのだが、都合11人がゆったりと寝ることのできる床の広さであった。これなら天幕を張る必要もない。担ぎ上げてきた二張りの天幕も無駄になってしまうが、床に銀マットを敷いただけの方が快適と意見が一致した。
 成田さん、斎藤さん、山崎さん、星野さんが水汲み、他は小屋の掃除、晩飯の準備と手分け。水場は石室から少し先にあるザレ場からさらに下ったところで、さほど水量があるわけではなかったらしいが、たっぷりの水を確保してきてくれた。感謝である。
 石室についたのが13時半ころ。晩飯をつくりながら一杯やりだしたのは15時前だったろうか。ちょっと待て、と思った。
(疑問)こんなに明るいうちから飲んでいいのだろうか。
(回答)石室の中はじゅうぶんに薄暗いので問題なし、ということにした。
(疑問)こんなに早くから飲み始めて酒がもつのだろうか。
(回答)心配するよりも早くいい心持ちになってしまう方が得だ、ということにした。
六合目石室にて  ちょっと待てと思うのはやめにして、晩飯の仕度。献立は成田さんの豚汁、川崎さんの野菜サラダ、わたくしのマーボー豆腐。そのほかにも個人で持ってきたつまみの類があってたっぷりだ。酒も何とか足りたようだ。
 宴もたけなわとなったころ、佐藤さんがおもむろに声をあげた。
 「三峰ホームページ『最近の山行」担当は成田さんに、岩つばめ原稿はやっさん(わたくしのこと)にお願いします』と。
 酒もまわって気分よくなったところで皆の前で指名されては断れるわけがない。リーダーは巧みだ。同時にわきあがったパチパチという皆の拍手も、お願いしますというより自分におはちがまわってこなくてよかったと安堵しているようにもきこえた。
 どのくらいの時間が経ったのか、いつしかお開きとなり、となりの3人組パーティーと議論を交わす佐藤さんの声を子守唄にして、皆大満足のうちに眠りについた、ようだ。
 夜中、屋根を打つ激しい雨音に目を覚ました。ザーザー降りというやつだ。こんな雨が明日も降り続いていたら先に行くのは無理だろうし、引き返すにしても大変なことになるなと気持ちが落ち込んでしまったが、その時はその時と開き直って考えるうちにまた眠りに落ちた。
 翌朝、夜中の雨がうそのようによく晴れた。快晴である。朝食は山崎さん担当の皿うどん。うまい。食料も酒も大方皆の胃に収まってしまい、ずいぶんと荷も軽くなった。さあ行くぞと元気がでてきた。ただ今日の行動は10時間くらいと長くなるだろうし、難しい箇所もあるので気を引き締めた。
 岩稜と這松が交互に出てくる狭い稜線を行く。2時間ほどで三ツ頭を越え、中ノ川乗越へ達した。そこからはルンゼ状になった急なガレ場を登る。日を背に浴びての登りでたっぷりと汗をかく。1時間弱でガレ場が終わり、そこから這松の中を少し行くと第二高点に着いた。
 ここで30分近く休んだ。昨日の晩飯のデザートとして持ってきた梨が食べずに残っていたので皮を剥いた。第二高点には鉄剣がその印として立ててあった(残念ながら錫杖の頭はなかったな)。梨を頬張りながら振り返ると、甲斐駒ヶ岳がまるでピラミッドのような形をしてそびえている。北の方に目を向けると、八ヶ岳が海に浮かぶ島のように雲海の上にあった。反対側には北岳と仙丈岳、その間に、はさまれて塩見岳がまんまるの頂を見せていた。山にきてよかったと思う瞬間だ。そんなのどかとも言える風景とはうらはらに、鋸岳はその姿を間近に見せながらも、そこまでの道が何も無いかのように間が切れ落ちて見える。どうやって行ったらいいのだ。
 第二高点からは、やはり真っ直ぐ稜線通しには行けず、戸台川寄りの尾根を下っていかねばならない。草付きの急斜面で、昨日の雨で濡れてもいていやらしいところだ。しばらく下ってからトラバースして出たルンゼの上方に鹿窓が見えた。窓まで高低差で20から30mくらいあるだろうか。鎖場となっているのだが傾斜がきつく、濡れていてホールド、スタンスに乏しいので、鎖を頼りに強引に登った。腕の筋肉が張ってくる。鹿窓は以前の印象より大きく感じた。前と違って信州側から入ったからだろうか。
