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ビバーク訓練・二十六夜山
渡辺 智世

山行日 2013年9月28日~29日
メンバー (L)川崎、森田(純)、原口、渡辺(智)

 長く厳しかった残暑からようやく解放された9月の終わり、秋山と道志、2つの二十六夜山をつなぎ、松尾芭蕉ゆかりの「芭蕉月待ちの湯」を最終目的地とする風流な山旅を楽しんできました。そして、夜は満天の星のもと、テントなしシュラフなしの野宿にも挑戦。とても貴重な体験ができました。

【9月28日(土) 快晴】
 ハイカーでいっぱいになった上野原駅8時28分発無生野行バスに揺られること約40分。下尾崎バス停に降り立つと、空は雲一つない晴天。早速、バス停近くの二十六夜山の案内板の前で準備を整え、畑の中を真っすぐに延びる道を歩き始めた。まだまだ陽は眩しいが空気はさらっとして時折吹く風が心地いい。鹿よけのゲートを開けて山道に入ると、すぐに出迎えてくれたのが大きなタマゴタケだった。そして、拾い集めたヤマグリの実でポケットが膨らんだ。この夏は例年にもまして暑い日がつづいたので、このまま季節が止まってしまうのではないかと心配になっていたが、ちゃんと秋はやって来ていた。
 ヤクシソウやセキヤノアキチョウジなど小さな秋の花に目をやりながら登ること小一時間、突然ぽっかり現れた小さな広場に二十六夜塔が見えた。樹々に囲まれ展望はないが月待ちの宴を開くには、なかなか良さそうな落ち着いた空間だ。ここに2日分の水の入った重たいザックを置き、秋山二十六夜山山頂へと、もう一登りする。
 江戸時代に盛んだったという月待ち信仰。正月と七月の二十六日の夜、麓の里の人々は東の空に昇る三日月に向かって何を祈ったのだろう。
 現在、山頂は樹に囲まれて月を拝むことは難しいが、50年前にも登頂されたことのある原口さんによれば、戦後の建築需要により樹がことごとく切り倒された後だったので、その時も展望は抜群だったそうだ。
秋山二十六夜山山頂は木立のなか  1つ目の二十六夜山の山名標を囲んで記念撮影をした後は、野宿を予定している菜畑山(なばたけ“うら”と読む)を目指して先を急いだ。三日月峠、棚ノ入山、朝日山(赤鞍ヶ岳)、岩殿山、岩戸ノ峰、ブドウ岩ノ頭と次々現れるピークを越えるために、登ったり下ったりを繰り返す登山道からは、リニアモーターカーの線路が見え隠れし、足元には絵本の中から出てきたような黒地に白い水玉模様のテングタケなど沢山の種類のキノコが顔を出していた。
 そして、何よりも目を楽しませてくれたのが濃淡さまざまな紫色のヤマトリカブトだった。真白なサラシナショウマと共に登山道の両側から山腹にかけ、あふれるように咲く秋の花々は疲れた身体に元気をくれた。
 雑木林の中の最後の長い登りから解放され、日没間際にようやく到着した菜畑山山頂は南側に大きく展望が広がり、今宵の宿となる傘型の小さな東屋からは夕暮れの空に折り重なる道志や丹沢の山々が望めた。
夕暮れの菜畑山山頂  さて、すっかり暗くなる前に、純子さんは東屋から少し離れた場所に立木と山名標を支柱にして手際よくツェルトを張った。四隅を外側から引っ張る良い方法が見つからず、内側から何とか空間が確保できるよう工夫し、立派な寝室の完成だ。
 そして、夕食は、水場がないことを配慮した献立を原口さんが考えてくださり、食材から調理用具まですべてを用意し担ぎ上げてくださった。途中で収穫したタマゴタケを使った前菜に始まり、ヒジキと卵の巾着煮、とろとろ卵のメンチカツ丼と野宿に来たことを思わず忘れてしまいそうな豪華な料理に舌鼓を打った。
 さて、すっかりお腹もいっぱいになった20時半すぎ、いよいよ野宿の準備に入った。それぞれの装備は以下のとおり。

●原口さん テントのフライ、サマーシュラフ、エアマット、薄い銀マット
●恵美子さん シュラフカバー、サマーシュラフ、エアマット、薄い銀マット
●純子さん 張ったツェルト、シュラフカバー、エアマット、新聞紙、レジャーシート
●渡辺 シュラフカバー、ツェルト、70リットルのゴミ袋、使い捨てカイロ、エアマット、新聞紙、レジャーシート

 この日、21時の菜畑山山頂は無風、快晴だったが、気温が摂氏13度まで下がり、私はレインウエア(上下)、ダウンジャケット、手袋までして上記にくるまったが、寒さに震え、なかなか寝つけなかった。夕食時から、70リットルのゴミ袋に頭と両腕を通す穴をあけ面白半分で被っていた即席ポンチョは寝返りを打つたびにカサカサ音がして、どうにも具合が悪いので脱ぎ捨て、代わりにエアマットの下に敷いていた新聞紙を身体に巻きつけ、ザックの中に足先を入れた。すると・・・ ほぅ! あったかい!
 開口部をギュッと絞ったシュラフカバーの隙間から満天の星と三日月を眺めているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。新聞紙の保温力、おそるべし!

