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雪山登山・仙ノ倉山北尾根
藤岡 弘之
澤野 穣
八須 友磨

山行日 2016年3月19日~21日
メンバー (L)内田、山蔦、澤野、金子、飯塚、藤岡、大田、八須、内藤、下村

【3月19日(藤岡)】
 前夜に車3台で東京を出発し、土合駅に集合した。私の車はノーマルタイヤで、雪があったらどうしようかと思っていたが無用の心配で、土合駅までのアプローチは全く問題なかった。土合駅でシュラフを並べ、軽めの宴会をして仮眠についた。翌朝は7時に起床して身支度する。今日の行程は、まず、電車で土樽駅まで移動してから行動を開始するが、始発電車は何と8時34分と遅い。上越線は、ある程度の本数が走っているイメージを持っていたが、臨時便を除くと1日に6本しかなく、完全なローカル線である。地下深~くにある下り線のホームまでは10分程度階段を下るが、これを登るならば大変だ。
 土樽駅までは10分ほどで到着。装備を整えて9時に出発する。道路脇には除雪した雪が残っているが、路面上に雪はない。だが、高速道路を横切って、表の道路へ出る階段の上には30、40cmほどの雪が残っていて、先行者の不安定な足跡も残っており、滑り落ちないように注意が必要だった。まずは北西方向へ歩き、高速道路と上越線の鉄橋をくぐって平標山新道の入口に辿り着く。ここからは雪道となった。
取付きに向けて平標新道を歩く  少し進むと、融雪水が流れる小さな堰堤のような場所に差し掛かかり、おそらく、この時期ならではの渡渉ポイントになっていた。下流側の大きな石を足掛かりにして渡ることとし、澤野さんら数人が先行して、後続に手を貸して渡った。この頃になると、気温が上がってきて春山のようだ。
 途中から雪質は完全にざら目となり、足をとられて、なかなか進まない。試しにワカンを付けてみると、これが効果的で、体が沈みこまずにスピードが上がった。装着を面倒がらずに、積極的に付けた方が良いと感じた。毛渡沢の橋を渡り、北尾根に取り付き手前で大休止を取った。沢の冷たい水がとても美味い。テントでの水作りを少なくするため、ここで水を汲んでから尾根に取り付く。
 北尾根は笹尾根である。雪がざら目ですぐに崩れ、また、雪の少ないところでは踏み込むと笹が出てきてしまい、足が滑って、とにかく登り辛い。先頭を順番に担当して進むが、自分の番が回ってくるとほとんど進めず交代して、情けない思いが募った。取り付きから2時間で標高差400mほどを登り、1,182m地点を越えたコル部分で早々に幕営することとし、長~い酒宴で英気を養い、翌日に備えた。

【3月20日(澤野)】
 眼下には今しがたへばりついていた広大なスラブが小さく見える。スプーンでひとすくいしたカップアイスの表面のようである。
 西ゼンを遡行し終え下山路の尾根で立ち止まり辺りを見渡すと辿ってきた谷以上にその上に横たわる長大な尾根に目を奪われた。地図上では小指一本分にしか過ぎないが左右上下、視野一杯に延びるその尾根を眺めて、「これが雪を被ったらおもしろそうだな」と思った。
 それが仙ノ倉北尾根で、それ以来近くを通る度に見上げて気が付くと3年経ってしまった。景色の素晴らしさを人づてに聞き、期待して参加したはいいが無情にも眺望はなく、しかも怪我というお土産まで頂戴することになってしまった・・・。

