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雪山登山・鹿島槍ヶ岳赤岩尾根
メンバー全員

山行日 2015年12月26日~30日
メンバー (L)和田、小幡、飯塚、大田、内田、永岡

【12月26日】(内田)
 まだ街はクリスマス気分に浮かれている25日夜、信濃大町に向かう夜行列車に乗るため都内を後にした。例会の鹿島槍ヶ岳に早めに入山できるメンバーが集まり前入隊を結成したところ、なんと正規の鹿島槍チームより人数が集まってしまったのだ。前入隊には今まで幾度となく鹿島槍で辛酸を舐めてきたメンバーが集まったため、1日でも早く入山し、例年後立山連峰の天候が崩れる正月前に登頂しさっさと下山してしまおうという目論みがあった(と思う)。ムーンライト信州81号が5時11分に信濃大町に到着し、暖かい駅の待合室で装備の詰めなおしが完了した6時過ぎ、予約してあったジャンボタクシーに乗り込み大谷原に向かった。6時50分頃歩き始めると同時にようやくあたりも明るくなってきた。8時半過ぎ西俣出合に到着する頃には今年は例年より雪が少ないことを確信した。昨年はたんまりと雪に覆われた川も今年は渡渉に気を使うほど流れがあり、直登しようとしていた冬道の尾根の取りつきもところどころ岩肌が見えている。そんなわけで無理せず夏道トラバースコースを選択し、堰堤の裏のトンネルを通りトラバース気味で尾根に取りついた。赤岩尾根は信じられないことに歩き始めは夏道の階段が見え隠れするほど雪が少なく、多少歩きやすさに難はあるが、これは登頂間違いナシだなとまたまた確信するのであった。昨年は1,600m付近で幕を張ったが今年は雪に阻まれることなく快調に進んでいく。それでも1,700mあたりを過ぎると空身ラッセルの方が楽になりところどころ急登箇所では先頭はザックをデポしてラッセルで進んだ。14時半頃、高千穂に抜ける手前1,870m付近に風が避けられそうないい幕場があり、その晩から風雪の荒れ模様という予報だったので無理せずここを今晩の寝床とする。平らな幕場は宴会と睡眠の質を大きく左右するため、整地にはたっぷり時間をかけその日の余った体力を注ぎこんだ。全員がテントに入り一息ついた頃にはすでに16時をまわっていた。忘れ物もハプニングもなく予定通りに順調に1日目が終了した。

順調に進む初日

【12月27日】(永岡)
 前日の天気予報で今日は崩れるということで、すでに停滞を決めていた。今日はトレースをつくるのと、自分のラッセルトレーニングだ。前日、幕場直前のところの急斜面で、踏み込むと足場が崩れて全く登れず、リーダーからラッセルのご指導を頂くことになったのだ。ゆっくり11時に出発予定だったが、前日の雪でピッケルやらが埋まっており、探し出すのに手間取ったため、11時20分に幕場を出発した。おなかの調子が悪い小幡さんは幕場で残り、強烈な女性陣と共に出発。天候は予想に反して、穏やかだった。しかし、昨晩の雪が意外と降っており、結構な雪量になっていた。暫くはそれほど急な斜面はなく、深いラッセルが続いたが、荷物が軽いため、全く苦にはならなかった。1時間ほどすると少し急な斜面に入り、リーダーのラッセル講習が始まった。「普通は誰もラッセルなんて教わらないんだよ。みんな見て覚えるんだよ」というお言葉を頂きましたが、もともと運動神経がない自分なので、一から教わらないと何もできないと、素直に言われたことをやってみた。
ラッセルトレーニング開始  「しっかり立ちこむんだよ!」「違う!そっちじゃなくて、こっちに立ちこむんだよ!」「しっかり足場ができてないんだよ!」「あーだめだめ、なっちゃいない!」愛の鞭が飛びまくる。だんだん自分でも上達してきていると感じるようになってくるとちょっとお褒めの言葉を頂く。「まぁ少しは良くなったかなぁ」アドバイスも頂く「膝で足場を作るときは、体ごと行くと楽だよ」なるほど、と納得して、更にラッセルを続ける。慣れてくると、ラッセルが楽しくなってきた。リーダーもよくラッセルは楽しいと言っていたがわかる気がした。13時半くらいで、引き返そうという話だったが、天候もよかったので、そのまま高千穂平まで進むことになった。結局高千穂平に着いたのは14時30分ちょっと前だった。帰りはトレースに従って戻り、15時50分に幕場に到着した。到着すると、小幡さんがテント下に金隠し付きのキジ場、そこまでの階段、男性用のキジ場を作ってくれていた。札幌雪まつりに出して恥ずかしくないような出来栄えにみなビックリだった!その晩は、みな、快適なキジ場で、信濃大町の夜景が見ながら、ロマンチックなキジをすることができたのであった。