【9月29日(日) 薄曇りのち晴れ】
 午前5時少し前、寒さに耐えられず早々に起き出す。明け方、かなり冷え込んだように感じたが意外にも気温は摂氏14度あった。ところで、サマーシュラフを使った原口さんと恵美子さん2人は寒さに悩まされることはなかったようだ。一方、ツェルトを張ったもののシュラフカバーだけだった純子さんも寒かったそうだ。
 以上の結果から、降雨もなく風もない恵まれた条件下の低山とは言え、9月も下旬になるとシュラフなしで快適な睡眠を得るのは難しいことがわかる。だからといって日帰り登山の装備にシュラフやエアマットを加えるのも現実的ではない。入山するにあたっては余裕をもった計画と事前調査が必要なのは勿論だが、万が一のビバークのためにツェルト(またはシュラフカバー)、新聞紙は必ず携行すべきだと思った。また、70リットルのゴミ袋も、穴を開けて被ったり、丸ごとザックを入れ夜露を避けるなど色々な使い道があるので、2、3枚備えておくと便利だ。
 さて、装備の片付けをしているうちに陽が昇り、あたりは明るくなっていた。改めて菜畑山山頂を、ぐるりと見回すとピンク色の蕾をつけたヤマラッキョウやアズマヤマアザミ、アキノキリンソウ、オヤマボクチ、サラシナショウマなど花でいっぱいだ。こんなステキな花畑の中で一夜を過ごしたのかと思うと、何だか、とても幸せな気持ちになった。
 朝食はスタミナ満点の焼きそばだ。もちろん原口さんが腕をふるってくださった。いつも朝は食欲がわかず無理やり身体のために流し込んでいる私が、おかわりまでしてしまった。そして、身体も温まり力も湧いたところで2つ目の二十六夜山を目指して出発した。
 ブナやミズナラ、カラマツなど広葉樹林の中を進む唐沢尾根は、明るい、雰囲気のよい快適な道だった。流れる雲の間に姿を見せては消える富士山を眺めながら楽しく歩いた。特に赤岩(松山)からの眺めは素晴らしかった。麓には都留市から大月へ至る街並みが広がり、富士山は勿論のこと、東京都心の高層ビル群、道志や丹沢から中央線沿線、奥秩父、南アルプスの山々に至るまで、360度の大パノラマを堪能した。
 そして、更に1時間半ほど歩いて道志二十六夜山の頂に到着した。ここにも山頂を少し下がったところに二十六夜塔が立てられていた。これで2つの二十六夜山踏破達成だ。美しい姿を現した富士山を背景に記念撮影をした。
道志二十六夜山山頂からは富士山も見えました  その後は、ほとんどゆるむことなく続く坂道を軽快に下山。途中、冷たく水量の豊富な仙人水で喉を潤し「芭蕉月待ちの湯」へと、ひたすら歩みを進めた。

 今回の例会は、2つの二十六夜山をつなぐ美しい稜線を歩き、野宿体験もできるという、私の好奇心を大いに満足させてくれるものだった。1人では心細い野宿も、大先輩たちと一緒だったので心強く、とても楽しく有意義な体験ができた。この度も大変お世話になり、ありがとうございました。
 それにしても、あれこれ工夫すれば、野宿でも快適な夜が過ごせそうな気がしてきた。むむ、癖になったらどうしよう。

<この山行で見た花>
ヤクシソウ、サラシナショウマ、セキヤノアキチョウジ、ゴマナ、ホタルブクロ、アズマヤマアザミ、フジテンニンソウ、アキノキリンソウ、ヤマトリカブト、ミヤマタムラソウ、ヤマラッキョウ、オヤマボクチ、ハナイカリなど

〈コースタイム〉
【9月28日】 下尾崎バス停(9:20) → 秋山二十六夜山(10:50) → 三日月峠(11:45) → 棚ノ入山(13:40) → 朝日山(赤鞍ヶ岳)(14:40) → ブドウ岩ノ頭(16:40) → 菜畑山(17:30)
【9月29日】 菜畑山(6:50) → 水喰ノ頭(7:30) → 今倉山東峰(9:00) → 今倉山西峰(御座入山)(9:15) → 赤岩(松山)(10:00) → 林道(11:00) → 道志二十六夜山(11:30) → 仙人水(12:30) → 芭蕉月待ちの湯(13:30)

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