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集中山行・祖母谷温泉
その2-2 祖母谷温泉~剱岳北方稜線
天城 敞彦

山行日 2009年9月23日~25日
メンバー (L)別所、天城

『白山神駈道へのお誘い』
 白山は南北に長く連なる山脈でその稜線上に開山以来千年の古道が残る。北の加賀禅上道、南の美濃禅上道である。由緒あるこの歴史の道を歩く人は少なく、今は往時の賑わいを忘れてひっそりと静まりかえっている。アップダウンが多く困難で時間のかかる道の長さ、交通の不便さの結果であろう。往時困難を承知で国中の多くの人が登りたいと願った禅上の道、白山の良さはこの両道にあると言っても過言ではない。
 白山古道のこのさびれようは今の日本登山界の現状にも通じているようにも思えて残念である。自己実現のため山岳自然の厳しさをあえて求めた白山山岳修験者。この古道を見つめ直して彼らの心に学び、閉塞状況の日本的登山文化を再構築したい。それよりも何より多くの方々にとにかく両道を歩いて本当の白山の良さを知ってもらいたい。4年前、こうした思いをもって有志の会が結成された。加賀禅上道18km、美濃禅上道19km。2つの道は白山主峰2702m御前峰をはさんで幾つもの峰々を越え南北真っ直ぐ美しくつながって37km、登りの高距合わせて3200余m、下りの高距もまた同じ。これを一気に登り下り駆け抜けることは白山神の加護なしにはとうていなしえないと思えるほど厳しい。
 それゆえ会では通して歩く場合に限って両道の呼称を白山神(加美)駈(掛け)道とした。・・・・・・

 この呼びかけ文は金沢在住の私の尊敬する岳友によるもので、「自分を育ててくれた白山への恩返し」として立案され、24時間以内に歩き通すことのみを目的とし、競技性はなく、いわゆるトレイルランではないという。私は第1回目の2005年から声をかけていただいていたのだがずっと果たせず、4月に「今年は参加します」と約束していた。
 三峰の祖母谷集中と重なってしまったが「神駈」は9月21日なので22日午後の集中には金沢からの帰りにトロッコで来れば間に合うことに気付き「単独で祖母谷のみ参加」としていた。それを見たのであろう別所さんから「23日から剱に行かないか」というお誘いを受けた。確かにトロッコでの参加のみでは少し寂しいし、別所さんからのお誘いならばと、やや変則な集中参加となったのである。

9月21日 白山神駈
 前日の夕方、出発点の一里野温泉にある小さなログハウスに到着し、早めに夕食を取り23時まで仮眠する。三々五々参加メンバーが集まってくる。今年の参加者は11人。21日の0時6分にヘッドランプを点け、水、行動食、カッパ、シュラフカバー、ツェルトを持って出発。30分ほど車道を行きハライ谷登山口から山道になる。競走ではないというのにみんなやたら速い。すぐにばらけてしまう。暗い中急登が続く登山道を黙々と歩く。後ろにも3、4人いるようで、1時間半に1回休憩を取ると一瞬後続と会うことができる。
 3時50分に奥長倉小屋着。「神駈」は優れた趣向が凝らしてあり、各参加者は自分の名前と通過時間を書いたカードをあらかじめ決められた5つのポイントとなる小屋にピンで留めておき、アンカーを務める人がそれを回収していくことになっている。そうすれば万一行方不明者がでたときに、ある程度足跡を辿りやすい。この小屋が第1のポイントで、すでに6人が通過している。トップは2時間も早い。いったいどういう人たちなのだろう。
 5時過ぎようやく空が白み始める。初めて景色が見える。うっすらと草紅葉が始まりなかなか美しい。さすがにこんな早い時間に室堂からこちらに来る人はいないが、四塚山の登りで2人組のパーティと出会うと「荒行の方ですか。さすが白山ですね」と声をかけられた。大汝山の登りにかかるとポチポチと登山者も増えてくる。白山主峰の御前峰9時30分。ここは人で賑わっている。
中間点の室堂にて  中間点の室堂では小屋の前に「白山神駈」の旗があり「白山フウロ山岳会」会長の佐々木氏が待機してくださっており、カップヌードルをご馳走になる。ここでリタイアする人は佐々木氏と市ノ瀬へ下ることになっている。10時10分発。まあまあのペースだが、全くの一人旅で、初めての道を暗くなってから下りたくないので、日が暮れる18時までにはゴールの石徹白(いとしろ)登山口に着きたいと思って先を急ぐ。南龍小屋までは大きく400m下り、別山への400mの登りにかかる。別山13時30分。ここを下ってから三ノ峰、二ノ峰、一ノ峰、銚子ヶ峰と4つのピークを越えていく。トレイルランではないと言われたが日没時間が気になり道のよいところでは走りもした。銚子ヶ峰16時30分。後は下りなので何とかなりそうに思える。暗くなりかけた17時55分、ようやくゴールへ。ここにはサポート・スタッフと石徹白集落の人たちがバーベキューで出迎えてくれた。
 参加11人のうち2人がリタイア。私はちょうど真ん中の6番目にゴールしたようだ。
 荷は軽いとはいえ1日18時間近くも山を歩いたのは初めての経験だったが、覚悟してかかれば何とかなるものなのだろう。この企画、身びいきもあるかもしれないが、主張も、配慮もあり、よくできていると思う。今後の発展を祈りたい。三峰の会員の皆様もこういう山の「文化」もあると応援していただければ幸いです。かくして「白山神駈」を無事終えることができた。

