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沢登り・楢俣川前深沢
澤野 穣

山行日  2017年 8月5日~6日
メンバー (L)澤野、内田、金子、荻原

 楢俣川には大きいのがいる。飛び切りデカい。初めて見たのは確か3年くらい前。そのときはまだ小さかった。その後ここに来るとかなりの確率で出くわす。10回来て3回。尺とか40cmとかそんなレベルではない。4回目は今年の6月。そんな大物が早期に動くはずがない、と経験豊富な釣り師はすぐ反論するだろう。でもそいつは突然目の前に現れた。メーターオーバー。いやひょっとしたら、2メーター近いか。嘘つきめ。と思うかもしれないが、誰もイワナとは言っていない。そいつはまるでオヤジの様。オヤジはオヤジでも赤ら顔でつばを吐いて何やら紙切れを破り捨てている、そういうオヤジではない。
 熊の事である。
 同行者がその時つぶやいた。
「ヒグマ?」(注:北海道ではヒグマのことをオヤジと呼ぶらしい)
 当然本州にヒグマがいないことは大抵の人は知っている。がそれくらい大きいその熊は今まで見たどんな野生動物よりも素早く脱兎のごとく逃げ去った。あと5秒遅かったらアウトだった。

 前置きが長いのは締切当日の足掻きということで御容赦願いたいが、この前深沢を計画したとき4点楽しみにしていたことがあった。
 大滝の登攀、イワナの魚影、至仏山からの眺望、そして熊さんである。
 幸いそんなことなど全く意に介さないベテランばかり3名も参加してくれることになった。
 ただ好き勝手にクマに引っ掻かせてあげるつもりはないのでカプサイシンのお土産をぶら下げていくことにした。

【8月4日(金)】
 21:30東所沢集合。
 天気予報が良くなく、初日の行動が重要となりそう。普段よりも早い集合をお願いし23時水上着。楢俣湖で入念に入山祝いをして仮眠。

【8月5日(土)】
 6:00ゲート出発、2時間ほど歩くとダムのバックウォーターに到着。クマを見かけたり遭遇したのは全てここから数百mの短い区間。クマスプレーの安全弁を外しいつでも発射できるように手に握りしめ歩みをすすめるが今回はその姿を見せてはくれなかった。このスプレー、暴発して自分に降りかかること一回、仲間に降りかかること一回。忘れたときに限ってクマ登場。そろそろ廃棄の期限。役立たずめ...。
 9:00入渓、予報では午後天候が崩れるとのことだが幸い絶好の沢日和。仮に増水しても安全なテン場は幾つかありオプションプランも幾つもある。ほっといても一人で生還出来るだけのメンバーなので遡行を継続し前深沢に入る。
大滝手前の樋状の滝  前深沢前半は期待に反して見せ場の少ない沢だった。その鬱憤を晴らすためという訳ではないが、男性3人イワナを見つける度に大騒ぎである。たいして大きくもないイワナを一尾見つける度にいちいち竿を出したり仕舞ったり。念のために言っておくが皆沢の素人ではない。今まで散々イワナを釣ってきたベテランである。一応自分が計画者でありリーダーなのだから、ここは我慢して先に行きましょうと言うべきなのだが、予報に反しての晴天が能天気にしてしまったようで、しかしこればかりはどうしようもなく、動くものを見ると追わずにはいられない猫と同じである。
 分かっちゃいるけど止まらないのだ。うっちーだけがまたやるの?という顔で見ているがそこはうっちー、一言も言わない。沢に入った男どもの行動パターンは百も承知なのだろうか。ただ前深沢のイワナは決して多くはない。その気になればあっという間に釣りきられていなくなってしまうだろう。それにわざわざ竿を持ってくるのに値する沢ではないと思う。
 少ないイワナを埋め合わせるように幾つかの滝を小気味よくこなし、12m滝をロープを使って越え高度を稼ぐが、いかんせんイワナにちょっかいを出し過ぎたせいで予定していた大滝上まで届かず手前でタープを張ることにした。
 15:00、なかなか幕場適地の少ない中、ここしかないというところを地図からうっちーが探り出した。男3人で整地している間薪を集めて剪定しているうっちーに、「手が傷だらけになるから女性はそんなことをしなくていいよ」と声を掛ける者は一人もいない。バキッ!バキッ!と力強い。そんなに強くなったらもうお姫様扱いはされないな。100%ないよ。内心一人笑ってしまった。
 河原に降りて一杯やっていると空が鉛色になってきたが幸い一滴も降らなかった。料理長のうっちー、ピーマン肉詰を前菜に豪華な夕食を存分に振る舞ってくれて皆大満足。
 今年大活躍の雨男についてシンポジウムを開きそのまま酩酊して就寝した。

【8月6日(日)】
 6:30テン場発、幸い雨は降っていない。出発してすぐに大滝が姿を現す。一見すると簡単そうに見える。
 ロープを結び取り付き、中段のテラスまで登るが信用に足るピンが見当たらない。ハーケンが効きそうなリスもなく、ナッツの効くクラックもない。金子さん荻原さんから巻こうとの声が掛かり、左岸を巻く。自分はロープを結んだまま荻原さんにビレイしてもらいスラブを灌木滞までトラバース。残り2mのところでスリップ。肘を擦りむく。やっぱり昨日イワナをいじめ過ぎた祟りだろうか。
 滝の上は視界が開けてくるがガレ場が続く。グングン高度を稼ぐが見せ場の少ない谷を登りいい加減疲れてきたころに登山道に出くわす。
 11:00登山道、さすがに至仏山。登山道は人だらけ。自分のパーティーの面々を少し離れたところからみると、なんとも場違いに見える。周りは小奇麗なでお洒落な登山者ばかり。その中にヘルメットを被って薄汚い3人衆。見渡しても沢屋さんは単独一人だけ。3人が普段より小さく見える。
 登山道からは眼下に尾瀬が見渡せる。まだ尾瀬には行ったことがない。多分人だらけだろう。誰もいない沢を我が物顔で遡行することに慣れてしまった我々沢屋は人混みにめっぽう弱い(と思われる)がそれでもやはり眼下の尾瀬は素晴らしく一度は行きたいと思った。それを金子さんに聞いてみた。
「尾瀬、行ってみたくないですか?」
「全然。」
あっさり切り返されてしまった。
 当初は、ここから狩小屋沢を下降する予定だった。がこれから沢を下りまたあの林道を延々3時間歩くのかと思うともう沢山だった。メンバーに聞くと満場一致で鳩待峠へ下山することになる。山頂で眺望を楽しみ整備された登山道を下るとあっという間に鳩待峠に到着した。
 帰りのタクシーで前深沢を振り返って考えてみた。大滝一つ越すためだけにわざわざ50mロープ担ぐ価値があるか?否。血液が逆流するような大イワナはいたか?否。またオヤジに会いたいか?会いたい。また前深沢に来たいか?...。
 隣では運転手さんが一人でずっと話続けている。1人でしゃべって、1人で笑っている。無視するのも失礼なので相槌だけは打つが、正直話がとても面白くない。後ろは振り返ってないが間違いなく3人とも寝た振りをしている。すこしするとこの状況がとてもおかしくなってきた。
 終わってみればおもしろい2日間だった。

〈コースタイム〉
【8月5日(土)】 ゲート(6:00) → 矢種沢出合(9:00) → 前深沢(10:00) → 大滝手前(15:00)(幕)
【8月6日(日)】 テン場(6:30) → 大滝(7:00) → 大滝上(8:00) → 登山道(11:00) → 鳩待峠(14:00)

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