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集中山行・祖母谷温泉
その1 大日岳~剱岳北方稜線
峯川 正行

山行日 2009年9月19日~23日
メンバー (L)鈴木(章)、渡辺、深谷、峯川

 『どうも先生ご無沙汰しております』
「診断結果なのですが、やはり帯状疱疹のようですね・・・」
『そうすると4月から帯状疱疹だったのですね!』
 剱岳から帰ってきた翌日の行きつけの病院での出来事。なんとも、帯状疱疹にかかっているというのに剱岳に行ってきてしまったのである。みんなに迷惑をかけた理由が少しわかったような・・・。
 今年の秋にはまたGWがあるというのは、春のGWにはわかっていたのであるが、実際にはシルバーウィークというなんとも笑ってしまう名称なのである。このSWに集中山行を行うというのは当然であり、今年の集中は祖母谷温泉とのこと。一度も行ったこともなく、お手軽なコースで唐松岳から下ってみたいなあと思っていたのだが、どうも知らぬ間にアッコさんの剱岳北方稜線のメンバーに入っていたようである。それでも、北方稜線という響きがよく、行く気満々になってしまった。しかし、どうも他の集中メンバーも北方稜線に入るようなので少しルートに味付けをつけなければと大日岳経由のルートを選択することにする。メンバーはアッコさん、ナベさん、ちあきさんという強力メンバーであり足を引っ張らないようにしないといけない。
 カモシカ山行の例会が終わり、どうもSWが近付くと緊張してきてしまう。北方稜線を調べれば調べるほどかなり大変なコースであり、ルーファイがなかなか大変とのこと。剱岳は4年前のGWの早月尾根以来であるが、厳しい北方稜線の姿はまだ目に焼き付いている。
 このSWはアルプス界隈はかなりの賑わいのようで、富山までの夜行バスのチケットの入手の大変だったようであるが、ナベさんに1カ月以上前に押さえてもらい非常に助かった。
 18日22時半に池袋東口の夜行バス発車場には多くの人がいてなんとも驚く。やはりこのご時世か、安い夜行バスはかなり人気のようである。私自身も春過ぎから首に出ている原因不明の湿疹に不安を感じながらの出発である。夜行バスも先月に続いてなので慣れたもので、快適な3列シートで快眠であり、5時半には富山駅に到着する。
 電鉄富山駅にはやはり多くの山屋がたむろしていて、なんともうれしい限りであるが、映画の『剱岳 点の記』の影響なのかもしれない。遅れて箭内パーティも到着して、一緒に6時過ぎ発車の電車で立山駅に向かう。立山駅のケーブル改札前は本当にごった返していた。我々が向かう称名滝のバス停には誰も並んでいない・・・。今日は静かな山行となりそうだ。そうこう考えながら8時40分のバスを待っていると、タクシーがちょうど来て称名滝まで3450円で行ってくれるとのこと。時間もかなり節約できるので即決で乗車。このタクシーの運転手さんもかつて山登りをしていたようで、耳にとても軽快に聞こえる富山弁で色々と説明してくれる。景色を見せるために停まって案内してくれるサービスも。
 称名滝前で下ろしてもらい、ここからいよいよ祖母谷温泉への長い旅が始まる。天気もよく、樹林帯の中を進むが、道を整備しているようで、工事関係者と会う。感謝をしつつ通り過ぎるが、スリップ止めの砂利が敷かれた階段にはびっくりした。牛首まではきつい登りであるが、そこを過ぎるとなんとも長閑な平原が広がり、紅葉の始まりのようで木々が綺麗に色づき始めている。その先に大日平小屋が見えてきた。この小屋もなんとも変わった小屋で、お茶が無料で頂けるのである。とにかく、綺麗に管理され今時の山小屋という感じである。かなり長居してお茶を頂いて、大日小屋に向けて出発である。しばらくガスが立ち込めていたが、美味しい水場を過ぎる頃から稜線の青空が見え始めてきた。色づき始めた木々と真っ青な空とのコントラストがなんとも気持ちがいい。
