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日韓交流山行&集中山行
(その2) 島々宿~徳本峠~霞沢岳
渡辺 智世

山行日 2011年9月30日~10月1日
メンバー (L)鈴木(章)、藤井、渡辺(智)

 今回の日韓交流山行&集中山行は、島々宿から徳本峠を経て霞沢岳を目指すアッコさん隊に加わらせていただきました。島々谷に沿って歩くこのクラシックルートは昭和8年(1933年)に釜トンネルが開通してからは殆ど使われなくなってしまったそうですが、日本近代登山の父ウォルター・ウェストンが上高地へ向かう時に何度も歩いたばかりでなく田部重治や串田孫一の著書の中にも登場する、私にとって憧れの道。今回、初めて足を踏み入れることになった北アルプスのプレリュードにピッタリ!と密かに胸は高鳴りました。

 前夜、新宿20時発のスーパーあずさにバタバタと駆け込み、松本電鉄上高地線に乗り継いで到着した波田駅では一足先に現地入りしていたアッコさんのお出迎え。駅に程近い宿に辿り着いたのは間もなく日も変わろうとしていた頃でした。アッコさんが予約してくださったビジネス旅館「丸上」は、清潔な寝具と浴衣、共同風呂には使い放題のタオルまで備えられていて素泊まり1,900円というリーズナブルな料金。ゆったりとした部屋でグッスリ快適に眠ることが出来ました。

【9月30日 雨】
 朝、目を覚ますと空には重たい雲が垂れ込めていました。
 当初、波田駅から島々駅まで始発電車で移動してからタクシーを利用するつもりでいましたが、運良く波田駅前でタクシーを見つけることができたので島々谷林道を入れる所まで行ってもらうことに。まだ人通りのない里中を抜け林道を走ること約20分、資材置き場のような少し開けた広場で運転手さんは車を停めました。恐らくこれ以上入るとUターンできる場所がないのでしょう。諦めてタクシーを降りると、やはり予報通りの雨が降ってきてしまいました。
 アッコさんのザックにも私のザックにもテルテル坊主をぶら下げて来たのにな、やっぱり雨か・・・。
 槍ヶ岳を目指して遥々と韓国から来てくれた正林建築山岳クラブのメンバーにも気の毒だし、これからの長い道のりを思うと覚悟はしていたものの少し気が重くなったのでした。
緑濃い島々谷沿いのクラシックルート  雨具を着込み、夏の名残りと秋の気配の入り混じった林道を更に奥へと歩きました。ゲートを過ぎ、無機質で単調な道を小一時間ほど進むと右にトンネル、左に谷沿いの道へと続く分岐に着きました。二股です。
 二股には、天正13年(1585年)、豊臣秀吉に追われた飛騨松倉城主三木秀綱の妻が人目につかないように夫と別行動で信濃国を目指し、中尾峠、上高地、徳本峠を経て島々谷まで来たところで島々村の木樵の手にかかって非業の死を遂げたという話を、昭和元年(1926年)に当地を訪れた折口信夫が案内人から聞いて詠んだ短歌「をとめ子の心さびしも清き瀬に 身はながれつつ人恋ひにけむ」の刻まれた供養碑がありました。しばし、戦国の世の悲しい出来事に思いを馳せた後、分岐を左に入ると、いよいよ本格的な山道になりました。間もなく、前述の三木秀綱の妻の、まるで小さな墓石のような慰霊碑が現れ、その先の吊り橋「往き橋」「戻り橋」で谷を渡ったり戻ったりしていると、今度は昭和20年代に使われていた石積みの炭焼き窯の跡があり、比較的最近まで行われていた山村の生業の一端を垣間見ることができました。
コンクリートの土台ごと流された木道  瀬戸下橋を過ぎた辺りから登山道は徐々に勾配が感じられるようになり、この夏の大雨のせいなのか、かなり道が荒れていて倒木も見られるようになりました。途中、壊れかけた小橋やコンクリートの橋脚ごとなぎ倒された木道もあり、沢の中をジャブジャブと歩くこともしばしばでした。
 再び道の脇に天保4年(1833年)の石灰窯跡がありました。そうこうしているうちに岩魚留小屋に到着です。戸は固く閉ざされ人気もなく建物も大分傷んだ様子でしたが、その軒下を借りて一休みさせていただくことに。小屋の直ぐ近くを流れる勢いある滝を見て、確かにこれでは流石の岩魚も昇れないだろうなと、その地名の由来に納得してみたり、雨に煙る深い谷の景色を楽しみました。しかし、ここで何時までものんびりはしていられません。まだまだ続く長い道のりを考え、ささっと腹ごしらえをして小屋を出発しました。
 その先の谷は徐々に幅を狭め、ますます倒木が増え、跨いだり、くぐったりすることが続き、一本丸太の橋を渡らざるをえない箇所ではヒヤヒヤでした。その間も雨脚は一向に収まることなく、蒸し暑さで雨ガッパの下の身体も汗でびっしょり、もう周りの様子に目をやる気力も失せてきた時でした。先頭を歩いていた藤井さんが谷を渡渉して対岸の急斜面を登って行ったかと思ったら、突然、引き返し水の中をザブザブ登って行くではありませんか。そして、流れの中に横たわった大きな倒木に吸い込まれるように近づいて行きました。すると後続のアッコさんの歓声が!なになに?と私も近寄ってみると、なんと倒木の陰に真っ白でプリプリのブナハリタケがびっしりと群生していたのです。
 藤井さん、すごい! よくぞ見つけた!韓国隊への良いお土産になるね!と早速収穫することに。あっと言う間に大きなレジ袋が一杯になってしまい、こりゃ重すぎて大変なことになると程々のところで収穫を終了しました。
雨にも負けず風にも負けず収穫中  しかし、思いがけない山からのプレゼントに元気が出たのも束の間、その後、谷を何度も渡渉し最後の「本谷の渡り」を過ぎると、いよいよ徳本峠を目前にした本日最後の急登です。しかも徳本峠には水場がないため水を上げなければなりません。少し進むと「力水」が見つかりました。もうここまで来たら2リットルも3リットルも同じだ!とばかりザックに水筒を詰め込みました。その後の登りのきつかったこと!ただひたすら足を一歩一歩前に出すだけ。少しずつでも前に進めば、いつかは着くだろうと、まるで牛のごとき歩みでした。
 そして、無事に徳本峠小屋のテント場に着きました。ザーザー降りの中、テントを設営。歩いている時はあんなに暑かったのに、いつの間にか冷えてしまった身体をテントの中で暖め乾かし、途中収穫したサンゴタケやホコリタケなど数種類のキノコ料理を囲っての夕餉となりました。

