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海外遠征・モンブラン登山
飯塚 陽子
大田 雅子

山行日 2012年7月9日~11日
メンバー (L)飯塚、大田

【7月9日】【執筆:大田】
 モンブラン登頂はグーテ小屋(3,800m)に前日入りし、翌日アタックするのが一般的なのだが、今回は、1.天気予報を見てアタック日設定をするので、自由度のきくテントを持って行く(山小屋はシーズン中はガイド山行の予約がいっぱいで個人の直前予約は不可能)。2.アプローチの登山電車が今シーズン工事中で終点1つ手前のモンラシャ駅(2,077m)までしか行かず、約2時間余計に登る(ヤマクニ出発直前情報)。3.メンバーは海外登山経験豊富な飯塚リーダーと4,000m級初挑戦の大田の2人でパーティを組み、日頃の成果を試すべく(?)ガイドなしでチャレンジ。という条件だったので、テートルース小屋(3,100m)にテントを張って、翌日アタックする計画とした。
 富士山と木曾駒ヶ岳へ高度順応訓練を経て、7月6日、日本を飛び立った。日本を出てからシャモニー到着までにいろんなアクシデント(飛行機遅延によるまさかのイスタンブール宿泊、ロストバゲージなど・・・)に遭い、7/8の夜ようやく荷物がシャモニーの宿泊先に届き、バタバタではあるが、不安定な天気の予報が一番良さそうな7/10のアタックを目指し7/9から入山することにした。
  7/9 朝9時オープンと同時に山岳協会で、山岳保険に入る(1人6ユーロ×3日)。 シャモニーから9:56発のバスでレズシューのケーブルカーのりばへ。バスに乗ると登山姿の若者グループが乗っていた。しかし、昨日インフォメーション(日本語堪能な女性がいる)で聞いた停留所レズシューでなくベルビューで皆下りてしまい、ちょっといぶかっているうちにバスはどんどん進み終点に着いてしまった。仕方ないので、10分待って折り返す(シャモニーの宿に泊まるとフリーパスをくれるので、バスは実質タダ)。レズシューで下るもケーブルカー乗り場らしきものがなく、聞いてみるとここから20分また戻るとのこと。重い荷物でアタフタ。ようやくケーブルカー乗り場に着くとそこは若者グループが下りたバス停だった・・・。ようやくケーブルカーに乗り、5分後ベルビュー(1,795m)に到着。そこから5分ほど歩いたところにある登山電車に乗り継ぐ。12:20発の電車に乗るべく駅に行くとこれまた走っておらず、次は13:30とのこと。時刻は12時過ぎ。次の駅までは歩くと40分で行けるというので、1時間以上待つなら、高度順応のためにも歩いて行ってみることにする。ケーブルカー乗り場方面に引き返して歩き出すと、次のケーブルカーから集団が下りてきた。その中に日本人グループが見える。と「飯塚さんですか?」と声がかかる。それは出発前にこちらに来ていると聞いていた長野の山岳会のKさんたち(6人)だった。KさんとはGWの黒部別山に行く時に元三峰会員のMさんと一緒に来ていて、一度会ったことがあった。こんなところで、知り合いに会うなんて!驚いた。Kさん一行はマッターホルンを登る予定が雪が多く雪崩の危険から登れず、モンブランに先に登りにツェルマットから来たそうだ。私たちは歩いて、Kさんたちは電車を待つとのことでそこで別れる。モンラシャ駅を目指して歩き出すとなんだか丹沢辺りにありそうな急な細い登りから始まった。だんだん急勾配になり早くも後悔する。20分程登ると尾根道になり、逆方向からトレッキングに来た人たちとすれ違う。小さなアップダウンを越えると高原が広がり一面の花畑となっていた。これはすごい!ハイジの世界だ!!ここで本場アルプスに来ていることを思い出した。お花畑を20分ほど行くとようやくモンラシャ駅に到着。駅で休憩しているとモンブランから下山してくる人が集まって来ていて、登頂に成功した人たちは充実した顔をしていた。少しすると電車も到着し、大勢の人が下りて来た。Kさんパーティも下りて来て、電車を下りた人たちが一斉に登り始めた。だいたいの人は小屋泊まりなので小さな荷物で、外人は大股でガシガシ登って行く。すでに1時間以上余計に歩いて来た私たちもノロノロと登り始める(13:50)。 最初は正面に見える岩山をつづらおりに登って行く。人の列がつながっている。1時間程登る間にほぼ最後尾になってしまったが、日が長いしテートルースまでは4時間半だから、マイペースで登る。途中アイベックス(角のカールした羊)を見る。トラバース気味のところには数ヶ所クサリやハシゴがかかっているところもあった。 登りきると一旦平坦な荒涼とした岩場を通り、上に準備小屋が見え、もう一山越える。ほとんどの人は登りきってしまい姿が見えなくなった。あと30分がきつい。同じようにバテ気味の男2人パーティと抜きつ抜かれつしてようやく準備小屋に着くと、そこは雪面になっていて、テート小屋とその前にテントがいくつも張られているのが見えた。テン場に到着(18:50)するとちょうどこれから下山する人がいて、りっぱなブロックを積んだ場所を譲り受けることができた。テントを張り、山小屋で水(5L=16ユーロ)と天気予報の最終チェックをし、簡単な夕食を食べて明日に備えた。