素晴らしきコントラスト  小屋まで頑張って登り、回り込むような感じで小屋に近づいていく。小屋下の鞍部に着くとそこにはこの後お世話になる剱岳がはるか遠くに見えた。時間も15時近くなので大日岳には寄らず、すぐに小屋に上がりこむ。この界隈は幕営禁止なので、仕方なく素泊まりで予約をしたのである。しかし、この素泊まりはいろんな意味で正解であった。到着してすぐにビールを買い込み、食堂のテーブルで初日の乾杯を行う。小奇麗な食堂は今まで泊まってきた山小屋とは全く一線を画す。夕食は土間で煮炊きを行い、食堂の片隅を図々しくも借り、ちゃぶ台なんぞも借りてちあきさんの美味しい夕食を頂く。その後は食堂にランプが灯り何とも幻想的。ランプの宿とうたっている宿はいくつか泊まったことがあるが電気ではなく本当のランプは初めてであり、なんとも感動。そして一番感動したのが19時過ぎから始まったアコースティックギターの演奏会。この小屋に入ってギターが壁に掛けてあったのが気になったのだが、小屋のオーナーがギター工房のスギクラフトさんであり、イケメンの若い従業員はその弟子であったのである。道理で他の小屋とは雰囲気が違うのである。しかし、この演奏会はなんとも心地のいいものであり、ちあきさんが本当に喜んでいたのである。アコースティックギターは繊細であり、音色が本当に耳に優しいのである。それにしても、この大日小屋に素泊まり予約してよかったなあと。素泊まりのくせに演奏会まで堪能して、ぬくぬく布団で熟睡なのである。この大日小屋はまたの機会にのんびり来てもいいかもしれないなあと。
大日小屋より夕日に映える剱岳  ぐっすり熟睡し、20日は5時頃に眼が醒め、朝日がなんともまぶしい。朝食を軽くすまし、そそくさと荷造りをして大日岳にまず空身で行ってみることとする。天気は良いのだが、台風の影響か、もの凄い風で今日北方稜線に入る、箭内、飯塚パーティが心配である。
 6時45分に小屋から剱沢に向けて出発である。今日は天気が良さそうである。岩と草紅葉が綺麗な七福園を過ぎ、立派な奥大日岳が見えてくる。途中鎖場や梯子などがあるがそれほど大変ではない。景色がすべてを和らげてくれる。綿になったチングルマが秋を予感させてくれる。奥大日岳ではなぜか女性のお化粧道具があり、拾ってもしょうがないので途中の休憩場所に残置する。山まで口紅を持ってくることはないのになあ~。奥大日岳からはいよいよ室堂が見え始めてくる。くねくね曲がったアルペンルートが見え、小さいバスも可愛く走っている。室堂をこのアングルから見るのは初めてであるが、色づき始めたこの景色とこの天気は本当にこのルートに来て良かったなあと思ってしまう。10年前に観光で泊まった、みくりが池温泉や雄山、雷鳥沢すべてが一望できる。

紅葉が始まった室堂界隈剱御前までの登りをこなせば剱沢

 10年前にジーパンで来たときは剱岳なんぞ私には絶対に登ることはできないなあと自問自答して帰った経緯があるので感慨一入である。この辺から軽装のハイカーに何人もすれ違う。大日岳も室堂からは人気のルートなのである。雷鳥沢への分岐を見やり、剱御前への登りがかなり堪えたが、登ってしまえば下るだけなのでもうひと頑張りである。
 剱御前には本当に多くの人がいて驚く。座っていると山岳ファッションショーのような感じで、スカートのような暖かそうなものをまとい、今まで山では見たことのない着こなしをしている女性がいてこれも驚きであった。山のファッションも日々進んでいるんだなあと。いよいよ剱岳が迫って来る。10年前に羨望の眼差しで見た場所である。
