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岩登り・前穂東壁 北壁~Aフェース
荻原 健一

山行日 2011年9月17日~19日
メンバー (L)荻原、渡辺(守)、和田

【小説「氷壁」より抜粋】
 魚津と小坂のこんどの計画は、元日に奥又白池から前穂の東壁を征服することであった。東壁といっても幾つかの壁から成り立っていた。こんど二人が選んだのは、北壁よりAフェースを経て、前穂の頂上へ登ることであった。冬期にはまだこのコースでの完登の記録はなかった。(中略)ザイルは長さ30m。ナイロンザイルは初めてなり。壁の裾を登り出す。急な雪の斜面で雪をかくと体も一緒に下がる。最初のリッジに上がるのに苦労する。チムニー状の岩場あり。上の方がかぶり気味なので、ハーケンを打ってカラビナをかけ、それにアブミをかけて乗り越す。三時北壁を登りきって、漸くして第二テラスに出る。
 三時半Aフェースに取りつく。この頃より陽がかげり、風が出て、吹雪模様にとなる。登攀困難。五時半、全く暗くなり、Aフェース上部でビバークする。「朝になったらやむよ」。
 六時半に明るくなった。相変らず吹雪いていた。七時半に雪は小やみになり、「やるか」小坂はいった。小坂は魚津より5m程斜め横の壁に取りついて、ザイルを頭上に突き出している岩に掛ける作業に従事していた。事件はこの時起こったのだ。魚津は、突然小坂の体が急にずるずると岩の斜面を下降するのを見た。次の瞬間、魚津の耳は、小坂の口から出た短い烈しい叫び声を聞いた。
 魚津はそんな小坂に眼を当てたまま、ピッケルにしがみついた。その時小坂の体は、何ものかの大きな力に作用されたように岩壁の垂直の面から離れた。そして落下する一個の物体となって、雪煙りの海の中へ落ちて行った。

 上記は、昭和30年1月2日に実際に起きた岩稜会のいわゆる「ナイロンザイル切断事件」を基に井上靖氏が書いた小説「氷壁」の一部抜粋である。

 アルパインクライミングをかじった者として一度は行ってみたかったルートであるが、40歳を越えたへたれクライマーにとって厳冬期のハードルは高く、今回はお手軽な無雪期に偉大な先人の踏み跡を辿るべく例会で企画することとなった。

【9月17日:終日雨】
ベースの奥又白池  前夜発の夜行バスで上高地へ。雨なのに昨今の山ブームで凄い人だ。徳沢園、パノラマ新道を経て中畠新道へ。急だが道はしっかりしている。濡れていると下りは若干いやらしいだろう。重荷に喘ぎながら3時間弱でB.C.となる奥又白池に出る。テントを張って偵察に出る。アプロ―チは奥又尾根の踏み跡を登って奥又白谷上部をトラバースするものと池から奥又白谷へトラバースしてその後に谷を詰めるものと2通りあり、両方見に行くが明日は暗い中での行動となる為、安全策をとって後者のルートをとることに決定してテントに戻る。池のテントは我々以外に1張り。2人組で明日は4峰正面壁の予定とのこと。雨は夜遅くまで激しく降り続き、半ばあきらめモードの中、シュラフに潜る。

【9月18日:終日晴れ】
 3時起床。テントから顔を出すと星空が見えモチベーションが一気にあがる。暗い中懐電歩行で出発だ。奥又白谷までは足元の岩も藪もびちょびちょで服もズボンも濡れまくるが、頭上の星空が晴天下での快適なクライミングを約束してくれている。谷に降りたところで明るくなる。奥又白谷を詰めていくと雪渓になりピッケル、アイゼンを出す。数年前の同時期に来た時に比べ雪渓は随分小さい。
 C沢出合いでアイゼンを外し、このままC沢を詰める。一か所急なところがありホールドも不安定なのでザイルを出す。インゼルを越えB沢へ。B沢下部は落石の巣であり、C沢経由が正解だろう。B沢上部は比較的安定しているが、上からの自然落石を気にしながら慎重に詰めていく。詰め切った最奥の目の前のフェースがDフェース。そして左側の壁が我々が目指す北壁だ。トポ上の取付きは更に上だが、落ちればダメージは大きいのでここからロープを付けてクライミングを開始する。
 北壁は合計5ピッチで抜ける。全体的にホールドは不安定で残置も信用出来るものはほとんどなく、ビレイ点も自分で作ったり補強する必要があるので、リードはある程度の力量と経験が必要だと思われる。
 第二テラスに出て1ピッチ移動するとAフェース取付きだ。ここのビレイ点のハーケンも引っ張ると抜ける始末なのでアングルを打ち足す。Aフェース1P目はルートもすっきりしており、岩も堅く残置も豊富なので渡辺さんにリードして貰う。高度感もありこのルート中一番おいしいピッチだと思われる。
Aフェースを登る  次のピッチは和田さんにと思って声を掛けるが、もうお腹いっぱいのようなので結局私が登った。終了点は前穂山頂直下5mくらいのところ。ザイルを仕舞って1分で山頂だ。何て気持ちの良いルートなのだろう!山頂では前穂北尾根組、一般道組、そして池で一緒だった4峰正面壁組の二人とも会うことが出来た。
 登攀成功の充実感の中、360度の大パノラマを十分満喫し下山にかかる。まだA沢の下りがあるので気は抜けない。先行した二人組が手前の急な沢を下ってしまい、登り返してくる。同じ轍を踏まないようにと思っていたが、今度は我々がA沢の先の沢(中又白谷?)を下ってしまい、やはり登り返すことに。A沢入口はケルンが積んであったが、入口が稜線よりも少し奥に入ったところになるので知らないと結構嵌りやすいところだろう。二人組とはA沢上部で合流し、以後は落石を考慮して同一行動をとる。上部で一回懸垂をしたが、あとは慎重に歩いて下れる。もちろん落石は頻繁に起こしてしまうが、思っていたほど悪くないというのが実感だ。
 奥又尾根の踏み跡に出たところで一安心。ここから15分くらいで池に戻って握手となる。ぎりぎり暗くなる前に戻ることが出来た。

達成感がたまらない!前穂山頂にて

【9月19日:晴れのち雨】
 今日は池から上高地へ下るだけ。のんびり支度をして下山にかかる。濡れていたらいやらしいであろう中畠新道もすっかり乾いており問題ない。途中徳沢園で反省会をたっぷり行い、千鳥足で上高地へ。雨が降る前に下山出来てラッキーだった。

〈メンバーコメント〉
【渡辺】
 おいしいとこいただいてリーダーには感謝です。それから気まぐれなお天気にも、今シーズン初めには岩のことなど何も考えていなかったのに、前穂東壁なんてまだ信じられない。これですっかりハマった。とにかく充実感が違う。40代後半に入り厳しくなる年頃ですが気力、体力続く限り頑張りますので、皆さまのご支援宜しくお願いします。

【和田】
 長い長いアプローチ、高度感抜群のAフェース、ガレガレの長い下山道と緊張の連続にヘトヘトになりましたが、素晴らしい景色の中、最後まで成し遂げることができ、自分としても一歩成長できたと思える山行でした。
 リーダー、なべさん、
 三峰に入る前までは、登ってみようなんて考えたこともなかった穂高の本チャンにいけるチャンスを頂きありがとうございました。

【9月17日】 上高地(06:50) → 奥又白池(13:10)
【9月18日】 B.C(04:30) → 前穂山頂(14:20) → B.C(18:00)

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