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雪山登山・爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳
和田 昌子

山行日 2010年12月29日~31日
メンバー (L)小幡、箭内、成田(義)、深谷、大田、和田

 前夜22時半新宿バスターミナルに集合。帰省客で賑わうバスターミナルはいよいよ年の瀬という感じで、一年の終わりと始まりをこれから山で迎えられることを幸せに思いバスに乗り込む。5時半、信濃大町に到着。ジャンボタクシーで移動して6時半頃入山地へ。
鹿島山荘前  雪はかなり降っていて歩き始めから膝位までの積雪があった。
 鹿島山荘裏からオババの碑を通り沢沿を少し歩くといきなりの急登が始まる。前日からの雪でどこを登ってよいのか見当もつかない。堰堤の右から登って左にトラバースするがどこをいってもブッシュの上に中途半端な新雪があって足場が決まらずうまく登れない。
 30分ほどでアイゼン装着。今度は根っこにひっかかる。落ちたら下までいきそうな急な斜面を手掛かり、足がかりを確かめながら集中して慎重に登る。しばらくすると爺ヶ岳を登頂してきた大学山岳部の3名に合う。昨晩はテントが丸々埋まる豪雪で爺ヶ岳登頂もかなり厳しかったようで、成し遂げた彼らの顔は達成感で誇りに満ちていた。
 急登が落ち着いたところでワカンを装着。先程の3名のトレースを期待したがあっというまに埋まっていた。
 11時、1,600m付近、ラッセルと急登の連続でメンバーに疲労の色が見られる。リーダーより、明日の天候が悪いことはわかっているが、ここで停滞すると次の日の選択肢が下山しかなくなるので、もう少し14時位までがんばって幕場を探して、翌朝の天候をみて前に進むか爺ヶ岳にピストンにするか下山するかを検討しようと指示がでる。
踏み外すと腰まで埋まる  雪は降り続きジャンクションピークに抜けても視界は全くない。ひたすらラッセルを続けていると雪に埋もれたテントを発見。昨夜からの積雪量のすごさにこの先どうなるのかと不安になる。とにかく先へ進むことだけを考え先頭を交代して進んでいると下山してくるテントの持ち主の二人と出会う。空身で行ける所まで行こうと挑戦したがひどいラッセルでP3(1,978m)までも行けず撤退してきたとこのと。明日はどうなるのだろうか?
 14時、1,870m地点で幕営。少し休んで体を温めて宴会開始。夕飯は箭内さん担当で三峰御用達のマーボー春雨を初めて食べる。事前の酷評から全然期待していなかったおかげで非常においしく頂き19時頃ぐっすり眠りについた。
 12月30日5時起床。翌日天気が最悪なのはわかっているので、鹿島槍はあきらめて爺ヶ岳を目指してピストンすることにする。7時20分出発。振り返ると朝日が赤くてきれいだった。雪は少し降っていて風はそれほどない。昨日の二人組のトレースが若干残っているがそれでも膝までのラッセル。
膝までのラッセル  8時半頃P3(1,978m)通過。トレースは完全になくなり腿までのラッセルを交代で進む。昨日は全く見えなかった鹿島槍が一瞬右手にうっすらと見えた。遠いなぁ~。高いな~。いつか行きたいな~と写真に収める。積雪はさらに多くなりリーダーが空身で雪の中に飛び込んでいった。もがきながらすいすいと泳ぐリーダーは忍者のようでかっこよかった。雪に体当たりして両手にもったピッケルで雪をかき、膝で固めた上に足を乗っけて大きく一歩踏み出す。なるほどああすればよいのか。勉強になる。続けて自分もちょっと大げさにやってみた。面白い。全身で自然と遊んでいる感覚がなんとも言えず楽しかった。空身になってもなかなか距離を稼げず時間だけが過ぎていく。天気も悪くなるばかりなのでリーダーから12時になったら引き返そうという指示がでる。P2(2,198m)に近づくにつれ斜面はだんだんときつくなり胸までのラッセルになる。成田さん、大まささんがしぶとく粘る。さらに急な斜面を箭内さんが直登する。
真っ白な壁を垂直に登る  雪壁、稜線、空と周りの景色がすべて真っ白な神秘的な世界で恐怖感がなくなる。きれいだぁ。やっぱり雪山っていいなと改めて思う。稜線にでたところで12時になる。12時4分2,240m地点敗退。爺ヶ岳登頂もできずナイフリッジも越えられなかったけど二日間自分たちで道を作ってきた達成感を味わえてうれしかった。みんな笑顔だった。
 5時間近くかけて登ってきた道を1時間足らずで下山し幕場へ。我々のテントの隣に登ってきたばかりの二人組がテントを張っていた。明日は最悪の天気予報なのに二人で上がってくるなんてなんてクレージーなんだ!と興味津々で話をするとリーダーはなんと74歳でかなりのエキスパートらしく、去年も同じコースを一人で回ったとのこと。超人である。一日目に「さて、あと何年生きようか~」なんて話をしていた我がパーティーのアラカン二人もすっかり影響されて74歳までは山を続けるぞ~!といっていた。
ここで敗退!でも笑顔  テントに戻ると調子を崩して待機していたちあきさんが、水やトイレを作りテントを温めてくれていた。とてもありがたい。その水で入れたお茶を飲んであったまっていると、実はトイレを作った際シャベルがキジにヒットしてしまい、そのシャベルで水用の雪も収集しちゃったのよね~と聞いて言葉を失う、、、。ち、ちあきさーん、、、、。と、突然隣の小幡組テントから「うぉー!!!」という叫び声。誰かが半身を飛び出してこちらのテントに突進してきた。テントの中からは「燃えてる燃えてる早く早く!」という声が。まさか火事?と、ちあきさんが外に出ると、眉毛がチリチリに焦げた小幡さんが動揺しながらボヤのことを話すが何をいっているのかよくわからない。落ち着いて聞きなおすと1時間程付いていたMSRが突然炎上してテントの内張りまで炎があがったとのこと。原因は不明だが目が痛い現象があったのとテント内にガソリンの匂いが充満していたことから微量のガス漏れがずっと続いて引火したのだろうと結論づけた。成田さんの上半身には青い炎が走ったらしく頭のところどころが焦げて金髪のメッシュを入れたようで、関西のおばちゃんみたいでちょっと笑ってしまった。テントの奥にいたおおまささんや箭内さんもよくみると帽子やバンダナの当たっていない部分が微妙に焦げていてテント全域に炎が走ったことが想像できた。今回は大事にいたらなかったので笑い話ですんだが、テント内の換気と匂いには十分注意を払わなくてはと思った。MSRは封印し、十分に換気をした後、予備のガスで1日早い年越しそばを作って食べた。翌日は下山だけなので残りのお酒もしこたま飲んで楽しんだ。
 12月31日6時起床。テントの外に出ると天気予報に反して晴れていて鹿島槍もきれいに見えた。もしかして今日なら登れるでは?とちょっと後ろ髪引かれる思いで7時50分下山開始。歩きだすといきなり膝までのラッセル。やっぱり登りは無理か。帰りもラッセルなんてきっついなーと思いながら樹林帯に入るとすぐにトレースがあり楽に進めた。ほっとした。

