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縦走(逆走?)・栂海新道
篠崎 さつき

山行日 2012年9月15日~18日
メンバー (L)峯川、平尾、斎藤(吉)、篠崎

【9月14日】
 22時30分、新宿西口新宿住友ビル内WILLERバスターミナルに集合、23時20分新宿を出発。明日から始まる縦走で興奮して眠れないかと思ったが、峯川リーダーが予約してくれた3列シートは快適で、ゆったりとした座席でよく眠れた(他のメンバーは、あまり眠れなかったと言っていたけど)。

【9月15日】
 5時45分、富山駅北口のバスターミナルに到着した。天気は晴れ、北陸なので肌寒いかもしれないなんて思っていたが、それほど寒くはなかった。富山駅からは北陸本線で移動するが、電車の出発時刻まで30分ほど時間があったので、駅前のコンビニに立ち寄る。お目当ては、北陸限定「とろろこんぶおにぎり」。北陸に来たら、必ず買うおにぎりだ。その他、これから始まる縦走に備えて、各々食糧を調達したり、パッキングの確認などをしていた。
準備も完了したので、北陸本線のホームへ移動する。しばらくして、真っ青なカラーが鮮やかな475系A18編成がホームにやってきた。レトロな雰囲気でとてもかわいい電車だ。東京では見られない車両に乗れるのが嬉しい。
ブルートレインと記念撮影  6時24分発、親不知駅までは1時間10分ほどの道のりだ。電車がすいていたので、山が見えると思われる南側のボックス席を確保した。富山駅を出てしばらくすると、狙い通り車窓から、剱、立山、薬師など北アルプスの北部の山々が姿を現す。見たいと思っていた景色が広がり、視線は窓にくぎ付けになった。北アルプスの山々の向こうから太陽が昇って眩しい。北陸本線が、日本海よりに進路をとると、北アルプスの山々は前衛の山に隠れてしまうが、見える山を地図上で追いかけているうちに、あっという間に親不知に着いてしまった。
 親不知駅はこぢんまりとした無人駅だった。改札を出ると、峯川リーダーが予約してくださっていたタクシーが待っていた。
 タクシーで北陸本線沿いに、電車で来た道を富山よりに戻ること15分ほどで、親不知の登山口「親不知観光ホテル」に着いた。ホテルの駐車場に荷物を置き、今回のスタートラインである海抜0メートル・日本海へまずは向かった。今回の縦走の目的は、海抜0メートル・日本海から、日本の屋根・北アルプスまで登ることだ。ここで日本海に立ち寄らないなんてナンセンスだ。親不知観光ホテルの脇の遊歩道を10分ほど下ると、日本海に出る。海岸から、日本海にタッチ。日本海をバックにみんなでスタートラインの記念撮影をする。ここからいよいよ北アルプスの稜線への旅が始まるのだ。
日本海をバックに  観光ホテルまで戻り、8時15分、いよいよ歩き始める。親不知登山口は、親不知観光ホテル前のトンネルの東口にあり案内板が設置されている。常緑樹に覆われてうっそうとした中を歩き始めると、荷物の重さと暑さですぐに汗が噴き出てきた。登り始めてすぐ、標高250メートル付近に鉄塔があるがそれを越えるとしばらくはこれといった目印はない。高低差400メートル弱を1時間かけて登る。振り返ると日本海がすぐそこに見えた。まだまだ日本の屋根には程遠い場所にいることがよくわかる。
 1つ目のピークを越えたところで最初の休憩をした。暑さで体力の消耗が激しい。今日は、これからまだまだ登るのに、最初の1本目からかなりきつい。しかも、せっかく登ったのに、登山道は下っている。文句を言っても仕方ないので、黙々とアップダウンを繰り返すと、標高350メートル地点、二本松峠にでた。二本松峠には、その昔には2本の松があったという。今は、松こそなくなってしまっているが2体のお地蔵さんがいらっしゃった。樹林に囲まれて涼しいところだ。