【10月1日 晴れ時々曇り】
 朝4時起床。テントから顔を出すと昨夜の大雨が嘘のように収まっていました。やった!今日は山頂からの穂高連峰の眺めが素晴らしいことで名高い霞沢岳を目指すのだもの、やっぱり晴れて欲しい!そんなほのかな期待を胸に、5時10分、まだ暗い登山道をヘッドライトをつけて出発しました。
 樹林帯の中を歩くこと約1時間、ジャンクションピーク(2,428m)を越え、その先の小湿地を通過し、次々とピークを踏みながら徐々に高度を上げて行きました。陽が昇るにつれ、何やら周辺の雲も移動を始めたようです。そして、雲海の中からとうとう穂高連峰が顔を出したのです。登山道は道幅が狭い上にザレて半分崩落していたり、うっかりすると落石を起こしそうな不安定な斜面が続き、余所見なんてしていられないはずなのに、その雄姿に思わず見とれてしまいました。
雲の上に顔を出した穂高連峰  登りは更に続きK1、K2ピークを経て霞沢岳(2,645.6m)に到着したのは午前9時でした。山頂からも一瞬ながら目の前に迫った穂高連峰を見ることができ、北アルプスの山々を登り尽くしているアッコさんも最後に残った霞沢岳を制覇でき、喜んでいらっしゃるようでした。
 それにしても、徳本峠を出発してから約4時間の道のりは長かった!ここで少しホッとし、アッコさんがリーダーメールをチェックしてみると、槍ヶ岳隊の明さんから「槍ヶ岳登頂!雲一つない快晴!」との超ハイテンションな報告が届いていました。良かったね~テルテル坊主パワーが効いたね~と私たちも大喜び。徳沢園での集中が待ち遠しくなり、山頂は思いのほか風も強く、靄でアッという間に視界も遮られてしまったので早々に下山を開始することに。登って来た道を、眼下を流れる梓川や上高地に点在するホテルの屋根を雲の合間からのぞき見たり、周囲の山々の眺めを堪能しながら徳本峠まで戻りました。そしてテントを撤収し、皆の待つ徳沢園を目指したのでした。

〈コースタイム〉
【9月30日】 島々谷林道ゲート(8:05) → 二俣(9:10) → 瀬戸下橋(10:30) → 岩魚留小屋(11:50) → 徳本峠(15:30)
【10月1日】 徳本峠(5:10) → ジャンクションピーク(6:10) → 霞沢岳(9:00~20) → ジャンクションピーク(12:40) → 徳本峠(13:30~14:30) → 白沢出合(15:50) → 徳沢園(16:50)

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