きれいな森を進む鹿島山荘前で

 きれいな森を快適に歩き最後はシリセードを楽しみ10時10分鹿島山荘到着。今回はダメだったけど次回はぜひ成功させようとみんなで誓い合った。
 するとリーダーが突然「山を尊び、山を愛し、山と共に生く、この言葉を胸にこれから山に登るぞ!」と決意表明。かっこいい言葉なのでオリジナル? と聞いたらそこの看板にあった言葉のパクリだった。家に帰って調べたらこの言葉はマナスルに初登頂した登山隊の隊長、槙有恒氏のお言葉だそうだ。いい言葉である。
 その後、薬師の湯でさっぱりして信濃大町へ。大町から振り返って山を見ると真っ白で何も見えず天気予報ははずれていなかったようでほっとする。そのまま駅前のラーメン居酒屋「豚のさんぽ」で食事をとる。その日はお客様感謝デーでドリンクなんでも一杯百円とのこと。ラッキーである。ビールにワイン、日本酒で乾杯し、とっても美味しい特製ラーメンでしめて東京へ帰った。

 今回、爺ヶ岳にも鹿島槍にも登頂できなかったが、悪天候の中のラッセルの連続という厳しい体験ができ、次につながるとても思い出深い山行になった。みなさまどうもありがとうございました。またいつか一緒に挑戦しましょう。

〈コースタイム〉
12月29日 鹿島山荘(06:30) → 1,600m地点(11:00) → ジャンクションピーク(12:50) → 幕営地[1,870m](14:00)
12月30日 幕営地(07:20) → P3[1,978m](08:30) → P2[2,198m](11:00) → 2,240m地点敗退(12:04) → 幕営地(13:00)
12月31日 幕営地(07:50) → 1,700m地点(09:00) → 鹿島山荘(10:10)

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