 二本松から15分ほどで1つ目の林道にぶつかる。林道を横切ると、登山道には赤い梯子がかかっている。この梯子が思いのほか急だった。しかし梯子を登りきると、その先に、もっともっと急な登りの斜面が待ち構えていた。次のピークは標高677メートルの尻高山。尻高山まで、この林道から200メートルほど登るだけなのに、ここが一番きつかった。汗が手の甲から、腕から、頭から、顔から噴き出て、まるでサウナ状態だった。10時52分ころ、やっとの思いで尻高山に到着する。山頂は、畳2畳ほどのスペースがあり、西側に展望がある。水を5リットル担いできたのだが、暑さですでに1.5リットルほど消費していた。尻高山の山頂では、平尾さんが持ってきたレモンをみんなでかじった。レモンの酸味が体中にしみわたる。11時10分、再び重いザックを背負い歩き始める。残念なことにここも登山道は下りとなっている。アップダウンが多いと言うので、それなりに覚悟はしているつもりだったが、せっかく登ったのになぜ下る・・・と何度も思った。
 30分ほど下り続けると2つ目の林道と交差する坂田峠に出る。坂田峠までは車で入れるため、ここから栂海新道を歩く人もいるという。案内板によると、この坂田峠道は、越中と越後を結ぶ山回りの北陸街道として利用され、昔は多くの芸子さんが人力車で通ったことから「芸者街道」とも呼ばれていたそうだ。こんなところを越えていく芸者さん達はどんな気持ちだったのかな、なんて思ってぼーっとしていると、目の前を芸子さんが乗る人力車が通りそうな、そんな錯覚に陥りそうなところだった。
 さて、初日の今日は、白鳥小屋まで行く予定だが、状況に応じてさらに先に進むこともあると出発前に話していた。白鳥小屋から2時間ほど歩いた先に黄蓮の水場があり、幕営できるので、明後日のためにも進めるのであれば、黄蓮の水場まで進みたいと思っていたのだ。そのリミットを設定したのが坂田峠だった。坂田峠に11時40分に着いたが、今日のゴールに、黄蓮の水場も視野にいれてよいのではないかと思えるペースだった。
 しかし、白鳥小屋より先に行けちゃうんじゃないかなんて思いは、ここからの登りで見事に打ち砕かれることとなった。栂海新道は、忠実に尾根に沿って道があるため、アップダウンが多い。相変わらず全身から汗が噴き出てサウナ状態である。そこに夜行バスでの寝不足が加わる。体調が芳しくなくて当然とも言えるような状況だった。
 13時、シキ割の水場に到着。涸れているかもしれないと聞いていたが、こんこんと水が流れていた。連日、北陸では雨が続いていた影響らしい。サウナ状態で5時間近く歩いていたため、その汗で流れた水を補給するかのごとく、思う存分水を飲んだ。涸れていることを考えて、多めに水を担ぎ、かつ、飲むのを我慢していたが、みんな何かに取りつかれたように水をがぶがぶ飲んだ。シキ割の水は、ひんやりとしていて喉を潤してくれる。沢筋なのでとても涼しい。喉が潤うと、食欲も出てくる。暑さで今まであまり食物を口にしていなかったが、水を飲んだため、ご飯がおいしくて、みんな思い思いに食べ物を食べ、水を飲み・・・20分くらい水場で休んだ。
 シキ割の水場から白鳥小屋までは、標高差にして350メートルほどだが、水をいっきに飲みすぎたせいか、緊張感がとれたのか、なぜか驚くほど体が重くて動かない。かなりペースが落ちてしまった。傾斜は緩やかになっているものの、白鳥小屋までの350メートルが遠かった。
