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月待ち山行・二十六夜山
峯川 正行

山行日 2010年9月4日~5日
メンバー (L)峯川、山口(順)、内田、杉本

 道志と秋川に二十六夜山という珍しい名前の山があります。以前から気になっていた山で、色々と調べると月待ち信仰に関わる山であり、旧暦の7月26日の夜にこの山の頂上で二十六夜の月の出を待ちながら村の女性たちのみで朝まで山頂で宴会をしていたといいます。月に姿を映す三体に割れた阿弥陀・観世音・勢至の三仏を拝めば、子宝を授かり、願い事が叶えられるという庶民の信仰があったとのこと。江戸時代に盛んに行われていたようで明治時代の廃仏毀釈が行われた頃から廃れたと思われます。奥多摩や秩父などでも「二十三夜塔」「十八夜塔」など古い石碑などを集落で見かけます。
二十六夜月 三仏概要  そして、旧暦の7月26日は、2010年は9月4日であり、この日を狙ってこの例会を企画し、かつて行われていた月待ちを実際に再現してみようというのが今回の例会の趣旨です。こんなマニアックな企画に賛同してくれる三峰ではないと思いつつも、いつも通りの私の自己満足例会企画です。ということで参加メンバーはいつもの?というか私の例会にいつも参加してくださる貴重なメンバーと相成りました。
 都留市駅に8時35分に到着し、タクシーで曙橋まで行きます。この山域は全く歩いたことがないので、菜畑山から今倉山を経由して二十六夜山を目指す形としましたが、今思えば、道坂隧道で下車し今倉山経由で行けばよかったなあと・・・。
 タクシーから下りると、とんでもない暑さです。ここから養豚所の脇を通り1時間ほど歩きテレビ中継塔がある取付まで歩きますが、とにかく林道が暑いです。養豚所の独特の臭気をかいだあたりからどうも体調がおかしくなってきて、先頭を内田さんにお願いしました。なかなか足が前に出ずに、途中仕方なく林道で一本を取らせてもらいました。取付につくと既に私はぐったり状態。菜畑山への急登はなんとか頑張り、あっという間に山頂ですが、東屋で日射しを避けて長めの休憩としました。
 ここからは檜原の笹尾根のような雰囲気で、のんびりとした涼しいブナ林で体調ももち直すと思っていたのですが全然ダメで黙々と歩いてようやく今倉山に着きました。ザックの上に大の字のように寝てしまい、みんなに仰いでもらい、できるだけ体温を下げるように努力しました。これが熱中症なのでしょうか。みんなのお陰でもち直したと思い、歩きだすとやはり目眩がして、下りなのに動悸がしてきます。次のピークでまた大の字になりしばらく目を閉じて休憩しました。この姿はあまりにも恥ずかしく、撮って頂いた写真はお蔵入りしてほしいものです。せめてもの救いは、今日は二十六夜山で幕営なので時間制限はないということです。それでも、本当にこんなに歩くのが苦しい、嫌だと思うのは初めてです。日射しが強い松岩では素晴らしい景色など楽しまないで数秒で通過です。林道に降り立つとアスファルトの熱気でまたふらふらしてきて、二十六夜山への取付の階段を上がった涼しい所で最後の休憩を取らせてもらいまた。今回の熱中症では一番助かったアイテムがありました。杉本さんが「はっか油」を稀釈したものを持ってきてくれて、これを首や体に付けると熱を奪ってくれます。我々はこれを『聖水』と名付け、皆で塗りまくりました。またこの『聖水』は虫よけにもなるようです!暑い日は『聖水』持参です!
 うだうだ寝転がっていてもみんなに迷惑なので、腰を上げます。荷物も分けてもらい、軽くなったザックを担げシンガリを務めます。んーなんとも情けない。こんなに暑さに弱かったか・・・。でもこの日の暑さは異常だったようです。
 ちょっと登るとすぐに道標が目に入りました。山頂は思った以上に細長く、北側、南側の眺望が最高です。南側には御正体山が聳え、右奥には富士山もうっすら見えます。冬場の眺望は最高のはずです。奥にある二十六夜塔と二十六夜山の説明看板をまず確認しました。