色鮮やかな剱沢キャンプ場と剱岳  色とりどりのテントが点在する剱沢キャンプ場は混雑していたが、ちあきさんがいい場所を発見。そこはまさしくエスパース村で全国各地のエスパースが集まった状態である。キャンプ場ではビールが買えないので下の剱沢小屋で購入するが、ここも相当混雑している。明日の懐電歩行の為に剣山荘への道を確認する。この新しい剱沢小屋は数年前にできたそうで、以前までは、キャンプ場のすぐ近くにあったが、雪崩の影響でかなり建物が老朽化していたそうである。その時はビールを購入するのもさぞや楽だっただろう。今宵の夕食はアッコさんの寿司飯で酸っぱさがとても美味しかったこと。
 21日はいよいよ緊張のアタック日である。昨晩は隣のテントの五月蠅さと緊張感で全然眠ることができず、なんとも寝不足であるが2時半起床、3時25分出発。剱沢小屋の横を通り、剣山荘に4時に到着。剱岳への最後の準備をして暗闇の中出発である。先を譲ったおじさんはなぜかヘッドランプを装着せずに歩いていたのだが、何を思ったのかまた引き返してくる。どうも行動がよくわからない。カモシカ山行が役に立ったかどうかわからないが、ナベさんが先頭で黙々と登っていく。一服剱に到着してもあたりはまだ真っ暗である。でも先を見ると幾つも灯火が動いている。後ろを振り返るともっと灯火が動いている。今日は相当の人が剱に向かっているようである。これは急がないとタテバイ渋滞にはまってしまう。前剱に向かっていくと、いよいよ稜線が赤くなってくる。前剱では素晴らしい朝日が我々を迎えてくれた。しばらく景色を楽しみながら休憩をする。朝日に照らされた剱岳が本当にかっこいいのである。
朝日に照らされ凛々しい剱岳  この先はいくつか鎖場があるが、ここで学生山岳会のパーティに遭遇してしまう。バンドをトラバースする普通の鎖場なのだが、一人一人必ず鎖にビレイをしている。まあ、とても安全で素晴らしい心がけなのであるが、後ろを振り返ると既に大渋滞!。時と場所を考えて欲しいものだなあと。紳士的な我々パーティ?は平静を装い、学生山岳会を巻いて先を急ぐのである。これをカニのタテバイでされたら大事件!
こんな感じで渋滞中  いくつもの鎖場を過ぎ、いよいよカニのタテバイが見えてくる。それにしても、ここは一般ルートであるが、岩場などをそれほど経験していない人が来ると結構大変なルートだなあというのが初めて歩いた感想。タテバイは全然渋滞していないので、一本を取らずにちあきさんトップですぐに取り付く。ちあきさんは岩場にくると本当に元気で、とても表情が嬉しそうである。私なんぞ緊張してしまうほうなので本当に羨ましい限りである。タテバイはホールドと鎖、ピンが豊富なので問題はないのであるが、何せ我々は荷物が重いので結構体が外に振られてしまう。アッコさんは下にいた男の人に怒っている。アッコさんが鎖を掴んでいるのに、その鎖を派手に掴んで振ってしまったようである。これは確かにマナー違反で危ない行為である。アッコさん注意して正解!
カニのタテバイは渋滞前であった  タテバイを抜けてやれやれと思って、どうせ頂上は大混雑で休憩できないので、すぐ先で一本を取る。天気もよく本当に気持ちがいい。それでも、この先の北方稜線が核心であり気持ちを引き締める。一本取った所から思ったより時間がかかり、ようやく早月尾根との分岐の指導標が見えてくる。分岐を右に進むと、新しい祠が見えてくる。確か4年前のGWにアッコさんと早月尾根で来たときは古い祠であったはず。剱岳2999mという山名板がたくさんあったので、それをもって記念撮影をする。
 すぐに北方稜線に向けて、ヘルメット、ハーネスなどの装着を行い、8時前にいよいよ北方稜線に入る。頂上でも同じスタイルの人が多かったので、多くの人が北方稜線に入るようだ。後から聞くと、このSW中はかなりの人が北方稜線に入っていたようで、まさしく一般ルート状態のようであったとのこと。ここからは私がトップで行くこととなり、緊張感が高まる。まずは長次郎のコルまで下るが、狭いルンゼ状の下降路があり、お尻をつけながらの慎重なクライムダウンとなる。

いよいよこれから北方稜線!長次郎のコルと長次郎の頭