 結局シキ割の水場から、2回休憩をはさみ、15:00に白鳥小屋に到着した。ここから2時間かけて黄蓮の水場まで進むのは体力的に難しいということで、予定通り、白鳥小屋に泊まることになった。白鳥小屋は、2階建てのきれいな小屋だった。トイレは小屋の外にある。小屋の裏手には、梯子がかかっていて、小屋の屋根上が展望台となっている。360度の大展望が見られると聞いていたので、荷物をおいてさっそく展望台に登る。展望台からは、頸木山地の妙高や火打山は雲の中でみられなかったが、高妻山らしき山が見えた。日本海や今日歩いてきた稜線も見える。そして、南には明日進む犬ヶ岳も見えた。朝日岳は、犬ヶ岳に隠れていて見えなかったが、犬ヶ岳の肩に栂海山荘が豆粒みたいに見えた。犬ヶ岳までの道のりも、いやらしいほどアップダウンに富んでいるのがわかる。展望を楽しみ、小屋に戻った。
 小屋には、京都から来たという女性がいらっしゃった。単独で、鹿島槍まで行く予定だという。朝日小屋から来たという2人組みが4時過ぎにやってきた。どうやら今夜の白鳥小屋は3組のみのようだ。京都から来た女性と話したり、しばらく思い思いに過ごし、夜ごはんを食べ就寝した。

【9月16日】
 簡単に朝ごはんを済ませ、3時5分、小屋の外へ出て見上げると満天の星空が広がっている。一方で登山道は樹林の中で真っ暗闇が広がっている。暗闇のなか、しばらくはカイデン行動だ。白鳥山からまずは200メートルほど下る。一日のスタートが下りだなんて。栂海新道は甘くなかった。標高1,092メートルの鞍部を過ぎ、登り返して4時15分頃、標高1,241メートルの下駒ヶ岳を通過する。
 昔、白馬岳のことを一部の地域では「上駒ヶ岳」と呼び、その当時、「上駒ヶ岳」(白馬岳)から続く山脈一帯は鬼門だった。「下駒ヶ岳」は鬼門の低位にあるとしてそう呼ばれるようになったという。上駒ヶ岳が「白馬岳」と呼ばれるようになった現在も、当時のまま「下駒ヶ岳」の名前が残ったようだ。下駒ヶ岳の下りはかなり急なので、薄暗い中、ヘッドライトの明かりを頼りに慎重に下る。ここら辺も相変わらずアップダウンが激しく樹林帯なので展望もないため、白馬岳がどこにあるかなんて全く分からないが“下駒ヶ岳”の名前が、この稜線は確実に白馬岳に続いていることを教えてくれている。なんだか嬉しい。
 下駒ヶ岳から30分ほどで、「菊石山」に至る。ここら辺はジュラ紀の地層の一部が露出して、アンモナイトが日本で初めてとれたところだ。それでアンモナイトの和名である「菊石」という名前がついたという。アンモナイトのほかにも様々なジュラ紀の化石が出土したらしい。ジュラ紀に思いを馳せながら歩くのも、ここならではだ。
 菊石山から30分ほどで黄蓮の水場に着いた。ザックを置いて水場へ向かう。黄蓮の水場は、登山道から5分ほどのところにある。涸れることはないと聞いていたが、チョロチョロ出ているとも言えず、細い水が染み出ている程度だ。それでも、みんなで順番に峯川リーダーが持参した紙コップを岩に押し当てて水を汲んだ。細い水だが、ひんやりしていてとっても気持ちがいい。次の水場は、犬ヶ岳を越えたところにあるので、次の水場までの3時間分の水を汲む。登山道へ戻ると、時間は5時を過ぎ、かなり明るくなってきていた。
 ヘッドライトをしまって、水を汲んでいくらか重くなったザックを背負い朝日がこぼれるブナ林を歩き始める。朝日に照らされた木々の中を歩くのは気持ちがいい。黄蓮山を越え、犬ヶ岳の登りにさしかかると、辺りは、うっそうとした低山の装いから、亜高山の装いへ変わっていた。植生が変わったなと思っていたら、さっそくタカネマツムシソウが迎えてくれた。薄紫のかわいい花だ。
 7時26分、栂海山荘に到着すると、突然進行方向の展望が開けた。犬ヶ岳に隠れていてみえなかった朝日岳への稜線が一望できる。朝日岳付近に広がる湿原も見えた。少し長めに休憩するというので、展望が気になった私は栂海山荘の周りをうろうろしていた。栂海山荘はサワガニ山岳会の方が建てた山荘で、東側にヘリポートがあり、ヘリポートの奥にトイレがある。このトイレがいい。展望があって、解放感あふれるサイコーなトイレだ。
