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山スキー・芳ヶ平&志賀高原BC
山崎 邦子

山行日 2011年3月5日~6日
メンバー (L)山崎、高木、深谷、斎藤(吉)、他1名

 当初の予定では行先を白馬界隈で計画していたが、山スキー友達のIさんより「ぜひ僕のホームである志賀高原に山スキーに来てください。宿もエリアも案内しますよ!」との誘いを受け、志賀高原にバックカントリー(以下BC)のフィールドがあるのか?という興味と、紹介宿に泊まるお気楽さにソソられて、志賀高原計画となった。
 メンバーも強力で(いろんな意味で・・・)濃い面子となり、楽しくも賑やかな(そしてハプニングにも遭遇した)山行となった。

【3月5日(土)】
 前夜新宿発で、志賀高原の入り口にある道の駅「やまのうち」にて仮眠。8時半に横手山スキー場の陽坂駐車場でIさんと待ち合わせる。今回はIさんがオススメルートを案内してくれるというので、リーダーとはいえ、私は結構気が楽だ♪
 1日目は、志賀高原の山スキーフィールドとしてメジャーな芳ヶ平へ。まず横手山のリフトを2本乗り継いで、志賀高原の最高峰・横手山へと登る。志賀高原は車やリフトであっという間に標高2,000m以上まで登ってしまうので高山という意識は低いが、寒さでその高さを実感する。今日の天候は粉雪が舞っているとはいえまずまずだったが、横手山頂へのリフト乗車中はさすがに震えた。
 横手山頂からは反対斜面の渋峠スキー場へと滑り込む。朝一番で人も少なく、ゲレンデ脇はノートラック。さほど深雪ではないが、パウダーに近い軽雪の未圧雪バーンを各々楽しみながら渋峠ヒュッテまで滑走。ヒュッテで登山届を提出する。ロビーには草津温泉へと抜けるというガイドツアーのグループが数人いて、これから来るツアー客の弁当も用意されていた。地元の宿やガイド主催の芳ヶ平~草津ツアーはなかなか人気のようだ。
 少しガスっていたので、ビーコンを装着したり、行動食を食べたりしながら晴れるのを待ち、10時頃にヒュッテを出発する。冬季閉鎖の志賀草津道路を暫く進むと、「日本国道最高地点・標高2,172m」の石碑があった。ここからは芳ヶ平を一望。間近に草津白根山、遠くの山並みは白砂山や苗場山だろうか。
青空広がり、展望絶景のドロップイン地点  その石碑のすぐ南側からドロップインすることに。しかし、その前にCT(シャベル・コンプレッションテスト)を行うことにした。芳ヶ平はポピュラーなBCコースだが、典型的な雪崩地形(斜度、形状などから)だ。また数日前には雨が降り、融解凍結による弱層が形成されている可能性もある。そこで、私とIさんは事前の打合せで滑り込む斜面の入口でピットを掘ろう(四角柱の雪柱を掘ること)と話し合っていた。
 Iさんが30度ほどの東斜面にテキパキとピットを掘り、千明がやってみたいとシャベルを叩いてテストをした。結果は「やや不安定」だったので、トラバースする時は一人ずつ滑り、あまり急斜の沢床には入らないなど、各自注意して滑ることを確認した(CTの結果など詳細は後述の雪崩報告に記載)。
