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縦走・冬季八ヶ岳全山
早川 錠

山行日 2018年2月5日~8日
メンバー (L)早川、眞鶴

 動機は、昨年10月に三峰山岳会に入会した者同士でどこか行けないかということから。三峰山岳会の活動は季節が冬でも絶えることなく続けられており、諸先輩方の精強さと自由度の高さに憧れを感じていました。事前の相談でバリエーションルートではなく、一般ルートの山行許可が出たので、私たちは諸先輩方に同行できる経験を積むため、また同期の親交を深めるために、冬季に入門編の八ヶ岳で3泊4日かけて全山縦走を計画しました。ルートの起点は観音平から北上して、蓼科登山口を目指しました。

【2月5日】晴れのち曇り
 電車で小淵沢駅に9:50頃到着。タクシーで観音平口の登山口を目指したが、冬季は通行規制のため、ゲート前からのスタートになる。夏は車で通ることのできる道を歩き、登山口の標高1,560m地点では富士山を見通せるほどの快晴だった。編笠山(2,523m)までひたすらに登りが続き、雲も増えて、日の光も少なくなった。この日に登山者とはすれ違うことが無かったが、青年小屋までのトレースはばっちりで、登山道に登山者と全く同じルートで動物の足跡もあった。
 幕場は青年小屋の冬季避難小屋内。小屋の窓はガラス張りではなくてスチール製で、開放しなければ昼でもヘッドライトが必須になる暗さだ。夕食のカレーの後は小宴会で、久しぶりに飲んだお酒がまわり、気づいたら就寝していた。

【2月6日】曇りのち一時晴れ
 この日は八ヶ岳の"登攀やバリエーションルートの名所"を遠目に眺めることができた。
 起床は4時。5時30分には青年小屋を後にした。森林限界を越えたあたりでトレースは風でかき消されており、権現小屋までラッセルが続く。権現岳(2,715m)を越えたあたりで展望が大きく広がり、時折、雲の合間から赤岳と阿弥陀岳も見えた。長いはしごを下りて歩くと、最初に内田委員長の班が翌週に登攀予定だった“旭岳東稜”を見ることができ、「あんな所を人がどう登るのですか」と正直に思った。稜線を気持ちよく歩きながら進むと、一時的な雲の間から、眞鶴氏が1月に山行してきた"天狗尾根"や八ヶ岳全山縦走の代案だった"阿弥陀岳南稜"が次々に姿を現した。
 赤岳(2,899m)通過後も、古屋さんが1月に登攀を完了していた"石尊稜"や"大同心・小同心"があり、山岳会に入る前は登ることも意識しなかった数々の"道"を見据えながら歩いた。
稜線上より赤岳・阿弥陀岳(キレット小屋~権現岳間)  赤岳展望荘でコーヒーを一杯と軽食をとって小休止した後、赤岳~硫黄岳山荘でラストスパートをかける。17時頃、硫黄岳山荘に到着。幕場は硫黄岳山荘の入口前、他の場所も検討した上で決定し、スコップにて整地後、テントを設営。「テント内は無敵」と思っていたが、そんな概念は崩れて、幕場が適切であることとペグを使用するなど方法が適切であった場合のことだと痛感した。この晩は日が沈んでから風が更に強くなり、テント内に荷物を四つ角に置いていても風で大きくまくり上げられるため、炊事の際には火元とテントが接触しないように体を張って過ごした。そんな騒動の中にもかかわらず、気づいたら眞鶴氏と「しりとり」をしていたが、お互いに、意外と山に関係した言葉にあまりつなげることが出来なかった。寒さにはウイスキーを体に入れても効果はすぐ切れるので、睡眠もまともにとることができずに、また強風の音と振動で30分に1度は目が覚めた。赤岳展望荘で本日の最低気温-22℃、最高気温-16℃と書かれていたことを思い返す。行動中は西からの風が強かったためか、既に筆者の左頬の一部が黒くなっていた。振り返れば、この日の寒さが下山後の軽度の凍傷の症状につながったと感じる。

ツケマツゲ

【2月7日】曇りのち晴れ
 昨日までの荒々しい峰が連なる南八ヶ岳とは景色が一変して、比較的なだらかな稜線の北八ヶ岳に入った日だった。
 起床は6時、硫黄岳山荘を8時に遅めの出発。最初のピークは山頂の広い硫黄岳、それ以降は夏沢峠や東天狗、中山峠、高見石小屋を順次通過していく。天気の良さとなだらかな稜線のため、展望も良かった。13時すぎに麦草峠に到着。麦草峠まで他の登山者と合計20人程度はすれ違ったが、この地点以降は誰とも違わなかった。営業中の麦草ヒュッテの外にて小休憩を取り、またガスカートリッジの温存のため、炊事用で水1L100円を2L分購入。小休憩後に移動を始めたが、北八ヶ岳のなだらかな道が続くあまり、縞枯山の山頂にて、クライマーの眞鶴氏は「北八ヶ岳はつまらない山だな!」と何度もぼやいたことを覚えている。幕場は縞枯山荘の前。最後の夜になるので、荷物の軽量化と体力をつけるために、食料・飲料は朝飯と予備食・行動食を残してすべて平らげる。昨夜とは相反して、無風で静寂なことが信じられなかったが、寝つくことが出来なかった。夜に見上げた空は雲一つなく、星を見ることができて奇麗だった。