鹿窓をくぐる  鹿窓を甲州側に抜けるとザイルが渡してあるところをトラバースする。ひとつ尾根を越えて反対側に出ると、そこが小ギャップというところだ。鹿窓を通過してホッとしたところでまた鎖場である。10メートルほど下ってから同じくらいを登り返す。両方とも鎖があるとはいえ登り返しは、ほとんど垂直の壁で、腕力だけで登るには無理がある。正確にホールドを拾っていかねばならない。ビブラム底の山靴と荷を背負っての岩登りはつらい。川崎さんにはザイルをスルスルと出してその心のやさしさを示した小幡さんも、星野さん、わたくしとなると、無常にも命の綱をサッサと引っ込めてしまった。すでに登り終えた人は高みの見物、和気あいあいとした話し声。笑いさえもれていた。わたくしも今こうして原稿を書いているのだから、無事、高みの見物人になれたということだが、見物できたのはしんがりの佐藤さんが登ってくるところだけであった。
 鹿窓、小ギャップで緊張した心は、第一高点、すなわち鋸岳山頂に着き、核心部を終えたことの達成感で満たされた。けれども、ここから先、角兵衛沢を下って戸台川の河原を歩くのも長くてつらいものであった。
 角兵衛沢の上半部は大小の岩が積み重なった急な斜面で歩きづらい。一体このたくさんの岩はどこからきたのだろうと変なことを考えた。答えは簡単。間違っているかも知れないけれど、沢の両側の切り立った壁からはがれ落ち供給されてくるのだ。現場を見たことはないけどきっとそうだ。ということはいつ我々の頭の上に降ってくるのかわからない。怖いことだ。事実、見えはしなかったが、遠くで落石の音が響いていた。
 大岩下の岩小屋付近で一本をとった。ここから下は樹林帯の道となる。戸台口に停めてある車を回収するため、成田さん、斎藤さん、星野さんが先行して下った。木の枝にぶら下げてあるピンクの目印テープを頼りに佐藤さんとわたくしはあとからゆっくりと行った。ようやくたどり着いた戸台川の河原で、少し先を行っていた川崎さんと合流した。流れを渉ってちょっと休んでいたら川崎さんが蜂に刺された。川崎さんは思わず「痛い」と声をあげたが、大事にならずに済んだようでよかった。そのあとも2匹目、3匹目と集まってくるので、そそくさとその場を退散し河原を歩き始めた。
 途中、戸台川に流れ込む小さな沢の水で喉を潤したり、道端のジャイアントアザミに驚いたりしながら長い河原歩きにいい加減うんざりしてきたところで、2台の車と先行していた皆の姿が見えた。今回の山行が終わったと思った。
 荷を車に積み込み、山靴をサンダルに履き替えて高遠の街に出た。まったりしたさくらの湯につかり、高遠そばを食してから、杖突峠越えで帰路についた。さくらの湯は入浴料600円、高遠そばは、そば大盛り、てんぷらをつけて1450円であった。峠では2頭の鹿が我々を見送ってくれた。

追記
 山にいる間、私は浦島太郎になったような気分でいました。27年前に今回とは逆コースで鋸岳から甲斐駒ヶ岳に登りました。その時黒かった髪は、今は随分と白くなってしまいました。
 佐藤さん、小幡さんを除く5人の方々とは初めて山行を一緒にさせていただきました。そう言っては失礼な方もおりますが、皆さん私と同年代で、所謂中高年真っ只中。
 ですが皆さんの健脚ぶりにはびっくりしてしまいました。その強さに助けられて私も無事登ることができました。皆さんに深く感謝いたします。

〈コースタイム〉
8月29日(土) バス戸台口(5:45)=北沢峠(6:40) → 北沢峠(7:00) → 双児山(8:45~9:00) → 駒津峰(9:45~10:00) → 甲斐駒ヶ岳(11:30~12:00) → 六合目石室(13:30)
8月30日(日) 石室(5:45) → 三ツ頭(6:20-25) → 中ノ川乗越(7:30) → 第二高点(8:10~35) → 第一高点(10:10~35) → 角兵衛沢ノコル(10:55) → 大岩ノ下岩小屋(11:05~12:05) → 戸台川角兵衛沢出合(13:45) → 戸台川河原駐車場(16:00)

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