 南側前方の尾根には別パーティが数10人集まっていた。ガイドツアーらしいが、彼らもCTを行っているようだった。団体が滑り出す前にと、尾根寄りに滑走開始。滑り出しは適度な斜度の広大な斜面で気持ち良いが、深雪の下に底付きがあり、硬くてひっかかる。私はまだ調子が出ずにコケてしまった。しかし徐々に雪質はよくなり、思ったより雪面も安定しているので快滑満喫!
雪質&斜度サイコー!気持ちいいっす♪  楽しい斜面は滑走距離でいうと500mほどで、あっという間になだらかなボトムに到着。時間はまだ11時なので、もう一回登り返そうということになり、Iさんとモキチのパワーが有り余る男性2人は車道まで、か弱い(?!)女性3人は美味しい斜面を再度ということで途中の棚まで登り返すことにした。
 この日は、ガイドツアー客を含め、そこそこの人数が芳ヶ平に入っていたようだが、草津に抜けるグループは尾根を滑ったようで、芳ヶ平の真ん中斜面(つまり沢中)を滑っていたのは我々だけだったようだ。
 女性勢は、1ピッチ目と同じ南側尾根沿いの深雪が美味しい40度弱の斜面にもう一度滑り込んだ。千明、私、あっちゃんの順で滑る。千明が緩斜面まで滑り終わり、私が途中あたりを滑っている時に、上からモキチが滑ってくる「ヒャッホー」とか何とか歓声が聞こえたように思う。その直後、前方の斜面(2ピッチ目のため、皆でシール登行した斜面)に雪崩がおきていた。
 私はその時にモキチの姿を見ていなかったので、てっきり「自然発生雪崩」だと思った。前方に雪崩が見えたので冷静に反対側へとターンして回避したが、後で聞くと千明は私が雪崩に気づかず突っ込むと思って大声をあげたそうだ。千明のところまで滑り降りて初めて「モキチが雪崩に飲み込まれた」ことを知った。だが、幸いにもモキチはそこに雪まみれで立っていて、無事脱出していた。雪崩はモキチが滑り込んだことによる人為的な発生だと知り、唖然としてしまった。雪崩発生時刻は12時。とにかく無事で何よりだった(雪崩レポートの詳細、目撃者としての千明レポート、遭遇者としてのモキチレポートは後述参照)。
 雪崩の破断面がよく見える芳ヶ平の雪原で昼食をとった後、登山ルートである北側の尾根を登って帰路に着く。この尾根は、あまりに雪面が不安定な場合はここを滑るしかないといっていた場所だが、ほぼ林道化していて斜度もなだらかで面白くなさそう。つくづく滑るのに楽しい斜面には雪崩のリスクが伴うものだと実感する。
 15時、渋峠ヒュッテに到着。ロビーの暖炉の前で無事帰着の生ビールで乾杯し、人懐っこいがグローブや帽子を狙うから要注意というヒュッテのマスコット犬クンと戯れた後、15時50分帰途へ。志賀草津道路を滑って横手山スキー場へ出て、あとはゲレンデを滑って駐車場へ。
 今夜の宿は、Iさんが古くから居候としてバイトしている発哺温泉「リバティ」。オーナーもバリバリのスキーヤーとのこと。志賀高原の穴場のBCエリアをよく知っているというから、これはお友達にならねば。オーナーとIさんのご好意で、しっかり男女別に1室ずつ用意してくれて、モキチは寂しく一人寝(女性勢は助かった?)。夕食後はIさんが加わって飲んで食べて、記憶もさだかでなくなった頃、オーナーが赤ワイン片手で部屋に来たのでまた飲んで・・・。宿泊ってやっぱり気楽でいいな、とつくづく思った次第。