ガスガスの中、幕場を出発シッケイの頭に向けて

 6:30テン場発、終日ガスに覆われ時折小雪がちらつく。灰色の世界の中ただ黙々と足を運ぶ。高度を稼ぐにつれ風が強くなり仙ノ倉にて協議した結果、メンバー間に体力の差があること、天候が悪化していて強風の中稜線で行動を続ける危険性を考慮し、平標山へエスケープすることにする。
 仙ノ倉から平標山の間はただでさえ少ない雪が風に飛ばされ踏み抜きが多くなる。慎重に足元を見て歩を進めていたにもかかわらず雪を踏み抜きその下に隠れていた木道の横木にアイゼンの前爪が刺さってしまった。60㎝近くの高さから冬山装備を担いでジャンプし片足の前爪で着地すればどうなるかは、やらなくても分かる。全体重が左足のふくらはぎにかかり筋肉が引きちぎれる感覚と激痛が走った。「これはだめだ、やってしまった」そう思ったが暫くそこで休むとストック頼りに歩行が可能となり10分もすると平標山の家に着いた。小屋の前に座りすぐに雪で冷やしたが足はパンパンに腫れ上がり杖なしでは歩けなくなっていた。リーダーに負傷を伝えテントではなく小屋に泊まることにした。薬に精通している藤岡さんとやはり薬やスポーツ医学に詳しい下村さんのアドバイスで適切な処置をとることができたのは不幸中の幸いであった。またこのとき先に着いていた別パーティーの一人からは怪我を気遣ってか温かい飲み物を頂戴した。さりげない優しさに嬉しく思う。
仙ノ倉山頂で進路(退路)を相談  全く眺望の効かない一日だったが怪我の処置が一段落してから小屋の外に出てみると素晴らしい景色が広がっていた。小屋の前に広がるその広大な空間は去年行こうとして叶わなかった笹穴沢であった。今年の夏はここだな・・・。怪我をしたことを忘れて体が冷えるまで眺めていた。それだけでも来たかいがあった。小屋では藤岡さんと下村さんが寝床の準備とアイシング用の雪の手配をしてくれ、また一人きりにしてはいけないという配慮からだろうかテントの宴会には参加せず小屋での一晩に付き合って貰うことになった。様子見に来るメンバーと翌日の下山について話し合ったが、私を除く全ての人が荷物を分散し私の空身での下山を主張した。個人的には当然のことながら自分の荷物は最後まで担ぎ通したいし、第一非常にカッコ悪いのである。ここからの下山路は全く悪い所がなく、担げないならザックは谷底に落としてからひきずればいい。5時間でも10時間でも時間さえかければ何の問題もなく降りられる。そう思い自分で担ぐことを主張したが山蔦氏より強烈な反撃を食らった。「澤野さん、いいですか、10人もいるんですよ。こんな時に我々に担がせてくれないならパーティーの意味がないじゃないですか。担がせてくれないなら悲しいですよ」私は言い返せない。更に下村さんが引き継ぐ。「こういうときは、みんな担ぎたいもんですよ」 冷静に考えると怪我をした時点でもう十分カッコ悪いのである。今更カッコが付かないのである。皆の意見に従うことにした。
 受傷後の酒は良くないと聞いたことと下山時の迷惑を考えると酒を飲む気にならず(いや、本当は飲みたかった)楽しみのウイスキーを差し出した。まぁ少しくらい飲めよと言ってくれる人がいるかな?と期待したがいなかった。一滴残らず大先輩の胃袋に収まったそうだ。怪我が宴会に水を差さなかったようでほっとした。
 翌日、体力抜群のハッチーが一人で私のザックを背負うと志願してくれた。さすがにそれはまずいと分散をお願いし、無理をしない、疲労を感じたらすぐ下ろすということで暫くは彼が担ぎその後は分散して担いで貰うことになった。そのお蔭で痛みはあったものの何の不安もなく下山することができた。
 帰り道、こんな怪我1週間もしたら腫れが引いて2週間もしたらハイキング。3週間で完治だ、と思い描いた。ところが・・・その予想を上回り医師の診断はふくらはぎの肉離れで2週間の松葉杖1か月の完全固定。再び荷物を担いで行動出来るまでに約2か月かかってしまった。つまらぬ意地を張っていたら足はもっと悪化していたことだろう。
 あの日荷物を担いでくれたメンバー、最寄りの駅まで送ってくれた金子さん、そして下村さん藤岡さん八須さんの3名には特に感謝しております。お土産の賞味期限はもう切れたので捨ててしまいました。

