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沢登り・黒部川東沢谷
小幡 信義
山口 敦
天城 敞彦
YUKI

山行日 2010年8月15日~19日
メンバー (L)小幡、山口(敦)、天城、YUKI

8月15日 くもり 【執筆】小幡
 1週間前に台風が日本縦断。黒部川も影響があったのではと不安が募る。出発前に奥黒部ヒュッテに問い合わせたところ、1パーティーは行った模様?その他は皆敗退したとのことで、遡行の条件は芳しくない。上ノ廊下増水のときは東沢谷に変更の計画もしていたので、取り敢えず決行とする。集合は扇沢駅6:30発のトロリーバスに乗れるようにした。私は1人新宿から夜行バスで扇沢駅へ向かう。5:30頃到着する。バスから降りると外はひんやりと寒い。まだ早いせいか人の動きはまばらである。しかし、15分もすると観光客や登山客で切符売場は行列となってしまった。3名は大町からバスで来るため、4名の切符を確保し待つ。6:30始発のトロリーバスに乗車し、いよいよ上ノ廊下へ出発する。黒部ダム湖は見るかぎり増水の気配は全く見受けられず静かなものであるが・・・。
 登山道は黒部ダムの湖岸をほぼ水平につけられており、目で追うと目的地にすぐに着けそうだが、入り江と岬をジグザグに進むので、思ったより長く感じる。5人の中高年パーティーを追い抜き、平小屋へ10:50に着く。渡し船の出発は12:00であるので、のんびりと過ごす。しかし、小屋の中では無線を片手に「ロープが切れているか?」とか「先端に遭難者は結ばれていないか?」とか「現場はどの辺か?」と緊迫した交信のやりとりがされていた。話を聞いてみると、昨日入渓したパーティーの1人が流されて行方がわからなく捜索しているとのことだ。そのうちヘリも飛んで来るし、上流は穏やかでなさそうである。そんな不安を抱きながらも渡し船は定刻より5分遅れて対岸へ向かった。我々を含め2パーティー9人の乗船だ。平ノ渡場から奥黒部ヒュッテまでコースタイムで2時間。所々に気の遠くなるような長い梯子の上り下りが連続し、初日の重いザックが肩に喰い込む。
 奥黒部ヒュッテに14:20に着く。さっそく小屋番に上ノ廊下の水量を聞きに行くが、「やめた方が良い!」の一言であった。山岳救助隊が宿泊しており、詳しいことは聞いてみてくれとのことだ。奥の食堂で救助隊員に、今晩から明日にかけて天気が悪くなること。現在も流された遭難者を捜していること。もし上ノ廊下に入るのなら計画書を出してくれと言われる。「行くな!」とは言わないが「やめてくれ!」と言われているのをひしひしと感じる。4人のメンバーの力量を考え、この時点で上ノ廊下は断念し、第2案の東沢谷の遡行に切り替える旨を3人に伝える。山口氏が東沢谷に良い幕場があるか捜しに行ったがなく、本日のテン場は奥黒部ヒュッテのキャンプ場とする。焚火が出来ないのが残念である。テントを張った後、東沢谷に竿を出してみるも全くあたりがなく、しぶしぶキャンプ場へ引き返す。
〈コースタイム〉
扇沢(06:30) → 黒部ダム(07:00-30) → 平ノ渡し(10:50~12:05) → 奥黒部ヒュッテ(14:20)