9月22日 祖母谷温泉へ
 21日は友人の家に泊めていただき、22日は11時16分金沢発。魚津で行動食等の補充をしようと思っていたのだがコンビニはなく、駅の売店のみ。宇奈月温泉にもコンビニはなくかろうじて菓子パン少々と今夜の夕食として鱒寿司、日本酒などを買う。トロッコ電車に乗り欅平着15時36分。祖母谷温泉には16時過ぎ到着。すでに鈴木(章)パーティ以外は全員が集結しており、焚き火もあり、楽しい宴会となった。剱岳北方稜線の様子を聞くと小窓雪渓は傾斜も緩く、アイゼン、ピッケルは不要とのことで星野君が持ち帰ってくれるという。また私が持ってきた20数年前の2人用のテントは当時の優れものでも現在では重く、佐藤明さんの軽いものと交換していただきかなりの軽量化ができた。また不足していた行動食等も皆様の残りを分けていただいた。多謝。

9月23日 阿曽原温泉へ
 6時、見送りを受けて祖母谷発。欅平で身支度を整え水平道で阿曽原温泉へ。水平道といってもそこに至るまではかなりの急登である。水平道は幅2mくらいはあり、部分的に山側に針金や鎖も付けてあるので決して危険ではないのだが、うっかり足を踏み外すと谷の底まで滑落しそうなところも多く、常に精神的に緊張を強いられて妙な疲労を覚える。また谷が入っているところも忠実に水平に道が付けられているので、かなり歩いたつもりでも、振り返るとまだ欅平の駅がみえていたりと、なかなかはかどらない。それにしてもこんなところによく道を作ったものだと感心する。12時には着くと思っていたのに阿曽原に着いたのは13時を過ぎていた。この調子では明るいうちに仙人温泉小屋に着くのは無理なので、まだ早いが今日は阿曽原泊まりとした。若い人が2日で行くところを3日かけていくのがシルバー山行の本来の趣旨だったのだ。今後の日程について検討する。私はまだ北方稜線については半信半疑だったのだが、別所さんは「これが最後の剱になるので是非行きたい」と言う。そう言われれば行かざるを得まい。ともかく仙人池まで行ってまた考えることとした。
 素泊まり6000円、夕食2000円、朝食1000円、カップ麺500円、幕営500円、風呂代500円だが朝食は6時からだという。明朝6時には出たいので、幕営して夕食のみお願いし朝食用にカップ麺を買う。昨日まではテン場も風呂とも満員だったというが、連休明けの今日はすいていた。テン場から5、6分下ったところに気持ちのよい露天風呂があった。満足。山小屋の食事を食べるのは何十年ぶりだろう。今は豪勢になったとは聞いていたが、大変おいしかった。考えてみたらこの3日間まともな夕食を取っていなかった。