 栂海山荘から15分ほど稜線沿いに歩くと犬ヶ岳に着く。犬ヶ岳からは、白鳥小屋から今まで歩いてきた道と、これから歩く朝日岳へ続く稜線が一望できる。頸城山塊も見える。劔も見える。北アルプスを北から見る。今まで見たことがない角度だったので、眺めが新鮮だった。
 稜線は立木が少なくなり、ハイマツが拡がる。今までうっそうとした森の中を歩いていたので、ハイマツに出会ってやっとアルプスに来た、高い山に来たんだなという実感がわいた。この辺りは白馬岳と同じように、東側が急斜面の二重山稜が続いているのがよくわかる。
 犬ヶ岳から下ること30分程で、北俣の水場に到着する。日も高くなり、日向はとても暑かった。木陰にザックをおき、水場へ向かう。水場は、登山道から5分ほど下ったところにある。水を汲んでいると汗が冷えて寒くなるくらい、天然のクーラーが効いていた。
 水をたっぷり補給し、また歩き始める。樹林帯を抜け見晴らしがよくなったのは嬉しいが、太陽の光が容赦なく照りつけ汗が噴き出てくる。相変わらず登山道は忠実に尾根沿いをなぞっているのでアップダウンを繰り返す。サワガニ山を越えてしばらくすると、こぢんまりとした「文子の池」が現れる。とても小さい池だが、ヌマガヤなどが自生し、二重山稜が続いていた稜線のちょっとしたオアシスだ。
 黒岩山近辺では、すれ違う登山者が一番多かった。朝日小屋から来たという人たちが多かったので、今日の道のりの中間地点といったところだろうか。足元には、真っ赤な実をつけたゴゼンタチバナが見られ、秋の装いがかわいらしい。相変わらずサウナ状態で汗をかきながらも、秋の訪れを感じられる瞬間があり嬉しい。黒岩平の水場は、水が豊富でベンチもあって休憩にも適しているというので、黒岩山は通過して、黒岩平を目指した。
 黒岩山を過ぎた辺りから、登山道は細々とした稜線から、緩やかで広大な斜面に変わる。雪渓が遅くまで吹きだまるため、池塘や湿原が発達したという。ここは「天上の楽園」とか「北アルプス最後の楽園」と言われる場所だ。白鳥小屋を出て、歩き始めてもう8時間以上たっているのに、疲れが吹き飛ぶようなさわやかな高層湿原が広がる。ヌマガヤが池塘に映える。ここの池塘もなかなか、見ごたえがある。
ヌマガヤや水芭蕉が見られる湿原  11時30分ころ、黒岩平の水場に到着した。登山道のすぐそばに小川が流れていて、水量は豊富だ。水を補給し休憩する。チングルマが咲いている。ミヤマリンドウも咲いている。美しいところだ。
 体力的に厳しかった場合、朝日小屋まで行かずに、黒岩平で幕営もあり得るということだったが、みんな稜線歩きが気持ち良かったのか、水をきちんと補給していたせいか、天気も安定しているし元気だったので予定通り朝日小屋を目指して前進することとなった。黒岩平は本当にのどかなところで、長く留まっていたいと思ってしまって、休憩時間が長くなってしまった。
 黒岩平からアヤメ平への登山道は、草原の中に続いている。ここら辺は高山植物の宝庫と言われ、ヒメオウギアヤメやキヌガサソウなどの花が見られるという。9月のこの時期にはそれらは見ることはできなかったが、広々とした湿原はまさに「楽園」そのもの。カンカン照りだった太陽も、12時を過ぎて、雲が出始める。歩き始めて9時間以上たち、疲れた体で遮るもののない湿原を歩くには曇り空はありがたかった。いたるところに池塘が点在し、雪渓も残っている。草紅葉が色づき、池塘に映る雲がゆっくりと動いている。
 14時過ぎ、長栂山の登りにさしかかったところで小休止した。なんだかんだで結構疲れは溜まっているようで、休憩が嬉しい。平尾さんに秘伝?のレモンをねだり、みんなでかじりついた。17時には朝日小屋に着きたいな~なんて話をしながら、少し長めに休憩をとり、登りに備える。
