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ハイキング・笹子峠
森田 純子

山行日 2011年1月30日
メンバー (L)鈴木(章)、川崎、大田、山本(洋)、渡辺(智)、天城、森田(純)

 リーダー念願の「矢立の杉」とは・・・。杉良太郎の歌で有名になったという千年杉だそうですが、さて、どんな杉なのでしょう。

 集合は、高尾発7:26の小淵沢行きの車内。吾妻集中以来、久しぶりのYMさんや黒一点のAGさんも揃い、好天のもと車窓にはピカピカの富士山が見える中、和やかに出発しました。笹子駅に8:28着。
 バスに乗る予定でしたがバス停が見当たらず、とりあえず甲州街道を歩き始めました。バスは廃止になったのではと心配しましたが、駅前のバス停がなくなっただけで、すぐに発電所前というバス停がありました。待ち時間が30分以上もあるし、寒いので結局歩くことになりました。東京からここまで100キロを昔の人たちは歩いたのだから。
 笹子雁ヶ腹摺山への道を右に見て、新田から笹子峠自然歩道に入り、やっとハイキング気分です。矢立の杉は笹子峠の東800mほど下ったところにあるのですが、歌のおかげか幟や標識がいくつもあって悩むことなく9:55すんなりと到着しました。
 矢立の杉は、高さ24m・幹周り9mもあるりっぱな杉でした。昔、出陣する兵士がこの杉に矢を射立てて戦勝を祈願したところに名前の由来があり、1,000年以上も前の古書に、すでに記されていたそうです。火災の影響で中が空洞になっていて、杉良太郎は空洞になっていてもどっしりと立っている姿に魅せられて歌を作ったらしいですが、私にはちょっと切なく「お互い、なんとか頑張ろうね。」と声をかけたくなりました。
 次に目指すは笹子峠。沢に沿って踏みあとをたどり、笹子隧道に出ました。笹子峠は、こちら(大月)側からもあちら(甲州)側からも登れるとの事で、それなら隧道をくぐってみた~い!と、みんなで突入しましたが、吹き込んでくる向い風は冷めた~い。皆小走りです。「ここも、トンネルを抜けるとそこは・・・という事があるようよ」というKSさんの言葉に、もしかして銀世界?と、ちょっとドキドキして駆け抜けたのですが、雪は道路の端に薄らと残っているだけでした。
 甲州街道最大の難所といわれた笹子峠には10:50着。昔、人や馬が足や脚で越えていった情景が目に浮かびます。新しい道標があり、雁ヶ腹摺山・笹子駅・甲斐大和駅・カヤノキビラノ頭の4方向が示されていました。
 峠から100m程は急登でしたが、土がカラカラに乾燥していて、落石ならぬ落砂塵で、足元に気を使いつつ更に尾根をたどって中尾根ノ頭に11:20。ここでAッコさんのおやつ配給!(実は、いつも密かに楽しみにしているのですが)カリフォルニアのとても甘いぶどうでした。ここからカヤノキビラノ頭までの尾根は一部崩壊箇所もあり、慎重に進みました。
 カヤノキビラノ頭では、しっかり富士山を眺め、Aッコさんおやつの第2弾・きんかんの甘煮をいただきのんびりと休憩しました。要所要所にある道標は、山梨県の県産材使用の立派なもので、ここでは「笹子峠~清八峠 登山道案内 森のほっとスポット整備事業」という案内図まで立っていました。
 真っ青な空の下まさにハイキングで、気持ちよく歩き大洞山を越して摺針峠には12:55着。このまま進めばボッコノ頭~大沢山、右へ下ると御坂方面、左が私たちの下山路で(地図にはないのですが、しっかりした道があります)狩尾野林道に出ます。
 今回は、雪も期待していたのですが、アイゼンを出すこともなく(WBさんは雪用の靴をずっと背負ったまま)帰路に着きました。でも、最後になって狩尾野林道を歩いていたら、道一面に流れ出た水がスケートリンクのように凍っている箇所があり、アイゼンは出しませんでしたがヒヤヒヤで通過しました。新田からは、朝来た甲州街道を笹子駅まで歩き、15:02の大月行き電車に乗って帰ってきました。

リーダーは収納式ツメ付長靴でアイスバーンを渡る!

〈コースタイム〉
JR笹子駅(08:40) → 矢立の杉(09:55) → 笹子峠(10:50) → 中尾根ノ頭(11:20) → カヤノキビラノ頭(12:10) → 大洞山(12:40) → 摺針峠(13:00) → 車道(14:00) → JR笹子駅(14:53)


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