 コルまでくると、長次郎の頭は巻く予定であったのだが、ルートがいくつかあるようである。先行パーティは少しザレを登り中間部のバンド部をトラバースしていくルートを進んでいる。どうもスムーズに進んでいるので我々もそちらを進むこととする。少し下がりながらのへつりという感じで少し体を外に出す所もあるが問題なく進める。ルンゼを登りきると、テントが1張りぐらい張れるエリアにたどり着く。下降路はどちらかなあと思って探していると問題なく見つかる。しばらく長次郎谷側をトラバースしながら進むが1ヶ所残置シュリンゲがあり、重いザックを谷側に振りながらシュリンゲを掴んで越えていくがここも問題なく進んでいく。
 その先にゆっくり休憩できる場所があり、先行パーティは池ノ谷乗越に向けて下降していた。我々は八ッ峰を見ながら休憩となる。
 私はどうもこの辺りから変な疲れが出始めてくる。その時はしばらくトップだったので疲れたのかなあと思っていたのだが・・・。池ノ谷乗越への下降は後ろ向きでホールドを確認しながら進む。天気が悪いときなどはかなり気を遣う所である。

残置シュリンゲを使いバンドを進む池ノ谷乗越の下降も気を遣う

 人が10人もいられない池ノ谷乗越は八ッ峰の最終下降点のようである。ここからいよいよ北側に位置する池ノ谷ガリーに進み、チンネを巻いていくが、チンネは私には登れないなあと思ってしまう。下から登っている8人パーティがいたので、落石が心配なので上がってくるまで待つこととする。それにしても恐るべき下降である。その先には小窓ノ王とその右脇の小さなコルが見え、人が数人見えるので、我々もあそこまで登るのかあと思ってしまう。池ノ谷ガリーは出だしに踏み跡があり、なんとか落石を起こさないように歩けるのだが、中間部辺りからだんだんと落石を起こし始めてしまう。左側から右側にトラバースする時などは派手に落石を起こしてしまい、冷や冷やする。谷の真ん中をしばらく下降していたのだが、これは間違いであり落石を非常に起こしやすいのである、アッコさんに後で注意をされ勉強になった。ここは右側に沿って下降するのが得策のようで、最後は三ノ窓側に抜けるルートがありそちらに向かい、ようやく池ノ谷ガリーを抜ける。かなりの時間がかかったような気がして本当に疲れがどっと出てしまう。私自身このようなガレの下降は非常に苦手であり、特にこの池ノ谷ガリーは強烈であった。でも、私以外はとても元気で、三ノ窓でしばらく待ってもらった。テントが2張りあり、多分チンネを狙っているのであろう。
急峻な池ノ谷ガリーの全容  ここから小窓ノ王の際のバンド状の強烈な登りをこなすのであるが、私はこの時点でかなりばててしまっていた。日射しが強くて日射病なのではと思ったのだが、これ程ばてるのは山では初めてである。呼吸まで安定しない。もちろん最後尾からフィックスで垂れているロープに頼りながらぜいぜい言いながら登っていく。下から見たよりも快適に登っていける。やはり体調がつらい時はすべてがマイナスに向かい弱気になってしまうのである。みんなに迷惑をかけ、なんとも情けない限りである。バンドの登りが終わり最後の草付のエリアで落石が発生する。ちょうど先にいたアッコさんの肩に長方形の大きな岩が当たり数メートルほど滑ってしまう。しかしアッコさんのアクションは凄かった。下からくっきりと見ていたのだが、野球でイチローがうまく死球をよけるのと同じように、うまく体をひねりながら落石を除け、そのおかげで肩のかすりのみで済んだのである。私だったら真正面からぶつかって滑落していただろう。アッコさんの瞬時の判断には本当に脱帽である。そして、ハイマツの生える先ほど見えたコルで休憩する。私は日陰でぐったりとしてしまう。ここでようやく小窓雪渓が見えてきた。休憩しているとザイルをもってくる2人組のパーティに遭遇するが、名古屋の春日井山岳会の方で池ノ平山から歩いているとのこと、リーダーは今日中に馬場島まで下山すると言っている。本当にいけるのかと思ってしまったのだが、帰京後その山岳会のブログをのぞくと、20時半にちゃんと下山をしている!。恐るべき猛者である。名古屋の方なのでアッコさんと非常に馬が合い、漫才を見ているようで楽しかった。山にはこれぐらいの執念があってもいいのかもしれない。池ノ平山の登路などをその方にアッコさんが聞いていて、そちらのルートに行きたいような感じだったのだが、なだめて小窓雪渓経由の通常ルートに最終決定。