 「楽園」が終わると植生がまた変わり、シラビソなどの樹林帯になった。長栂山は、登山道がピークを踏まないため、話しているうちに通りすぎてしまったようだった。ここは風が強いところで高山植物が根を下ろせないらしい。
 長栂山を過ぎると大きな雪渓が現れすぐそばに照葉の池がある。空が映しだされている。湖面を眺めながら歩いていると、空が逆転したような不思議な感覚になる。いつの間にか登山道は整備された木道となっていた。
 15時10分、吹上のコルに到着した。吹上のコルにある大きな岩には「栂海新道スタート」と赤い文字で書かれていた。栂海新道は日本海からスタートするのではなくて、ここからスタートするらしい。
朝日岳山頂にて  吹上のコルから朝日岳までは標高差およそ200メートル。本日最後の登りだ。ジグザグと登山道を登っていくと今までにはなかった大きな雪渓が現れ、あっという間に朝日岳の山頂についた。アップダウンがない200メートルの単調な登りがものすごく楽に感じたから不思議だ。山頂についたのは16時頃。あいにくの曇りで展望はゼロだったけれど、今までの道のりを振り返り、朝日岳の標識を眺め、達成感を味わった。
 朝日小屋は山頂から300メートルほど西に下ったところにある。途中から沢に沿って下るが、カライト草やトリカブトがたくさん咲いていた。アヤメ平や黒岩平とはまた違った花たちが迎えてくれる。赤い屋根がみえれば、小屋はすぐそこ。16時50分、無事に朝日小屋にたどり着いた。
 メンズ3人はビールで、私は牛乳で乾杯をした。ガスに覆われていた朝日岳はいつのまにか晴れて山頂まで雲ひとつない。白馬旭岳もよく見える。青空が広がり夕日が日本海に沈んでいった。遠くに日本海がみえ、街の明かりが見え、天上人になったような気分だ。日が暮れたので夜ごはんを食べ、就寝した。

【9月17日】
 パッキングを終え、3時30分朝日小屋を出発する。本日も満点の星空が広がっている。白馬方面はちょっとした分厚い雲に覆われていて白馬旭岳も見えなかったが、朝日岳は山頂まできれいに見えていた。平尾さんが、仕事の都合で今日中に帰京しなければならなくなり、朝日岳を登り吹上のコルから蓮華温泉に降りるという。私達は、朝日岳の水平道を使って雪倉岳を目指す予定であったが、水平道とはいえアップダウンが多いことと、薄暗い中、樹林帯を歩くよりも見通しのきく登山道を使って朝日岳に登り返して、ちゃんと「縦走」した方がよいのではないかということで、4人で朝日岳まで登り返すこととなった。昨日通ってからまだ12時間もたってないのに登り返すことになるとは、下ってしまった標高が恨めしい。ヘッドライトで登山道を照らし、ゆっくりと体を起こしながら登る。振り返ると朝日小屋の明かりが見える。富山湾を縁取るように夜景も見える。遠くに見える点々とした明かりは能登半島にある街の明かりだろうか。
 4時20分、朝日岳山頂に到着。山頂はまだまだ薄暗かった。ここで平尾さんと別れて、峯川リーダー、茂吉さんと3人で、雪倉を目指す。朝日岳は思ったよりも大きな山だった。水平道と合流するまで40分ほどかかったが、コースタイムでは、水平道を通る場合とさほど変わらなかった。
 辺りは日の出で明るくなっていた。水平道との分岐では、ご来光に照らされた木道がとてもきれいだった。今日も一日かなり楽しめそうな予感がしていた。
