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沢登り&縦走・大井川東俣遡行
鈴木 章子

山行日 2015年9月19日~22日
メンバー 鈴木(章)

 例会には出したけれど参加者ゼロ。でも、折角多くの時間をかけ計画したのだし、参加者ゼロでも腹を立てるのも変だし、入会したばかりの会員には求めるものが違う。私もきっとそうだったのだろう。あちらこちらから情報を集めれば一人でも行けそうなので、ゆっくりと行くことにした。今後もこのようなケースはよくあることだろう。
 甲府~広河原経由か下部温泉~奈良田経由で取付くか迷ったが歩き出しが1時間早くなることから広河原経由に決定。計画当初は椹島=二軒小屋経由だったが途中のガレ場を乗越すのが大変そうだったので池の沢下降に変更したが、下山後、ゆっくり考えれば当初のルートのほうが楽で安全だったかもしれない。
 しかし、『南アの真珠』と言われる透明度100%(過言ではない)の池に出会えたことは実に嬉しかった。

【9月19日】晴のち曇り
 奈良田第一発電所からのスタートは2回目になる。下山も2回目。南ア協力費を徴収している人と世間話をしながら身支度を整える。山登りをしない彼の眼にも、最近の高齢者、極端な軽量ザックの登山者には疑問を感じているようだった。
 いつ来ても堰堤工事をしている車道を歩きながら、これから行く大門沢小屋のことを考える。10年ほど前に行ったときも余りのレトロ(特にトイレは)にマイナスの感動を覚えた。ブログだけは一生懸命出してはいるらしいが・・・。
 登山道に入り1時間くらいは暗い樹林帯を歩くがここはキノコの宝庫。見渡せば今が盛りに至る所から顔を出している。
「採りたい!食べたい!荷物も重いし一人では食べきれないし」が頭の中で戦っている。
 結局、ブナハリとホコリダケの幼菌を掌に乗る程度採取。後は、紅葉が始まりだした沢筋の道をゆっくりゆっくり、単独で行くときの私の基本で登る。食事以外は休憩を取らないので結果的には早い終了につながっている。
 小屋は14年前と少しも変わらず、昭和中期そのもの。シャワー室とトイレが増設されていたが、新しいトイレも昭和中期そのもの。小屋の中も布団も昭和の感じが漂っていた。今時貴重な保存すべき物件?かも?
 小屋前の幕場は日当たりが良く富士山が正面に見え申し分ないがトイレの臭いが・・・。小屋裏は樹林帯の中、暗く湿気が多い。私の選んだ幕場近くの藪にはペーパーが点在。ここで用を足す気持ちが解る気がした。
特注したゴアのツェルト?  さて、今回の私のテントは、軽量化を考えツェルト。ゴアのツェルトを特注、¥30,000は高額で躊躇もあったが、先々のことを考えると、一人山行も多くなるだろうし、400gの重さには魅力があった。
 設営後、天井の低さを除けば居住性は申し分ない。これから私の良き仲間になることは間違いない。
 小屋での手続きの際、年齢・明日の目的地を記入したら、小屋番の人が怪訝な顔をしていた。ノートをよく見ると90%以上の人が農鳥岳・北岳と書かれていた。
 テント場は、暗くなりだしても人が増える。仲間で来ていてもほとんどが一人用のテント。入山すれば、自然に対する配慮もあるのでは、ここまで個人を持ち込む時代なのかと夕食を取りながら色々考えさせられる昨今の山スタイル。どちらが良いとは言えないが・・・
 明日の大門沢下降点までのキツイ登りを考えると帰りたくなるので、早々と寝ることにした。

【9月20日】晴のち曇り
 4時起床、お湯を沸かし軽い朝食を済ませ出発。最近は山の食事に飽きてきたのか食欲がわかない。重点食は1回になっている。
 大門沢下降点までのキツイ登りを数十人が私を追い抜いて行った。彼らのザックの中身はいったい何が入っているのか。私の日帰り装備の1/3だ。しかも、これから3,000mクラスの山が続く、そんなにピッチを上げるべきではないとつまらないことを考えてしまう。
 下降点まで4時間半、コースタイム通りだ。軽く休憩を取り広河内岳へ。山頂で大休止。
広河内岳山頂  これから行く沢への地図確認。私の手持ちのS57発行のエアリアマップには広河内岳~池の沢小屋まで赤い太い破線で記されているので、道は拾いながらも行けるだろうと判断。
 広河内岳の次のピークで下山開始したが、ハイマツの藪漕ぎになってしまった。もう少し先の最低鞍部からの下山が良かったかもしれない。谷底に着くとしっかりとした登山道が続き僅かだが最近歩いた靴跡も発見。気をよくしてドンドン下降。2時間ほど下降したところに幕場最適地を発見。その5分後に左の壁から数mにわたって水が湧き出ていた。そこから沢が始まっていた。テントを張りたい気持ちを振り切り、更に40分ほど下ると池に辿り着いた。
 池は素晴らしい透明度と、神秘さを漂わせ、池底の葉が銀色に輝き湖面は周りの景色を鏡のように映し出していた。『南アの真珠』と称えた人もいる。この池に出会えたことを感謝したい。
 しかし、池から先の登山道は倒木がひどく、ルート探しに苦戦。沢の中を歩いたほうが楽な気持ちになるが、沢の水量も多くなり小滝も続く。水も冷たそうなので、とにかく道にこだわり旧道を探した。2時間ほど右往左往していると山の斜面が急に緩く開けた。植林の林の中を下っていくと東俣出合いが見え、右側の林の中に小屋を見つけた。