9月24日 池ノ平小屋へ
 6時前に出発。雲切新道は黒部川を1時間ほど上流へ行った関電の施設から登る。いきなり梯子の連続である。梯子が終わってもフィックスザイルが丁寧に張られた急登が続く。仙人谷の対岸には紅葉が始まった坊主尾根が見える。登り詰めてから仙人谷に下ると源泉の湯気が上がっている。12時、仙人温泉小屋はひっそりとしていてとてもよい感じで、一風呂浴びたかったが写真を撮っただけで先を急ぐ。
仙人池ヒュッテの名物おばさんと  沢沿いにまだまだ登りは続く。あたりも大分色づいてきて、八ツ峰の見え始めた15時過ぎにようやく仙人池ヒュッテ着。周りはきれいに紅葉しており池は八ツ峰を映している。写真ではよく見るが、実際に目にするのは初めてで、やはり現場は臨場感が違う。テントを張りたいと言ったけれど「どうぞ」とは言ってくれなかった。諦めて名物おばさんと写真だけ撮って池ノ平へ向かう。
 16時池ノ平着。雨がぱらついてきた。テントを張って食事のみお願いしたいと言ったが食事は小屋に泊まった人だけと言われ、小屋泊まりとする。小屋番の70歳というとても親切な人からルートの状態等を聞き、明日山頂を越えて剱沢まで行くと最終決定をする。

9月25日 剱岳を越えて剱沢へ
 ビバークに備えて念のため水2リットルを余分に持ち5時40分発。池ノ平山の中腹を巻くように進み、小窓雪渓に降り立つ。雪は堅いが傾斜が緩く、スプーンカットの中に足を置けば滑らない。
池ノ平から北方稜線へ向けて出発  雪渓を登り詰め、草つきに踏み跡を拾って登ると7時30分広々した鞍部の小窓に到着。「ここが小窓か」と感じ入る。南下して小窓王へ向かう途中、剱沢から来たという身軽な単独の人と出会う。速い。小窓王10:00。ここからガリーを下る途中で2人組のパーティとすれちがい三ノ窓へ(11:50)。かなり道ができていて、見た目ほど悪くない。三ノ窓はすぐ近くまで雪渓が残っていて雪も取れそうだし幕営も可能だが、まだ泊まる時間ではない。続いてガリーを登り返すが落石を起こしそうなので、後続の別所さんの位置を確認しながら登る。
三ノ窓からみるチンネ  長次郎頭は左を巻くが、踏み跡がいくつもありわかりにくい。本峰との鞍部に降り立つところがわからず2人でルートの検討をしているところに、先ほどすれ違った単独の人が戻ってきたので、ルートを聞いたら「私の行くところを見ていてください」といって岩を回り込み一段上を登り「ここからガリーを下れば鞍部で後は踏み跡がはっきりしています」と声をかけてくださった。大変助かった。後に剱沢の小屋で聞いたら「稲葉」さんというガイドでこの辺りを知り尽くしているプロ中のプロ。今日は小窓にデポしてあった荷物を取りにいってきたという。
 14時、ようやく北方稜線を終えて剱岳山頂に立つことができた。連休明けのため誰もいない。ここは携帯が通じるので、シルバー2人を心配しているだろうと、仕事中の飯塚委員長に連絡を入れる。
 剱岳には室堂からと平蔵谷から登ったことはあったが、北方稜線は憧れではあったが、私には縁がないところかと思っていた。それを別所さんの熱意と豊かな経験のおかげで登ることができた。ありがとうございました。
 剱沢小屋には暗くなる寸前の17時55分着。テン場まで登り返して最後の夜を迎えた。なお私はこれで十分達成感もあり、明日は室堂から帰ることにしたが、別所さんは、翌日予定通り立山三山を巡ってから室堂に下るというので、翌朝剱沢で別れた。気力体力に恐れ入りました。


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