【12月28日】(和田)
交代でラッセル  4時半起床、天気はよさそうだ。明るくなるのを待って6時半過ぎに出発。暫く歩くと後方にきれいな朝日を見ることができた。幸先がいい。昨日トレースをつけてきたので8時過ぎには高千穂平に到着。不要な荷物はデポしてもらうことにした。アイゼンワカンに切り替え膝から腿の雪を交代でラッセルして進む。真新しい雪に道をつくって進むのはなんとも気持ちがよかった。今回用に調達した北海道の漁師御用達の長ゴム手袋はかなり重宝した。しばらくすると若干でていた雲も流れ、爺ヶ岳や東尾根、冷池小屋も綺麗に見えた。素晴らしい景色だったが鹿島槍の山頂の雲が晴れることはなかった。やっぱり山頂は悪天候なのだろうかと不安がよぎる。2,200mを超えたあたりから斜面がよりきつくなり赤岩の頭に続く急斜面が見えた。あんな垂直斜面、登れるの?と思ったが、近づくにつれ急斜面のラッセルにも慣れ、今日のゴールも見えてみんなの士気も上がり、この天気ならどこまでも行けそうな気がしてきた。
 急斜面の下でどのあたりからいくか作戦を練り左寄りから上がることにした。見慣れたせいかだいぶ下から見た印象より急でもないような感じがしてきたが、落ちたら終わりなので今一度気を引き締めて進んだ。先頭小幡さん、2番手和田で空身になって胸までの雪を崩しながら交代で進む。3番手でも雪がやわらかくてなかなか足場がかたまらない。途中疲れてうっちーと交代。KGと上2人の荷物を後ろから流れ作業で交代で上げた。小幡さんは、ノリノリで先頭をガンガン上がっていった。今回で6回目の挑戦にかけているのが伝わってきた。この急斜面を上がったら稜線だろうと期待していたらまだ先があった。細い尾根を慎重にわたり15時頃ようやっと稜線に到着。2年前の立っていられないほどの風を予想していたが、穏やかな風でほっとした。長い長い樹林帯を越えて16時頃冷池山荘到着。前回と比べて雪の量が少なく入口の階段はほとんど下まで見えていた。小屋には、すでに杉並山岳会の2人用テントが張ってあった。さらにジャンボテントを張るのは難しいかとあきらめかかったが、快く受け入れてくれて、入口側ギリギリのところに張ることができた。ありがたい。その後、明日のアタックに備えて早めに夕食を切り上げ眠りについた。

【10月29日】(飯塚)
 いよいよ鹿島槍登頂を狙う朝がやってきた。朝4時に起床、諸々準備を済ませ、明るくなってきた6:30出発。天気予報は「霧のち一時晴れ」となっていたが、標高3,000mではかなりの強風の値(最大風速24m/s)が出ていた。それでも出発時は風は穏やかで視界も悪くなかった。小屋で一緒だった二人組とほぼ同時に出発し、以後、布引山手前の樹林帯までは交代でラッセルを行った。布引山手前の樹林帯を過ぎる頃には、黒部側からの風が強くなってきて体もその風で煽られるようになってきた。途中でワカンからアイゼンに履き替え、布引山の登りにはいる。登るにつれて風も一段と強くなってきて、私はこの時点でかなり息苦しくなってきてしまった。それでも、なんとか布引山に到着したが、既にかなりの疲労感で、思わず「ここが鹿島槍山頂でしょ」という言葉が出てしまったほどだ。そんな状態の中、鹿島槍までの本当の強風地獄はここから始まったのだった。とにかく更に強まる風の中、また視界が全くきかない中を登り続けなければならないのだが、なかなかペースがあがらない。そんな私のペースに合わせて、オオマサが前を歩いてくれたので、私はそれに合わせて一歩一歩登っていく。前方を登る4人も、途中、何度も振り返って私達を心配そうに見てくれていて、私もこれ以上遅くならないようにと、必死に着いていく。途中、先行していた二人組が登頂して降りてきたが、やはりかなりきつかった様子である。「山頂はもうすぐですか?」と聞いたら、ちょっと躊躇しながら頷いたように見えた。実際、山頂はまだ先だったので、私の疲労困憊な様子を見て?、頷くしかなかったのだろうと思われた。(あとで気付いたことだが・・・)その先も、時間の感覚もどこを登っているのかもよくわからないまま登り続け(風が強く地図もコンパスも出せない状態)、最後の急登に差しかかった。風に負けないようにジリジリと登っていく頼もしい皆の背中を追っているうちに、先を行くワダッチが手を振って「着いたよ~~」と叫んでいるのが見えた。そして、鹿島槍ヶ岳(南峰)の山頂にようやく到着したのだった。夢にまで見た厳冬期の鹿島槍のその頂に、5回目のチャレンジでようやく立てたのだ。本当に鹿島槍は最後まで様々な冬山の厳しさを味わせてくれた山であった。しかしこの烈風吹き荒れる山頂では、感傷に浸っている余裕はなかった。KGが写真撮影を試みるも、この過酷な状況では、その写真も断片的にしか撮れてなかった(後確認)。写真撮影もそこそこに3分ほどで山頂をあとにし、滑落だけはしないように慎重に下山する。途中、農大の学生パーティー10名ほどとすれ違い、この強風の中を爺ヶ岳から登ってきたそうで、なんて強い若者たちなんだと感動してしまった。そして樹林帯まで下山してきて、この日初めての1本をとった。温かい飲み物と行動食を食べ、ようやく落ち着くことができ、同時に登頂できたんだという嬉しさもジワジワと湧きあがってきた。避難小屋に帰ってから、小幡さん以外が全員顏に凍傷を負っているのがわかり、頬が既に黒ずんでいた。登山中は誰も全く気付かず、それほど過酷な状況の中、皆も必死だったんだなと思った。ウッチーが持ってきていたヴァセリンを塗りたくったが、テカテカした黒ずんだ皆の笑顔がとっても爽やかだった。鹿島槍は最後まで厳しかったが、皆のおかげで登ることができ本当に感謝です。(ちなみにこの凍傷痕は1月末時点でまだ消えてません・・・)