 その先で尾根伝いのルートと、小窓雪渓にトラバースするルートで分岐するので、迷わず後者を選ぶ。8月の時期などは多分このルートで雪渓がいくつも出てくるのだが、一カ所少しあるぐらいで、ここではピッケルやアイゼンは必要にはならなかった。ここでアッコさんが「雪渓を手ぬぐいでくるんで首に巻いたらいいよ」という温かい助言を頂き、早速試していると、とても気持ちがいい。なんとか池ノ平小屋まで頑張れそうである。ちあきさんがとても元気一杯でトップでがしがし下降していく。私はアッコさんに見守られながらなんとかついて行く状況。だんだんと小窓のコルが近づいてくる。先行していたパーティも米粒のような感じで雪渓を歩いているのが見える。ほぼルートも迷うこともなく踏み後はしっかりしている。小窓のコルでしばし休憩をして、アッコさんから体力が戻るように美味しいミカンパックを頂く。雪渓は少なく、少し下った所から始まっているが、ここでアイゼン、ピッケルを用意する。転びそうになりながら岩場を下り、雪渓に進むがちょうどガスが西仙人谷側から流れて来て辺りは全く視界不良になってしまう。私自身このような視界不良には慣れていないので多少焦りを感じてしまい、雪渓を下る際もどんどんみんなから離されてしまう。左側に池ノ平小屋への水平道の入口があるというのであるがガスに包まれて全く見えない。進路を左側に寄りながら注意しているとガスが抜けてきてアッコさんたちが水平道の入口の丸印のマーキングを見つけてほっとする。
ガスが抜け水平道の入口が見つかる  私はというと全くペースが上がらず、みんなをマーキングの下でかなりの時間待たせてしまった。ここでアイゼン、ピッケルをしまい、水平道に入るが雪渓が少ないのか、出だしの取付では落石が起きやすく気を遣う。ここからのルートはよくしたもので、バンド状の道がつづら折れとなり、尾根まで登っていくのである。尾根を登り切ると景色は一変し、なんとものどかな紅葉風景となる。池も見えてきていよいよ池ノ平小屋の屋根も見えてきた。最後の力を振り絞り小屋に到着である。ここのテン場も盛況で端の草地にザックを下ろす。なんとか北方稜線を歩いてきてほっとした瞬間である。なんやかんやで10時間以上の歩行である。すぐにはテントを張らずに、ナベさんの美味しい長浜ラーメンを頂くが、美味しいスープを沢山飲んでしまい、また乾杯のビールも沢山飲んだためか、突然お腹の調子がおかしくなり、この小屋のトイレで通算5回ほど長時間籠もってしまうという惨状になってしまったのである。おかげで美味しいナベさんの夕食にもありつけず、テントの端で寝ている有様。本当に今日はみんなに迷惑をかけっぱなしで情けない限りである。ちなみに池ノ平小屋にはお風呂があるが、入れるのは小屋泊まりの人のみとのこと。あわや、ちあきさんと私が小屋泊まりと騙して入れるかもしれなかったのだが、私の場の悪い一言でテント泊とばれてしまい、お風呂には入れずじまい・・・。すみませんでした~。
お風呂とパラソルがある素敵な池ノ平小屋  寝て寝て寝まくって、体調が回復!これはいつものお決まりパターン。翌日は曇りであり、裏剱も頂上付近が霞んでいる。今日はほんとに12時間以上の長丁場で18時過ぎに祖母谷温泉に到着しなくてはいけないのである。小屋出発も6時過ぎと少し遅めであったが、昨日があの体調なので仕方ないのである。仙人峠まで少しの登りをこなす。途中、池ノ平小屋の水源である水場も通過する。仙人峠に着くとまた景色が一変する。大日平のような平原が広がり、仙人池ヒュッテが先にみえる。久々の木道をてくてくと歩き、小屋に着くと名物おばちゃんが小屋泊まりの登山者に笑顔で挨拶をしていた。とても元気そうな方である。この人を慕って多くの登山者が集まっている気がする。すぐ横には有名な仙人池があり雲がかかった裏剱が池面に映っていてなんとも神秘的であった。