モキチの無事生還を祝して乾杯! 【3月6日(日)】
 2日目は志賀高原BCだ。スキー場のリフトを使ってゲレンデのオフピステを滑りまくるという計画。こればかりは、コースに通じている案内人がいないとままならない。
 リバティで志賀高原の1日券を割引購入し、宿の朝仕事を終えたIさんの案内で、ブナ平、西舘山、東舘山、寺子屋などのゲレンデを闊歩する。もっぱらリフトを使ってコース外の深雪ツリーランだ。今日は最高の晴天で気温も高い。志賀高原には珍しく暖かいのはいいが、深雪が重くm.p.p(モモ.パンパン)になってしまった。しかし、こんなに志賀高原においしいBCコースがあるとは目からウロコだった。
「今日はちょっと雪が重くて大変だけど、1~2月の深雪の時はサイコーですよ、ぜひその時に滑って欲しいな」とIさん。その誘いに、来年は厳冬期の志賀BCを計画しようと密かに目論んでいる。

芳ヶ平雪崩報告
山崎 邦子

 この芳ヶ平山スキーにて、メンバーの1人斎藤吉夫さんが雪崩に巻き込まれました。幸いにもケガも無く無事脱出できましたが、一歩間違えば埋没し、雪崩レスキューの実践となるところでした。
 事前にCTを行い、少々不安定な結果から「気をつけて滑走しよう」と確認し合って滑ったものの、各自の危険意識度の相違もあり、やはり自然相手では何が起こるかわからないものだと実感しました。
 そうそう遭遇する事故ではないので、ここに写真と簡単なレポートを記します。雪崩の恐ろしさを再認識するとともに、雪山や山スキーに行く際の皆さんの危険回避の参考になれば幸いです。

 2月28日からの1週間は冷え込む日が多く降雪日が続いた。金曜まで降り続く天候だったので、土曜は好天だとしても雪崩に警戒が必要。また芳ヶ平は典型的な雪崩地形(斜度30~40度、凹凸状の起伏が多い)ということから、CTを行ってから滑ることを事前に決めていた。結果によっては美味しい30~40度斜面は避けて、登山道の尾根コースを滑ることにした。
 渋峠から車道を暫く進み、広い沢へ落ち込む30度ほどの斜面にてCTを行う。表面はウインドスラブで硬く、全体的にパックされている感じだったが、深さ10cmほどの場所に顕著なしもざらめの層があり、その下50cmくらいにも硬い層があった。CTの結果はCTE6@10cm(手首からたたいて6回目で破断。深さ10cm)、あのしもざらめ層からの破断だったが、破断面がブレイクだったので、「ちょっといやらしい状況だから、トラバースや滑走は1人ずつ。沢床には入らないで側面を滑ろう」と確認し、予定通りの美味しい大斜面にドロップインする(11時頃)。
 大斜面の右側寄りを気持ち良く滑走。雪質は上部滑り出し部分では少々底付きがありひっかかる感じだったが、下部では快適な深雪滑走となった。最後のなだらかな斜面へ落ち込むところでは、右側の尾根寄りの急斜面に1人ずつトラバースして入り、かなりパウダーに近い深雪を楽しむことができた。
 穏斜面となったところで、今の急斜面が面白かったのでもう一本やろうということになった。滑った感じでは、「思ったよりは安定している」という感触。そこで、滑った斜面の右側、少しなだらかな場所を登り返す(雪崩れた斜面を斜登行し右寄りを登る)。
 30分ほど登り、コンベックススロープ(凸状斜面)の場所に着く。女性3人は「ここまででいいや」ということで登りを終了。斎藤さんと今回同行したIさんの男性2人は「上まで登ってくる」ということで、車道まで登り返して行った。女性3人は先刻滑った尾根寄りの急斜の沢を再滑走。私たちが滑っているうちに上部から男性2人が滑り降りてきた。