テートルースへの道 下に見えるのがシャモニーの町

【7月10日】【執筆:飯塚】
 いよいよモンブラン登頂の朝がやってきた。睡眠時間は3時間くらいしかとれず、昨日の疲れがまだ残っていたが、シャモニーの観光協会で確認した1週間の天気予報では今日が一番良い日なので、このワンチャンスにかけるしかないのだ。ただ午後からは曇り予報となっていたし、このモンブランは、午後に急速に天候が悪化することが非常に多いとのことなので、早急にアタックをかけるしかない。
 1:00起床。まだ真っ暗な中準備をし、2:00に出発する。
 すでに、上部の大クロワールへの登りではヘッデンの明かりがチラチラと動いているのが見える。
 そのヘッデンの明かりを目指し、薄っすらとしたトレースを辿り、大クロワールの手前で前のパーティになんとか追いつく。他パーティはほとんどがガイドと一緒の登山隊で、ガイドに指示された通りに動いているようだ。我々三峰隊は、この真っ暗な初見の道を手探りで登るしかなく、かなり不安が募る。
 また、この大クロワールのトラバースは、モンブランの登山ルートの中でも危険地帯と言われていて、落石が頻発する率が高く死亡事故も起こっている地帯である。早朝なので、まだその落石が起こる率は低いが、落石が起こったとしても真っ暗で何も見えないのでどうしようもない。
 そのトラバースルートにはワイヤーが架けられていて、そのワイヤーにロープをかけて確保しながら進むのだが、親切にも前のパーティの女性ガイドが長いロープ(3mくらい)で確保するように教えてくれた。真っ暗でワイヤーがどのように架けられているのかもよくわからない中、そのアドバイスのお陰で、なんとかこのトラバースをクリアすることができた。この親切でかっこいい女性ガイドに感謝!
 ここからは、パイヨ岩稜といわれている標高差650mの岩稜帯をひたすら登り続けるのである。2級位の岩場(ロープは使用せず)なのだが、この高所での岩登りとなるので、息も絶え絶え、喘ぎながらもなんとか登っていく。そして4時過ぎ頃にようやく明るくなってきて目指すグーテ小屋も見えてきた。最後の急登を必死に登りつめ、グーテ小屋に到着し(5:30)、混雑している食堂下のスペースで、体の大きな外人パーティの間に入り込み、休憩&準備をする。グーテ小屋(3,817m)に到着時点では、天気は悪くないのだが風が非常に強くなってきて、下のテートルース小屋付近とは世界が変わって、完璧な雪山の世界となっていた。
 ここからはアイゼンを装着し、日本の雪山で練習をしてきたコンティニュアスで進んでいく。(5:50)
 小屋の裏側から雪稜に出てトレース沿いに進んでいくが、トレースの左下の斜面にはバックリと割れたクレバスが所々に出ていて恐ろしい。しばらく雪稜を歩き、目の前に大きな広がりを見せている幅広い斜面を登っていくことになる。途中から、ロープが風に煽られる程の強風が吹きつけてきたが、この高所では一歩一歩雪を踏みしめながら着実に登っていくしかないのだ。
 人生でお初の3,800m超えをしたオオマサは、息がかなり苦しいようだが、それでも力を振り絞ってゆっくりと登ってくる。
 そんな我々三峰隊の横を、外人パーティは、物凄い速さで追い抜いていく。
 このヨーロッパアルプスでは、何よりもスピード登山が重視されているのだが、歩幅も大きくまるで違う生き物のような速さで登っていく彼らの姿が、ちょっとだけ異様に思えた。
 その力強いトレースを追っていったが、標高4,100m過ぎたあたりから、そのトレースもかき消されてしまう程の強風が吹き荒れ視界も悪くなってきてしまった。ここはホワイトアウトになってしまうと目標物に乏しい地形なので、かなりヤバイ状況になってしまうことはわかっていたのだが、なんとかドーム・デュ・グーテ(4,240m)迄は行こうと必死に登っていった。
 そして丸く見える尾根上を乗っ越してみると、そこが更に強風が吹き荒ぶドーム・デュ・グーテの山頂だった。(9:00)
 そこからは晴れていれば、目指すモンブラン山頂が見える地点だ。
 だが、今、モンブラン山頂へと続く急峻な尾根にはガスがかかり、更にその奥のモンブラン山頂付近には、今まで見たこともないような巨大な笠雲が、ひっきりなしに現れては消えていく(飛ばされていく?)という光景をまざまざと見せつけられ、とてもじゃないけれど、山頂へ登れる状況ではないということを悟ったのであった。
モンブランを隠す巨大笠雲  他のパーティもこの光景を見て、口々に何かを叫んでいるが、この日登頂を目指したパーティのほとんどがここで引き返していったようである。
 また同日に登頂を目指した長野の山岳会のメンバーにモンブラン3回目のベテランがいたが、「こんなに物凄い風のモンブランは初めてだし、登頂なんかとてもできないよ」と言われ、私達もここで敗退することに決めた。とても残念だが天候ばかりは仕方がないし、今回はモンブランの神様は微笑んでくれなかったと思うことにした。
 こうして私達のモンブランへの挑戦は、4,240mで終了。山頂まであと570m地点のところだった。
 下山は、この風から逃れるように足速に(といってもペースはゆっくりだが)グーテ小屋まで下山(11:45)。 疲れきった私達は、このグーテ小屋でゆっくりと食事をして下山することにした(メニューは野菜スープ、タルトタタン、コーヒー、合計17ユーロ)。風に痛め続けられていた体には、ボリューム満点の野菜スープが何より美味しかった(この野菜スープで満腹になってしまったので、タルトタタンはお持ち帰りとなった)。
 この付近ではお昼前から雪が降っていたようで辺りは冬山の様相になり、また朝登ってきたグーテ小屋から下のパイヨ岩稜が既に真っ白になっていたので、アイゼンを着けて下山することにした(13:00)。 登りはあんなに速いペースの外人たちは、足が長すぎるからなのか?下りは遅い人が多く、今度は私達がかなりのパーティを追い抜いての下山となった。
 そして、早朝の真っ暗な中をトラバースした大クロワール地帯を眼下に望めるようになった頃、ここでとんでもないくらい大きな石(人間サイズ)の落石を2回目撃したのである。ものすごい爆音と共に巨大な石はトラバースルートを目掛けて物凄い勢いで落ちていった。落石時に人がいなくて本当によかった。そしてそのトラバースルートに近づいたころ、丁度前にガイドパーティがいて、ガイドは上部を慎重に確認しながら、小走りでトラバースルートを越えていった。私達も同じようにしたが、あの落石を目撃した後だったので、ここはかなり緊張した。そして無事にテートルース小屋のテン場に到着したのであった(16:30)。
トレースの横に広がるクレバス地帯  今日は本当に長い1日だった。夕食は、2人とも珍しくあまり食欲がなかったので、お疲れビール1缶(5ユーロ)を飲み、お持ち帰りのタルトタタンを軽く食べて、まだ明るい19:00過ぎにシュラフにはいる。その頃から再び天候が荒れだし、なんと雷雨となってしまった。きっとグーテ小屋から上も大荒れの天気だろう・・・。
 無事に下山できたことをありがたく思う。