 分岐から木道が敷かれていて草原を快適に歩く。登山道は赤男山の稜線の西側にあるため、朝日があたらず涼しかった。木道が続き、池塘や草原が広がるここもまた「天上の楽園」のよう。夏には、ハクサンコザクラやハクサンフウロなどが咲くと言うが、シーズンが過ぎ、さすがにどこにも見当たらなかった。花は咲いていないが、草原は秋の装いで、ひっそりと色付きはじめていた。お花がなくて静かな草原だが、草紅葉だって存在感があっていい。途中、登山道を横切るように流れる沢で水を汲む。手がカジカムほど冷たかった。大きなツバメ岩を回り、ツバメ平を越えると、いよいよ雪倉岳の登りが始まる。登山道は一度、南東に進む。稜線の反対側にでたとたんに朝日があたる。昨日までのアップダウンの多い道のりに比べれば、単調な登りはそれほど体力も消耗せず、しばらくは快適だった。だが、登山道が少し南南西に変わったあたりから、ものすごい強風が時折ふくようになった。台風が近づいていると聞いていたから、その影響だろうか。朝日小屋から見た白馬方面に立ち込めていた雲を思い出し、少しいやな予感がしたけれど、目の前にある憧れの山雪倉岳を前に、不安な気持ちをぬぐい去った。
 この雪倉岳こそ、私が栂海新道に行きたいと思うようになったきっかけの山である。一昨年前に白馬岳から小蓮華山を越えて、栂池に降りる途中の三国境から見た景色、北へとなだらかに続く稜線と雪渓をまとった山並み。そのなだらかな山が繋がって、最後は断崖絶壁の日本海まで通じている。その地名が「親不知」という「歯」みたいな地名である。(「歯」ではなくて、『親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」という切ない歌が地名の由来となっている)。私が初めてみた雪倉岳は、7月なのに、雪渓が残り、山肌はやさしい雪模様の体をなしていて息をのむほどの美しさだった。この優しい表情の山達が、どこでどう変わって断崖絶壁の日本海まで続いているのか。ロマンがあってダイナミックだ。雪倉岳という名前も好きだ。「雪」が着く山の名前は13座あるけれども、雪倉岳はその中で最も標高が高い。第2位の大雪山を標高差400メートルも引き離してぶっちぎりの1位である。
 そんなこんなで、この雪倉岳に今足を踏み入れていると思うと夢みたいだったのだが、時折吹く風はどんどん強くなっていて、息もできなくなるような瞬間が何回もあった。台風も近付いているし、途中でこれに雨が加わったら、相当な暴風雨になる、とにかく急ごうと思いずんずん進んでいった。暴風雨になったらどうしようなどと考え出したら、ちょっと不安になって、後ろを振り返ると茂吉さんと峯川さんがいて、心強かった。小心者には一緒に歩いているパーティの仲間の存在は大きい。
 雪倉岳の山頂にたどり着くも、強風のため、留まることもままならなくて、写真だけそそくさと撮って、雪倉岳避難小屋まで行くことにした。風は相変わらず強いが、下りになり少し楽になった。振り返ると、雪倉岳が風なんてもろともせずに、ど~んと構えていらっしゃる。私達は風にあおられて右往左往しているのに。途中、空身の2人組みとすれ違った。
 雪倉岳避難小屋には8時30分頃到着した。稜線から猛烈な風の吹き下ろしは続いていて、白馬岳はカットするとして、白馬大池に向かうにも、あの稜線に登って歩けるか不安だった。峯川リーダーによると、白馬大池から栂池に降りても、この風だとゴンドラが動かない可能性もあるという。今日の行程は変更した方がよさそうだった。先ほどの2人組みが雪倉岳から降りてきたので、峯川リーダーが話かけると、これから鉱山道を使って、蓮華温泉に降りるという。鉱山道は、エアリアによると「迷い」マークがたくさんあって、経験者向けだったため、計画を立てた時にエスケープルートとしても視野に入れていなかったところだ。このお二方は小屋の方から鉱山道は整備してあると聞いたという。考えあぐねていると、このお二方から「一緒に降りますか?」と声をかけていただいた。予定を変更して、お二方とともに鉱山道から、蓮華温泉に降りることとなった。