【3月21日(八須)】
 「あれっ・・・だれもいねぇっ!」
 昼過ぎ、広い駅の構内の通路の壁には十数個のでかいザックが壁に立て掛けられてあった。しかしその場には誰も居なかった。左を見た・・・・・・。誰も居ない。すかさず右を見た・・・・・・。やはり誰も居ない。後ろを見た・・・・・・。同じだ、誰も居ない。回りには人が歩いてはいるが今まで出会ったことのない知らない人ばかり・・・。私の知っている人は誰一人としてそこに居なかった。
 数分前のこと、駅に到着した私たちは土合駅へ行く電車を待つことにした。次の電車の出発時間を調べると、待ち時間はたっぷり1時間半ちょっとあった。それでゆっくり昼飯を食べに行こうということになったわけではあるが、重たくてでかいザックを背負いながら飯屋に入るのも迷惑なものなのでザックは駅の構内の壁に置いておくことにしたのだった。
 私達はザックを降ろし壁に立て掛けた。しばらくの間皆その場で固まり談笑をしていた。その隙に尿意を催していた私はしれっとトイレへ行った。そして帰ってくると・・・もうその場には誰一人としていなかったわけである。もう皆昼飯を食べに行ってしまったのだった。
 仕方ない、コンビニにでも行くか・・・。そう思い私はコンビニへ行った。人々でがやがやと賑わう駅を抜けて外に出た。外は薄暗く、空はどんよりと曇り今にも雨か雪が降りそうであった。駅の傍にあったコンビニに行き、店の前で私は熱いカップラーメンをズルズルと啜り、握り飯をガツガツと食った。私のすぐ隣には若いお坊さんが私と同じようにアメリカンドックと唐揚げをムシャムシャと食っている・・・・・・。なんか俺と似ているな…。私はそう思った。お坊さんもアメリカンドックなんてジャンクな物を食べるんだ・・・・・・。それにあの食い様、相当腹が減っていたのだろう。それに服がボロボロだ…どういう旅をしてきて今ここに至るのだろうか?隣で必死に食べるお坊さんを見ていたらそんな思いが沸々と湧いてきた。熱いラーメンを啜り、ハァ~と顔を上げた。目の前には街の家々があり、そのすぐ向こうには大きな山が聳え立っていた。頂付近には白い雪が降りつもっている。名前は分からぬが山は山、迫力があった。あぁ俺は降りてきたのか・・・目の間に聳え立つ山を見て私はそう思った。隣のお坊さんが何処から来たのかそれは分からない・・・・・・しかし私は3日間の谷川岳縦走を終え、今日山を降りてきて今ここに至るのだ!
 そう私たちは今さっき谷川岳から降りてきたばかりだった。つい半日前のこと・・・私達はまだあたりが暗い夜明け前の3時頃にテントの中で目覚めた。寒く、体の芯まで突き刺すほど寒かった。吐く息は白く、眠い目をこすりながら、火を起こして朝飯を腹に収めた。外へ出てみると外には真っ白い雪の世界が広がっていた。周りには連なり山々、皆雪を被っている。空は晴れており朝日がキラキラと辺りの雪を輝かす。私達は早々とテントを片付け、荷物をまとめて下山することにした。
 昨日やってしまった澤野さんの肉離れは治っておらず、まともに歩くことすらままならなかった。ノロノロしては居られなかった。一刻も早く下山せねばならなかった。澤野さんのザックを私が持つことになり、後ろに自身のザックを背負い、前に澤野さんのザックを抱える状態で山を降りていった。斜面は急な所もあったが雪は柔らかくあまり深くはなかった。ザクッザクッと靴が雪に埋もれる。
 我々は山を降りてゆくが・・・初めのうち道がよく分からなかった。
「そっちじゃない」
「こっちの方が良くないか?」
「こっちだこっち」
というような声があちこちから飛んで来た。
 皆で地図を確認し合いやがてルートが定まった。一列になり右に左に蛇行しながらゆっくりと山を降りてゆく。皆が歩く度に雪が固められ、木々の間を縫って道が作られてゆく。
 始めはなんの問題もなく降りていた。しかしある時ピキリッ・・・腰に一筋の痛みが走った。2つのザックの負担が腰に来たのだ。腰に走ったその一筋の痛みが、腰痛になっちまうかもしれん・・・と私の脳裏に嫌な予感を生み出した。