「南アの真珠」と称えられた透明感ある池大井川東俣

 番場用の小屋の軒は折れているところもあったが、太い柱で支えられ大きな小屋は、まだまだ充分に使用可能。しかし、周りの見事な樹林帯の中では暗かった。更に、この小屋は今ではネズミの住処になっているらしい。
 広い河原の高台にテントを張り、急いで薪を集め、焚火、夕食の支度をした。はるか遠くにタープを張っている単独の人が居るのみ。
 沢は明るく広い。薪は1ヶ月燃やし続けても無くなることはない。ここもまさに別天地のはずだが、疲れてしまい早々に眠ってしまった。

【9月21日】晴のち曇り
 今日も快晴。早々と食事を済ませ、沢靴に履替え出発。樹林限界の高い南アは水の透明度が高い。沢底をしっかり確認しながら濡れる部分を少なく登る。ほとんどが渡渉だ。
 読図も簡単なところに、時折、剥げた赤ペンキで印もあり不安はなかった。沢の両岸はダケカンバの林が続き、秋色になりつつある。この沢のメイン、『魚止ノ滝』の滝釜は大きく深く恐ろしくも感じられたが右岸から簡単に登ることができた。

魚止ノ滝前面に広がる農鳥岳

 5時間の楽しい沢歩きは「アッ」という間に終わった気分。熊の平小屋へ行く乗越沢へは取付きに大きく『クマ』と赤ペンキで書かれているので迷うことはない。
 名残惜しい気分で2時間弱、乗越沢を登り切るとお花畑の中の幕場に着いた。ここの幕場は水が豊富、農鳥岳が前面に広がる別天地。15年前に来て以来、再度の幕張をと常々思っていたところだ。
 若いお姉さんの許可を得て、隣に幕を張らせてもらった。お姉さんは東俣沢に行ったことがあるとのことで意気投合。嬉しかったねー。暫くお姉さんとお茶を飲みながら山の話をさせて貰った。
 15時半、寒くなってきた。何もしたくない気分。私のエネルギーは不足気味。今夜は小屋での食事(夕食のみ¥2,000)をお願いした。みそ汁とごはんはお替り自由、肉の角煮が美味しかった。

熊の平小屋小屋での夕食

【9月22日】晴のち曇り
 昨夜は放射冷却もあり登山道は霜柱が立っていた。隣のお姉さんの予定は、間ノ岳~北岳~広河原(10時間)で今日中に帰宅すると言って4時に出て行った。
 私は何時ものように6時出発、予定では北岳山荘泊だったが、お姉さんのパワーに励まされ本日中に広河原まで下山、帰宅をと変更。
 しかし、スタートで三峰岳のキツイ登りに誤算、間ノ岳で30分「ボー」。心は揺らぎ気味。だが、登山者の多いのに驚き、結局、再度下山を決意。
 濡れたテント、濡れた沢靴が重い。それでも老体に鞭を打ち、北岳山荘に10:20着。八本歯コルへ向かう。八本歯コルからの下山を安易に見ていた、またまた大きな誤算。以前も歩いたことはあるけれど、これほど梯子があったっけ?更に恐ろしいほどの登山者。梯子を下り、登山者を避け、岩場に気を付け、背中の荷物は肩に食い込んでくるし・・・。
「山を甘く見たらあかん。過去の経験なんてちっとも役に立っていない。老いは私を攻めてくる・・・」
 休憩なしで広河原15:10着。バスは出たばかり。乗り合いタクシーで芦安駐車場まで行き入浴。最終バスで帰宅。
 翌日から筋肉痛と膝の痛みで歩行困難状態。反省の多い結果の山行になってしまった。

〈コースタイム〉
【9月19日】 甲府駅=広河原=奈良田第一発電所(12:20)~大門沢小屋(泊)(15:50)
【9月20日】 大門沢小屋(5:45) → 大門沢下降点(9:35~45) → 広河内岳(10:15) → 池の沢下降開始(10:50) → 水の出始め(幕場適地)(12:15) → 池の沢池(13:00) → 池の沢小屋・東俣沢出合(幕)(15:45)
【9月21日】 東俣沢出合(6:15) → 白根沢出合(8:00~15) → 滝の沢出合(9:20~45) → 魚止ノ滝(10:40) → 二俣(乗越沢出合)(11:15~35) → 熊ノ平小屋(泊)(13:15)
【9月22日】 熊ノ平小屋(5:45) → 三峰岳(7:25~35) → 間ノ岳(8:30~8:55) → 中白峰(9:50) → 北岳山荘(10:20~40) → 八本歯コル分岐(11:10) → 北岳分岐(11:30) → 八本歯コル(12:10) → 二俣(13:35~45) → 広河原(15:10)=芦安駐車場=甲府駅

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