鹿島槍山頂

【12月30日】(大田)
 5日目、下山日。朝7時小屋を出発。山頂方面は相変わらず雲多く視界が悪いが、冷池乗越方面は風も弱めで悪くない。樹林を抜けると、朝日が厚い雲海をピンク色に染めながら輝き出し眩しい。赤岩の頭までの細いリッジは来たときより雪が増えているが、まだ締まっていて安定感があった。深雪のラッセルに苦労した頭直下の長い急斜面も、一歩一歩慎重にバックステップで下り、ここで一息。天気がどんどん良くなって、小屋から爺ヶ岳へ続く稜線がすっきり見える。雲海からそそり立つ爺ヶ岳がかっこいい。布引山から鹿島は雲の流れが速く相変わらず風が強いようだ。さらに岩場を越えると、ここからはフカフカ雪に隠れた枝に足を取られながらの下り。しばらくして高千穂平に到着。2日前に強制デポしたKGの荷物を掘り出し回収する。ここで鹿島の雄姿が現れるのを期待しながらゆっくり休憩。布引山までは雲が切れることもあるものの、鹿島はうっすら穂先が見えたと思うと隠れるを繰り返し、結局全貌を見ることができず。
高千穂平  名残惜しいが諦めて進むことに。本日入山の荻原隊にどこで会うか楽しみにしながら下るが、雪を踏み抜き続けて消耗する。初日のテン場も過ぎ、まだかまだかと下って行くと、先行していたワダッチの話声が。1700m付近で荻原隊と遭遇。まだ山になじんでない顔、当然さっぱりしている。一方和田隊は、どっぷり山まみれの凍傷顔で登頂話にハイテンション。山屋使用前使用後でかなり温度差があったような?! 荻原隊にエールを送り、後続の単独者、5人パーティーを見送り、トンネルまで一気に下る。時間はお昼過ぎ。ここまで来れば本日中に帰れるので、下山後の温泉と打ち上げを、周到に用意してあった数案から協議決定して、大谷原へと急いだ。薬師の湯の露天風呂に入ると空は雲ひとつない快晴。駅へ向かうタクシーからは後立山の稜線が夕焼けにくっきりと浮かび上がっていて、ようやく鹿島槍を目にすることができた。タクシーの窓から振り返り、何度も何度も見ながら帰途に着いた。

■正月合宿鹿島槍を終えて(小幡)
 三峰に入会して22年目となり、平成14年、正月合宿として初めて鹿島槍を計画したが冷池小屋までで敗退、その後も22年、23年、24年、26年と鹿島槍を目指すも全て敗退であった。記録は各メンバーの報告どおり、今年の正月合宿は三峰の先鋭女性メンバーに助けられ、強風、視界不良の中、平成27年12月29日10時45分6回目にして遂に頂上を踏むことができました。5名の仲間に感謝です。やっと鹿島槍を卒業できます・・・!!!

赤岩の頭
〈コースタイム〉
【12月26日】 大谷原(7:00) → 1,870m近辺にて幕営(16:00)
【12月27日】 停滞 → 幕営地(11:00) → 14時半高千穂平(14:30) → 幕営地(15:30)
【12月28日】 幕営地(6:50) → 稜線(15:00) → 冷池山荘(16:00)
【12月29日】 冷池山荘(6:30) → 鹿島槍登頂(10:40)
【12月30日】 冷池山荘(7:00) → 赤岩の頭(7:50) → 高千穂平(10:30) → 大谷原(12:00)

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