 重たいという苦しみよりも腰痛になってしまうかもという不安の方が私を苦しめた。
 ありがたいことに途中数人の仲間で澤野さんの荷物を分散することになった。ありがとう・・・ありがとう・・・感謝の念を心の中で呟いた。
 それからはすいすいと山を下り降りていった。1時間ほど降りた頃、雪が積もってはいるものの夏道と分かる道に出た。もう道に迷う恐れはなくなり、ズンズンと私達は降りてゆく。
 途中今から登ろうとする数人のスキーヤーに出会った。彼らは重たいスキーを担いで何時間もかけて山を登り、一瞬で山を滑り降りるのだろう。私にはそんな経験がないのでそれのどこに楽しみや面白みが感じられるのかはまだ分からない。それはきっと経験しなければ決して分からないことなのだろう。彼らは私達に背を向けて山を登って行った。私たちは彼らに背を向けて山を下って行った。
 そして道はどんどん平らになってゆき、降り積もる雪も薄くなってゆき・・・私たちはついに谷川岳から降りてきた。それはテント場を発ってからおよそ3時間が過ぎた頃であった。
 皆の顔には無事に下山できたという安心感と早く休みたいという気持ちが滲み出ていた。
 そうして私達は道路でバスを拾い駅へ来たという訳であった。私はズズリッとカップラーメンの汁を飲み干した。お坊さんはもうその場には居なく、フランクフルトも唐揚げも既に食べ終えて、どこかへ旅立ってしまっていた。一体お坊さんはどこへ向かって旅立って行ったのだろう・・・?そんな思いを抱きながら私もお坊さんの後に続きコンビニを去った。
 雨がパラパラと降り出し、私は駅の中に逃げ込んだ。その後しばらくはだだっ広いお土産コーナーをぶらぶらと歩き回り、試食を見つけたら所かまわず食べていた。もうそろそろ電車の発車する時間かな・・・そう思い、ザックの置いてある場所へ向けて歩き始めたその時プルプルプルプルッと携帯が鳴った。
「八須、今どこにいるんだ?もう出るぞ!」金子さんからだった。「今向かっている所でもう着きます」電話を切った私は早歩きで向かった。そして1分もしないうちに辿り着いた。
 1時間半前には誰も居なかった場所・・・・・・。その場所はがらりと変わり、目の前には皆がいた。
「どこに行ってたんだよ」そんな言葉が投げかけられた。  私達は電車に揺れながら車の止めてある土合駅に向かった。他に乗客はパラパラと居た。窓の外を見ると連なる山々と葉のない枯木の林がどんどん後方へ流れてゆく。椅子に座る皆はもう疲れ切ってしまっていた。しゃべる人も居ない。そんな皆の疲れを癒してくれるものが最後に待っていた。風呂である。車で少し走った所に風呂はあった。露天風呂の下には綺麗な川がありザザザザザッ―と水の流れる音が辺りに響き渡る。常緑樹の葉は緑色に輝き、頭上に広がっている。お湯は温かく、冷え切った体を存分に温めてくれた。お湯に浸かり皆何を思っていたのだろうか・・・・・・?また来年行きたい。早く眠りたい。明日から仕事か・・・。早く旅に出たい。次はどこの山に登ろうか・・・。肉離れで温泉に入れない・・・皆いいなぁ・・・。人の数だけそれぞれ思ったことがあるだろう。それぞれの思い描きながらこうして私達の3日間にわたる谷川岳縦走は幕を閉じたのであった。

〈コースタイム〉
【3月19日】 土合駅=電車⇒土樽駅(9:00) → 平標山新道入口(9:35) → 渡渉ポイント(10:00) → 毛渡沢の橋(11:30~12:00) → 1,182m地点(14:00)幕営
【3月20日】 幕場(6:35) → 仙ノ倉山頂(11:00) → 平標山の家(13:20)
【3月21日】 平標山の家(7:00) → 林道(8:20) → 元橋バス停(9:30)

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