有名な仙人池で記念撮影  時間もないので適当に切り上げ、仙人温泉小屋まで急ぐ。ここも雪渓が少ないようで、徒渉するにも問題なく対岸に渡れる。歩くのに飽きたと思う頃、温泉の煙が見えてくる。どうも新湯の煙であるようである。新湯の先には道も見えたが、あれが数年前にできた雲切新道のはずである。新湯の煙が見えてからもなかなか仙人小屋に着かなかったが、「お疲れ様」と岩に書かれた赤スプレーを見てようやく到着である。小屋の先に見える温泉に入りたい衝動にかられたが、入れば祖母谷には着かないと思い、我慢して硫黄の香りだけで我慢する。小屋の雰囲気を見ていると小屋番の人柄が良さそうだなあと感じてしまう。以前は小屋の左側を通り、沢沿いで阿曽原温泉に向かったようであるが、毎年ルートが崩壊して整備が大変であったようである。雲切新道は尾根ルートなので安全であるはずだが、コースタイムが余計に1~2時間ほどかかってしまうようである。この時間が我々には誤算であった。雲切新道に切り替わったことがわかったのが山行計画をしてしばらくであり、この最終日はかなり大変であることは覚悟をしていたのである。しばし休憩し、沢まで下り新湯まで登り返し、雲切新道を進むがルートも明るく紅葉を楽しみながらの快適ルートであったのだが、最後は梯子や鎖が連発し、登りで来たら大変だなあと思ってしまう。
いくつもの梯子が連発する雲切新道  やれやれと思った頃に沢を渡る橋があり、ナベさんと先に一本を取る。ここからは水平道のはずだ!と思いこんでいたがそれは間違いで、下ノ廊下の分岐を見やり、ダム施設の地下要塞?を通過して、扉を施錠して水平道と思ったら、予想以上に登っていくのである。よくよく考えるとこの道は鉄塔の巡視路なので鉄塔の近くを通るので高度が上がるのは当然。しばらく水平道が続き、一気に下降すると阿曽原温泉が見えてくる。通常のパーティだとここで幕営となるのだが、我々はまだ半分の行程である。みんなで自販機で買ったコーラで喉を潤し、13時に祖母谷温泉に向けて出発である。とにかくここからが長く、きつかった。私はまた喉が痛くなり、睡魔も襲ってくる。薬のせいなのか?何が原因なのか?約5時間の水平道であったが、最後はみんな精神力のみで歩いていた感じである。カモシカ山行の朝方の気分である。私も体調が悪くなっていて自分の頭を杖で叩いたりして奮起したりしていた。こんな道をよくぞ造ったなあと思いながら余裕を持って歩いたのは前半戦のみだった。欅平への下降ポイントの鉄塔が見え、欅平駅のアナウンスが谷に響いてきて、ようやくゴールが近くなり祖母谷で待っている仲間に会うために、最後の力を振り絞る。辺りも暗くなってきて欅平への急下降をこなし、18時前に欅平駅に到着である。駅前は最終電車を待つ普通の格好をした人がうろうろし観光地のようである。ジュースを飲んだりしばらく休憩し、暗くなった頃に祖母谷温泉に向けて歩き出すが、なんとここから50分くらいかかるとのこと!30分で散歩気分で着くかと思っていたのだが、疲れた体には非常に堪える嫌らしい登りで、トンネルをいくつか通っていくがなかなか灯火が見えてこない。このトンネルを抜けたら・・・。と思っていると対岸に灯火が見える!「モートー!モートー」とたくさんの声が木霊する。これほどモートーコールが心に響いたのは初めてであった。仲間が待っていてくれるというのは本当に嬉しい限りである。幕場では、19時迄に我々が来るか来ないかでもめていたそうである。いやー、阿曽原温泉でテントを張らないで、頑張って来て良かったなあと、着いてみんなの歓待を受けてしみじみと感じる。初めて訪れる祖母谷温泉は温泉天国であった!幕場のすぐ横が温泉であり、河原にも温泉がある!温泉大好きな私にとって最高である。体調があまり良くなかったが、温泉は入るべきと頑張って入ることに。焚き火を囲みながら自身担当の豚の角煮を作りとても美味しかった。