【2月8日】晴れ
 起床は4時30分、縞枯山荘を5時45分に発つ。「山に残りたいと思わないけれど、最終日はいつも名残惜しいと思う」が、2人の朝の会話。縞枯山荘より北を目指すが、地味に急登が出現して、大幅なペースアップはできなかった。北横岳ヒュッテにて、小休止。大の用について、眞鶴氏は頻繁に各所で足していたが、筆者は初めて小屋のトイレで足して、氷点下で解放感がとても爽快だった。小屋前では、ご年配の3人がスノーシューを履いて準備しており、これから南に向かうこととスノーシューいいですねと会話したことを覚えている。前夜は小屋泊だろうか、老後の過ごし方はこんな風に元気で優雅で品格ある生き方をしたいと思ってしまった。さらに進み、北横岳山頂付近にて南の方角を振り返ると、歩いてきた山々を一望でき、雲一つ無い青空を背景に眺めることができた。
北横岳より南八ヶ岳の展望  北八ヶ岳の北横岳より先がルートファイティングになると予想していたが、案の定、北横岳北峰から亀甲池までの間でトレースから外れて、ラッセルで約4時間活動した。今回の山行でトレースが無かったもしくは途切れていたのは、権現岳~赤岳山頂、北横岳~亀甲池(よく探せば見つけられたかもしれない)、蓼科山荘~双子山の途中、大河原峠~蓼科山荘の途中の4か所だった。18時頃に蓼科山荘に到着、既に日は沈んでいた。蓼科山荘より蓼科山頂までの急登をラストスパートかける。眞鶴氏は歌を口ずさみながら登っていた。月明かり下の山行は、登山隊がアルプス、ヒマラヤ山脈で山頂に向けてサミットプッシュしているような気分だった。蓼科山頂(2,530m)に到着後、看板前にてお互いに写真を撮り合う。山頂からの景色は暗闇で、佐久市と諏訪市の夜景以外なにも見えなかったけれど、何度も足を運んだことがあるので山頂がだだっ広いことは覚えていた。風を遮るものは何もなく寒いので、長居することなく、蓼科登山口の方向に向かった。蓼科登山口には21時に到着。計画書よりも大幅に遅れていたので、下山報告を速やかに行う。茅野駅では終電が無かったため、下山後はタクシーで佐久平駅まで行った。タクシーの移動中にメールを確認すると、渡辺守さんと金子さんより例会山行の谷川馬蹄形1/2が新潟の豪雪によって延期となっていた。中1日の参加予定で気力を高めようと思っていたのに無念だったが、足の状態としては天候に救われたのかもしれない。佐久平駅は新幹線の停車駅でもあるが間に合わなかったため、しゃぶしゃぶの食べ放題のお店で食事をした後、佐久平プラザ21に宿泊した。次の日はそれぞれの予定で、別行動となった。

蓼科山頂と眞鶴氏蓼科山頂と筆者

 割愛させていただいた出来事や振り返ると反省点も多くありますが、達成感のある山行でした。だからと言って、二度と山に行きたくないと思うことはまったくなく、雪山・沢登り・登攀などで研鑽することは多々ありますが、盛んな山岳会の活動の輪に少しでも入り、行き急ぐことなく、少しずつ体力と技術を身に付けていきたいと思う旅でした。

〈コースタイム〉
【2月5日】 池袋駅【電車】(7:00) → 小淵沢駅【タクシー】(9:46) → 観音平口ゲート前(10:20) → 編笠山(15:50) → 青年小屋(16:25)
【2月6日】 青年小屋(5:30) → 権現岳(8:55) → 赤岳(14:45) → 硫黄岳山荘(16:55)
【2月7日】 硫黄岳山荘(8:00) → 硫黄岳(9:05) → 中山峠(12:25) → 麦草峠(14:10) → 縞枯山荘(17:00)
【2月8日】 縞枯山荘(5:45) → 北横岳北峰(8:35) → 亀甲池(12:35) → 大河原峠(15:45) → 蓼科山荘(17:55) → 蓼科山頂(19:10) → 蓼科登山口(21:00)

〈費用〉
【電車】
・池袋~小淵沢駅(特急あずさ) 5,180円
【タクシー】
・小淵沢駅~観音平口ゲート 2,600円
・蓼科登山口~佐久市駅 16,000円※深夜料金適用
【宿泊】
・佐久平プラザ21 7,800円


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