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雪山登山・赤岩尾根~鹿島槍ヶ岳
金子 隆雄

山行日 2014年12月28日~2015年1月2日
メンバー (L)金子、荻原、小幡、飯塚、内田

 鹿島槍は2011年~2012年、2013年~2014年の年末年始にチャレンジしたがいずれも悪天候のため敗退している。自分が参加しなかったものも含めると今年で5年連続となるがことごとく失敗に終わっている。なんせ年末年始の後立山は天気が悪い。悪天は覚悟の上で突っ込むしかないのだろうと思うがやはり限界はある。今年こそはけりをつけたいという思いで今年も計画した。
 11月の最終週にトレーニングのために行った谷川岳はほとんど雪がなく今年は寡雪かと思ったら、その翌々週には大雪に見舞われて雪訓で行った茂倉岳では ラッセルに多大な労力を割くことになった。以後雪はどんどん多くなるばかりで年末年始はラッセルが大変だろうと予想された。
 27日、23:00新宿発の夜行高速バスで信濃大町へと向かう。電車のチケットは取れなかったのでバスにしたのだ。

【12月28日 快晴】
 早朝に信濃大町駅に着く。駅前にはかなりの雪が残っており、やはり今年は雪が多そうだ。駅の待合室で準備を整える。待合室は暖房が入っており、いつもありがたく使わせてもらっている。昔はストーブだったが今はエアコンだ。遭対協の人によれば今年は2月くらいの雪の量だとのこと、先が思いやられる。
 タクシー2台に分乗して大谷原へ向かう。なんとか1台で行けないかと交渉するも無理と言われて2台になった。今日は朝から雲一つない快晴で車窓からは朝焼けに染まる鹿島槍の双耳峰が鮮やかに浮かび上がって見える。予報によれば天気が良いのは今日だけで明日からは崩れるので見納めだろう。
 大谷原へと続く林道入り口でタクシーを降りて歩き出す。雪は多いがスノーモービルが走った跡があり楽だった。大谷原から先もスノーモービルの轍は続いており、更に人が歩いた跡もあるので雪の深さの割には順調に進めた。
しっかりとトレースがついた林道  いくらトレースがあってもやはり荷物が重い。今回は軽量化はあまり考えずに悪天候が続いてもギリギリまで粘れるだけの食糧、燃料を持ってきているのでなおさらだ。年々衰えていくばかりの我が身には辛いことだ。
 西俣出合から先行者のトレースは夏道の方へと続いている。トレースはいつのものか分からないが今日ではなさそうだ。夏道へ入るのは気が進まないので検討の結果セオリー通り冬ルートを行くことにする。赤岩尾根の末端から取り付くがいきなりの急登のラッセルとなる。トップは空身でないと辛いラッセルとなる。早く先行パーティのトレースに合流してくれと念じながら交代でラッセルを繰り返すこと4時間程で右の支稜から先行パーティのトレースが合流してきた。
 合流した所には幕営跡があり整地不要でテントが張れそうなので今日の行動を終了することにする。1,685m付近でまだ樹林帯を抜けていない所だが予定していた高千穂平まではとても行けそうにない。
 夕方から雪が降り始める。

【12月29日 雪】
 朝までに降った雪は20cm程で先行パーティのトレースは期待できなくなったが、それでも暫くの間は薄っすら残るトレース跡を外さなければそれほど潜ることはなかった。1時間も登るとトレース跡もなくなりザックを担いでのラッセルが辛くなる。
雪まみれでラッセルを続ける  10時過ぎに高千穂平に到着。この辺は岩がゴツゴツしていて歩きにくい所だが今年はすっかり雪に覆われている。行く先を見上げればまだまだ先は長そうで今日中に冷池に辿り着けるか不安になってくる。天気は昨夜からの雪が降り続いており視界も悪いが風がないのが救いだ。
 赤岩の頭が近づいてきて急雪壁を登り切ると下山してきた7人パーティとすれ違う。大阪からのパーティで今日登頂したそうだ。上にはもう誰もいないそうで嬉しいような嬉しくないような複雑な気分。そこから先の下山パーティのトレースは夏のトラバースルートへと続いている。我々はそれを辿らず直登することにした。急雪壁をラッセルして登り詰めると昨年下山時に懸垂した所の少し下の尾根上に出る。そこから更に少し尾根を辿ると赤岩の頭で稜線と合流する。稜線上は風で雪が飛ばされて雪は少ない。
 夏道との分岐から先は樹林帯の中のルートとなるが雪が深くなり赤布が付いてはいてもルートが分かりづらい。下山パーティのトレースに助けられて何とか日没前に冷池山荘に辿り着いた。
 冬季小屋には誰もいないので中にテントを張る。エスパースのジャンボなので張れないかもと思っていたが試してみたらギリギリ何とかなった。これで暖かい夜を過ごせる。この先何日立て篭もるかわからないので快適な居住空間は重要だ。

