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正月合宿(その1)・爺ヶ岳東尾根~鹿島槍ヶ岳
小幡 信義

山行日 2011年12月29日~2012年1月1日
メンバー (L)小幡、金子、紺野、橋岡、杉本、内田、坂間

【2011年12月29日】
 新宿夜行バス22時30分発で信濃大町へ5時25分着、駅舎で共同装備を分配しながら寛ぐ。他の登山客はと見渡すと4人組1パーティのみがいるだけで静かなものであった。行動するにはまだ外は暗く、暫く暖房のきいた部屋でのんびりする。
 6時30分、アルプス第一交通に予約していたジャンボタクシーに乗り鹿島部落に向かう。40分弱で到着。4人組パーティもタクシーを降り出発準備をしているところであった。アイゼンを装着している間に4人組は「交替でラッセルして行きましょう」の挨拶を交え先に行ってしまった。
 我々の本日の予定はジャンクションピークまでなので、のんびり行くことにする。狩野家の裏のオババの碑「山を尊び、山を愛し、山と生く」の文を口にしながら先に進む。なかなか良い詩である・・・。
 少しダラダラの雪道を歩くと尾根取りつきの急登となる。5日分の食料を詰めたザックは肩に食い込む。分かりきったことだが。後続メンバーも、もくもくと登ってくる。ワカンを出すまでもなく、意外とスムースに進む。1,476m地点でテント撤収跡有り、1日先に入山した別所さんパーティ3人ではないか等と話をしながら歩く。4人組パーティは足並みが揃っているのか全く姿が見えない。この先も意外と踏まれていてラッセルの心配はいらないようだ。
 11月の後半に、東尾根の下見に来た時には雪は全くなく藪こぎで尾根途中で敗退したが本日は雪で藪が潰され気持ちよく進める。
 順調に進んでいると前方に6人パーティがワカンを履いて降りてくるところであった。どうも大学生のようだ。爺ヶ岳ピストンしてきたとのことだ。若い大学メンバーのお蔭で我々は苦労することなく進めた。ちょっと物足りないぐらいか?・・・。
 13時頃には本日の目的地のジャンクションピークに着いてしまった。意外に早い到着。先に行きたいところだが明日の行動時間も短い為、幕営地とする。エスパース2張り分の場所を踏み固めているとP3辺りから「モートー」の声がする。別所さんパーティからのものだろう。こちらも声を張り上げ答える。更に「モートー、モートー」。もっと上がって来いと言っているようだ・・・。ガスっていて視界はきかず、風も出て来て少し寒くなってきた。早くテントに入り一杯やりたい気持ちだ。

【2011年12月30日】
 シュラフに入ってから深夜は風が出て来てフライがバタつき、なかなか寝付かれなかった。朝も引き続き風は収まっていないようだ。私がキジ打ちに行っている間、銀マットを飛ばしたとかで険悪なムードになっていた。
 7時30分出発。テントはバリバリに凍り袋に入らず、坂間君はザックの天蓋に縛り付けての行動だ。風は有るもののトレースを外さなければ潜ることもなく高度を稼ぐ。P3に昼前に到着。別所さんパーティのテントであろうか、1張りあった。ピークを目指して出発したようだ。この先は幕営地がない為大半のパーティが此処でこの日の行動を打ち切るとコースガイドに書いてあったため、我々も幕営地としていたが「もう少し進もう!」との皆の意見もあり、取りあえず先に進む。P3から1時間弱歩き登山道より少し降りた斜面をスコップで整地し、エスパース2張り分のスペースを確保する。
 時間も早い為、明日の偵察とラッセルを兼ね出発メンバーを募ったが、結局、橋岡、坂間と私の3人となった。「15時頃には帰ってきますから」と言い残しテント場を出発する。100m先にテント1張り有り。多分4人組パーティと考える。入口が縛ってあるため、爺ヶ岳を目指したのであろう。
2日目の幕場にて別所隊と一緒に  ダケカンバ帯を抜け急登するP2(2,198m)に到着。この先は左右とも切れ落ちたナイフリッジのアップダウンが続くが、しっかりとトレースもあり、ピッケル、アイゼンを慎重に運べば特に問題ないようだ。目の前に見えるはずの双耳峰の鹿島槍はガスの中に隠れ姿を現さず。風も少し強くなったようだ。更に急登するとP1の矢沢の頭に到着する。広い台地となっており風も更に強く感じる。
 ふっと前方を見渡すと3人の登山者が降りてくるところであった。わが三峰の成田さんで有った。この先は強風で頂上は無理と判断し下山したとのこと。確かに風は強さを増し、顔面に粉雪が吹き付け痛いくらいだ。永田君に続き少し遅れ別所さんと合流。我々も偵察は此処までとし、別所さんパーティと下山する。4人組パーティは強風の中、山頂を目指して行ったようだ。テント場に15時30分頃着く。別所さんパーティは少し雑談をしてからP3まで下って行った。夕飯にはまだ時間があるため、トイレ作りに精を出す。稜線はかなり吹雪いているようだ。時々テント周辺も地吹雪が舞い上がりテントを揺らしている。4人組パーティはかなり厳しい状況下におかれていることだろう・・・。