8月16日 くもり 【執筆】山口(敦)
 昨日決断した通り、上ノ廊下はあきらめて、今日から東沢谷を遡行する。小幡リーダーに、僕が先頭で歩くことを伝えられ、少し緊張しながら出発した。
 ヤマケイ7月号の遡行記録によると、東沢谷は沢中2泊で三俣山荘までたどり着け、下流部のゴルジュ突破がカギとのことだった。奥黒部ヒュッテの裏を読売新道方面に進み、急登となる直前を左の藪の中へ入っていく。藪の中は踏み跡があり、しばらく行くと沢に下りる。
 沢に下りるといきなりゴルジュ帯である。朝のうちはまだ雲行きが怪しかったし、気温も低く水も冷たかったが、そもそも上ノ廊下に行くと覚悟して来たので、こんなものだろうという感じで進んでいく。
 順調に先頭を歩いていくと、渡渉しなければならないポイントに着いた。少し難しそうだ。リーダーからは、一人では無理をするなと厳命されていたが、渡れると判断し、渡渉を始めた。しかし、あっというまに足を取られ転んでしまった。さらに悪いことに足が岩に挟まれ、流れるに流されず、片手でバランスを取りながら、何とか水面上に顔を出して息をしている状態になってしまった。どうにもならず、この時は一瞬死ぬかと焦ったが、少しもがいているうちに、足が外れた。でも今度は体が流され、止まることができず、下流にいたリーダーに拾ってもらった。「駄目だよ!死んじゃうよ!」と言われ、自分のしたことの重大さに気づいた。
 一歩間違えば本当に死んでいたかもしれない。川の恐ろしさを身をもって知った。小幡リーダーや他のメンバーには本当に心配をかけた。反省するとともに、渡渉についてもっと慎重に考えようと思った。
東沢谷下流部のゴルジュ帯  そんなゴルジュ帯も1時間半程で突破し、その後は順調に進み、あっという間に一ノ沢出合に到着。遡行記録の参考コースタイムだと二ノ沢出合までで6時間となっていたが、この調子だともっと早く二ノ沢の出合に着きそうだ。天気は崩れそうになく、こんなんだったら上ノ廊下に行けたかもと、昨日の天気予報(午後から降水確率70%)を少し恨めしく感じながら歩いた。
 先が見えてきて余裕が出てきたせいか、小幡さんと天城さんは、岩魚を求めて釣りをしながら歩くことに。僕とYUKIさんもティータイムをはさみながら、完全にまったり気分で歩いた。
 明日のことを考えて、今日どこまで行くのかは大きな問題だったが、まったり気分に流され、三ノ沢を少し越えたあたりに、岩魚がいそうなポイントがあったのと、ちょうどいい高台があったので幕場とし、12:35行動終了。
 YUKIさんが焚き火の準備をしている間に、天城さんと小幡さんは岩魚釣りへ。二人ともしばらく帰ってこなかったが、しばらくすると天城さんが大きな岩魚と共に帰還。僕も天城さんについて釣りを教えてもらうことに。幕場に近いところでは、もう魚の気配もなかったが、15分くらい歩いたところで、見事に釣ることができた。おー、これは病みつきになるかも。小幡さんも収穫があったようで、そのうちに帰ってきた。
天城さんヒットの尺岩魚!素晴らしい!  夕食は岩魚の刺身、岩魚の塩焼き、タイカレーと岩魚のあら汁と豪華なメニュー。立派な岩魚を釣ってくれた小幡さんと天城さんに感謝。翌日は東沢谷を終え、三俣山荘まで行くという目標を立て、早めに就寝した。
〈コースタイム〉
幕場(07:15) → 一ノ沢(09:30) → ニノ沢(11:35) → 三ノ沢(12:10) → 幕場(12:35)

8月17日 晴れ 【執筆】天城
 4時起床6時発。東沢を詰めて東沢乗越から水晶小屋経由で三俣蓮華小屋まで。ただし届きそうもなければ東沢の水がとれる一番上で泊まることもあるという予定。単調な広い河原の歩きから始まる。1870mくらいで左岸から赤牛岳から流れ落ちるほぼ同じ水量の沢を分ける。このあたりゆうゆうと大きな岩魚が泳いでいるのが見える。2000mくらいで広い河原は終わり沢沿いまたは沢の中を行くようになる。明るく陽が輝き木漏れ日が沢面を照らす。柳絮(りゅうじょ。綿状の柳の種子)が陽を集めながらたくさん飛んでいてこれもまた美しい。赤牛、水晶そして真砂、野口五郎の稜線も見えてくる。
とても明るい東沢の先には水晶岳の稜線が見えます  12時ころ比較的大きな雪渓に到着。この先から本流を離れ左の沢に入る。徐々に傾斜も増し12時50分、水が消える。しばらくガレたところを登り詰めるとお花畑になる。最初にほほ笑んで迎えてくれたのはアオノツガザクラ、やがてウサギギク、ハクサンフウロ、ハクサンイチゲ、チングルマなど。藪こぎもなく13時40分東沢乗越の少し南の縦走路に到達した。しかし三俣蓮華の小屋まではコースタイムで3時間弱とまだまだ遠い。14時10分発。やがて水晶小屋へ。32年前にこの小屋に泊まり読売新道を下ったとき、東沢ののどかな流れを見下ろして、いつか来てみたいと思ったことがあったことを思い出した。32年後の今日その沢を実際に遡ることになろうとは・・・。
 黒部の源流まで下って三蓮の小屋まではまたしても沢の源流を詰めていく。さっきも同じようなことをやったなと思いつつやがて小屋へ(17時45分)。ほぼ12時間行動。疲れた。山口夫婦は小屋の人に明日下る伊藤新道の様子を聞いている。なんと当の伊藤正一氏が小屋にいて直接話を聞くことができたそうだ。87歳にして毎年この道を登ってくるという。