【12月30日 風雪】
 昨日の時点で今日は停滞することを決めていた。天気予報を検討した結果、登頂のチャンスは明日の午前中だけのようなので明日に賭けて今日はのんびり休養する。外は風雪でこんな日はじっとしているに限る。

【12月31日 雪】
 外へ出てみると降り続いた雪で小屋の入口の階段はすべて埋まっていた。小屋に着いたときには上3段くらいは出ていたのに。これ以上積もっていたらドアが開かなくて小屋に閉じ込められていたかもしれない、危ないところだった。天気は雪が降っていて視界もあまり良くないが何とか行動はできそうだ。午後には天候が急変するという予報なので午前中が勝負だ、6時半に小屋を出る。
 一歩小屋を出るといきなりのラッセルに喘ぐ。浅い所でも腰まで、吹き溜まりともなれば頭の上にある雪を崩してのラッセルとなる。先頭を行くバタヤン、ついにスコップを取り出し雪かきしながら前進する。遅々として進まない。1時間ほど頑張って後ろを振り返れば小屋がすぐそこにある。100mも進んでいない。樹林帯を抜ければ少しは楽になるかもしれないがそこまでさえ行き着けないだろう。こりゃ太刀打ちできない、撤退を決める。1時間行動しただけで撤退とは情けないがこの積雪量ではどうにもならない。
とんでもない雪の量にギブアップ  とりあえず小屋へ戻ることにする。10分くらいで小屋へ戻り着いた。この先天候が回復する望みは薄い、雪も増々深くなるだろうから早く下山した方が良さそうだ。今日中に下山できるとは思えないがせめて高千穂平まででもと撤収して9時に下山を開始する。
 小屋からしばらくは樹林帯の中の深雪のラッセルだ。樹林帯を抜けると風当たりが強くなるが昨年の爺ヶ岳のことを思えばどうということもないだろう。赤岩尾根への下りはもちろん夏道のトラバースルートは使わず忠実に往路を辿る。昨年は赤岩の頭から少し下だった所から懸垂したが、懸垂するのが手前過ぎて降りてからトラバースしなくてはならず、失敗したなと思ったものだ。
 赤岩尾根も厳しいラッセルが続く。登ったときとは違った景色に見えるほどに積雪が増えている。赤岩尾根には要所に赤布が付いているが、それでもルートを外してしまいそうになる。
 高千穂平の手前で天候が回復してき周囲の山並みが見渡せるようになったが、それも束の間ですぐに厚い雲につつまれる。14時過ぎに高千穂平に着いた。朝からのラッセルでヨレヨレなので今日はもういいだろうと幕営する。ここまでくれば明日には下山できるだろうと思ったがそれは甘かった。

【1月1日 曇り時々雪】
 もうそれほど時間はかからないだろうと甘く見ていたのでかなりのんびりした出発となった。だけど相変わらずの深雪のラッセルで西俣出合まで4時間半も要した。
 西俣出合からは平坦な林道なのだが、林道も雪が深く大谷原に着いたのは日没間近だった。既に帰るための最後の電車には間に合わない時刻となっていたので大谷原で幕営する。計画書を提出した委員長から我々を心配するメールが届いていたので大谷原まで降りてきたことを返信する。

【1月2日】
 朝飯はお茶と行動食で済ませ、撤収後にタクシーを呼んでから出発する。車道までは雪も多くなくわりとすぐだった。しばらく待つとタクシーがやって来た。5人乗れる車を頼んであったのだがやって来たのは普通のタクシーだった。乗れるのかと聞くと大丈夫だというので前に2人、後に3人乗り込んで薬師の湯へと向かう。薬師の湯は冬期は10時からの営業になっており、開くまで1時間もある。タクシーの運転手が七倉荘に電話して風呂に入れるか聞いてくれて大丈夫だとの返事をもらい駅へ向かう。駅に荷物を置いて七倉荘で風呂に入る。正月ということで大雪渓と野沢菜の漬物を振る舞ってくれた。酒も美味かったが野沢菜が絶品でとても美味かった。
 朝飯抜きで空腹だったので食事ができるところを探すが開いている店は皆無。しかたないので駅の立ち食いそばで腹を満たして帰途についた。

〈コースタイム〉
【12月28日】 大谷原入口(7:30) → 西俣出合(10:20) → 幕場(1,685m)(14:30)
【12月29日】 幕場発(6:45) → 高千穂平(10:10) → 赤岩の頭(16:00) → 冷池山荘(17:05)
【12月30日】 停滞
【12月31日】 冷池山荘発(6:30) → 冷池山荘(8:00~9:00) → 赤岩の頭(10:55) → 高千穂平(14:10)
【1月1日】 幕場発(8:40) → 西俣出合(13:10) → 大谷原(16:45)
【1月2日】 大谷原(7:40) → 大谷原入口(8:05)

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