【2011年12月31日】
 本日もアイゼンのみで7時30分に出発する。天気予報によると、冬型がくずれ比較的安定した天気のはずであったが、出発時は風強し。少し進むと4人組パーティがテント撤収の最中であった。通りすがり「昨日は強風で厳しかったでしょう!」と声をかけた。それでも頂上を踏めて良かったと気持ちが顔に現れていた。今日は下山するのみか・・・。
 我々はこれから頂上を踏み冷池山荘まで行かなくてはならない。2日間は行動時間が短く、それに慣れてしまった体には、本日はとても長い1日に感じるだろう。
 P2の急登は昨日の軽荷とは違い1歩1歩が非常に重い。それでも踏み固められた雪はアイゼンがしっかりと効き有難いものだ。
P2への細い尾根を登る我パーティ  この先のナイフリッジはロープを出すこともなく通過する。P1の矢沢の頭に着いた時には風も弱まり太陽も顔を出し暖かく感じるくらいだ。爺ヶ岳中央峰も近付いて見える。広い尾根をトレースに従い着実に進むが途中で消えてしまった。強風によるものだろう。腰まで雪に埋まり急にペースが落ちる。ここで初めてワカンを付ける。元気とパワーのある坂間君が先頭でガンガン進んで行くがラッセルも50m位で済んで一安心。頂上近くの最後の登りではブッシュが顔を出している。12時30分に爺ヶ岳中央峰、2,670mに到着する。西側からの風が冷たい。道標もエビの尻尾で凍りついている。西方向遥かかなたに剱岳も見えるが、これから進む爺ヶ岳北峰、鹿島槍はガスって見えず、風も出てきたようだ。じっとしていると体温が奪われる。全員が揃ったところで記念写真を撮る。ワカンを外し冷池山荘に向かう。夏道にはうっすらと踏み跡が確認できる。2~3日前に通行したような足跡だ。山荘からのものだと思い、忠実に足跡を追って夏道を行く。北峰をトラバースし、赤岩の頭らしき場所も通り過ぎ、そろそろ山荘が見えても良いのではと思いながら進む。
 出発から6時間30分、疲れが出て足取りが非常に重い。標識が見え、山荘までもう少しと思いペースを上げるも、樹林帯に入ると急に雪が深くなり足を取られもがきながら15時30分頃山荘に到着。他のパーティが冬季小屋を占領しているかと覗くが誰もいない。周辺も踏み跡ゼロ、我々三峰メンバー7名のみである。明日の予定の鹿島槍のピストンはかなり厳しいことが想像される。
 冬季小屋は狭いものの、エスパーステント4~5人用が2張り張れる。便所も用意されており今晩は快適に過ごせそうだ。金子さんの携帯に定期的に届く天気予報の情報によると、明日から天気は崩れ2~3日は続く模様とのこと。明日の鹿島槍は止め下山することに決める。本日は最後の夜と決め込み、遅くまで飲み続けた。

爺ヶ岳中峰にて

【2012年1月1日】
7時に出発する。小雪混じりだが稜線は僅かであるが見渡せる。赤岩の頭からの下降はかなり急峻で厳しいと思い、隣のやや緩やかな尾根を後ろ向きで下降する。しかし降り立ったところは夏道のトラバースルートであった。積雪量からして雪崩は大丈夫で有ろうとのベテラン3人の判断で荷を下ろし上部を見ながらトレースを付けて行く。30m位か、その後も同じようにトラバースが30m、1人1人が間隔を十分に開け、危険地帯を遣り過ごせた。後は尾根を忠実に詰めていけば本日中に下山できるであろうと一安心する。下りも腰までの深さであるが軽い雪のため気持ちよく進める。高千穂平より鹿島槍を見上げるもガスって見えず。頂上は吹雪いていることだろう。天狗尾根メンバーもラッセルでかなり苦戦していることだろう思いながら下る。
 赤布を見つけながらぐんぐん高度を下げて行くと眼の下に大冷沢の流れが見える。これで今回の正月合宿も無事に終わることが出来るなと安心する。西俣出合いから林道を1時間、大谷原からタクシーを呼ぶが、ここまで来ないとのことで、更に15分程歩いて待つ。ザックを下ろした上に腰かけゆっくりと寛ぐ。

〈コースタイム〉
【2011年12月29日】 鹿島部落(7:30) → ジャンクションピーク(13:00)
【2011年12月30日】 ジャンクションピーク(7:30) → P3とP2の間(12:00)
【2011年12月31日】 P3(7:30) → 爺ヶ岳中央峰(12:30) → 冷池山荘(15:30)
【2012年1月1日】 冷池山荘(7:00) → 西俣出合(13:30) → 大谷原(14:30)

※山行を振り返って
(1)4泊5日、予備日1日、テント2張りでガソリン7Lは足らなかった。あと2Lは必要だった。
(2)今回、爺ヶ岳を越え冷池山荘まで行けたことは、先行していた大学パーティ6名と、4人組パーティそして別所さんパーティ3名のラッセルがあったからこそ行けたもので我々三峰1パーティのみでは爺ヶ岳も踏めなかったかも知れない。
(3)正月の鹿島槍の入山者の少なさに驚いた。冷池山荘には我々三峰パーティのみ。それとも各ルートから入山するものの途中で敗退していったのか?・・・。


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