 翌朝は5時過ぎに起き、誰もいない河原で野趣あふれる露天風呂に初めて入浴する。本当に気持ちがいい!。宿の露天風呂なんてたいしたことないなあと。最終日は雨がぽつぽつと降りそれほど天気が良くない。それでも前日までは天気が持ってくれたので本当に助かった。昨日暗闇で登った道は下るとあっという間であり、8時半には駅に着き、トロッコ電車の整理乗車券を購入する。初めてのトロッコ電車は寒くてしょうがなかった。長い乗車時間に最後は飽きてしまう始末。宇奈月温泉での乗り継ぎもよく、魚津ではみんなで寿司を食べ、越後湯沢経由で帰京する。帰りの電車でもやはり体調が優れない。風邪をこじらしてしまったようである。最近は本当によく体調を崩すのである。
 翌日の24日は山に行く前に、ある検査をしてもらい、結果がわかるとのことで、その時に風邪の薬ももらおうと、帰宅後すぐに就寝する。ふらふらの状態で病院に行くと、なんと帯状疱疹と言われてしまう。それも4月からずっとこの状況であったらしい。顕著な症状でなかったためにどこの皮膚科でも相手にされなかったのである。聞くと検査数値はかなり酷いとのこと。免疫力が下がっているので、すぐに体調を崩しやすいらしい。それで最近よく体調を崩しやすいのだなあと。それから完治すべく1日20錠という薬を飲み続けている。
 病院の帰り道ふと思ったのだが、剱に行く前にこの検査結果が出ていたら周囲の人間に絶対に剱には行くなと言われていたであろう。検査結果が剱の後で良かったのである。今回は剱に行って良かったのである。これほどの素晴らしい経験はなかなかできないはずである。今回はアッコさん、ちあきさん、ナベさんにも色々とご迷惑をかけてしまい、日々反省の毎日である。でも、祖母谷での集中は嬉しかった~。

〈コースタイム〉
9月19日 曇り時々晴れ 富山(5:30~6:28)=立山(7:30~8:00)=【タクシー】=称名滝前(8:20~35) → 猿ヶ馬場(9:35) → 牛首(10:05) → 大日平小屋(11:15~50) → 水場(12:45~55) → 大日小屋(14:50)
9月20日 快晴 大日小屋(6:15) → 大日岳(6:30~40) → 大日小屋(6:45) → 七福園(7:20) → 奥大日岳(8:45) → 雷鳥沢分岐(11:00) → 剱御前小屋(12:20~40) → 剱沢キャンプ場(13:05)
9月21日 快晴 剱沢キャンプ場(3:25) → 剣山荘(4:00-05) → 一服剱(4:35) → 前剱(5:35~50) → カニのタテバイ(6:40) → 剱岳(7:30~55) → 池ノ谷乗越(9:35) → 三ノ窓(10:30) → 小窓尾根入口部(10:55~11:05) → 小窓(12:25~40) → 水平道入口(13:20~40) → 池ノ平小屋(14:30)【幕営】
9月22日 曇り 池ノ平小屋(6:05) → 仙人池ヒュッテ(6:50~7:05) → 仙人温泉小屋(8:35~50) → 雲切新道入口仙人谷河原(11:10~35) → 仙人谷ダム(11:45~50) → 阿曽原温泉(12:40~13:00) → 折尾谷(14:25~35) → 志合谷トンネル(15:35) → 欅平(17:45~18:00) → 祖母谷温泉(18:50)
9月23日 雨 祖母谷温泉(7:50) → 欅平(8:30~9:16) → 宇奈月温泉(10:40)

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