 私が上から滑ってきた男性陣の声が聞こえるなあ、と思いながら沢を滑っていくと、左上部前方の斜面から雪崩が発生しているのを発見!。千明の「雪崩~!」という叫び声とともに、目視できていたのですぐにターンして回避する。その時は「自然発生の雪崩」と思っていたが、滑り降りていくと、先に下りていた千明から「モキチが巻き込まれた」と聞いてびっくり。
 無事に雪崩から脱出した雪まみれのモキチがそこに立っていたので状況を聞いてみたところ、「急に雪面がうねり始めて目前が真っ白になった」とのこと。一瞬にして100mほど流されたようだ。デブリの末端は右側の少し落ち込んだ沢へと続いており、モキチは沢床に入る手前の斜度がなだらかになった場所(先刻我々が登り返した場所)で脱出できたようだった。沢床まで流されていたら、埋没していた可能性があった。
 雪崩発生時間は12時少し過ぎ。雪崩斜面を改めて眺めてみると、凸状スロープから急激に斜度が変わるところから明瞭な破断面によってスッパリと切れていた。急激に斜度が変わるところは、重力によって積雪面が下部に引っ張られる(ストレスがかかる)ので、そのすぐ下が破断することが多い。まさに今回はその典型的な形といえた。
 凸斜面からモキチが凹斜面へ滑り込んだことで積雪層にストレスを与え、CTで深さ10cmのところにあったしもざらめ層が見事に破断。斜度のある沢状の場所で積雪量があったため、CTではわずか深さ10cmだった弱層が深さ40cmくらいのところから切れていた。雪崩レベルは1.5くらいか(長さ約100m、雪量約100t)。デブリの雪を触ってみると結構やわらかくて軽かった。これもモキチが無事脱出できた一因だと思う。春先の水分をたっぷり含んだ重い雪のブロック雪崩では、脱出は難しく、埋没、または圧迫や木に激突などによる怪我が避けられなかったに違いない。
 今回はCTを行って積雪の不安定さを認識し、トラバースなどは気をつけていたが、一度目の滑走で思ったより積雪層は安定していると思ってしまい、また、モキチには雪崩の危険性の高い斜度が変化する場所への注意という頭はなかったと思う。
 雪崩発生の危険は「雪崩地形」「不安定な積雪」「人や施設によるストレス」の三要素で構成されるが、今回はこの三要素がまさにそろったと形といえるだろう。雪崩に関しては「雪崩地形」を認識することが回避の一番の基本だと思う。
 CTを行い、滑走して積雪状態をチェックし、斜面形状にも注意しながら滑ったとしても自然相手につくづく「安全」という判断は難しいのだと実感した。決して1つや2つのテスト結果や情報からすべてを判断してはいけない。雪山や山スキーでのリーダー判断、パーティの行動の選択肢の決断は、把握できる危険要素以外、予期できない部分も考慮しながら慎重に行わないといけないだろう。
 今回、我々に同行したIさんと後日話したが、その時に聞いたことを簡単にまとめておく。彼の話から、雪崩遭遇後に自分なりに謙虚に事象を検分することが大切だとつくづく思い知らされた。
●モキチと滑るとき、常に自分が後方にいたのは、雪崩発生リスクを考えてのこと。2人の場合、リーダー(あるいはレベルが上の人間)が先に滑ってしまっては、雪崩が発生した時に救助ができないため。
●反省点
(1)CTテストを自分自身で行わなかったこと。ピットは自分が掘ったが、CTは他の方にお願いしてしまった。人によって(叩く強さが違うので)結果は多少バラつく。不安な場合は自分で確認することが大事だ。
(2)他パーティが同じ斜面を滑っているのを見て安定していると思ってしまった。
(3)2ピッチ目は違う斜面を滑るのにCTテストをしないでスキーカットのみで大丈夫と思い込んでしまった。