【7月11日】【執筆:飯塚】
 天気は曇り。上部はガスっていて、今日もあまり天気はよくなさそう。
 脱力感はあったが、ゆっくり朝食をとり、今日は景色を楽しみながら下山した(7:00)。この日もモンブランを目指すパーティがたくさん登ってきていた。
 シャモニーのお宿(スキーステーション)には14:00に到着した。
 この日の夜は、ひょんなことから長野の山岳会のメンバー達が滞在しているシャモニー郊外のキャンプ場にて一緒に宴会(反省会?)となり、大いに盛り上がったのだった。

■モンブランを終えて雑感 【執筆:飯塚】
 モンブラン登山は天候が重要。登山適期は7月~9月初旬であるが、今年の7月は天候がかなり不安定だったようで、何日かの連続した天候の良い日に恵まれなかったのも敗因の1つだった。年によっての相違はあるが、8月になってからの方が天候が割と安定するようである。
 また個人で登りに行く場合は、自分達でやらなければならないことが多く(シャモニーでの天気予報や交通機関他の情報収集、山岳保険加入、山小屋の場合はその予約交渉等等)余裕のある日程が必要だ。観光協会の方のアドバイスだと、天候条件も含めて最低2週間は滞在しないと登頂のチャンスはなかなか得られないとのことである。
 モンブランを終えた後、シャモニー近郊の山々に毎日出かけてみたが、どこも素晴らしい場所だった。シャモニー近郊の山々では、お花の時期は7月が最適。どこの山にもお花が咲き乱れていた。標高の低い場所では天気は概ね安定していた。
 日本では見ることのできない、氷河の山々とお花畑のコントラスト、まるで絵葉書のような美しい景色が毎日見られて最高だった。治安もよく食べ物も美味しいし、いつかまたリベンジも兼ねて訪れたい場所だ。


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