我々の月待ちの場の二十六夜山山頂我々の月待ちの場の二十六夜山山頂

 その後は、みんなで持参した冷えたビールで乾杯です!工夫をして冷やしてきた甲斐がありました!ビールを飲んだら熱中症がすっかり治ってしまいました~。内田さんが「いつもの峯川さんに戻った!」と言っていたのが印象的でした。
 4~5人テントを山頂になんとか設営しあとはのんびり景色を眺めがら小宴会です。夕方になりすっかり涼しくなり、寒いくらいでした。夕食は吉野家の牛丼と鳥照焼丼のレトルトで、栂海新道の際に美味しかったことは実証されていたので、皆さんにも安心して食べていただけました。その後はランタンを灯して、持参したiPodと何でもスピーカーになるアイテムで、牛乳パックをスピーカーにして、浜田省吾、井上陽水を歌ったりして、まるでキャンプのようでした。星空も素晴らしく、これは二十六夜月の月の出もばっちり見られるか?と思いながら、20時くらいに夜中1時過ぎの月の出を待って仮眠します。
 0時半に起きて、空を見ると星が隠れてしまいました。ありゃ~これでは月の出が見られないかと思いながら、また宴会の続きです。残っているチューハイやウィスキーを飲みながら東側の稜線をじーっと見ていたのですが、月の出の1時10分を過ぎてもなかなか見えません。やはり雲に隠れてしまったのかと思いながら飲んでいると、1時半頃に内田さんが「月が出てる!」と叫びました。下弦の月で赤色のような不思議な色で上がっていました。本来は下弦の月の上部の隠れている部分に光が当たり、月面に三仏が浮かび上がるというのですが、肉眼ではなかなか見ることは大変かなあと思います。この三仏の阿弥陀如来は十五夜では兎が杵を持っている姿なのです。言い方を変えただけですが、昔の人はよく阿弥陀如来に置き換えたなあと不思議に思います。ひとまず、二十六夜月が出ているうちに拝んでおこうと、予定していたお願いごとをぶつぶつと唱えました。その後は見え隠れを繰り返していました。お酒もほぼ尽きて2時半過ぎに就寝です。山口さんが先の草むらで黒い影が動いたと言っていたのが非常に気になりました・・・。
 今日は芭蕉月待ちの湯の開店時間の10時に下山を合わせればいいので、5時半起床の8時出発でのんびりモードです。朝の富士山を眺めながらの朝食はいいものです。撤収作業をしていると、1人のおじさんが現れてびっくりしました。聞くと、このおじさんも二十六夜月を見るために昨日ナイトハイクされて林道の所で道がわからなくなり、そこでテントを張ったとのこと。二十六夜月を見ることができなかったようで、我々が見たというと悔しがっていました。でも、夜中に突然このおじさんが現れたら多分みんな驚いていたかと思い、よかったなあと内心思ってしまいました。しかし、二十六夜月を見ようとするマニアックな人が私以外にいるんだなあと感心してしまいましいた。
 8時前に下山開始です。下りてすぐの広場にはお地蔵さんと『二十六夜講 行事の跡地』と看板があり、実際は山頂ではなくこの広場で宴会をしていたようです。今は樹林に囲まれて空は見えない感じです。
お地蔵様が見守る本来の二十六夜講 宴会跡地  下山ルートは快適で、沢近くまで下りると仙人水という名の水場に到着。岩の割れ目からこんこんと冷たい水が流れています。涸れることがない水量です。本当に美味しくて、例のスピーカーになった牛乳パックで何杯も飲み、頭から水も被りました。かっちゃ坊が住んでいたという「かっちゃ石」という面白い名所がありました。かっちゃ⇒かっちゃん?⇒K部さん?と1人でK部さんがお酒を飲みながらこの石の下にいることを想像してしまいました。涼しい矢多沢沿いをてくてくと歩きあっという間に林道到着です。芭蕉月待ちの湯までは少し歩き、開店20分前に着きました。朝一だからガラすき~と思っていたのですが、だんだんと人だかりができます。こんな山奥なのになぜこんなに混んでいるのか!と思ってしまいましたが、結構地元の方には人気の温泉のようです。入浴後にビールで乾杯しタクシーを呼んで赤坂駅まで向かいました。次の電車まで時間があったので、赤坂駅前のマクドナルド(こんな静かな場所にあり違和感がある・・・)でマックシェイクを飲んで電車を待ちました。
 今回は旧暦の日に合わせて、この日程だったのですが、こんなに暑いとは思ってもみませんでした。そして私の熱中症で皆さんに迷惑をかけてしまい申し訳なかったです。でも二十六夜月も見られたし、それに至るまでの月待ちの宴会もできたし、自己満足した山行となりました。皆さんには迷惑をかけて満足ではなかったかもしれませんが・・・。私の自己満足山行にお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。

〈コースタイム〉
9月4日快晴
都留市駅(08:52)=(タクシー)=曙橋(09:35) → テレビ中継塔(10:50~11:00) → 菜畑山(11:30~50) → 今倉山(13:45~14:10) → 松山(14:40) → 林道(15:30) → 二十六夜山(16:10)
9月5日快晴
二十六夜山(07:50) → 二十六夜講の跡地(07:55) → 仙人水(08:30~40) → 林道(09:20) → 芭蕉月待ちの湯(09:40)

〈タクシー〉
都留市駅~曙橋:6,560円
芭蕉月待ちの湯~赤坂駅:2,510円
富士急山梨ハイヤー(株)

〈温泉〉
芭蕉月待ちの湯:700円
営業時間:10:00~21:00


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