地図
現場写真1現場写真2
芳ヶ平から雪崩斜面を見るTITLE=""雪だるまになって無事生還

 なお、雪崩発生の2日後にJAN(日本雪崩ネットワーク)が調査に入りました。私が直後に推察した記録とは若干違いますが、調査結果を参考までに掲載しておきます。
●発生:2011年3月5日(土) 12時10分頃
●場所:上野草津(地形図)
●種類:面発生乾雪表層雪崩
●規模:size 1
●破断面:標高2,000m、方位:南東、幅約80m、厚さ30~50cm、斜度約32度前後
●行動
グループ:5人 種別:山スキー
●内容:芳ヶ平ヒュッテへ向かって滑り込む斜面にて、1人目が斜面に入ったところ、雪崩が発生(ただし、同じ斜面を30分ほど前メンバー5人で斜登行している。登ったところは雪崩でトレスが消失した)。滑走中の1人が雪崩に巻き込まれ、100mほど流されたが、埋没せず停止した。

目撃者の観点から
CHIAKI

 今回の山行で貴重な雪崩の全容を見る事が出来たので、記録を残しておこうと思う。一番目に滑降した私は、二番目に滑降してくる茂吉の滑りを見ようと中央の樹林脇で向かって右側の斜面を見ていた。右側の誰も滑っていないフレッシュバーンを、相変わらず斜面を蹴散らすような力強いターンを決めて茂吉が滑ってきた。2ターンが終わったあたりで「あっ!」と息を飲んだ。茂吉の滑っている上部にサーッと亀裂が入り、上部の5mくらいは斜面がスコンとずれ落ちるような感じで落ちた。と同時に、茂吉の滑っているあたりの雪面が波を打ち出した。向かって左のバーンを茂吉から少し遅れて滑ってくる邦子は、右ターンを終え右側の雪崩斜面に板の方向が向いている。
 「雪崩~、邦子こっち~雪崩、雪崩~」と叫び、左に手招きする。そのほんの数秒間に雪崩の波はどんどん速く大きくなっていった。
 うねっている雪面を茂吉が直滑降で滑っていくが、茂吉の滑る速度よりうねりの速度の方がだんぜん速い。邦子が左ターンをして左斜面に方向を変えたと同時くらいに、茂吉は大きくなったうねりと共に雪煙を上げた雪崩に飲み込まれていった。雪崩が起こってうねりが止まるまでの間、ほんの20秒くらいだったと思う。
 自分の位置からでは雪崩の末端まで見えなかったので、5m程降りてみると雪まみれの茂吉が両手で○を作っている姿が見えた。
 雪崩の亀裂が入るのを見た時に、何年か前に雪庇を踏み抜いたことを思い出し心臓が止まりそうになった。あの時も音もなく突然目の前の雪面にサーッと亀裂が入り、雪面が斜めに傾いたと思ったら滑落していた。
 雪は突然面で切れ落ちてしまう。そして雪崩は足元ではなく、滑走者の上部から起こる。今回、晴天で雪崩に巻き込まれたのが茂吉ひとりだったこと、雪崩の末端位置が想像できたこと、上部からIさんが雪崩の全容を見ていたこと、そして何より新雪で雪が軽く規模が小さかったので思ったより冷静にいられた。これが悪天候だったり、大勢を巻き込んでいたり、規模が大きかったりしたらと思うと想像を絶するほど恐ろしい。
 改めて、CTテスト等の危険回避の為の基本事項の遵守の重要性を感じた山行だった。

遭遇者の観点から
斎藤 吉夫

 2本目は目いっぱい左から滑ることにする。斜度は30度程度で少々重めの新雪でちょうど良い。Iさんはいつも先を譲ってくれる。お先にどうぞ、と言われて、1本目のシュプールを右に見ながら飛び込んだ。でもその先は、谷が狭まり斜面も急になってくるので、結局、右へ右へと方向が変わり1本目で一休みした同じ場所に出た。そこからはまたやや左に方向を変え、斜度が急に変わる手前の木がまばらに生えている所で止まった。そこは丁度斜度の変わり目で、その先は、今思えば雪崩が起きやすい正に雪崩地形とも言うべきところだった。100m程先の疎林まで行ったら一休みしようと、滑るルートを考えながら下を覗いていると、Iさんがまた「お先にどうぞ」と言ってくれる。ありがたい。
 勢いよく斜面に飛び込んだ。2、3回ターンをしたときである、今まで真っ白な一枚バーンだった目の前の広い斜面が、まるで無数の白いレンガが滝を降っていくように見えるではないか。一瞬何が起きたか理解ができなかった。理解するまでに1秒かかったのか、それより短かったのか長かったのか分からないが、千明の「雪崩~!」の絶叫が聞こえたときには何が起きているのかは理解できていた。このときまでは、ひょっとしたら雪崩の中を滑って降りられるかもしれないと思ったほど何のショックも感じていなかった。しかし、すぐに耐え切れなくなってバランスを崩して転んでしまった。でも、激しく体が転がるようなこともなく、ただスキー板の上に尻もちをついたような形になっただけだった。でも転んだ瞬間から、雪煙で前が全く見えなくなってしまった。滑り出す前に100mほど先の林まで滑るつもりでいたので、この先に疎林があるのは知っている。木にぶつかったら痛いだろうなと思いながらも、なすすべもなく流されていた。
 どれぐらいの時間流されたのだろう。10秒もないように思う。体が止まったときは本当にほっとした。そして、木にぶつからなくて良かったと思った。すぐに立ち上がって皆に無傷をアピールして、大声をあげてしまった。でも、不謹慎かもしれないが、いい経験をしたと思う。トラウマにもならず、少しだけ慎重になったことは収穫だ。しかし未だに、あの細かく砕けた雪面が流れ降ちる不気味な光景は忘れられない。その光景を思い出すたびに助かって本当に良かったと思う。


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