 雪倉避難小屋を9時過ぎに出発する。お二方に私達が付いていく形で歩き始めた。相変わらず風が強くて、三国境から吹き下ろしてくる風に何度もあおられるが“必死”になって付いていった。鉢ヶ岳をトラバースし鉢の鞍部で休憩した。休憩中も風が吹き荒れていた。三国境は雲の中で見えないけれど、鉢ヶ岳、雪倉岳方面には雲ひとつなく、青空が広がっていた。茂吉さんが、雲が山にぶつかって稜線で消えているから、雨は降らないと思うと言っていた通り、雨には降られなかった。この風さえなければ、雲ひとつない景色をもっと眺めていたかった。
鞍部からの鉢が岳と雪倉岳  鉢の鞍部からは、ザレた道をじぐざぐに降り、沢筋に沿うように下る。300メートルくらい下ったところで、迷いの心配もないだろうから、ということで、お二方は先を急ぎ、私たちは私たちのペースで降りることとなった。谷筋にどんどん高度を下げていく。道はちゃんと整備されていたため、迷う心配はなかった。途中、渡渉が3回くらいあった。この道は増水時には使わない方がいいだろう。沢沿いの登山道は、9月のこの連休シーズンでも、おどろくほどお花がたくさん咲いていた。塩谷精練所跡を通りすぎ、ひらけた沢で休憩した。いつの間にか風がやみ、青空が広がっている。雪倉岳はもう見えなくなってしまっていた。
 雪倉岳の標高2,100メートルから2,400メートル辺りの岩壁には銀の鉱脈があって、雪倉銀山は明治末期まで採掘が行われていたという。鉱山道は、その当時の雪倉銀山の作業用の道だったそうだ。今は登山道の途中で“塩沢精練所跡”とか“鉱山事務所跡”とか“飯場跡”といった地名(標識)が残っているだけとなったが、地名から、当時の様子が偲ばれる。明治27年にはウエストンが、この道から白馬岳に登ったという記録がある。その当時、ウエストンは、ここの銀山の監督が、大変親切にしてくれたと「日本アルプス登山と探検」に書いている。今は跡形もないが、この道もなかなかロマンがある。
 鉱山道はアップダウンがほとんどなく沢沿いを下るため、支流があるたびに沢を廻り込まなければならないが、江戸時代から続く歴史と、「神の田圃」と呼ばれる池塘もあって、それなりに変化があって楽しい。

沢沿いを下る鉱山道パイプ橋を渡れば蓮華温泉

 いつのまにか、辺りは樹林帯に変わり、鉄パイプの橋をわたれば、蓮華温泉は近い。鉢の鞍部から5時間半ほどで、蓮華温泉に到着した。蓮華温泉では、稜線での風が嘘のように、風もなく、かんかん照りの夏日だった。蓮華温泉からは、バスの最終便が出たあとだったので、タクシーを呼び、タクシーが来るまでの1時間、温泉につかったりしてのんびり過ごした。
 蓮華温泉からタクシーで糸魚川に出て、糸魚川の駅前で一泊して、翌日帰路についた。

〈コースタイム〉
【9月15日】 親不知登山口(8:15) → 二本松峠(9:50) → 尻高山(10:50) → 坂田峠(11:40) → シキ割の水場(13:00) → 白鳥小屋(15:00)
【9月16日】 白鳥小屋(3:05) → 下駒ヶ岳(4:15) → 菊石山(4:50) → 黄蓮の水場(5:00) → 犬ヶ岳(8:00) → 北俣の水場(8:30) → サワガニ山(9:15) → 黒岩山(10:50) → 黒岩平(11:30) → 長栂山(13:50) → 吹上のコル(15:10) → 朝日岳(16:00) → 朝日小屋(16:50)
【9月17日】 朝日小屋(3:30) → 朝日岳(4:21) → 水平道との分岐(5:17) → 雪倉岳(8:00) → 雪倉避難小屋(8:45) → 鉢の鞍部(9:51) → 鉄パイプ橋(13:15) → 蓮華温泉(14:15)

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