8月18日 晴れ 【執筆】YUKI
 伊藤新道の名を知ったのは2月のシニア山行。A.別所大先生から話を聞き、機会があれば行ってみたいと思っていた。事前の懸念事項は、湯俣川まで迷わず下れるか、水量は多いかの2点。事前にネットで情報を集め、念入りに地図にルートを入れた。前日には三俣山荘で伊藤新道を作ったご本人”伊藤正一さん”にルートの確認をした。伊藤さんに話が聞けたこともありルートには自信が持てた。水量は今シーズン下山したパーティーはいない(三俣山荘が把握している中で)が、梅雨明けの雨の中を2泊3日で遡上してきた2人組がいたので大丈夫!・・・なはず?!
 伊藤新道と鷲羽岳の分岐から赤沢までは、数ヶ所わかりにくい場所があったものの、踏み跡は明瞭。途中には手入れがされたロープや梯子があり、廃道と言われていても一部の人にとっては現役なのだろう。視界が開けて川が見えた時には、今まで見たことがない景色が広がっていた。
荒涼とした赤沢  荒野のようなゴツゴツとした赤茶けた岩壁の間を流れる川、なんだか日本ではないような雰囲気である。
 赤沢の水は透明、灰色のシルト~泥質の土が堆積しており、歩くと水が濁った。湯俣川はアクアマリン色、なかなか見ることが出来ない水の色だ。
 最初は河原と沢の中を交互に歩き、必要な所で渡渉をしていた。その後、沢の中のほうが移動しやすい場所であっても、同じように下ったため余計に時間がかかった。沢下りをしているのだから、もっと水の流れを利用(へつり&流されても安全なところは流される)すれば効率がよかっただろうと、サブリーダーが後から反省していた。東沢谷に比べて気を使う渡渉が多く(東沢谷では1度もロープを出していない)、リーダーが飛んだり、流れたり(≠泳いだり)の大活躍だった。こっちが核心かもしれないなぁと笑っていたのが印象的。幕場に着くまでに17回渡渉した。
いつも力強いリーダーの渡渉  天城さんは、伊藤新道がこんな所だと思っていなかったと呟いていた。想像より渡渉や泳ぎが多く、好きなタイプの沢ではなかったようで高捲きを頻繁に提案していた・・・(そういえば、海沢でも途中から1人だけ登山道を歩いていた)。
 予想以上に時間がかかり陽が沈み出してきたが、自分の位置も把握しており、湯俣まで間近と分かっていたので不安はなかった。天城さんから何度もビバークを提案されていたが、行動を続けていた。17時少し前にビバークを提案された際には、すでに噴湯丘が見えており、リーダーがあと30分だけ行動すると断言した。その後、すぐに幕場に着いた。
 水汲み班と焚き火班に別れて幕営の準備をした。水汲みから戻ると、天城さんは河原の温泉に入ったそうで気持ち良さそうだった。温泉好きの私はかなり楽しみにしていたが、手足が傷だらけで悶絶しそうだったので断念した。地熱のせいか岩や地面がほのかに温かく心地よかった。焚火の前で歌を歌いながら、お酒を飲んだ。リーダーは一足先にテントに入ってしまったが、残る3人は22時過ぎまで焚火の前でのんびりと過ごした。前日に引き続き、よく歩いた1日だった。
〈コースタイム〉
三俣山荘(06:15) → 伊藤新道と鷲羽岳の分岐(06:20) → 広場のような所(07:25) → 展望台のような所(08:10) → 入渓点(09:35-10:00) → 赤沢・湯俣川出合(10:35) → ワリモ沢出合(12:45) → 唐谷出合(13:10) → 噴湯丘(17:00) → 幕場(17:15)

8月19日 晴れ 【執筆】小幡
 昨日は焚火を囲みながら無性に飲んだ。そして歌った。4泊目のテント場は最高であった。振り返れば、上ノ廊下の流れを一歩も踏まず東沢谷へ変更した悔しさ。2日目、入渓してすぐゴルジュの通過で、山口氏が岩に足を取られ動けなく溺れそうになり、ヒヤッとしたこと。天城氏が30cm以上もある大岩魚を釣り上げ、刺身にして皆で夕餉を飾ったこと。山口夫妻が調べ上げた伊藤新道のルートを無事に通過できたこと。いろいろとあったが4人が皆協力し合い無事に終わったことを感謝しております。
 テン場7:00発、湯俣温泉からの下山客に混じりながら、我々4名も整備された登山道を、さわやかな気分で高瀬ダムに向かった。
〈コースタイム〉
湯俣温泉(07:00) → 高瀬ダム(10:00)=タクシー[8000円]=大町(10:30)


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